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日米会談と名護の到達度

日米首脳会談と
 2010年の沖縄の政局と市民運動

日米会談の中での普天間・辺野古の到達度
アメリカのジョセフ・ガーソン氏は反基地ネットワークのメーリングリスト通じ、ゲーツ式日本恫喝に、アメリカのマスコミが批判を始め、有力紙が大会の模様を伝えている。
 11・8県民大会は「移設先」に触れず、辺野古反対・たらい回し反対であった。この間、その後にも比嘉氏の出馬表明受けて、稲嶺氏「作らせない」の表明文(11月6日)で変化を見せ、大会にも参加、11日には比嘉氏の事務所開き、12日には島袋市長が県外移設への傾斜、責任論については故岸本市長に転嫁する非人間的姿を現した。
 普天間閉鎖・辺野古移転問題に争点隠しが完成した。
今日の新聞見ると「迅速」は、相当長い期間であることが分かる。前回同様名護市長選挙争点外しは成功したように見えるが。
 日米会談は共同声明を出せなかった。多くの矛盾があるということだと見る。その、一つ一つが新聞の中で見えてきた。(15日、沖縄の新聞写真にした)

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 (日米会談の素顔が、段々 見えてくるであろう)

稲嶺陣営は大同団結につくか
   新聞の「掛け声」で終わると推測
 新聞報道によると統一の動き出ている。玉城県議は「大同団結」を新聞に書かせたが、動きはない。一般論として統一に比嘉氏は姿勢を見せていることは新聞の伝える報道である。稲嶺氏の「作らせない」、島袋氏の「考え方」、県内自民党の動きは変化を見るに充分であろう。
 日米会談の到達点はオバマの「辺野古ありき」鳩山「相当困難」の矛盾を孕みながら、岡田外務大臣、自民石破の来沖である。(闇の権力が動いた共同行動と見る)

 現時点で「大同団結」の意思は見えない、オバマ・鳩山の「早期解決」意味不明でアセス手続きの既成事実を積み重ね、ワーキングチームは形式的なものになり「辺野古ありき」以外出せない。
 
知事と島袋は評価書、埋め立て許認可の手続きを待ち焦がれているであろう。
 比嘉陣営は「大同団結」が、争点空しであること「普天間閉鎖、宜野湾にいらないものは名護にも、国内どこにもいらない」観点で闘いを強める必要がある。
 
 私が一貫して名護の市長選挙、反対派の分裂ではないとの立場が明確になり始めた。私はオバマ・鳩山会談は「日米合意」の迅速の合意と読み。会談の中ではかなり具体的(ロードマップ記者会見で言及)それは、国民との大きな矛盾を秘めたものだ。

 比嘉氏出馬の政治的重要性、正統性が光ってきた。新聞が「統一」書いているが稲嶺氏にないと推測される。
 
 なお、県内の民主、社民、社大党は稲嶺氏推薦決定しているが、それは、それとして、比嘉氏および市民の会の奮闘を批判することは許されない。名護市にこれら党の組織がないからである。名護市の不幸は自民、公明、共産党以外の政党がないことも起因する。
 一人の市民を市長選挙で自ら政党を持たず批判する態度は政党の道義、政治道徳の無責任性を表す。
 (私は、そう、思う、自治的市民へ、お上からの個人攻撃になり、市民が主人公に反する)

 市民運動の純粋性
  名護市の13年の「ボタン」のかけ違い肝に!
 沖縄県の平和及び市民運動は行政が基地誘致の中にあっても市民運動を発展させ再編成もマチブイマチブイさせてきた。また、13年の歴史を背負って生きる。新たな決意が、大きな波の中で展望持って進む自信の自覚で名護を見つめてほしい。

 (ヤンメームンのたわごとか)
 辺野古河口(干潟)
  砂泥で遊ぶ子どもたち
 日曜日、辺野古テント村は子どもたちであふれた。干潟の泥、浅瀬で泳いだ。子どもたちが自然と泥まみれで遊ぶ世界は素敵な世界である。
 私は、名護市長選挙の「泥」に中にいる。辺野古の自然と政治の「泥」という奇妙な世界に生きている。民衆の純な世界を願いつつ・・・・・・・・。 

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 辺野古に届いた
  瀬長フミさん100歳を祝う詩
 故瀬長亀次郎さんの次女内村千寿さんからフミさんの100歳を祝うパンフがテント村経由で送られてきた。パンフにはフミさんの短歌と芝憲子さんの詩が掲載されていた。
 1984年から持続している反核金曜デモ、辺野古・高江の座り込みに共通する「愚直」があった。
 辺野古2000日、まだまだ、これからだと思った。
今日のテレビで、自民党・民主党若手議員が10年後首相になると普天間問題など話していた。テレビをよほど暇だと思った。
 今日も忘れものでテント村に行った。

  (18時30分記)
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 (10:10)
(続きに星空12)

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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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