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2010年テント村ハチウクシー(初興し)

日本晴れ
 雲ひとつなくテダと輝く辺野古
2010年の初日も数年ぶりであった。今年はいいことが続くと書いた。年末年始はグズツイタ空。正月の陽光は全国に報道された(テレビ朝日)。テント村ハチウクシーの4日、雲は一つもなく輝いた。ニライカナイノ神の座る島から慈悲に満ちたテイーダが。
  「沖縄の方言で太陽のことをいう。世の中や人々を照らし明るくしてくれる神もテダ(テイーダ)という。人を射  すくめ、威圧し、むしろ人を寄りつけない感を与える物体としてのテダ(太陽)は神としない。大きく円満にし   て、慈悲に満ちあふれ輝いている暁の太陽、時には夕べの太陽が神としてのテダである。我々を慈しみ育ててくれ  るのが(ウマテダ)(アサテダ)で民衆を威圧するのではなく愛護してくれるのが(テイーダの子)である。
    (拙著『沖縄の太陽物語』、沖縄百科事典から引用)

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  (テント村8:00)
 大根のオツユが
  出来上がりました
 昨晩、豚のダシ骨(ツキニ骨=背骨)のアクをとって、大根・昆布・チンヌク(サトイモ)を入れて出来上がり。旧暦の頃は正月は豚。正月豚を各家庭で1頭潰し、塩漬けにして春まで食べたものだ(市場でシーチキー買って食べてみてください)
 旧正月にもう一度やります。沖縄の伝統の再現をしてみましょう。それまで辺野古決着でできないか(?)


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  やっぱり大西先生だ
   「ハブヌチブル」(ハブの頭)
 商売しょうと、与那覇岳の麓の農園に300坪ほどラッキョウを植えた。体調悪くして放置している。
 正月に掘り起こして昨晩塩漬けした。オジー・オバーに食べてもらおうと出した。
 嘉陽のオジーが
 「さすが、大西先生、辺野古の歴史を調べて「ハブヌチブル」を出してくれた。ありがとう。ウヤファーフジー(祖先や親)が、正月に魔よけで食べさせられた「ハブヌチブル」、辺野古の闘いで忘れていた。ありがとう。ありがとう」
 と、辺野古の正月の風習を語ってくれた。
ラッキョウを「ハブヌチブル」は初めて知る。偶然が重なったと説明しても、嘉陽のオジーは納得しない。博学でいるか。(?)ときどき偶然が重なってオジーに褒められる。

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  (ハブヌチブルを配る節子さん)
 アメリカの恫喝に怯えるな
  逆に「恫喝」外交に転じること
 昨年8月のアジサシ観察以来海に出てない。兵舎などの建設が進んでいる。護岸もでき、船を下ろす道路もできた。
 全てアセス逃れ、思いやり予算である。特に海兵隊不要論が1995年代、その声も論もジャーナリズムの世界で聞こえなく、海兵隊8000人がグアム移転、この日本、むしろ、海兵隊抑止力論で鳩山政権に八つ当たりしている。
 このブログで在日米軍を「銃とパンのみ」と乞食性を指摘している。思いやり予算などがなければ米軍はアジアで軍事プレゼンスはできない。特に海兵隊は典型的である。
 むしろ、日本は「恫喝」すべきだ。冷戦の時期ではない。誰に、どこに、抑止力だ。アメリカにとって日本への魅力は「お金」と対米関係を固定的にみるマスメデアの存在であろう。海兵隊に豪華なリゾートまで作ってあげる。不思議な国日本が見える。
知日派的に見るのは止めにしたら。ブッシュ政権もオバマ政権も同じ顔、たかが一つの基地問題で「日米外交崩壊」などと日本沈没的に大げさな姿は貧弱外交ではないか。辺野古海に出ると思う。知日派という言葉は死語にしないといけないと思う。
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きれいな海に・・
 小沢一郎ですら・・・。
 教のテレビ朝日で、全国3人の知事への新年のインタビューがあった。仲井真知事には小沢一郎の「きれいな海」についての感想。
 きれいな海だけではない。生物多様性に満ち溢れた海。権力の亡者といわれる小沢でも「きれいな海だ」と言う感性を持っている。
 この感性がないのが小池百合子元防衛大臣、名前は出ないが元女性の閣僚、それに、岡田外相だ。ラムズフェルド米国防長官も「きれい」と言った。

