スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

読書をしました
  歴史と理論は力を生む
 26・27日は読書にしました。基本的に現場から物事を見るのですが、市民投票から現在までの日米関係、基地政策、沖縄振興開発の歴史を中心に、読書をしました。27日、朝、大きな揺れの地震がありました。雨は夏の雨、半袖の時間が多くなり、湿気を含む雨が降っている。
本を読みだすと生活リズムがくるってしまう。
 散歩をしました。春の雰囲気を醸し出す花が道端に咲いていました。



002_20100227223147.jpg
 家の回りでキビの収穫を行っていました。やはり、会話は「よかったですねー」(市長選挙)でした。004_20100227223204.jpg
 キビ畑から書斎を写真に納めました。

005_20100227223219.jpg
 夕方、また、散歩に出ました。「ヒジャーヤーサミット」会場では晩餐会が始まっていました。馬肉、廃鶏、牛のお汁、山羊のお汁、各々持ち寄って豪華な親睦会になりました。
 大雨にたたられ、止むと、帰らせてもらった。馬のステーキうまい。
 今日(28日)の高江集会は参加します。


002_20100227225701.jpg
奥間川の清流を残そう
 奥間川の写真です。私の農園は与那覇岳の麓にあります。高江の裏側になります。1960年代、海兵隊ゲリラ演習は与那覇岳を越えて、ここまで出没しました。小学校の頃、鍬・ツルハシで開墾、パインを植えていました。怖くなって、母はパイン栽培止めました。奥間川保護基金に土地を提供して看板を立てました。記念写真を撮っています。


074.jpg
(大西農園、兼城淳子さん撮影、勝手に使用してます)

 ヤンバルは「沖縄の水甕」
  清流のない沖縄
 沖縄振興開発でダム・砂防ダムが建設され、また、チップ生産の皆伐で原生林が消え、大国林道などの林道開発は海まで傷めてしまいました。1990年代初頭からダム反対(奥・奥間・比地川)に入りました。沖縄は全国でも優れた自然破壊権であろう。
041_20100227223109.jpg
 (奥間川上流、清流体験 兼城淳子 撮影 勝手に使用しています)

お知らせ 
3月3日(水) 辺野古・違法アセス訴訟 第3回公判
事前集会 13:00より 那覇地裁向かいの公園にて
公判 14:00より 那覇地方裁判所にて
傍聴券の抽選があることが予想されます。お早めにお集まりください。
3月3日(水) 辺野古・違法アセス訴訟、ジュゴン訴訟の学習会
違法アセス訴訟第3回後半のあと、弁護団の先生方に本訴訟とジュゴン訴訟(アメリカ)のポイントをレクチャーしていただきます。


新聞「赤旗」に次の記事がありました。統計票は添付する技術ありません。
ゼロベースで検討」いいながら
辺野古新基地工事 58件継続
笠井議員 “工事やめよ”


--------------------------------------------------------------------------------

 沖縄・米軍普天間基地「移設」問題で、鳩山民主党政権が「ゼロベースで検討する」と言いながら、自公前政権が決定した名護市辺野古のキャンプ・シュワブでの新基地建設関連工事を58件(約83億円)も継続していることが明らかになりました。26日の衆院予算委員会で日本共産党の笠井亮議員が防衛省資料をもとに追及しました。


--------------------------------------------------------------------------------


(写真)質問する笠井亮議員=26日、衆院予算委

 笠井氏が示した資料によると、辺野古での新基地建設に関連して、2006年から09年まで、全体では152件の事業が発注され、総額は155億2900万円にのぼっています。このうち、継続されている事業には兵舎や管理棟、修理施設の建設に加え、自公前政権の計画を前提とした設計費や環境影響調査費まで含まれています。

 北沢俊美防衛相は、「事業は前政権が契約したもの。われわれは新規契約をしていない」などと言い訳に終始する一方、「将来(普天間基地が)どこに移っても支障がないようにという判断」だと述べ、依然として辺野古が普天間「移設先」の選択肢であることを認めました。

 笠井氏は「工事をやめるのが当然のこと。前政権がやったから続けるというのはおかしい」と厳しく批判。「国民の税金を巨額につぎ込み、まともな検討もなしに旧政権のやり方を引き継ぐべきでない」と主張し、辺野古の新基地計画撤回を強くもとめました。
スポンサーサイト

2月28日、高江集会の意義ーブロッコリーの森は呼んでいる


 謀略への予測  
  冷静に怒る
26日、高江休む。防衛局約70人体制で、N1,N4に来ているようだ。確実に謀略は行われている。23日のブログで次のように書いて、全県的な支援を求めた。
「この高江で「死ぬ気で」の挑発と現場の現実を目にする。
これは、日米共同作戦である。米軍はどう動いたか。
ヘリ去って、公安、防衛省、見事にやってくる。」
 「辺野古6年も同じであった。高江も同じ。米軍従属に未来はない。米軍のために「沖縄の命」奪うまで、到達した。 家のカミさんの予測も捨てたものではない。冷静に怒れた。」


002_20100226102155.jpg

007_20100226102207.jpg
 「普天間・辺野古・高江」は沖縄問題、いや・・・。
   高江問題にするなー最大の支援は現場を見るから始まる
 1950年代の「銃剣トブルドーザー」、具志問題、伊佐浜問題、伊江問題であった。ばらばらにしてゆくのが権力、報道も同様に仕向ける。伊江は特に象徴的であった。1954年、沖縄人民党を獄中に送り、強奪、謀略、分断の嵐、逮捕、軍法裁判は伊江島孤立を意図的には図った。32人が法廷で裁かれた。執行猶予18歳の少年は、軍用犬をしかけられ軍事裁判で獄中に送られた。傍聴者は6に人であった。うら若い青年は島に住めず、糸満に売られ、海で死んだ。
(大西照雄『沖縄の太陽』P94~113「二つの詩」、『歴史地理教育』(1972年特集号「伊江島の闘いの記録」参照)
 阿波根さんは、嵩宮城清に、少年のことを詩に書いてくれと頼んだ。
 
 ヤマトの沖縄報道(新聞)は、この年、95件のみである。1954年は14件、書かないことが使命であった。今、沖縄ゆがめる先兵役を果たしているのが大手新聞などの役割。

  
 故阿波根昌鴻の戒め
  謀略に勝つ力は
阿波根昌鴻『米軍と農民』
「沖縄の新聞が現地を見も知りもしないのに、軍の命令あったのか」
「正しい報道がされずまた支援もままならないために、真謝の人々は孤立されつつあった。」
「『妨害事件』の記事にしたことを憤リ悲しみ」
「もう、た村にいる親せきも寄りつかぬ状況でありました」
 「00問題」にしてはいけない。仮処分に続き、「謀略事件」は確実に仕組まれている。議員も学者も、牧師も、農民も、あらゆる階層が高江の「地」を共有する時である。人は力である。


 2月28日(日)2:00
  高江集会を成功させよう
    ブロッコリーの森はあなたを待っています

仲井真知事
 「県内移設認めないこともありうる」(26日)のような発言あったようだ。
 タイムスよりコメント求められる。
 さまざまな意味含めて沖縄政界・経済界が動いている証しである。県議会決議「普天間閉鎖・返還」「県内移設反対」など無視できない「裸の王様」になりたくないのであろう。

社民党が九州移設に踏み切った。かなり、気になる。


ヘリ基地反対協からのお知らせ
普天間基地の県内移設を画策する4名に、抗議を集中しましょう!
普天間基地を沖縄県内へ移設しようとたくらんでいる首謀者4名に、抗議の電話・FAX・メールを集中しましょう。

抗議の送り先は、以下のとおりです。


平野博文官房長官
電話 03(3581)5111 内線7330
FAX 03(3502)5025
メール http://www.hhirano.jp/opinion/

北沢俊美防衛大臣
電話 03(3508)8510
FAX 03(3503)3889
メール http://www13.ocn.ne.jp/~kitazawa/mail.html

亀井静香国民新党代表
電話 03(3508)7145
メール https://secure.pise.co.jp/kamei-shizuka/txmail/index.cgi

下地幹郎国民新党政調会長
国会事務所電話 03(3508)7380
国会事務所FAX 03(3508)3629
沖縄事務所電話 098(866)7603
沖縄事務所FAX 098(866)7602
メール http://www.mikio.gr.jp/opinion/index.html

県民会議よりシュワブ陸上案・嘉手納統合案への抗議声明
基地の県内移設に反対する県民会議は2月16日、「普天間基地の『キャンプ・シュワーブ陸上案』『嘉手納基地統合案』提案に抗議する緊急声明」を平野官房長官・北沢防衛大臣・国民新党亀井代表・下地政調会長あてに送付しました。

声明文

反対協よりシュワブ陸上案・嘉手納統合案への抗議声明
ヘリ基地反対協議会は2月17日、『政府及び国民新党による普天間基地の「キャンプ・シュワブ陸上案」、「嘉手納統合案」とする県内移設案の提案策動に抗議する声明』を平野官房長官・北沢防衛大臣・国民新党亀井代表・下地政調会長あてに送付しました。
 反対協ホームページ参考

 

緊急「高江の謀略」-刻む2月24日ー県議会決議の時間

高江情報
 県議会決議の日
  ドジな大西
 25日の県内誌は、前日の県議会決議がほぼ全紙面を埋め尽くしています。
下地幹郎議員などの「嘉手納統合ー辺野古ありき」などのコメントしたいが、
ヘリ基地反対協HPから辺野古関連をリンクしてください。
高江では謀略が具体的に起こっています。
 
 両紙とも、同じ1面で読谷村ひき逃げ事件「無罪主張」と出ています。やはり、想起するのです1963年。国場君轢殺事件、米軍法会議は米兵を無罪にした。植民地権力者は沖縄の闘いが高揚してくる中、新たな反共をめざし永積安明教授渡航拒否問題などに見られるように渡航拒否などで「反米主義」の恐怖を演出しようとした。
 
高江に7:40分、向かう。途中、高江から緊急連絡(8:05)、防衛省・業者・警備会社大量動員。
 なんで昨日は、午後から少人数なのに。と、おもった。
謀略事件が起っていた。カメラにメモリーカード入ってない。ドジ、防衛省職員の前で「しまった」と言えないからシャター撮り続ける。

012_20100225202803.jpg
 (写真提供、兼城淳子女史25日)
土のベットで抗議する。高江の闘いのビデオ(07年8月23日)をご覧になっている方は、左の方は当時の現場責任者です。現在は彼の上に総指揮をする責任者がいる。沖縄防衛局訴訟担当である。現在の辺野古の作業の本質の一端が見えてきます。この写真を撮って現場を去って「駐車場」作りの段取りに入っていた。
 昨日の写真を再度見てもらいます。実は重大なことが行われていた。


043_20100224174111.jpg

 謀略的事件発生
  そして、25日、約60人で現場強行
 23日(火)、N4に設置した単管とN1の杭が抜かれて、名護署刑事課が来て捜査していたようだ。なぜ、朝から防衛省来なかったか。なぜ、公安が急いだのか呑み込めた。
 
 今回の工事の目的は二つ
  一つは、ノグチゲラ、ヤンバルクイナの繁殖期が終わるとアクセス道路、ヘリパットの本格的工事に入る。
 
 二つ目はカキザー(引っかける)。「防衛省戦術うまくなった」と書いてきたが、われわれを嵌める。そのために、訴訟担当が現場を仕切っている。彼が名刺を出しても受け取らない理由である。
 
 事件をしかけてきたと見るべきであろう。あまりにも、露骨だ。おそらく「名護署」は聞き込み調査として住民の捜査を始め、恐怖をあおるであろう。
 今、陸上案への反撃、県議会決議の中で、「沖縄に基地いらない」の闘いは全県を巻き込んで、「斟酌」「抑止論」などを乗り越え始めている。そして、抗議住民3人に1台(防衛省広報、公安含む)のビデオカメラの配置である。
 私が得た「現場状況」はプロの手口のようだ。
 戦後の松川事件、三鷹事件などの謀略事件、松本清張『昭和発掘史』のようだ。さて、誰が、仕組んだ。
 
