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スクと日食



  スクに振られた
    アジサシはオーストラリアへ旅立ちか

  朝6時、具志堅船長(名護市議)と汀間漁港を出港、一隻同じ時間に出て、嘉陽方面に出る。長島と平島のサンゴ礁に辺野古の聖丸が錨をおろしている。漁の邪魔にならないように長島の近くに平和丸の錨をおろす。
 目的は二つ
 ① スクの大群を取る姿を見る
 ② アジサシなどの鳥類が日食でどのような行動を取るか。
1時間以上たってもスクの姿見えない。別の船が移動する。聖丸が帰港するので周辺のアジサシの岩礁を回る。17日の群れは見えない。赤道目指して移動を始めたと思われる。日食まで体が持たない(水分補給が増える。昨年毎日6時であった。1年ぶりの6時出港)予感がするので帰港する。
 (聖丸はすでに50キロのスクを採っていた)
 港に帰ると出港する船3隻、調査船も4隻出る。
カミさん。飛行機で皆既日食ツアー、悪石島上空、下界は雨とニュース、旦那は目的達成せず。野生動物日食への反応テレビで見る。ダチョウの交尾あり。飛行機のガイド、一番狂ったのは人間だと言いたそうだ。67、体力衰えているか。

 夕食は
  イカの黒墨のお汁

 家で日食を見た。あと26年は生きないだろう。夕食はイカの黒墨のお汁にした。その心は。
 
 明日は市場に行ってスクを買いに行く。私の小さい頃(冷蔵庫のない頃)はミミチブ(アンダチブー豚の脂を蓄える壺、耳が3~4ついている柚薬に独特、少し鑑定できる。今、焼く陶芸家なし?)にスクを塩漬け<塩辛>する。
 8月に入るとヒンガーイチャー(ヤリイカ?)がシーズン、これはミスガーミー(味噌甕)に黒墨で塩漬、11月まで漁。スクガラスー(居酒屋で豆腐に乗せて今は食べる)、イカは夏の到来だ。
 今は、スクはビニールに刺身で食べられるだけ包んで、解凍。イカも同じようにビニールで1食分ずつ包み、さらに、新聞紙で包むと1年サシミ(シークワサーでイカソウメン、スクの刺身最高) もいける。
 今日の夕食、イカよ、さようなら、明日から、スクだ。セリの安い時に冷凍室に保存、刺身用、お汁用、パーテイーの酒の肴用と三種の新聞で見分ける。
 反対協の000座り込み記念会などに100名以上も問題ない。旬を知れば海は面白い。1年前までは100人の魚お汁約束して釣れたが、今日の状況ではだめだ。
 体力をつけるために、明日からジュゴン1号のペンキ塗りだ。

  ヤチムン会
    スクガラスーとイチャガラスー 豆腐に見る
 
 ベトナム戦争終わった後、ベトナムに行った。べンハイ川(南北ベトナムの境界)を戦後初めて渡る日本人と言われたので私が最初にわたることにした。赤旗記者が中・ベトナム紛争で死ぬ4日後のことである。サイゴン発、エアーフランス最後の便でバンコクに着いた。
 その晩、夕食に、皿一杯のコーレーグス(トウカラシ)が出た。私が3個食べるから、もし、食べ切れたら夕食代みんなで支払ってほしい。水で飲み込んだ。コロンブスの卵である。
 西洋の干物などに比べて東洋には塩辛文化、動物性蛋白質に比べて植物性タンパク質の加工文化があるのではないか、現職の教師のころ、教材にしていた。
 
 沖縄に「ヤチムン会}という組織がある。創設期の会員である。
ベトナム戦争の頃、米帰還兵が沖縄の古い焼き物(特に、ミミチブ)を米国に記念に買って行く。ドルの価値(1ドルで1晩飲める)の高い頃で、私の勤めている学校を中心に阻止できないかと出来たのが「ヤチムンの会」、まだ、存続しているようだ。
 創立期の会員は少なく、芸術家が多いようだ。(なくなった方も少なくない)
 創立期の原稿を書いてほしいと依頼され、方法書の頃で、一晩で40枚ほど書いた。焼き物のことは、その頃は、口角泡を飛ばし絵画論まで、もう、忘れた。
 
 私の中で、目の前にあるものを見る目の変化を書いた。
 芸術至上者からは好まれないかも知れない。私の教材論は「モノや碑などは教師が語りかけると自ら語り出す」である。歴史体験とともに変化・発展するものである。「ヤチクン会」の機関誌は色鮮やか、掲載されるか。
 私の眼は「辺野古」の海に移っている。
 その原点が、スクガラスーとイチャガラスーである。つまり。スクとイカでである。
私にとって夏を迎えるのはスクとイカで、秋と冬はイカの食である。冷凍庫は便利である。中古二つ求めて運行中。我が家に来る客はイカのお汁に出会う。

 
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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