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 (青年隊を平和丸に乗せて、遊ぶ)

辺野古テント村ハチウクシー沖縄報道について

1月3日
 寅年ー活動開始


 朝起きて新聞を読む。琉球新報コラム欄に面白い記事があった。

金口木舌 2010年1月3日
 寅(とら)年を迎えた。届いた年賀状には猛々(たけだけ)しく牙をむく虎やユニークに擬人化された虎がいた。硬軟は違えど、勢いのある良い年にしたいという願いが伝わった
▼東京在の知人は年賀状にこう記した。「普天間基地移設報道はおかしい。米国にちょっとでも逆らえば、日本が滅ぼされるかのごとく国民をあおっている。それほど日米関係は弱くていびつで日本国民は無知なのか。衆愚報道に乗ってはいけない」と
▼大手メディアの報道を見ていると、普天間基地の県外移設を模索する鳩山政権の営みを「虎の尾を踏む」行為と位置付け、米国の国益確保を最優先に日本への脅しめいた発言を繰り返す元米政府高官を頻繁に登場させ、「日米関係の危機」を過剰演出しているように映る
▼駐米日本大使がクリントン米国務長官に呼び出されたように装ったとされる疑惑は、外務省が米国の圧力を意図的に強調して、県内移設しかないと世論を誘導しようとした「虎の威を借る狐(きつね)」の類だろう
▼県外移設の成否は「自発的対米従属」に歯止めをかける試金石だ。困難を避けては成果を得られない「虎穴に入らずんば虎子(こじ)を得ず」の精神で対米交渉を貫けるか、県民は固唾(かたず)をのんで見守っている
▼その期待感が裏切られれば、過重負担に耐えてきた沖縄社会の反基地世論という「虎」が野に放たれ、再び日米安保を揺さぶるだろう。

 このコラムを読んで1995年の少女暴行事件のころの、沖縄の女性たちがワイドショウ的に報道するキー局16社に「心ない報道は米兵と同じ」と抗議したことがよみがえって来た。
 
 沖縄タイムスは「同じマスコミとして憤り、被害者宅をうろつくハイエナ報道陣、恥を知れ」(1995年9月28日)と批判した。
 石を投げて抗議したものもいた。

 アメリカ政府報道機関的マスメディアについては、12月17日のブログに書いています。小さいものを徹底していじめるジャーナリズムは滅びる。


 赤旗に「従属の同盟」(1月3日から)特集連載が始まった。普天間・辺野古に関する日米政府の陰謀が歴史的にわかる。
 辺野古テント村ハチウクシー(4日1時)

年末年始は
 孫娘にオモチャにされた
  お家に帰った

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 テルジーにバンザイ
  テルジーの書斎大好きになっていたが・・・。
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正月からー名護市は闘いー教え子たちのトゥシビー

合同トゥシビーに招待される
  30年前の高校生は今
 干支の年に同級生会を行っている30年前の生徒たちに招待された。テニス(ソフト)、バドミットンなど、高校生徒遊べる血気を持っていた。
沖縄最北端の高校である。


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沖縄北部は海洋博覧会が終わり、沖縄振興開発で大きな変化を遂げ始めていた。沖縄の高校生にとって琉球大学の国立移管で琉球大学は狭き門になり、学力問題で揺れていた。横浜銀蠅、ロングスカートの時代である。
 福地ダムなどの建設ブーム、公共工事で労働力不足の感があった。パイン産業はまだ隆盛期から衰退期、高校生は「家庭内賃金労働者」の状況下で、オートバイ問題、退学問題も沖縄の重要な社会問題であった。社会の変化は激しかった。地域も学校も生徒も揺れた。
 彼らの学校状況は教育日誌に書きこまれている。