 さて、この高江の「謀略事件」は、週刊誌など含めた反共組織などに流され、高江の闘いゆがめる手段にも使われる可能性がある。「がさネタルポの時代」である。


 辺野古の闘いも
  謀略との闘いであった。乗り越えた。
 NHKが時折、受信料集金に来る。
 「辺野古の責任者、NHKの報道、取材のあり方で名誉棄損された。辺野古問題が解決
するまで受信料拒否を沖縄放送局に電話で通告している。ご苦労さん」と答えている。
 04年の海上闘争以来、口座引き落とし止めている。
多くの謀略、新聞報道なども都度指摘して来た。
 05年4月26日から、24時間海上体制を余儀なくされて、いつでも、撤収出来るために
船に寝ていた。那覇防衛施設局(現在沖縄防衛局、高江の闘い、防衛省と一貫して書いて
いるのは謀略を想定してのことである。防衛省本省の作戦が高江)は、大型・小型の日の
丸のマークのついたゴムボート24時間配置、迷彩服は自衛隊特殊部隊かと思った。夜中に
威嚇に来る。
 「お前ら、漁師の操業を邪魔するか」と怒鳴ると、さらに、威嚇してくる。ヤグラでは
怯えの日々が続いた。
 ある朝、満潮に向かう潮時をねらって竿を投げて魚釣りを始めた。面白いように釣れて
竿が円を描く、餌を投げては釣れるは、釣れる。
 単管櫓の仲間たちの拍手、大きな声に、黒いゴムボートからも拍手が起こった。その日
の夜以来、恫喝と「仕掛け」がなくなって、話が出来るようになり、いつしか、黒いゴム
ボート消えた。ゴムボートが風に流されアンカーがかからない夜、アンカーの掛け方指導
したこともあった。
 05年9月2日、単管櫓は撤収され、軍民共用空港は頓挫した。
 
高江の事件、誰が仕組んだか。2月24日、この日、貴方も刻んでください。span>

 2月28日(日)2時
  高江集会 高江公民館

25日、沖縄タイムス・琉球新報開いてください


辺野古・高江情報

 25日の打ち込み失敗 原稿飛んだ。
  ヘリ基地反対協ほーページで沖縄の変化掴んでください。
 11時公安来る
023_20100224173845.jpg
 のベットで「無抵抗の抵抗」020_20100224173951.jpg
 女性たちも道端に寝る。
015_20100224173911.jpg

021_20100224173929.jpg
 宮平君 椎の実 拾って、焼く
025_20100224174030.jpg
 女性たち来る 防衛省は来ない
038_20100224174054.jpg
花で闘う
 沖縄非暴力の闘い
やはり、動きがあった。よく見たら、防衛省点検に来たようだ。トンブロックに花が添えてあった。東村のツツジだ。花を踏みつぶすことはあるまい。沖縄反戦地主の島袋善裕さんは「バラで闘う反戦地主」、高江に生きている。防衛省動けないと読んで、名護の材木屋さんに直行。

043_20100224174111.jpg
 女性たちの応援
046_20100224174123.jpg
  第1に交通安全
  平和丸基金から
   100台の臨時駐車場準備しています。
 高江は曲がった道多い。安全運転。カーブに駐車絶対にしないでください。
25日、平和丸基金で臨時駐車所設営します。協力お願いします。

026_20100224185009.jpg

続きを読む

高江散策(1)-立て看板論争とキャラウエー旋風

高江においでよ(1)
  高江から沖縄が見える
私の高校時代まで高江は「タケーアラカー」と言われ陸の孤島と言われた。中学の修学旅行は高江から奥まで、獣道を歩いて3泊4日の旅であった。高校卒業の年、クラスで自分たちが生まれ育った森を刻もうと、卒業記念に「三村<大宜見、東村、国頭村>徒歩旅行」を学校の許可なく行った。奥から阿波まで1周道路開削中の道を歩き、阿波からは獣道を歩き、いくつかの川を越え、現在の揚水ダム展望地上がってきた。高江小中校の教室に寝た。飯はそれぞれの地の親たちがシンメーナベで作ってくれた。
 高江に電話がなかった。ルムン(コンゴー―民主共和国独立指導者)のあだ名の付いた大城貞昭君(故人)が「高江に電話」と新聞に投書して電話が設置、そして、軍用1周道路の開通で北部の森はベトナム戦争に直結する歴史を歩み、私は沖縄返還闘争、ベトナム反戦の大きな渦の中に吸い込まれ、今日に至る。
 高江森の道の駅
  土日はオートーバイの群れ
 高江の森の駅(共同店)の風景。人口約150人。カーブが多いので気をつけてください。左側から追い越すライダーもいるので注意。今月からつつじ祭りもある。

007_20100223125649.jpg
 森の中の食堂
008_20100223125708.jpg
 アヒル牧場と食堂009_20100223125724.jpg
 癒しの宿010_20100223125738.jpg
 おそば屋さん
011_20100223125758.jpg

(続きー立て看板論争)

続きを読む

「死ぬ気でかかってこい」-政府の言うことかー「第2の沖縄戦」仕組むか

高江から緊急発進
小さな村の大きな闘いとは!
 全県・全国の目と支援を求める。

 高江の現場に見える
  殺してでも基地建設?
 防衛省の現場に現れていること。前回より戦術練られていると書き、昨日のブログに「死者に弔意を示さないーセンリツ」を書いた。
 朝7時に出た。8時時に高江N1についた。11時30分名護署公安到着、防衛省来ない。公安「防衛省約束守らない」とぼやく。
 キャンピングカーで仮眠する。
 テントの中ではブリの大根お汁が煮え、昼食。


066_20100222185718.jpg
 「死ぬ気で反対してこない限り」
  「地元の意向は反映されない」(朝日2月21日)
 名護市長選挙の結果に対して、平野官房長官は「斟酌しない」「地政学的」と言った。ニュースを見たカミサンが「父さん、命かけた闘いになる」と言った。(26日ブログ)、ナチス理論だと書いている。
 カミさんの洞察に敬服している。

 2月2日の高江住民説明会、住民を上回る防衛省職員を動員、真部朗沖縄防衛局長を誘導・護衛する姿は軍隊であり、真部に発言にも「殺してもやる」と言う意思が見えた。数十枚の写真を見ると「殺してでも」が鮮明に見える。
 現場の状況を「防衛省は戦術がうまくなった」と書いている。この日の朝日(21日)が、ちょうど、防衛省が現場に到着した時間(1:30)にメールで「死ぬ気でかかってこい」(政府高官、平野のベーター選択発言記事関連)流れてきた。
 作業車の後(作業現場側)に座り込み、メール情報を確認する。さて、この発言は「沖縄県民の命を奪ってでも辺野古基地建設、高江ヘリパット建設する」意思と現場の状況でも見える。

残念ながら、この6年、このブログ予測、外れたことがない。ベトナム戦争米軍戦略<民族同士闘わせろ>、今日、防衛省人数減らし、業者多し。昨年の現場責任担当見えず。業者をにらみつけ、命令通りせよ、これに、山城君、方言で業者を叱り、諭している。この構図が面白い。


068.jpg
 「死ぬ気」
   素敵な笑顔で高校退職3人トリオと山城君


079.jpg

 防衛省は
  「第二の沖縄戦」仕掛けてアメリカに捧げる
 平和センターの山城君が怒った。メール情報が確認取れた。防衛省の写真撮影は単なる
裁判にかける意図だけではない。
 平野発言を補足した高官の発言は「殺してでもやる、覚悟して命を差し出せ」と言っているに等しい。政府役人が平然と言う言葉か。
民主連立政権をナチスと同じと書いたが、高江の現場に現れている。辺野古の嘉陽オジーが「ひと柱になっても」の意味と違う。
 まさに、政府はヤクザより悪い。
 防衛省現場担当官に「00さん、命奪っても強行せよと指示受けているのか。沖縄県民はイチムシ(虫)だから、殺してもいいという方針か。私のような老人は貴方がたに、殺されてもいい。私はあなた方を傷もつけない、触りもしない。」激しく詰め寄った。
 トンブロックの基礎を打って引き揚げた。(3時)、N4にフエンスを下ろし、抗議が続いた。


087.jpg

094_20100222185833.jpg

 住民虐殺
  高江は疎開地
「死ぬ気で」の情報に接した時、頭を横切ったのは、沖縄戦、高江は那覇泊の疎開地であった。川のエビもカニも、山のヘゴの新芽も食べ尽くし、ネズミもミミズもいない。餓死で死ぬなら生まれた家で死のうと南下をする。米軍の捕虜になった。渡野喜屋に降ろされた。米軍は食糧を与えた。皇軍敗残兵は山から見ていた。1945年5月12日夜3時、皇軍敗残兵は手りゅう弾を投げて住民約40人を殺し、イモクズまで全て消えていた。
 (大西照雄『仲村梁仁王虐殺の碑を訪ねて』もしくは『空白の沖縄戦』(森繁多)、殺した「共同正犯」の森繁多は東京上野高校校長歴任、実行犯東郷少尉は鹿児島で高校体育教師で終わる。
 
 この高江で「死ぬ気で」の挑発と現場の現実を目にする。
これは、日米共同作戦である。米軍はどう動いたか。
 (続きー米軍ヘリはどのように動いたか)

続きを読む

今、求められることーケネデイーの暗殺と沖縄から(1963年)

高江の異常
 日曜日も強行

 20日(土)、米軍の演習は動いた。日曜日、久しぶりの太陽、家で庭の手入れやゴーヤー・ナベーラの手入れ、岩ビバは石に完全に根を張り石を包み始めている。
 高江、防衛省作業行ったようだ。防衛省も「シチチマトーウン」(追い詰められている。ションベンやウンコが我慢できないまで極限に来ている状態)であろう。

 (庭のイワヒバの写真掲載)
001_20100221182402.jpg
(昨年 秋に石に植え付けたイワヒバ)

  「国外・県外移設」決議
    ケネデイー暗殺事件と沖縄おもいだす
 「移転・分散・負担平等」に警鐘を鳴らし、原点は何か。議会は「国外・県外移転」決議をすべきではないと1月下旬ごろから書いている。人間には「悪と善」が宿ると書いた。そして、琉球新報社説「『国外・県外移設』全会一致」(2月20日)を憂いている。
 「平和運動」(10年1月号)に畑田重夫氏は、現在の日本の日米同盟をめぐる動きの中で、1963年、ケネデイーの暗殺に関して沖縄人民党が取った原則的態度が重要だと書いている。
琉球新報社説「ケネデイー大統領の死と沖縄人民党の非人間性」(1963年11月28日)は、1954年の人民党事件の再来かと思われるものであった。この動きにたする沖縄人民党中央常任委員会「ケネデイーの死を利用した人民党攻撃をバクロする」論文の全文である。
琉球新報は「死者に弔意を表するゆとりのない政党にリツゼンとするものを感じる」とし、人民党論文は後半でこの文章を使い人間性と非人間性を問う格調の高いものである。
 国際的にはベルリン危機、キューバ危機、ケネデイーのベトナム介入、国内的にはキング牧師の公民権運動の高まりの中でケネデイーの暗殺は63年11月22日。
 沖縄では祖国復帰協議会(1960年)ができ米軍支配への反撃、北緯27度線の海上交歓会、アフリカではモシ宣言「4・28国際行動デー」が高揚期に入っていた。まさに、「反米」の昂揚期。


  死者に弔意を表すゆとりのない政党に
   リツゼンとするものを感ずるというのであればー(その0の、前に付け加えて読む)
その1「猪や小鳥とまちがえて婦人や老農夫を撃ち殺し、平然としているアメリカ帝国主義には<ゆたかな人間愛>を感じるとでも言うのであろうか。」

