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やすしー闘う体制確立ー街の中へ、市民と対話

市民的勇気とは
 県民世論・行動の高揚の中で

  基地推進派の分裂の名護市
 名護市には市長が数人いると「揶揄」される。その象徴が読売(11月3日)の「撤回」ドタバタ報道に現れている。
 島袋市長の基地推進のあからさまの手法、市運営の品性のなさに、岸本元市長「子飼い」が、「日米合意見直し」「新政権の動向」というスマートさを装い分裂した。
「苦渋の選択」と「見直し」の過去の手法を用い、島袋市長を生み出した責任を覆い隠すに過ぎない。
 稲嶺氏は岸本元市長の基地誘致の実務的担い手、島袋市長の教育長としてキャンプ・シュワブの思原遺跡の調査を急がせ、兵舎が急速に立っています。
 市民の顔として島袋市長は「ナランサー」(できない)は市民多数の声であり、保守の議員たちは「恥ずかしい」思いをして分裂、野党議員の選考会擁立できず、解散、行き場がないから「日米合意見直し」に飛び付いた。
  野党議員は
    すいこまれた
 野党議員は新基地反対の候補者を立てることができない。立つ勇気もなく、無原則に吸い込まれていった。基地振興策の経済破綻についても1年前、労働界は下記のビラを出していました
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 なぜ、「日米合意見直し」(基地誘致火種)や「新政権の動向」(辺野古ありき)に吸い込まれなければならないか。玉城県議は8年前に比嘉やすしに出馬打診している。大事な教育実践の最中であった。この実践は沖縄タイムス教育賞、読売教育賞最優秀賞と結実する。
 
 県議に、市議に勇気があれば、政治的、経済的諸条件は「辺野古に基地いらない」大きな市民第運動が展開できた。
 市民の勇気の共同ができた。励ましあい、励ましあい大きな闘いが展開できた。
辺野古・名護13年の歴史に自信が持てなく、市民を信頼し得ない悲劇である。

「なごなぐ雑記」(宮城康博ブログ、元ヘリ基地反対協共同代表、8年前市長候補)のブログは明快な見方であろう。
 経過や政策協定なき、吸いこまれを知れば知るほど、理解ができないでしょう。議員は後援会を基礎にしている。
 説明責任、政策整合性ないであろう。


 教師は
   生徒(市民)ともに、明日に輝く
    平坦なん道はない
  県議と野党市議が「日米合意見直し」の政策に流れて、見えにくい状況を生み出している。名護高校が閉塞していた時代をブログに転載し、過去の歴史から自分の生きざまを、そして、今、何が大切かを振り返った。(10月29日、30日)
私と比嘉靖が赴任した頃、学校で生徒間の殺人事件も起こった後で、体育祭もやれなかった。子どもと教師の心と体の信頼と連帯のために体育祭を復活させ、子どもが学びあい、教えあう学校をめざし、私と比嘉やすしは学校移転計画を答申し、比嘉やすしは現在の名護高校建設に大きな役割を果たす。
私は移転の前に転勤する。
(1978年)である。「君の道へ」の中で、高校生にマルクスの言葉を書いた。(ブログ)

「人生には平坦な大道はありません。そして、人生の険しい坂道をよじのぼる労苦をいとわない者のみが、その明るい頂上にたどり着くのです」
   生きるたくましい、ちからを
   明日の自分を描く 確かな力と豊かな心を!
   幸あれ 君の道!
 『学園に愛とロマンを求めて』(P47) 
今、私は、名護のマチブイ、マチブイに挑戦している。


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立候補表明から1週間
  基本的体制確立

 比嘉やすしを先頭に
   市民の会
     ビラ配布・街頭・訪問活動へ
島袋陣営も
  吸いこまれ陣営も、つくろいを初めているかも知れない。
   移設というワナ 見る目 確かな目と洞察を  
    なぜなら、ゲーツの恫喝不発、知日派キャンベルの来日だ。へなへなになる政治屋
     鳩山内閣、すぐ、沖縄に反映する
      だが、沖縄は安保条約に挑み始めた。
(続きー星空は休みます。)
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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