君たちは高校生を持つ親になっている。私の日記には誰が停学になり、誰が何をしたかが記録されている。この本に概要が刻まれている。高校生の息子や娘に今は読まされないであろうから、次の還暦の集いで見てください」と爆笑。

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この時期の教育日誌をまとめた拙著『学園に愛とロマンを求めて』の第3章は「学力と「非行克服」への挑戦」である。
 その第1節「学校・地域の教育力の再生をもとめて」が示すように、地域社会の荒廃と学校のロマンを求めていた。
 辺野古の時代閉塞への闘いと同じであった。
彼らが還暦を迎えるころ、私はこの世にいないであろう。彼らの青春期は、私と彼らとの格闘の時期であった。

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 (私が手にしている本「学校に愛とロマンを求めて」挨拶3分)
 (続きー1月2日新年の街頭挨拶)

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復帰闘争碑が警鐘する2010年

復帰運動世代の選択
  1990年代、今の沖縄でいいか。

釣りバカ(アシバー)教師の
 選択は現代に活きる
 
 今年は沖縄総体の年でもある。
 昔、国体や高校総体に情熱を燃やしたS教師から、年賀状を頂き、知った。
 1996年高校教師となって、当時の教師が復帰運動の中核であった。1972年に沖縄の復帰が成し遂げられた。幼い時から釣りが好きで、復帰の年に小型船舶免許を取った。沖縄国体を前にして学校が漕艇競技の指定校になり、生徒の安全のために「ひと肌脱いでほしい」と依頼される。
 釣りバカ教師、断る理由はないから引き受ける。何しろ豪華なスポーツだから沖縄への導入は初めて、講習など受けて指導者の位置まで来て、九州・全国の高校総体、国体の沖縄県監督になる。
 辺戸岬には磯釣りのポイント、岬の沖に船での夜釣りのポイントも持っている。復帰記念碑はいつも前にしていた。

(復帰闘争碑)
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 結婚して、家を建設して床の間には憲法9条の掛け軸にサンシンを飾っていた。それでも毎日、生徒や学生とボートを漕いでいた。でも、家の大事な場所には、大切な憲法9時用があり、沖縄の生活文化の柱サンシンが日々の生活にあった。サンシンを奏でることはできないが、大切な沖縄の心としていたspan>
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  (1980年代初頭からの我が家の床の間の憲法9条とサンシン)

 普天間基地自動車デモとの出会い
  沖縄が動く予感
 1980年代末ごろ、新春普天間返還自動車デモ(1月3日恒例)に参加する。沖縄が再び動く予感がする。漕艇競技の全ての役職を辞任して、平和教育、沖縄戦後史の学習、授業実践に入る。

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 (普天間返還自動車デモの呼びかけ第27回)

 釣りや海の遊びにも大きな変化が生じ、沖縄の原風景が狂いだしていて、故郷の自然破壊(森林の皆伐、ダム建設)による生態系が海・川・里山・森に顕著に表れていた。
 
 特に、比地川・奥間川のダム建設問題には新聞論壇で告発し始めていた。まさに、今日、
普天間返還・やんばるの森が沖縄の重要な争点になってきている。高校総体の誘致について論壇に書いたこともあった。
 1990年代初頭、教師としてスポーツから平和・環境の道を選択したことは正しい選択であったと思う。また、この時期に体で学んだボート競技の技術、モーターボートの操縦は、カヌーの指導、海の闘いに実践的に活かされた。

 横道も
  人生に活きる
 復帰闘争を闘った先人たち、復帰闘争碑の碑文には、沖縄および世界の今日を予測し警鐘を鳴らした。碑文の最後を拡大しました。今の辺野古・高江・泡瀬ではありませんか。
 (続きーヤンメームンの名護市長選挙ー20時までに掲載)