その2「6つの少女が米軍に強姦されて殺され草を握りしめて死んだが、この凶悪の根源であるアメリカ帝国主義の殺人基地には<ヒューマニテイー>を感じるとでもいうのだろうか」

その3「青信号のもとで国場君を殺した米兵に無罪判決を下したアメリカ帝国主義に<正義を>を感じるというのであろうか」

その3「石川ジエット機事件、具志川ジエット機事件、嘉手納米軍機墜落事件を引き起こし、子どもたちを含む多くの命を殺したあげく、交通事故と同じだと放言した冷酷非情極まりないアメリカ帝国主義に<平和>を感じるとでもいうのであろうか」

その4「<死者に弔意を表するゆとりのない政党にリツゼンとするものを感じる>のであれば、ブルドウーザーと銃剣で土地を強奪し、全島核武装を強化し、数多くの人命を犠牲にしているアメリカ帝国主義の戦争と侵略、軍事的植民地支配強化の政策に<希望>を感じるとでもいうのであろうか。
「帝国主義の優れた手先であるケネデイーは、これらの犯罪を積極的に引き続き強化して積み上げてきたが、それでも<罪を憎み、人を憎まず>とでも言うのであろうか」

(人民党機関誌「人民」縮刷版より抜粋 1963年12月11日)
 ケネデイーのベトナム政策を引き継いだジョンソンは、沖縄基地は「悪魔の島」へ
 
002_20100221182415.jpg
  (イワヒバが石を愉積みだした)
私は人民党事件を幼いころに経験、島ぐるみの闘い、民連ブームで回りの高校生、青年たちが「村8分」にあっている現実を見ている。高校2年に石川ジエット機墜落事件で、1960年アイゼンハワー来沖闘争に参加し、米軍の弾圧のなか「人民」発行されたこと、および、私のなかで、ケネデイ―暗殺は、民主主義アメリカはすでに崩壊していた。ケネデイーの死を利用した人民党攻撃も体験している。
003_20100221182428.jpg
  (力をつけ、繁殖し出したイワヒバ、夏には胞子から苗が育つ?管理の時間あるか?ナゴランは辺野古の闘いで管    理できずに見事に失敗)
琉球新報は「不屈―瀬長亀次郎日記」を公開して来た。
 「国外・県外移転」は歴史をゆがめる。
 今、普天間・辺野古および沖縄問題は日本の政治の根幹を揺さぶっている。その大きな力は「普天間は沖縄にいらない」声である。1963年期のように、沖縄問題が日本問題として新しい段階を迎え「国外・県外移設」で、徳の島、佐賀・大村などに「他県も自ら突きつけられてはじめて実感しよう」(新報)、「安保負担の公平化」(タイムス)も、方向をゆがめてしまう。「普天間は沖縄にいらない」でいいのだと思うのだが、1963年を思い出した。
 今、嘉手納宮城町長も公式に嘉手納の全面返還を議会で述べ(01年)、「諸悪の根源」安保を語り始めている。まさに、21世紀はこのような時代に入ってるのだ。
 22世期まで安保条約、日米同盟を唱える岡田外相、香港ですら100年では変化せざるを得なかった。


(続きー市長激励集会延期など)

続きを読む

マスコミは15年前に歴史を戻すのかー「移転論」

昨日は高江
 今日は辺野古

陸上案報道について
 特に新報「『県外・国外』で全会一致を」社説
タイムスと新報は一面トップで報道し、2面で解説、社説も掲げた。陸上案はどのようなものか。記事の内容も両紙でも違い、いかなるものか見えない。両社説に「移設論・分散論」の影が見えるのも気になる。
 
人間の心には「悪と善」が棲んでいる。私は日米政府の沖縄政策を「非理法権」(非道には理性で勝てる。理性は法には勝てない、法も権力者は都合よく使い、都合が悪くなると変える)其れでも、天(人民)は見ている。
 
権力者は普天間・辺野古問題で「悪」を引き出し、「悪」を利用して権を振りかざしてくる。「移転論」は新報一面を見ると「分散・負担軽減論」を持ち、沖縄が容認しうるものでないことは歴史の経過を見れば明白である。タイムス社説「いいかげんにしてくれ」のタイトルに込められているが、「名護市民が拒否する案にこだわり、迷走を続けるより、安保負担の公平化をめぐる地についた議論をしてほしい」(タイクス社説結び)、「県議会は「県外・国外」を全会一致で可決すべきだ。無条件撤去を願う気持ちもわかるが、他県も自ら突きつけられてはじめて問題を実感しよう」(琉球新報社説)と移設・分散・負担軽減論にのまれ始めている。
 
SACOの移転論の現実は沖縄基地の強化・負担強化の現実を見ようではないか。今日辺野古、土曜なのに戦闘機などの訓練が激しい。まさに、「いい加減にしてくれ」である。
 昨日は高江、今日は辺野古、座り込み行動、激励に他府県の方々がどれだけ多いか、沖縄の共有が日本の茶の間まで広がっている。私は「宜野湾にいらないものは、名護にもいらない、どこにもいらない」原点から見る。
 2月 日ブログ「2月18日「沖縄県議会・名護市議会は決議すべきか」である。沖縄自公がなぜ今、「国外・県外移設」を持ち出すか。焦って、「悪」が全面に出た時、「抑止論」「地政学」論に抵抗できない。安保50年の年に議論すべき道は何かを問う。
 
「移転論」「移転探し」煽りは、
 名護市長選挙「日米合意見直し」に「新基地反対」候補擁立に踏み切り、「辺野古に基地いらない」市長を生みだした教訓は何か。移設先は沖縄県民が提起する問題ではない。


  移転論は過去の問題
   歴史を15年前に逆流させるな
 名護市長選挙勝って方向をゆがめてはならない。負けても、負けても、いやなものはいらない。勝っても同じである。がん細胞の転移は権力者のやること。
 すでに、「移転論」について、私は「がん細胞の転移」「がん細胞の増殖」と批判している。1995年3月31日タイムス論壇「3事案へ軍用地主2世の意見」である。15年前である。少女暴行事件の起こる半年前だ。


IMG_20100220215647.jpg
 私が辺野古に行くと太陽が必ず出る
   冷たい中陽光が温かい


  干潮になると漁港でも
   ミナミコメツキカニが
 コメツキカニは夏になると数万の群れになって動く、太陽に誘われて出てきた。コメツキカニは動く物体が近くに来ると砂の中に潜る。岸壁の上から見ると潜らない。目は上ガ見えなのだろう。


004_20100220215720.jpg

026_20100220215927.jpg
 愛華丸が出漁のために
  氷を積みに汀間漁港へ
 いよいよ天気が回復しそうなので、愛華丸がセーイカ漁に出るようだ。テント村は大漁を祈願している。


019_20100220215733.jpg
石川県輪島の自治体のみなさん
  移転論による、今日の新聞の陸上案は小松空港も関係してくる。普天間・辺野古問題など話す

009_20100220215753.jpg

 兵庫県宝塚のみなさん。今日は沖縄の皆さんは子ども連れ多い。演習が多いので土曜日であること知らなかった。
今日は土曜日なのだ。



013_20100220215806.jpg

 米軍の演習
   海兵隊は抑止力ではない
 今日は、戦闘機の動きでウルサイ。米軍のチャーター高速輸送船ウェストパックエクスプレス号が早い速度で北上。シュワブでは、パノラマアンテナ通信訓練、空ではヘリ、土曜日も関係なく動いている。アフガンでは緊迫している。
 
 辺野古の代替施設協議会事務所ににタクシーが止まっていた。何事かが起こっているようだ。辺野古の人がが言った。「アメリカーン、ワターン(辺野古モ)陸上許さん」。単なる被害のみならず軍事基地に関する初歩的知識があれば、この意味はすぐわかる。

017_20100220215903.jpg

020_20100220215915.jpg

 昨日は高江で防衛局と数時間、やりあって、今日は多くの人たちとテント村授業、現場から見ると「移転・分散・負担軽減論」と結びついた「移設探し」が、過去・現在・未来にとっていかに危険であるか見える。




高江情報ー小さな村の大きな闘い

緊急発信
 防衛省高江工事強行
  闘い始まるー19日の高江

 
 高江の森、まだ、冬
 高江を回る。森は、辺野古に行く二見坂のように春が来てない。状況を見ようと高江まで足を延ばす。
 米海兵隊ジャングル訓練センターの森、沖縄の「水がめ」でもある。N4で作業再開しているが、N1に向かう。
ニュースでは辺野古「陸上案」に日米政府が密かに交渉のようだが、想定内のことは、昨日、書いている。
 今、高江の状況を発信するのが重要


016_20100219192633.jpg
 防衛省の戦術は
  陽動作戦がうまくなった。
 N1では、沖縄防衛局と住民が対峙している。車のコンクリート2個、見て陽動作戦を交えた強行と見る。このユニクには数個が載せられる。午前中のつもりが、N4に残ることにした。
 07年8月23日の攻防戦から戦術を転換してきている。沖縄防衛局から防衛省本部の作戦とみる。現場担当も否定しなかった。海兵隊日本防衛論、海兵隊抑止力論は現場まで貫かれている。


013_20100219192654.jpg
 元高校教師3人トリオ
 元高校教師伊波義安、宮平光一が防衛省現場責任者に中止を説いている。昨日から底冷えする寒さ、寒いだろうと辺野古のテント村と同じく「廃鶏」を持って行った。闘いは食べることから始まる。節ちゃんがお汁がいいと農家から大根貰ってきて、豪華な鍋の3時休憩になった。
022_20100219192719.jpg
 午前中、伊波さんと宮平君が頑張ったので、午後は引き取って交渉再開、長い時間は寒さで持たない、テントでお汁で暖をとり、また、再会。
029_20100219192907.jpg

034_20100219192735.jpg
 ビデオカメラ数台配置
   弾圧体制
 闘いの場で、相手に対して名前を告げて話をする。新しい責任者なので名刺を渡すけれど受け取ってもらえなかった。前回同様ビデオ回す担当少し増えたか。
 よく、みんなに言われるのだが「どうして、大西さんは<被告>でないの?それは、闘いの前に布石をしている。今回の交通妨害罪、被告席に立たされていたら、論破の証拠は幾らでもあった。


014_20100219192756.jpg

 N4に門とコンクリート設置
  N1は境界線に新しい縄
 日米政府を「非理法権」と規定している。それが、民主党連立政権でますます酷くなりつつある。
今日の報道でシュワブ陸上に500mの滑走路建設案出た。アセス法含めてすべての法律に縛られない姑息なもの、これが政府のやることか。法の穴を潜ること平気で政府がやる。それが沖縄政策である。
 高江、野生生物の繁殖期避けるというけれど、ヘリパット工事と道路切り離して、道路は工事に入ること平気でやると見た方がいいであろう。軍民共用空では埋め立てと基地本体を切り離し、V字では基地本体と兵舎などを切り離し、法を権力的に操ってきた。
 高江でも同じ方法で来るであろう。アメリカのためには何でもやる。民主連立政権は自公政権より上手である。日米安保で政治道徳、法治国家が崩壊する。

045_20100219192822.jpg
(続きー高江の歴史と生活)

続きを読む

稲嶺市長笑顔で頑張るー沖縄の文化財と「文化財略奪国家」の議員へ

 新聞を読んで二つのこと

 その1、高江を強行する
  命の水の山、ともに共有しよう。
 現場から物事を見る。ヤーグマイしているので辺野古に向かう。山の道端に椎の新緑がもう、垂れ始めていた。高江のブロコリーの森は新緑の絨毯になっているであろう。来週から晴れるので太陽の光を受けて輝き始める。
 沖縄タイムス(18日1面)「高江ヘリパットー進入路にフエンス設置―防衛省が今日にも設置」と記事。防衛省と書いているから連立政権の意思決定のようだ。
 説明会に真部防衛局長ガ出て、玉城デニー議員が高江訪問、動きだすと指摘したが、これは「移設論」を政治背景にして、昨日は米軍のヘリもかなり辺野古・高江で動いたようだ。

