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沖縄の展望を示すー全国革新懇シンポ

 全国革新懇ー沖縄と日本の明日への道示す  
 名護では岡田外相
  わけのわからない「意見聴取」

 (岡田の狙いは島袋支援である。岡田は名護市民にあきらめさせる、政治不信をまき散らしに来たと推測される。民  主党沖縄県連のいい加減さ、社民党沖縄県連も存在価値が問われる。政治不信は基地誘致の島袋お応援の政治戦術  と見るのが妥当であろう。ここで、沖縄県民の真価が問われる。)

 宜野湾市では日本の明日への展望
 
5日朝は志位和夫日本共産党委員長に
   辺野古の闘いを説明
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 (説明する大西、赤嶺さん、志位さん)

 会場満席の宜野湾コンベンション
   全国革新懇「基地問題シンポジュム」
  パネリスト
   伊波 洋一宜野湾市長
   仲山 忠克反戦地主弁護団弁護士
   志位 和夫日本共産党委員長
  (続きにー新聞紹介します。今、6日01:25、普天間基地の実態7日、8日に掲載します。英語版も)
発言の機会与えてくれました。
 下記は発言内容
 子どもや高校生が普天間返還・都市作りを描いた(昨日のブログ写真1991年)
   宜野湾市市民・宜野湾市長の素敵な心

子どもや高校生が明日を描いた
  輝く未来へ、今歩きだしている
 発言の機会を与えてくださって感謝します。
名護平和員会の大西です。ヘリ基地反対協の代表委員も務めています。元高校教師です。
 まず、伊波市長はじめ宜野湾市民が「宜野湾にいらない普天間基地は辺野古にもいらない、沖縄・日本のどこにもいらない」と、とても大切な心を維持していることに心から感謝します。
 安保廃棄を掲げる唯一の政党、日本共産党志位委員長には民主連立政権が「日米合意」重いと米国津追従深めていますが、安保条約10条で沖縄基地解決だと、旗を高く掲げて、大きく前進・飛躍的を成し遂げる、新しい時代を迎えていると期待しています。
元高校教師の目で普天間・辺野古問題を述べます。
 私と普天間基地とのかかわり、辺野古の闘いの原点は、この会場の隣の学校、宜野湾高校の教室です。
 この写真を見てください。普天間高校・宜野湾高校生は普天間基地返還させて都市構想を描いています。1991年です。宜野湾市勢要覧(1992年)に掲載されています。私は毎年全クラスを嘉数台地に連れ「この基地を1日も早く返還させて、沖縄1の街を作るのが、21世紀の君たちの仕事になる」と私の本に記録しています。

 この写真を見てください、宜野湾高校とコンベンションの十字路にポケット公園があります。基地マーシを返還させて、竣工記念碑が建ち、万国津梁時代と明日の世界を描きます。私の野外授業の教室です。この会場の歴史がわかります。
 1990年代初頭、高校生徒との学びの中で「沖縄の基地」が動く予感してきます。
私は毎週土曜日伊江島に阿波根昌鴻さんを訪ね、その人生、思想を学びます。
 この本「沖縄の太陽物語」に宜野湾高校での学びを書き遺しています。その1月後、
 1995年秋、少女とご両親の勇気が米軍基地を動かします。反戦地主が歴史の表に出て、翌年4月の橋本―モンデール会談で「普天間返還」、SACO(日米行動委員会)、1997年12月21日、名護市民投票で海上基地拒否、軍民共用空港の「苦渋の選択」です。
 
 私は、宜野湾高校生との学び合いの中から「物事の争いは平和的解決で」「非暴力こそ力」沖縄の王国時代ら受け継いできた「平和の文化」だと確信します。
 この海浜公園の海で高校生徒泳ぎました。サンゴが蘇り、タコを取り生物多様性の21世紀を体現します。 
 96年・97年全国高校生平和集会を連続、この学校で行いました。宜野湾・普天間高校生を中心に高校生平和ガイドが、毎回約80人も育ちました。宜野湾市の中堅になっていると思います。

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  不屈・愚直の辺野古の闘い13年
 辺野古の闘いは世界の「平和の文化」「生物多様性保全」の県内、国内、国際的連帯です。
 瀬長亀次郎の「不屈」、阿波根昌鴻オジーの「愚直」が辺野古テント村の柱です。
 日米政府は名護市民投票で負け、軍民共用空港でも沖縄の非暴力に負けて、また、名護市長選挙、知事選挙で沿岸案(再編成案)全ての候補者が反対でした。日米政府、頑張るのです。不思議な国です。
辺野古軍民共用空港のたたかい「愚直―沖縄非暴力の心」と毎日のブログ日記「宝の海」をまとめ、現在も「愚直」に、毎日辺野古発信しています。
 05年10月末、「日米同盟の変革と未来」合意(俗に言う米軍再編成)、翌年5月の「ロードマップ」でV字型2本滑走路を「日米同盟のカギ」と規定して、2010年の完成を合意し、環境アセスメントに入りました。沖縄の英知と学問的良心が団結しました。方法書意見書約500通で、8か月狂いました。準備書意見書は5000通、民主党が驚いて普天間の「国外・県外移転」を唱え、国民の喝采を得、選挙の勝利が見えてくると「再編成見直し」と煙に巻き、ゲーツの恫喝に屈し、オバマの褒め殺しで醜い姿をさらしています。
 普天間問題は移設問題ではありません。即時閉鎖・全面返還です。負担平等とも無縁です。1990代中期の高校生は伊波市長を誕生させ、その道を歩み、辺野古に希望を与えました。伊波市政Ⅱ期目を支える中堅になっていると信じています。
  名護市長選挙は
   歴史的闘いの幕開けー全国の支援を
 
 辺野古13年、苦しい谷も、つかの間の喜びもありました。2度の市長選挙・知事選に負けても日米政府を県内・国内・国際的にも追い詰めています。
 来年1月は地球的規模で激動、名護から始まります。
 その正月に名護市長選挙です。基地推進の市長に対し、「辺野古見直し」「新政権の動向」というあいまいな火種を残す候補に、一人の市民が勇気を持って「新基地反対」の明確な政策で出馬表明し、市民的勇気の共同の力で「名護市に新たな基地をいらない信念を貫く」政策の変化を生みだし、急速な決断による市民的な合意形成ができました。沖縄の歴史的遺産、筋道と統一こそ力、市民的勇気が源です。
 来年初頭から「名護市に新基地はいらない市政」を打ち立て、11月の知選挙に引き続き、普天間閉鎖を実現、米軍再編成を打ち破り、日本国憲法が輝く年にしましょう。日米友好は大切ですが屈服と服従は断固として拒否します。安保条約10条の行使を国民世論にしましょう。
 私たちは勝つまで辺野古のテント村から平和な日本を訴え、同時に1月の闘い、
 全国の力をまず名護にと訴えます。国民的勇気の共有と共同の力を呼び掛けます。
 発言させてくださってありがとうございます。
    2009年12月5日 


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 (高校生の都市構想図で発言する大西、)
(続きー全国の友へ)
(6日 0時)
 朝刊が面白いと思う。
民主党沖縄県連の責任問われるか。

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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