2010年ー新年のあいさつー沖縄・国内・国際的に激動する

全国の友へ
 「宝の海」の読者のみなさんへ
 あけましておめでとうございます。

 昨年は国民が政治を動かす実感がさまざまな分野で見える年でした。自公が退場して民主党連立政権が誕生したのですが、アメリカの「恫喝」に、民主連立政権、マスメディアが揺り動いています。
 さて、私の「宝の海」は7年目に入りました。一昨年から2010年は「沖縄も、日本も、世界も大きく激動する」と書いてきました。
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(キャンプシュワブに月が 6時45)

核廃絶向け
   新安保条約50年
 2010年は国連平和の文化宣言・行動計画10年、5月国連核軍縮会議、新日米安保締結50周年の節目の年でもあります。冬季オリンピック、サッカーワールドカップなど「純粋ナショナリズム」が謳歌される年でもあり、国民投票法の効力など平和憲法を守る運動にとっても油断してはならない年ともいえます。
 マスメディアの右傾化も激しいものがあります。
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 (ニライカナイの神の恵みが)

   生物多様性年
    COP10IN名古屋へ

 2010年は生物多様性年、国際ジュゴン年を含めて、名古屋においてCOP10(生物多様性保全条約締結国会議、10月)が開催されます。
 世界180国余の政府代表、閣僚会議、NGOの参加、日本の環境、生物多様性、とりわけ沖縄が問われる国際会議になります。沖縄生物多様性ネットワークは様々なイベントを行っています。
 私の「宝の海」も、これまで公開した辺野古・大浦湾の写真など掲載してゆきたいと思います。
 日本各地で辺野古・大浦湾の生きものたちの写真展をしていただければCDを送りたいと思います。(日本語・英語版)
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 (ニライカナイのか見え、健康・安全・勝利祈願、マイク三上アナ)

  沖縄は選挙の年
   名護市党選挙勝利に力を
 2010年は、名護市長選挙で国内政治が幕開け、11月の沖縄県知事選挙と、少なくない自治体選挙、参議院選挙、国民が政治を動かす正念場を迎えます。名護市長選挙情報は、昨年に引き続き掲載します。
 
 まさに、普天間・辺野古の問題は総合的で国際的な視点が求められてきます。民主連立政権は、沖縄ありきできます。
 普天間閉鎖・海兵隊撤去が当面基本です。沖縄(日本)が移設先叫んではいけません。普天間全面返還・閉鎖の基本姿勢失うと政党も泥沼に入ります。

 普天間・辺野古にとって、1月24日の名護市長選挙は最も重要な闘いとなります。昨年秋から、休みのない闘いが続いています。
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 (稲嶺ススムさんの祈り)

 
 「宝の海」は、04年9月21日開設、海上闘争を毎日伝えるために始めました。6年間、一時的中断をのぞいて、毎日日記として発信しています。写真も掲載できるようになりましたが、進歩しません。
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 (伊江島から送られたおせち料理、お茶で乾杯する大西)
 
 今年も、よろしくお願いします。
 普天間・辺野古の正月
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 (寒い日は焼き鳥で廃鶏は心温まる)


  正月の写真は
    12時・17時に時間帯で掲載
   1月1日(金)、新春街頭あいさつ(やんばる統一連恒例、今年は名護市長選挙)
     辺野古テント村初日の出(7時15分)朝日放送全国放映
     1時辺野古 5時為又十字路 (赤嶺政賢衆議院、比嘉靖、具志堅撤市会議員、大西照雄名護平和委員会)
   1月3日(日) 普天間返還自動車デモ(第27回)
   1月4日(月) 辺野古テント村ハチウクシー(1時)(大根ナベ、廃鶏焼き肉などなど)
  1月7日(木) 統一連女性総決起集会
  1月9(土)10(日)統一連そう行動
  1月12日(火) 稲嶺ススム総決起大会(室内ドーム)
  1月17日(日)告示、8時出陣式(8時)
  1月23日(土)闘い終了決起
  1月24日(日)投開票(ふたが閉まるまで闘いだ)
琉球新報 1月1日 社説 お読みください

 (今の時間6時、随時、名護正月模様)

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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