016_20100218134636.jpg
(新緑噴き出る椎の木ー二見坂付近18日)

 その2、防衛省は違法建設を狙ったか
 「辺野古予算執行せず」(タイムス18日)は何を意味する
 護岸工事約247億円、「本年度中に執行しない政府方針」と報道されている。環境アセス手続きも終わらないのに護岸工事着工の予定であったのか。それとも、アセス手続きで狂ったということか。
 04年のボーリング調査は「護岸構造検討」のための事前調査の名で行われた。つまり、護岸と基地本体と切り離し、護岸を環境アセスから切り離す。この手法は、V字埋め立て・飛行場と兵舎などを切り離しているのと同じである。評価書・知事埋め立て認可を得ないでも、護岸建設始める意図がうかがえる。すでに、方法書の段階で2010年3月までアセス手続き終わらないこと明確であった。
 
 軍民共用空港は「3工法8案」を提示、それに、対して、われわれは、戦略を持って臨み潰した。琉球新報に、元知事稲嶺恵一氏は「我以外皆我が師」を勝ているが、われわれの戦略が反映されている面が見える。
 阿波根昌鴻翁(故人)は、日米政府の沖縄政策を「非理保法権」と規定、天(人民)は許さないといった。
普天間・辺野古問題にメディアのニュース解説、評論家は言いたい放題、解説しているけれども、日米政府の「非理法権」の計画を天の知恵で崩壊させている沖縄県民の戦略を知らない。

 そもそも、「非理法権」の「日米同盟の変革と未来」「ロード・マップ」(日米合意、米軍再編成)の中に、必然的に縺れる要因があり、「縺れる要因」に切り込んできたのが、沖縄県民の英知と闘いである。知事・市長選挙負けても、負けても、また負けても、希望を失わない県民の「不屈」と「愚直」、あるいは、したたかさも含めて。
 さらに、アメリカ従属は防衛費を膨張させて国民生活に大きくのしかかってきた。昨日の資料を再度確認する。
  再編費      1320億円
  新基地建設    3500億円(予備費)
  米軍基地維持費  2155億(沖縄県のみ、島田懇など含まず。基地関係で落ちた金は県民所得の5・4%)
     計     6875億円

002_20100218134652.jpg
 (当山栄さん、テント村村長、毎日泊まり込みで、授業している。「愚直」のシンボル)
そろそろ鳩山首相の本音が
  辺野古ありきの誘導野中で
    笑顔を讃えてーシッタイヒャーと拍手
 稲嶺市長東京で頑張っている。冷たいのは百も承知であること根を据えてほしい。
 各政党や大臣、小沢幹事長、鳩山首相との会談をテレビで見ていると冷たい空気を感じる。(共産党との会談テレビでは出ない)
 稲嶺市長常に笑顔を忘れていない。沖縄にはサンシンがあり、あふれる民謡、踊がある。あの笑顔が沖縄的だ。

 国民新党と社民党が「移設・分散」論を競っている。下地幹郎氏は大米建設の1員。確か、私が高校教師になった頃、父親か祖父が平良市長ではなかったか。
 下地が、嘉手納および県内移設にこだわり、辺野古陸上案出すのは利益がある。準備書読むと、V字の諸工法は沖縄の建設業で手に負えるものではない。社民党のグアム・大村、佐賀案に危機感を持つのが見える。彼はよくグワムも行くから、それなりに利益を読み切っている。彼には選挙区と関係ないから自在にできるし、誰が、支持しているかも読み切っている。
 新聞は「首相、陸上案除外せず」(新報18日)である。
 政府3与党検討委員会延期の報道、民主党は国民新党と社民党競いあわせ、国民の目をそらすつもりであろうが、沖縄県民の目は騙されない。検討委員会ですり合わせたら社民党どうする。自らも合意した検討委。

013_20100218134706.jpg
 (昨日はヘリ訓練辺野古・高江で、水陸両戦車7台、18日、海兵隊の海遊びの道、おもやり予算で見える、ボート置き場? マリーナー?)
 イッペー美らさん
  沖縄の言葉
 名護に戻るとイッペーが咲きだした。北部病院の旧国道の街路樹である。イッペーは南米産の熱帯トロピカルの花だという。トックリキワタとともに南米移民県の移入された代表的な花である。家庭の庭などに植えられていて、ひと際目立つ花で紫の花もある。
 「イッペーちゅらさん」には、イッペーは綺麗、イッペー(とても、大変)の琉球語がある。女性をイッツペー背景に「イッペーちゅらさん」と撮ってあげるのもいい。
 稲嶺市長の東京行動を「シタヒャー」と讃えた。よく、やった。「ユーシッタイ」になると自業自得ということになるから、琉球語は感情の移入によっても違ってくる。
 「仲井真チジや沖縄のチジ」にも、沖縄の知事と沖縄のチジ(厄介者)の意味がある。仲井真はチジになり始めている。


017_20100218134722.jpg

021_20100218134735.jpg

続きを読む

沖縄県議会・名護市議会「普天間決議」必要か。否

 移設探し、負担軽減・危険性除去論に  
沖縄県民は騙されない。
社民党も「移転探し」論で、防衛省戦略に乗ったか
17日、寒いのでヤーグマイ(家に籠る)、検討委で社民党・国民新党「移設」提案見送りと新聞に出ている。仲井真知事と稲嶺名護市長との会談とウエッブ乗員銀との会談テレビで見たが、名護市長にはそっけなく、ウエッブ氏とはにこやか、仲井真知事骨の髄まで親米的で、基地誘致ウズウズしていると感じたのは、私だけではあるまい。
 
 普天間は閉鎖・返還を求めるが沖縄県民の当初からの要求であり、移転論では解決しないことは日米合同委員会(3事案ー普天間・那覇軍港などの返還1994年12月)およびSACO(96年12月)の約束の返還が実現してないこと、見ればわかる単純なこと。だまして、だまされて、だまされたふりして何年?再編成?次はQDR?
 
沖縄返還は、多国間条約を無視して、ニクソンと佐藤の合意で出来た。 
 外相・防衛相と国務長官・国防長官の合意を、オバマと鳩山が取り消すことは簡単なこと、政治の常識である。日本政府がやるべき基本でもある。出来ないなら安保条約10条使えばいいと繰り返し、私は主張している。
 社民党が防衛省戦略の中に取り込まれたか。

IMG_20100217145630.jpg
県議会「普天間決議」必要か
   必ずしも必要ない。大切なことは何か
社民党が下地幹郎に、負けず劣らず、移転探し熱心だ。佐賀空港、大村基地、グワム、テニアン、サイパンと忙しく動いているようだ。正面から「普天間閉鎖、移設ノー」と言えばいいのだと思う。沖縄がどこ、どこに「移転せよ」と言わすことで「沖縄醜い」と言わすのが日米同盟賛美勢力のの狙い、在東京メディアも期待している。と、私は一貫して戒めてきた。
 県自民・公明まで「移設」言い始め、沖縄県議会で普天間決議するようだが、県民の闘いの歴史蓄積の分断、分裂工作も含んでいることに警鐘を鳴らさなければならない。
 闘いと世論蓄積をゆがめてはならない。「移転論」なら決議は必要ない。参議院選・知選挙含めて、今、原則は何か。名護市長選挙、私は、分裂者と言われながら、過酷な道を選択、「辺野古に基地は作らせない」原則を堅持した。今、その時。
 
 民主党および民主党連立政権が、そして、連立組織政党の思惑を超えた、沖縄県民の力が参議院候補問題でも動いている。原則を柱にする時、沖縄は燃える。
 名護市長選挙の教訓・成果が示しているのではないか。「日米合意(辺野古)見直し」と移転論に集約させる動きは同じである。
 稲嶺新市長、東京で頑張っているようだが、「移転論」の中、苦しいであろうが踏ん張って欲しい。
国民新党亀井代表とあって入る映像、次に国民新党の嘉手納統合・陸上案を討議する映像であった。

 東京から、さまざまな分断工作がかけられるであろう。その一つが平野来沖だ。
 社民党・社大党・民主党に大きな影響を持つ、学者文化人、市民運動派などの果たす役割大きい。泥泥したことに頑張る時ではないか。
「宜野湾にいらないものは、名護にも、日本のどこにもいらない」原則、捨てては、沖縄の闘いをゆがめてしまう。
 沖縄防衛局、評価書の問題で「沖縄ジュゴン・環境アセスメント監視団」の要請拒否。
 島田伸助「クイズヘキサゴン」でサーターアンダギー「ヤンバルクイナは飛んだ」売り出し中
  大きく羽ばたこう

IMG_0001_20100217145645.jpg

(続きー2010年)在日米軍再編成予算および関連新聞記事)
 

続きを読む

「移設探し」-我はサミット会場で

普天間閉鎖・全面返還、県内たらい回し反対
 「移設先探し、危険性除去・負担軽減」の危険性

  
現行建設計画進行中、「現行案」は存在しない。
沖縄タイムス社説(15日)も、やはり、「現行案」となっている。
 16日の県内新聞2面はほとんど、移設探し記事、夕方配られる赤旗一面「『移設』候補地怒る」である。
マスコミの「現行案」の記述気になるのは、私だけか。アセス調査、予算執行続いているのを「案」と呼べないはずだ。
 平野官房長官、来沖の予定と小さく出ている。やはり、動いたか。官房長官お出ましとはただ事ではない。
 
 雨にたたられ、恩納村では赤土汚染、ホテルなどの開発の影響か。ショウグアチ(正月)ビーサ(寒さ)とワシリ(忘れ)ビーサが一つになって寒い中、雨の合間をぬって散歩に出かける。これだけ太陽が出ないと農作物の生育に影響する。後、1週間も同じ天気が続く。とくに、伊江島のたばこ栽培は打撃が多い、教え子や、友人が少なくない。
 隣家のクロキ(琉球黒檀)の垣根は新緑が噴き出ていた。



001_20100216184629.jpg
 パパイヤの不思議な世界
 なぜ、庭にパパイヤ。散歩していると、雌雄のパパイヤの株に出会った。正面は雄が花を満開させ、後のメス株に鈴なりに実を付けている。オス株1本で数キロの雌花に受粉すると聞く。オス株が少ないのもわかる。
パパイヤの血(樹液=白)は肉など硬いものを柔らかくする効果があるという。牛肉などは球液に漬けるとドロドロになる。だから、老人のいる家では大切である。
040_20100216185347.jpg
 ノビルの群生が散歩道に
 食べるのは「待った」
 私の小さい頃は、ノビルはどこでもあぜ道や畑にみられた。生で取って食べていた。宮古で教師になった頃(1966年)、キビ畑に大量に自然に群れていた。
校長命令で、採ってきて、生物教室の実験用皿にサバのカンズメで和えて酒の肴にしていた。毎日のごとく酒で、ベテラン教師、校長と激論していた。教師初年の頃は、ノビルしか覚えていない。
今、校長などと酒を飲むこと、ましてや、議論など学校教育から消えた。人間をさらけ出すことがないであろう。
マンガ「美味しんぼ」に風邪に凄く聞くと紹介されていた。除草剤、農薬の時代ですから安易に食べてはいけない。栽培不可能と聞くけれど実験してみたい。


027_20100216184731.jpg

 (続きヒージャーサミット)

続きを読む

sannpo

 散歩を怠らず
   草花を楽しむ、童謡に会う
  

散歩しながら新聞を
   考えた。
15日の沖縄の新聞、1面に下地幹郎の「県内移転、基地分散論」(昨日ブログに添付)、またかと、あきれる。シュワブ陸上案は06年日米政府が「喧嘩」劇場演じた。この移転分散論は高江までかかわって来ると書いた。玉城デニー議員が高江で動いたようだ。
 沖縄防衛局は沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団の要請全て拒否、強圧的姿勢に出た。自公政権より悪い。おそらく、名護市に対しても、野中広務自民幹事長、岡本(元沖縄大使)が連日電話攻勢をかけたような事態が起こっているかも知れない。沖縄の闘い腹をくくる必要ありそうだ。評価書の公告縦覧のための動きで大物の来沖あるかも知れない。
 花を楽しみながら
  リズムの散歩
 大北小学校の塀に桑の実がついた。三木露風の「赤とんぼ」が唇から出てきた。
 021_20100215180537.jpg 

