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正月からー名護市は闘いー教え子たちのトゥシビー

合同トゥシビーに招待される
  30年前の高校生は今
 干支の年に同級生会を行っている30年前の生徒たちに招待された。テニス(ソフト)、バドミットンなど、高校生徒遊べる血気を持っていた。
沖縄最北端の高校である。


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沖縄北部は海洋博覧会が終わり、沖縄振興開発で大きな変化を遂げ始めていた。沖縄の高校生にとって琉球大学の国立移管で琉球大学は狭き門になり、学力問題で揺れていた。横浜銀蠅、ロングスカートの時代である。
 福地ダムなどの建設ブーム、公共工事で労働力不足の感があった。パイン産業はまだ隆盛期から衰退期、高校生は「家庭内賃金労働者」の状況下で、オートバイ問題、退学問題も沖縄の重要な社会問題であった。社会の変化は激しかった。地域も学校も生徒も揺れた。
 彼らの学校状況は教育日誌に書きこまれている。

君たちは高校生を持つ親になっている。私の日記には誰が停学になり、誰が何をしたかが記録されている。この本に概要が刻まれている。高校生の息子や娘に今は読まされないであろうから、次の還暦の集いで見てください」と爆笑。

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この時期の教育日誌をまとめた拙著『学園に愛とロマンを求めて』の第3章は「学力と「非行克服」への挑戦」である。
 その第1節「学校・地域の教育力の再生をもとめて」が示すように、地域社会の荒廃と学校のロマンを求めていた。
 辺野古の時代閉塞への闘いと同じであった。
彼らが還暦を迎えるころ、私はこの世にいないであろう。彼らの青春期は、私と彼らとの格闘の時期であった。

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 (私が手にしている本「学校に愛とロマンを求めて」挨拶3分)
 (続きー1月2日新年の街頭挨拶)

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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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