作詞:三木露風 作曲:山田耕作
   夕焼け小焼けの 赤とんぼ
   負われて見たのは いつの日か

   山の畑の 桑の実を
   小篭に摘んだは 幻か

   十五で姐やは 嫁に行き
   お里の便りも 絶え果てた
 私の世代はミミズもネズミも食べた。「ウサギ美味しい かの山」と歌っていた。ウサギ
も鶏も食べるための家畜。沖縄にはウサギは山にいない。屋敷で「追う」が「かの山」で
はない。
 三木露風「負う」も、トンボを「追う」。「負う」」背中でおんぶされての意味であろう。凄い記憶
力だと思う。
 私の幼い頃。「クワムヤー」(子守役)がいた。専業主婦なんて考えらない時代、よその子
どもたちに子守をお願いする。私などは幼稚園から子守役で妹おぶった。
 背中のお尻に温かいものが流れ泣いていた。「大きな鷲が子どもをさらう。人買いがさら
う」と脅されていた。
 大正期までは15で嫁に行ったのであろう。沖縄では女の子の「13ユウエー(祝い)」
は盛大であった。
 雷には桑の下に隠れろとも言われた。畑と畑の間の境界線は桑の樹であった。養蚕は戦
前まで沖縄でも重要な産業であった。
 赤とんぼと桑の実は季節が違う。
 桑の実とシルロード。化学繊維の時代、桑の木とシルクロード結びつけるには無理があ
るか。サンシンの材料としてもクワーギ(桑)は貴重だと聞く。また、三木露風の弟子、大宜見村村政改革同盟オルガナイザー上里春生(1月28日ブログ)を考えていた。


 北原白秋
  「ゆりかごの歌」
 散歩をしていると、まだ、青いビワの実に出会った。

038_20100215180646.jpg
   ゆりかごの歌を カナリヤ歌うよ 
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

   ゆりかごの上に ビワの実が揺れるよ
   ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
 子守をしながらよく歌った。
 ビワの木は柔らかくて折れやすい。よほど、大きなビワの木であったろう。
 白秋は大人になってもバーヤに生活の面倒を見てもらっていた。啄木日記明治42年4
月7日日記に「北原のおばさんが来た。そして彼の新詩集『邪宗門』を1冊貰った」と記
されている。白秋の童貞を廓に捧げさせたのも啄木である。「お坊チャン」白秋。啄木も
「お坊ちゃん」だが、二人の詩は異なる。啄木の日記は、この頃、ローマ字で性の描写は
少なくない。啄木の心は「鉄の心」であった。その犠牲者は沖縄の「明星」歌人山城正忠であった。(明
治42年4月4日日記)


 散歩で
 出会った花たち

IMG_0001_20100215212031.jpg
IMG_0002_20100215212049.jpg
IMG_0003_20100215212105.jpg

(続きー「平和新聞」(コラム「宝の海通信10)

続きを読む

昨日は旧正月でしたーアジサシ最終回

 「里の春」と「里の秋」
 彼岸桜の前線は南へ
 彼岸桜は北から南に桜前線が進む、山から里に桜は降りて来る。八重桜が南、里から山に上る逆で、紅葉と同じように思う。
 私に家の前の道路に盆栽のような桜が葉桜になった中で、ひと際、目に映る。これ以上に成長しない不思議な桜である。
2月14日は旧正月、おそらく、港や漁港は大量旗を掲げて入るであろう。ショウガチビーサ(寒さ)、ワシリビーサ、ウムイビーサ経て夏のウリズンを迎える。

001_20100214121841.jpg
(家の前の道路に咲く桜、車の向こうの桜は葉桜、14日)
 曇り小雨、寒い、オクラ、シシトーの種をポットに捲き、シブイを植える。肥料は辺野古に行くたびに枯れ草を運んで堆肥とする。狭い庭を有効にゴーヤー、ナベーラは順調に育ち、夏は葉野菜が少ないからあいている庭にインジャナバー、モロヘイヤ、ハンダマ、ビラなどで十分、夏の準備に入った。
 「里の春」で思い出す
   「里の秋」
 1994年10月17日、長野松本から安房峠を経て高山に向かっていた。紅葉が里に降りて来る。里の秋を口ずさんでいた。『語り継ぐ戦中・戦後』(労働旬報社1995年)に「伊江島に建つ太陽碑」を書きながらの旅で、紅葉が美しいので、急遽、平湯温泉に宿を取ることにした。山から里に紅葉が降りていた。露天風呂で夜の紅葉を見たかった。出版社から送られた見本原稿「里の秋」を見ながら編集内容を吟味して書いた。後に『沖縄の太陽物語』として出版する。
 この旅は、岐阜県阿木高校の沖縄修学旅行のガイダンスも兼ねていた。教師たちは馬篭の里に宿を取ってくれていた。中山道の宿の庭に
  送られつ送りつ果ては
    木曽の秋
     松尾 芭蕉
  「これより北 木曽路」
   島崎 藤村「夜明け前」の碑文が紅葉に浮かんでいた。
 (「沖縄の太陽」は伊江の小学校で演劇として上演される。近日中に書きます)
 
 昭和16「夜月夜」として書かれた斎藤信夫の詩は、1945年12月24日、海沼実作曲、川田正子によって「里の秋」として戦地からの復員者を迎える歌として歌われる。並木路子「リンゴの唄」とともに敗戦後の代表的な歌である。沖縄の太陽の主人公の父親も南方戦線で戦死している。
   さよなら さよなら 椰子の島
   御船に揺られて 帰られる
   ああ 父さんよ御無事でと
   今夜も 母さんと 祈ります
 千葉県上東町に碑文が建っているようである。
「赤い靴」(2月5日)でも書きましたが、童謡、碑文など調べていくと意外な物語が出来上がる。
今、不適格教師の話題が少なくない。斎藤信夫も千葉師範を出て教職にあったが、再教育の対象で、敗戦後も教師についていなかった。不適格教師が多いということは感性的豊かさが教育の世界で消え始め、画一的教育が支配している証しではないか。
 海沼実の童謡を口ずさんでいたら隣の庭に『みかんの蕾の庭」。
もうすぐ「みかんの花咲く丘」(1946年)が聞こえてくる。
みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
 お船がとおく 霞(かす)んでる
004_20100214135117.jpg
 (隣の庭にみかんの蕾がいっぱい)

(続きーアジサシ観察最終回)
 しばらくして、大浦湾・辺野古のサンゴに入ります。


続きを読む

エリグロアジサシの見事な連携ー誰が諌める「移転論の罠」?

準絶滅危惧種エリグロアジサシの素顔
  間抜け面のエリグロアジサシ
エリグロアジサシはベニアジサシの群れにまぎれて間抜けな顔、ひょうきんな姿で写真に写っている。船からみるとアジサシたちの個々の素顔は見えないが、カメラでみると観察で気がつかないことが見えてくる。

IMG_20100212160215.jpg
  (09年8月5日 大西照雄)
 エリグロアジサシの
  見事な連携(7月13日)キャンプシュワブ前岩
 エリグロアジサシのコロニーの群れは小集団。営巣地に船のエンジン音がかすかに聞こえると警戒役が泣きだす。引き締まった体つきになり、抱卵、子育てをしているつがいが窪みの穴から出てきて、警戒態勢を強化する。

IMG_0001_20100212160231.jpg

IMG_0002_20100212160249.jpg

エリグロアジサシの見事な連携
餌取りから帰って来た。1羽が餌取りに岩を離れ、警戒役歩哨に立つ。6月に産卵した卵は雛に孵っている。シュワブ前の飛来は比較的早い時期であった。小さな集団なのでベニアジサシの群れに入って餌を取るのが合理的なのか今年はエリグロの餌取りも観察してみたい。


IMG_0003_20100212160301.jpg
 (続きー13日の辺野古からー移転論)

続きを読む

辺野古エリグロアジサシ「準絶滅危惧種」とやんばる統一連

 準絶滅危惧種エリグロアジサシを中心に(1)
辺野古アジサシは
 「沖縄沿岸に分散する小群れの一つ」
   「重要な繁殖地とはお思わない」(準備書)


 台風・ヤグラとアジサシ
 05年7月11日の琉球新報は04年7月18日の記録を419羽、05年7月10日の記録を140羽として、半数以下と記録される。
 05年はボウリング櫓が建ち、ヤグラに小魚は群れていた。さらに、アジサシは激減しWWFJ報告約60羽(08年7月13日)、で翌日の私の調査では110から125羽になっている。確実に回復の兆しが見えた。
 
ちなみに、準絶滅危惧種であるエリグロアジサシは04年調査で24羽である。
 
私の辺野古日記04年10月23日(宝の海『愚直』)は、台風24号について『テレビは10個は日本に来たというが、沖縄は13個、沖縄は日本ではないのか』と書いている。

辺野古アジサシにとって04年、05年はとくに過酷で、違法アセの調査にもさらされる。
 エリグロアジサシの雛2羽
   撮影に成功する
 アジサシに威嚇を与えず、揺れる船を操縦しての観察・撮影は過酷である。兼島順子、仲本政幸、島元智、QAB大城カメラマン、高江の比嘉さん。サンゴ調査および撮影のコンビ牧志治さんに協力をお流した。
 8月5日、比嘉さんのビデオ、牧志さんのカメラに雛の写真が写った。
 2羽確認できますか。(平島沖岩西岩、撮影 牧志 治)


IMG_0002_20100212094502.jpg
 
 エリグロアジサシの繁殖地は
  日本列島で奄美・琉球列島のみ
 私は全くの素人、意識的観察始めて、エリグロアジサシに関する資料読むと、奄美諸島以南の南西諸島が繁殖地、21か所の繁殖地が知られている。ほとんどの繁殖巣は10巣、多くても30巣程度、まれに、100、最大200巣との研究者の指摘である。24日夫婦交代で抱卵、28日で巣立ち、だいたい2週間後に旅立つという。
 (参考―河野裕美「東海大学沖縄地域研究センター」ネットより)
(平島沖岩西岩 撮影 牧志 治 8月12日)産毛が残る


IMG_0003_20100212094516.jpg
 辺野古エリグロ繁殖地は4か所
04年の水準超えるー何故
 
 私の観察でもエリグロアジサシのコロニーは小規模、ベニアジサシにまぎれているのも少なくない。ベニアジサシのコロニーにエリグロが営巣しているかは知らない。
 マナル岩、シュワブ前岩、平島沖岩西岩、長島西岩群の4か所が営巣地である。素人が平和丸操縦してバードウオッチ・カメラもやるのだから正確さに専門家に劣る。河野氏の報告とほぼ一致する。各コロニー20から30羽である。04年が24羽ですから、ベニアジサシの群れにまぎれているのまで含めると約100羽、4倍以上の確認ができる。

 羽ばたきをする若鳥です。親が見守っています。
  キャンプシュワブ前岩(埋め立てで消える)

IMG_0004_20100212094530.jpg

 営巣地に
  小岩の存在が必要か?
 アジサシの営巣地付近には大小の岩が存在する。平島沖岩と平島の間に岩礁がある。また、この平島沖、マナル岩の環礁は大干潮に「陸地」になる。大浦湾の二つのブイは、飛行訓練の重要な休憩地になっているか。
 ベニアジサシが小さな岩まで初飛行か。産毛がエリグロアジサシと似ているが、体全体にまだ産毛が見える。
 (8月5日 撮影、大西 照雄)


IMG_0005_20100212094541.jpg
 環境省のホームページ「特に5月中旬から6月には特に注意」としていますが、平島沖の岩7月17日、 8月5日の雛からすると7月末まで抱卵期と言えないか。7月12日、平島岩に大きな変化の兆しが確認された。日記に30から40羽、仲本政幸氏17日カメラマンとして同行してもらう。100羽を越すので写真に「異常」と書いている。アジサシは各営巣地点で膨れ上がってゆく、長島の断崖は爆発的、ブイにも群れ出す。
 素人にはわからないがエリグロアジサシが南の空を見つめて風を掴みだしている。
   (撮影、仲本政幸 7月12日)


IMG_0006_20100212094552.jpg

 続きーやんばる統一連勝利集会

続きを読む

アジサシわかり始めたーサイパン・テニアン

辺野古アジサシわかり始めた
  繁殖地の変化は(1)
 05年、沖縄野鳥の会調査(2月10日ブログ)の際撮影された長島中央のアジサシ。長島は二つの島からなり、漁船が通過できる「海峡」があり、この場所にアジサシは群れていた。今年はゼロ。平島と長島の間は夜釣りの場所。繁殖期、電気をつけると攻撃を始める。夏の太陽の強い時は海水を体に取り込んで抱卵の岩を冷却する姿を幾度か見ている。何らかの環境要因で繁殖地の移動が起こること考えられる。


IMG_20100211101200.jpg
 (撮影兼島 順子)
 一斉に休む時間帯(2)
 アジサシはウミネコに比べて、人間や動くもの音に敏感である。5月下旬に05年以降の観察を越えて居て、継続観察の必要、釣り人の増加など見られる。
 ある時間帯に全コロニーが岩に旧けする時間帯のあることも知った。太陽の位置、干満にも影響があるようだ。
体が不安なのでブログ、メールで協力者求めるが皆無。高江で写真を始めた仲本政幸さんにお願いして、彼の師匠島元智さん、ビデオカメラの比嘉さん、サンゴ調査・撮影のコンビ牧志治さんの協力を得た。


IMG_0004_20100211101656.jpg
 メミナレーチチナレー(3)
  エリグロアジサシは準絶滅危惧種、奄美大島から南の南西諸島で繁殖、10から20羽のコロニーを形成する。辺野古のエリグロのコロニーは長島西の岩群、平島沖岩西、キャンプシュワブ前岩、マナル岩の4コロニーがある。周りに岩群がある地点を好むように思われる。(若鳥の初飛行と関係するか?)


(続きー陽光に誘われて、サイパン・テニアン)


IMG_0005_20100211101707.jpg
  アジサシ休憩時間を観察チャンスに(4)
 汀間漁港から出ると、アジサシが餌取りしているか中瀬の波の上を観察、ブイ1、ブイ2をかなり離れて確認、長島東断崖のリーフ上を抜ける(日頃は通過しない)。平島岩を回り、シュワブ前の岩を過ぎて、マナル岩へ、個体数をまず掌握する。
 今度は逆に撮影中心に回る。エリグロの繁殖地は数が少ないから変化の確認はたやすい。長島の西は岩が島の周りに複雑にある。釣り人が昨夜からいた。エリグロは岩を渡りきれないと判断するのか。警戒で動かない。いじらしいというのか。巣を守っているようである。11時ごろ釣り人去った。約20羽が岩から岩に飛び、空に舞い上がった。後に平島と対比する。
IMG_0006_20100211101719.jpg
風・潮流など読んでエンジンを切る(5)
  撮影に当たっては風と潮流を読んで島や岩に平行に流れて接近する。キャンプシュワブのエリグロアジサシは常に歩哨がいて、泣き出すと窪みから次々這い出して泣き出し船を観察している。岩から遠くにアンカーを落とし岩の近くまで船を流す。目標地点に流すコツは日常魚釣りで鍛えて、なお、辺野古の海上闘争で知り尽くしているので自信がある。

続きを読む

QDR,グワム米戦略のハブ化ー辺野古・高江最高の訓練基地?

おしらせ
 テント村新市長激励集会
  3月6日(土)10時から~1時

   反対協「歌舞団」上演
   周辺は食堂に遠いですから恒例の昼食会場も設置します。



「俗称・通称」―琉球新報コラム
  さて、V字2本滑走路「現行計画」の「俗称は?」
何故、B52爆撃機は嘉手納に来たか

 普天間・辺野古報道鎮静化(?)、社民・国民新党「移設探し」、米国のQDR(4年ごとの戦略見直し)に吸い込まれる危険がある。QDRは「グワムを太平洋戦略のハブ化」「米軍の家族赴任重視」などが見える。
 昨日の写真の兵舎とともにボートを下ろす道路が海岸まで伸び、準備書では長島・平島を「新規接収」(立ち入り禁止)となり、海兵隊および家族の専用リゾートの側面を持ち、QDRの先取りが見る。グワムの家族住宅7000万円。グワム、サイパン、辺野古に、貧乏海兵隊、最高のリゾート。
010_20100210191137.jpg
 
 グワム・サイパンを米戦略の「ハブ化」は何を意味する。
 B52爆撃機の20年ぶりの飛来。私には見えない何事かが動いている。アメリカは負けたら数倍の報復をするのが歴史の真実。
 05年「日米同盟の変革と未来」(再編成)に至る過程の沿岸案(L字を含む)を「悪魔の要塞基地」「動かぬ秘密空母」の俗称を付けた。滑走路が海抜10m、このような空港来たことない。しかも、長島・平島取得、嘉手納・普天間のように国民の目、カメラにさらさないでいい。
 私は「万国津梁の邦」が琉球の歴史、現在「平和の発信・架け橋」の通称で使用している。辺野古新基地は「悪魔の島」「悪魔のかけ橋」の俗称になる。新報コラムの目は面白い。
 琉球新報コラム「金口木舌」(10日)
金口木舌
2010年2月10日
 正式名称に対しての俗称、通称などのことを異名という。堅苦しい正式名称よりも異名が本質を的確に言い当てている場合も多い
▼巨大さと戦闘能力の高さを誇示するかのような「成層圏の要塞(ようさい)」という異名がある。同じ物に対して、それを「死の鳥」との名称で呼んで恐れた人たちがいる。前者は米軍内の異名であり、後者はベトナム人が呼んだものだ
▼米国の戦略爆撃機B52のことを指す。B52はベトナム戦争において多数の爆弾を投下し広範囲を破壊する絨毯(じゅうたん)爆撃を行った。まさに米軍にとっては空飛ぶ軍事施設だった。だがベトナムの人たちの目には死をもたらす不吉で巨大な鳥にしか映らなかった
▼1952年の初飛行から既に60年近く経過しているものの、いまだに現役だ。6日、その最終量産型(H型)機が嘉手納基地に燃料供給を理由に、急きょ着陸した。嘉手納飛来は20年ぶりのことだ
▼B52はベトナム戦争の激化とともに65年に嘉手納基地に姿を見せ始め、常駐化していた68年11月には同基地内で墜落事故を起こした。県民は「黒い殺し屋」との異名で呼んだ
▼当時、B52の出撃基地・沖縄を「悪魔の島」と呼ぶベトナムの人たちもいたと聞いた。県民の願いもむなしく、いまも米軍基地は存在する。それは沖縄が再び望まない異名で呼ばれる可能性を残していることを意味してはいないか。

(続きー平島沖岩のアジサシ2)

続きを読む

ニングワチカジマヤーー希望と多難な道

今日の辺野古テント村
 ニングワチカジマヤー
  炸裂する雷と叩きつける雨
 8日(就任式)は晴れ、9日山梨の団体さん海上案内も晴れ、家に帰り休憩、散歩から帰リ玄関に着くとポツリ太い雨、しばらくすると雷炸裂、一時的強風を伴って激しい雨、ニングワチカジマヤー(温帯低気圧、2月の風の回り、台湾坊主、春一番)の始まりだ。
 
平坦な道ではない稲嶺市政。
 辺野古の海上の闘いで怖いのは、平和丸に巡視艇、大型ゴムボート数隻配置する海上保安庁でもない。漁師が台風以上に警戒するのは温帯低気圧、ニングワチカジマーイである。海の責任者として、雲の動きを見て雷の発生、強烈な突風の発生など、雲の動きを見て読み切ること、保安庁からは逃げられるが雷からは逃げられない。辺野古の海では久志岳、辺野古岳、名護岳の雲の動きで撤退判断した。「命ど宝」。
 台風は進路がある。ニングワチカジマヤーは進路ない。


 沖縄タイムス社説お読みください。
  社説の中に写真を織り交ぜることお許しください。


稲嶺名護市長就任]政府は断念を明言せよ政治 2010年2月9日 09時35分
(6時間5分前に更新)

 名護市長選で当選した稲嶺進氏(64)が初登庁した。稲嶺氏は、職員へのあいさつで「名護市は、米軍普天間飛行場移設問題で全国区というありがたくない称号を受けてきたが、早く終止符を打ちたい」と、辺野古の海に新しい基地はつくらせないことをあらためて表明した。政府や県に移設反対の意思を直接伝える考えだ。
001_20100209154502.jpg
(大分県 社民党議員関係者 9日午前)

 移設反対を掲げて当選した稲嶺氏のバックには明確な民意がある。「使命と重責を担う緊張感で身が引き締まる思い」と決意を語った。鳩山由紀夫首相と、まだ辺野古移設反対を言明していない仲井真弘多知事は、もう辺野古移設は無理だということを認識すべきだ。

 移設先を探っている政府・与党でつくる沖縄基地問題検討委員会は5月末までに最終結論を出すとしているが、「ゼロベース」で検討するといい、辺野古をまだ候補地から排除していない。防衛省も環境影響評価(アセスメント)の手続きをストップしていない。米国もなお辺野古にこだわる姿勢を崩していない。

003_20100209154514.jpg
 (説明するヘリ基地反対協議会事務局長(名護市議))

 稲嶺氏の登場で県内の潮目は完全に変わったといっていい。県政与党の自民は県外移設を求める意見書・決議案を2月定例会に提案する。同じ与党の公明も同様の考えで、全会一致を目指す。

 政府は万が一にでも、移設先を辺野古に戻すようなことがあってはならない。昨年8月に政権交代を果たした衆院選、そして名護市長選で示された辺野古移設反対の民意を自ら裏切ることになり、旧自公政権よりも悪い。民意をないがしろにして政治ができるはずがないからだ。
004_20100209155544.jpg
  (山梨民医連、高江からの帰り、合理的時間の使い方、汀間漁港から 1時30)

 名護市が抱えているのは移設問題だけでないことはいうまでもない。移設問題が浮上してからこの間、市には北部振興策や島田懇談会事業などで600億円以上が投下されたが、市民生活の向上につながらず、政府の基地政策が破綻(はたん)したことを意味する。


 市民の命にかかわる産科・婦人科・小児科医師の恒常的な不足、シャッター通りと呼ばれる中心市街地の衰退に歯止めがかからない。完全失業率は県平均を上回り、1人当たりの所得は北部圏平均をも下回る。空き店舗率は約2割、1000万円以上の負債を抱え倒産した建設業者は2000年から40件近い。

 稲嶺氏には移設問題を片付けたとしても、これらの難題が待ち受けている。順風満帆の船出といかないことは自身が一番知っているはずだ。


005_20100209154526.jpg
 (平和丸から)

 稲嶺氏は職員に「変化に対応できる柔軟な発想や想像力」を求めた。「豊かな自然や歴史、文化の特徴を生かした独自の街づくり」を訴え、移設による振興策に依存しない方向性を示した。観光と農業を念頭に、従来の政策から大転換したといっていい。

010_20100209154539.jpg
 (アセス逃れの兵舎など、青年たち平島丸で学習)

 民意を尊重しない民主主義はあり得ない。政府は最終結論を出す前に沖縄県内は候補地から除外することを明言すべきだ。辺野古が移設先として浮上してから十数年間にわたって地域コミュニティーが移設反対派と賛成派に分断された。地域を修復・再生させることも重要な課題だ。

 (続きー平島沖岩のアジサシ1)

続きを読む

名護の夜明けを告げるような太陽の出た日

稲嶺さんと太陽
 新市長は「交通安全のオジサン」

 
 昨日までの雨、嘘のように太陽が出た。正月も、当選の翌日も「ご来光」(稲嶺ススム就任あいさつ)が出た。
 朝、7時45分、稲嶺新市長は「交通安全のオジサン」として、その後に初登庁。

001_20100208173414.jpg
ヘリ基地反対協は横断幕で稲嶺新市長を歓迎した。
016_20100208173433.jpg
ヘリ基地反対協の花束
 渡具知タケル君(13歳)
  市民投票(1997年)はお腹の中

007_20100208173446.jpg

021_20100208173506.jpg
嘉陽のオジーと握手する稲嶺新市長024_20100208173518.jpg
 報道陣046_20100208173534.jpg

(続きー就任挨拶の模様)

続きを読む

速報ー新名護市長就任速報
アサテイダの降り注ぐ名護市庁舎
 稲嶺ススム就任

  ヘリ基地反対協の横断幕
016_20100208100017.jpg
 渡具知フアミリー
  反対協花束贈呈に
   市民投票で生まれた息子、心ワクワク

008_20100208100038.jpg
 就任挨拶する
  稲嶺ススム新市長

037_20100208100051.jpg

(日本テレビに動画あり)12:40

(明日、稲嶺就任模様の写真掲載)

稲嶺ススム市長誕生

テント村座り込み2021日(21月7日)
  連日雨と風が吹き付ける
 雲が垂れこみ雨と風がテントの中に、ビニールの簾を下ろして風を防ぐ、海は白い波が立つ、05年海上闘争の頃、このような波でも未明に出港、冷える手に波しぶき、体を船に括りつけて舵を取った。
 プロ野球のキャンプ、毎日雨にたたられている。名護市が日ハムと、名護の海埋めて、ダルフィシュ球場計画したから、天が戒めの雨と言う人あり。



002_20100207185612.jpg



005_20100207185625.jpg
 炭火の焼きとりで
  温まるーポチも
 名護羽地地域は養鶏が盛ん、卵の産みが衰えた鶏を「廃鶏」と呼ぶ。ソバやスープのダシ骨となるが、焼き鳥にすると「止められないカッパエビセン」で、みんなで食べ合うのに最高である。
 元名護市会議員の玉里勝三氏が、この気節に毎年提供する。炭は沖縄医療生協が冬に提供する。私の冷凍庫、魚釣りしなくなって、空の状態が続いている。冷凍庫2個あるから保存可能、なんでも受け付けます。
 漁師から巨大ウツボ貰たり、イカのゲソ貰って、冬場のテント村の「語り合い」の豊かな時間を過ごしている。イノシシの骨貰う時もあり、「牡丹鍋」も楽しんでいる。3月はの「牡丹鍋」冷凍庫に寝ている。


006_20100207185638.jpg
  訪問者絶えません
    東京三鷹市のみなさん
  日米同盟「大本営」の一つ、産経新聞が新しい名護市政を「反米闘争の拠点」と規定した。沖縄県民を「反米闘争」にさせたのは「サンフランシスコ大本営」、今日の琉球新報読むと防衛省幹部「米軍とは、変化自在の組織、その都度運用でやっている」「移転先のグワムの家族住宅戸数も防衛省」はわからない。つまり、海兵隊抑止力破綻、今度は「反米と言う常套文句で挑んできた。1963年、極左が「復帰闘争は反米闘争」と批判した論理と同じ。辺野古13年の歴史や沖縄非暴力闘争の歴史など述べた。
 産経は極右と極左の矛盾に陥った。
1950年代の土地強奪、マスコミ(沖縄も含む)は書かないことで親米的、反人民党的であった。産経は反米を書くことによって対米追従の醜い姿を表に泡わした。その手法は半共産党に貫かれて「反米闘争の拠点」と煽る


010_20100207185652.jpg
 記念写真取りました
  服装で寒さがわかります。
   寒さも暑さもーわれらの友

 (続きー長島のアジサシ(2))

続きを読む

ナカユクーイ(休憩)-連j日、雨で寒いー産経の悪あがき懲りず。

 沖縄も寒い日が続く
   連日雨


 小雨の中散歩、隣の塀からローズマリーが垂れ、花を咲かせている。普天間・辺野古問題、タイムス・新報「声」の欄に連日投稿が続いている。
 「宝の海」、ナカユクーイ(休み)。

電子版
 産経新聞「『普天間拒否』の稲嶺名護市政スタート、反米闘争の拠点」(6日19時35分)は産経らしい沖縄攻撃だ。産経がプライスリーダーになってマスメディアの「反米」「反共」攻撃が展開されるか。
 沖縄への基地押しつけ、「反米」という常套手段で来たか。


001_20100206122855.jpgwidth="400" height="267" />
 マンゴーにビニール
 25日(ススム当選)、アサテダ以来太陽が出ず、連日雨か曇り。小さな庭だがマンゴウを植えてある。マンゴーは熱帯トロピカル(雨季と乾季)の果物、やがて花の咲く頃、雨を防いでい土を乾燥させる。生物の種の保存法則で花が大量に咲きだす。1本だからビニールハウスではない。雨よけでいいと聞く。さて、実験は成功するか?span>

002_20100206122908.jpg
野菜植える
 ゴーヤー、ナベーラ(ヘチマ)、キュウリなど植える。庭の草取りなど小雨の中で行う。
キビの刈入れ大変だと思う。
ハンダマ、春菊、ブロッコリーなど植えてある。小さな庭で野菜ほぼ、自給できている。

003_20100206122921.jpg

(続きー辺野古の海の生き物たち1)

続きを読む

2010年国際ジュゴン年スタートーWWF(毎日JP)ホームページ

 島ぐるみの「県外移設」へ
  仲井真知事「裸の王様」になるか?

 冷静な目
  新聞の「県民の声」
 闘いには各局面での闘いがあり。名護市長選では「辺野古に基地はいらない」政策の明確化、統一、勝利への闘いと
日米同盟至上主義ンの民主政権、メディアとの闘いがあった。
 今、「斟酌」や「普天間居座り論」恫喝などとの闘いである。

 私は現場から物事を見る。琉球新報「声」に「怪しい普天間移設問題」(宮城宏光)「党派を超え結束して行動」(渡久地政弘)、「平和の共同体つくり」(横田等)、沖縄タイムスに元軍雇用者安里善好「県民軽視を続ける米軍―歴史認識が犯罪の温床」(論壇)の告発が掲載(1月5日)されている。
 2月定例県議会、自民党県連は「県外移設」意見書で動き、公明党も同調するようである。名護市議会も同様な動きあり。渡久地「日米同盟危機をあおってきた大手マスメディアや評論家」と書き、横田は「平和的原則」に触れる。
 
 現在、重要な辺野古問題の争点的段階はアセスの評価書との闘いで、準備書のようにはいかない複雑な行政行為が立ちはだかっている。
現場では違法アセスと環境アセスメントの評価書が着着と進められている。辺野古問題は行政手続きでもある。アセス法は罰則規定もなく、行政には国民の常識が通用しない。昨日の新聞「小沢不起訴」は具体的な例である。


IMG_0001_20100205111131.jpg
 (環境省『環境アセスメント制度のあらまし』より)

 評価書の提出
  県議会・国会の論戦を求める
 粛々と辺野古では防衛省設置法4条19号のアセス違法「事後調査」とアセス逃れの関連施設が建設されている。沖縄防衛局真部朗局長は「年度内に評価書を提出」と公言している。評価書は知事に送付され、45日間の間に知事意見を出す。その後1月間広告縦覧され、アセス事業は完了する。
 知事意見が必要なのか、アセス審査会が開催されるのか。
 評価書と知事の許認可(埋め立て申請)との関係。
 知事準備書意見と評価書との関係など、行政音痴には整理がつかない。わかっていることは環境アセス継続費13億円計上、辺野古関費用53億円計上され、約1兆円が予備費(?)が支出先不明金として計上されていること。
 評価書が提出されれば行政行為が先行する。


名護市長選挙
 平和新聞より(2月5日号)

IMG_20100205111144.jpg

 普天間・辺野古に関する主要資料
 評価書および今後の闘いのために、この半年はめまぐるしく動いた。赤嶺議員に国会での追及問題で提案。資料が送られてきた。
 大手マスメディアの状況を知るためには1月16日の各社の「社説」と記事は重要です。(大西付記)
大西先生へ 
(09年12月 ~ 10年1月)米軍基地関連報道の抜粋メモです。
                               赤嶺政賢

辺野古案に固執する民主党政権

● 鳩山首相は12月4日朝、(現行案についても)「当然のことながら生きている」(首相公邸前で記者団に 12/4)
● 岡田外相は10月23日の記者会見で「時間をかければかけるほど、普天間における危険は持続する。県外は事実上、選択肢として考えられない」「マニフェストでは『県外』という表現を使っていない。表現が変わったことには方向性も秘められている」(12/17読)
● 岡田克也外相は12月29日の会見で、政府・与党が米軍普天間飛行場の新たな移設先探しを始めたことについて「(日米合意案の)辺野古という選択肢がなくなったわけではない。より良いものが出てくれば、そちらにすればいいし、出てこなければ現在の案が生き続けている。」(12/30タイムス)
● 防衛省関係の来年度予算は、・・・環境影響評価の継続経費13憶円を計上し、準備書への知事意見を考慮してジュゴンなどを複数年調査する。普天間関連経費は、アセス継続費とキャンプシュワーブ陸上部の施設撤去・移転(39億円)で計53億円の計上にとどめた。(12/26タイムス)
● 辺野古埋め立て経費計上は見送り、政府予算の総則に明記された支出先を特定しない「国庫債務負担行為」の限度額を1千億円から1兆円に増額。移設先が決まり次第、すみやかに必要な契約手続きがとれるよう措置した。「国庫債務負担行為」のなかに代替施設本体工事として1420億円を見込んでいる。(12/26タイムス)
● 防衛省の2010年度予算は、米軍普天間飛行場の移設関関連費52億8千万円を盛り込んだ。政府が普天間飛行場の移設先を辺野古以外も含め検討していくとしているため、名護市辺野古への移設を前提とした埋め立て費用などは盛り込んでいない。今後、移設先が決定した場合、使途を定めずに予算総則に1兆円の上限で設けた「非特定議決国庫債務負担行為限度額」などから拠出する方針だ。(12/26R)
● 環境影響評価の評価書を3党協議期限の2010年5月より前に出すこともあるか。「たぶんそうなる。5月まで評価書提出を引き延ばすと14年の代替施設完成に間に合わない。ただ提出の時期は政治判断だ」(1/1R)
● 在日米軍再編関係経費は総額909億円(歳出ベース)。在沖海兵隊のグアム移転経費は472億円を計上。真水事業で初めて建設工事費137億円を盛り込んだ。(12/26タイムス)
● 防衛省は・・・環境影響評価の評価書を年度内に提出する方針を固めた・・稲嶺進氏が当選したが政府は、「現行案が唯一実現可能な案」との姿勢を貫く米国へ配慮し、環境影響評価の作業を継続する考えに変更はなく、年度内評価書提出にむけ作業を加速するかまえだ。・・防衛省首脳は「いつでも提出できる状態だ」と述べ・・た。(1/26R


WWFJホームページに
  「2010年国際ジュゴン保護年スタート」記事あり


 (続きーお知らせとお願い・協力)

 お知らせ
  ヘリ基地反対協議会
   および平和丸基金より

続きを読む

「青い目の人形」と日米平和友好条約

 国防省の野望
  自衛隊グワム駐留

 
グレグソン国防次官補「常設のメカニズム」
私は現場から物事を見る。新聞や評論などは検証である。
 辺野古の海では8隻の調査船が冷たい雨の中出て、白鯨1号、2号が来てジュゴンの道にカメラ設置、違法調査を行っている。メディアの日米同盟賛美を背景にグレグソン氏は「米国はグアムで自衛隊や同盟国に共同演習の機会を与え、継続的に米領に駐留させることになっている」と述べ、アジア・太平洋地域に「常設のメカニズム」作りたいという。
 ベトナム戦争の頃「アジア人同士を戦わせる」とした政策が復活した。TACにたする挑戦であり、自衛隊がアメリカの先兵の役割を担わされるのか。
 辺野古で、防衛省の動きを見ると安保条約を超えた動きが見える。グワム協定には、自衛隊の駐留は書かれていない。

明日のブログにアセスに関する記録を載せます。

008_20100204160914.jpg

006_20100204160928.jpg

ブロッコリーの森に
  春を告げるクスノキ
 世富慶から辺野古に向かうと長い橋、左右にはクスノキが新芽を吹き出している。やがて、ブロッコリーの森は新緑の絨毯に替わる。
 現職の頃、「アムステルダムはクスノキの変わり果てた街」のタイトルで授業を構成したことがある。照葉樹林の代表的な植物である。
 大宜見村、国頭村の森にはクスノキの大樹群の林は少なくない。クスノキの葉をタマネギなどを包む網に入れ、家の中に吊るしたら、ゴキブリが見えなくなった。
 クスノキの樹液を樟脳と言う。防腐剤、防虫剤である。九州にはクスノキの大木が多い。
出島からバタビア、オランダに運ばれた。現在、化学樹脂の時代である。
 辺野古からの帰り「青い目の人形」歌った。
   青い目をしたお人形は
   アメリカ生まれのセルロイド
   日本の港へついたとき
   いっぱい涙を浮かべてた
 私の世代の幼年期は野口雨情「七つの子」などで送り、「あの街この街」で少年期、青春期は「船頭小唄」などである。
 「青い目の人形」は1921(大正10年)の作、人形の「涙」は日米友好・人間の連帯の涙である。
 現在の軍事力で沖縄を苦しめる怒りの涙ではない。クスノキの新芽に、日米安保を日米平和友好条約へ変えることが求められる。「青い目の人形」の悲劇の歴史を日米関係で今以上に「深化」させてはならない。
   
 セルドイドの原料は樟脳と小学時代学んだ。下敷きも鉛筆入れもセルロイド。擦ると、磁気派生、化学の世界学ぶ。
日本に運ばれた「青い目の人形」の歴史をインターネトで調べてみるのもいい。


010_20100204160950.jpg
 止めなさい、基地頼みの
  設備投資
 辺野古からの帰り、名護湾に浮かぶ砂運搬船とダンプ。岸本建男市長が軍民共用空港受け入れ(1999年12月)、知人のダンプ運転手がダンプ買い換えるという。別の知人は圧送業(セメント業)に乗り出すという。那覇防衛局(現沖縄防衛局)の資料見せて、「やめろ」と助言した。
 現在のV字空港準備書を見ると、ダンプは60トン級以上、大浦湾にこの写真の数倍の砂運搬船はじめ、ケーソン敷き護岸制作フローテイング、打撃船が山のように浮かぶ光景が浮かぶ。
 もし、圧送業に知人が進んでいたら、今頃、家財産を失っていただろう。彼は名護市長選挙の勝利、ともに喜んでくれ、十数名の孫に囲まれて、質素だが優雅な生活を送って、私の忠告に感謝している。


013_20100204161014.jpg

014_20100204161031.jpg

爆音に負けず
  嘉手納高校春の甲子園出場

 政治が信じられない中で
  球児たちの「信」を学びたい
 春の甲子園に伝統校の興南高校と、初出場の嘉手納高校の2校が沖縄から出場します。嘉手納高校は凄まじい爆音にさらされる逆境を跳ね返して出場。中学から有望視された生徒は有名校からの誘いを断って地元に全員が進学、そこには信頼し合うしなやかな力の道程がある。
爆音の逆境のグランドで仲間を信頼し合って中学時代から心を一つにして歩んできた球児たち。
 嘉手納高校が九州制覇した時、涙が出た。仲間とともに歩む、仲間を信じあう教育の真の姿がある。特に、バッテリーが好きだ。中学で全国制覇したように、甲子園でも再び。
 全国のみなさん、嘉手納高校の球児たちの「信」の心を讃えようではないか。
 阪神地方の沖縄出身のみなさん。嘉手納高校の球児たちの心に応え、甲子園に足を運ぼうではありませんか。
 信じあえない大人たちが造りだした政府の沖縄の基地強化。この球児たちから学ぼうではありませんか。「信じあえる日本」を作ろうではありませんか。
 今日は原稿のためにヤーグマイ(家にこもる)


  新しき明日の来るを信ずといふ
  自分の言葉に
  嘘はなけれど-
石川啄木の歌を柱にして書いた。

IMG_20100203231154.jpg
IMG_20100204001842.jpg
(琉球新報1月30日)

普天間・高江「夏の陣へ」

岡田外相の論理へ
 鳩山首相接近
 高江説明会
  真部沖縄防衛局長直々

 学際的闘いへ
 昨日は気がつかなかったが、高江の説明会真部沖縄防衛局長がお出ましのようだ。テレビ見ていると岡田外務大臣の「辺野古ありき」「普天間居座り」に鳩山首相接近、この状況にグレグソン国防省次官補(元在沖4軍調整官)「決定を心待ちしている」と都内で歓迎、キャンベル国務省次官補が相次いで来日。
(毎日新聞電子版、読むと、米国の弱音も見えるが???)
 在日、米国人の動きも見えるようになった。
 ところが
 在京大手マスメディアは「知日派」代弁者的ですから日米同盟、アメリカの「怒り」報道であろう。
 「夏の陣」が始まると思った方がいいだろう。国内の学者陣も遅まきながら立ちあがった。沖縄タイムス文化欄に「『普天間』声明の意義―上」(2月2日)が掲載され、その中に総合的な『沖縄論』の著作、岩波書店から出版と記されている。
 自由法曹団の講演で法律家が国際法・憲法学からの提言を要請した。私は故岸本建男元市長が軍民共用空港の受け入れ(1999年12月)の際、普天間・辺野古は「学際的」共同に発展する。この力こそ勝利の保障であると説いてきた。
 平和の文化と生物多様性の共同は発展して来たが、学問的学際、ジャーナリズムの学際は弱かった。普天間・辺野古の問題で今、新たな課題は日本の民主主義の重要な側面も加わった。
 「夏の陣」に向け体力も知力も蓄えることだ。
 
学際的諸分野の動きの中で「春の陣」になる可能性も出てきた。日米同盟成熟論、深化論を説いたが矛盾が出てきて、安保条約が浮かびあがってくるのがオバマ・鳩山政権にとって困る。このおそれが日米の政府、メディアにとって危険になってきたように思える。
 急ぐ可能性否定できないように思える。

 まだ、疲労があるけど、カタガシラが庭に来た。
 人の気配に敏感。


005_20100202211409.jpg
 ((庭のマッコウの蜜吸っているが、カメラの音に敏感、隣家の屋根へ)
ヒージャーヤーサミット(山羊小屋サミット)
   散歩、山羊は食べごろか?
 現職の頃、地主の好意で野菜を作って、堆肥は山羊を養っていた。辺野古が始まったので山羊を養うことができなくなった。山羊小屋と畑は友人が使用している。
 金曜日と土曜日は周辺の戸主が集まって、サミットが始まる。35年前に家を造った頃は20所帯、今は100所帯に小学校も出来、アパートも増えた。
 その頃、始めた模合が30年も続き会員30人、月に一回家庭持ち回り、出資金は1万円、この仲間がヒジャーヤーで毎週サミット。お酒や焼き鳥、ソーメンチャンプルーなど何でもあり。時に山羊料理も行われる。名護はこんな街、区民運動会も、朝から豚肉の御つゆ、沖縄ソバ、カレライス、奥様と子どもたちは食べるだけ、夏はビーチパテイー、秋は月見会などヒジャーヤーサミットで決める。
24の投票日もサミット、みんな集まって勝利確信して、開票前に選対事務所に、私は一人になって味わいたいので同行せず。
 予想が面白い、期日前投票6・5対4・5で島袋、投票日6対4で稲嶺、予想した。ほぼ、正確である。さて、この山羊たちの運命は・・・・。沖縄ではヤギ料理は供応罪成立。


017_20100202211419.jpg

019_20100202211429.jpg

高江説明会ー沖縄に牙をむき出して来るか民主連立政権

名護桜祭り終わる
  動き出す沖縄防衛局

 名護桜祭りは
  辺野古テント村
 沖縄の桜は彼岸桜。北から南に桜前線は南下する。30・31日は辺野古当番。書斎から桜が見える。高江の説明会あるけれども疲労蓄積でいけませんでした。

002_20100201200606.jpg
 (書斎のベランダから)
003_20100201200621.jpg
 (パソコンの正面の隣家)

 いよいよ牙をむき出してきた
  民主連立政権―高江説明会
 高江の仮処分決定1年以上かかった。国は本裁判に入った直後、高江の説明会。沖縄防衛局100人以上でガード固め弁護団も締め出し強硬、新聞記者も締め出すやり方は沖縄防衛局の一貫した方針、民主党政権になってむしろ異常である。10人の集落に100人の配置。
 民意を「斟酌しない」政権の姿が見える。岡田外相は「普天間居座る」の恫喝、毎日新聞は中国威嚇論である。
 朝刊がどのように伝えるか。
3月から6月はヤンバルクイナ、ノグチゲラなどの野生動物の繁殖期、今回の説明会はこの期間でもやるということか。辺野古のアセス評価書も連動して強行と読み取れる。
知事への埋め立て申請と重なる。「分断して統治せよ」のいやらしい戦術が見えてくる。朝刊見て分析を行う。

( 2月2日、0:10)
  (続き新聞はどう評論するか)


3月3日(水) 辺野古・違法アセス訴訟 第3回公判
事前集会 13:00より 那覇地裁向かいの公園にて
公判 14:00より 那覇地方裁判所にて

傍聴券の抽選があることが予想されます。お早めにお集まりください

続きを読む

「移転探し」ー名護は祭りだ、祭りだ。引き裂かれた13年吹き飛ばせ

大きい文字民主連立政権
 移設先探し躍起
  名護市は桜祭りで燃えている

 (名護市の散策ー28日ブログ参照)
  (大宜見村散策は29日ブログ)


祭り好きが
 祭りに出られない。
30日から31日祭り、31日は午前中アメ、午後から晴れて、夕方から雨。
 桜満開、名護の大通リ、名護にこんなに人がいるか。歩行者天国にひと、踊、御神輿など多彩な行事。でも、私30年祭りに参加してない。高校教師歩いていると酒を飲んでいる生徒に出会う。見過ごすことできないから祭りに出ない。処分しないといけない。
 退職したら辺野古の闘いで祭りどころではない。
いつになったら祭り楽しめるのか。
 政府は移転先探し。普天間閉鎖。全面返還。だんだん安保条約が国民に見えてくる。
 高江に強権発動か。

029_20100131210641.jpg
(辺野古テント村帰り、ナングシクの桜(名護城遠望する)
026_20100131210705.jpg
 (辺野古からの帰り車降りて)
 辺野古テント村
  漁に出る漁民が増え始めた。(
朝7:30)

001_20100131210725.jpg
テント村の新しいマスコット
009_20100131210750.jpg
テント村講座
  毎日バスの訪問あり、今日3台

平野官房長官などの「移設先探し」や「斟酌」論など今、書くのが「馬鹿らしい」状況で、民主党はあほらしい政権だ。海兵隊や安保が段々見えてくる。
 現場で「愚直」に語ることだ。

 「あわてない、あわてない」、宜野湾も名護も。高江も。
 これまでと同じく大きな世論、日本列島の隅々に。
013_20100131210809.jpg
新愛華丸の進水祝って
 お酒で安全と大漁願う

006_20100131210824.jpg

続きーヘリ基地反対協議会より)

続きを読む

プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。