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今、求められることーケネデイーの暗殺と沖縄から(1963年)

高江の異常
 日曜日も強行

 20日(土)、米軍の演習は動いた。日曜日、久しぶりの太陽、家で庭の手入れやゴーヤー・ナベーラの手入れ、岩ビバは石に完全に根を張り石を包み始めている。
 高江、防衛省作業行ったようだ。防衛省も「シチチマトーウン」(追い詰められている。ションベンやウンコが我慢できないまで極限に来ている状態)であろう。

 (庭のイワヒバの写真掲載)
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(昨年 秋に石に植え付けたイワヒバ)

  「国外・県外移設」決議
    ケネデイー暗殺事件と沖縄おもいだす
 「移転・分散・負担平等」に警鐘を鳴らし、原点は何か。議会は「国外・県外移転」決議をすべきではないと1月下旬ごろから書いている。人間には「悪と善」が宿ると書いた。そして、琉球新報社説「『国外・県外移設』全会一致」(2月20日)を憂いている。
 「平和運動」(10年1月号)に畑田重夫氏は、現在の日本の日米同盟をめぐる動きの中で、1963年、ケネデイーの暗殺に関して沖縄人民党が取った原則的態度が重要だと書いている。
琉球新報社説「ケネデイー大統領の死と沖縄人民党の非人間性」(1963年11月28日)は、1954年の人民党事件の再来かと思われるものであった。この動きにたする沖縄人民党中央常任委員会「ケネデイーの死を利用した人民党攻撃をバクロする」論文の全文である。
琉球新報は「死者に弔意を表するゆとりのない政党にリツゼンとするものを感じる」とし、人民党論文は後半でこの文章を使い人間性と非人間性を問う格調の高いものである。
 国際的にはベルリン危機、キューバ危機、ケネデイーのベトナム介入、国内的にはキング牧師の公民権運動の高まりの中でケネデイーの暗殺は63年11月22日。
 沖縄では祖国復帰協議会(1960年)ができ米軍支配への反撃、北緯27度線の海上交歓会、アフリカではモシ宣言「4・28国際行動デー」が高揚期に入っていた。まさに、「反米」の昂揚期。


  死者に弔意を表すゆとりのない政党に
   リツゼンとするものを感ずるというのであればー(その0の、前に付け加えて読む)
その1「猪や小鳥とまちがえて婦人や老農夫を撃ち殺し、平然としているアメリカ帝国主義には<ゆたかな人間愛>を感じるとでも言うのであろうか。」

その2「6つの少女が米軍に強姦されて殺され草を握りしめて死んだが、この凶悪の根源であるアメリカ帝国主義の殺人基地には<ヒューマニテイー>を感じるとでもいうのだろうか」

その3「青信号のもとで国場君を殺した米兵に無罪判決を下したアメリカ帝国主義に<正義を>を感じるというのであろうか」

その3「石川ジエット機事件、具志川ジエット機事件、嘉手納米軍機墜落事件を引き起こし、子どもたちを含む多くの命を殺したあげく、交通事故と同じだと放言した冷酷非情極まりないアメリカ帝国主義に<平和>を感じるとでもいうのであろうか」

その4「<死者に弔意を表するゆとりのない政党にリツゼンとするものを感じる>のであれば、ブルドウーザーと銃剣で土地を強奪し、全島核武装を強化し、数多くの人命を犠牲にしているアメリカ帝国主義の戦争と侵略、軍事的植民地支配強化の政策に<希望>を感じるとでもいうのであろうか。
「帝国主義の優れた手先であるケネデイーは、これらの犯罪を積極的に引き続き強化して積み上げてきたが、それでも<罪を憎み、人を憎まず>とでも言うのであろうか」

(人民党機関誌「人民」縮刷版より抜粋 1963年12月11日)
 ケネデイーのベトナム政策を引き継いだジョンソンは、沖縄基地は「悪魔の島」へ
 
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  (イワヒバが石を愉積みだした)
私は人民党事件を幼いころに経験、島ぐるみの闘い、民連ブームで回りの高校生、青年たちが「村8分」にあっている現実を見ている。高校2年に石川ジエット機墜落事件で、1960年アイゼンハワー来沖闘争に参加し、米軍の弾圧のなか「人民」発行されたこと、および、私のなかで、ケネデイ―暗殺は、民主主義アメリカはすでに崩壊していた。ケネデイーの死を利用した人民党攻撃も体験している。
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  (力をつけ、繁殖し出したイワヒバ、夏には胞子から苗が育つ?管理の時間あるか?ナゴランは辺野古の闘いで管    理できずに見事に失敗)
琉球新報は「不屈―瀬長亀次郎日記」を公開して来た。
 「国外・県外移転」は歴史をゆがめる。
 今、普天間・辺野古および沖縄問題は日本の政治の根幹を揺さぶっている。その大きな力は「普天間は沖縄にいらない」声である。1963年期のように、沖縄問題が日本問題として新しい段階を迎え「国外・県外移設」で、徳の島、佐賀・大村などに「他県も自ら突きつけられてはじめて実感しよう」(新報)、「安保負担の公平化」(タイムス)も、方向をゆがめてしまう。「普天間は沖縄にいらない」でいいのだと思うのだが、1963年を思い出した。
 今、嘉手納宮城町長も公式に嘉手納の全面返還を議会で述べ(01年)、「諸悪の根源」安保を語り始めている。まさに、21世紀はこのような時代に入ってるのだ。
 22世期まで安保条約、日米同盟を唱える岡田外相、香港ですら100年では変化せざるを得なかった。


(続きー市長激励集会延期など)

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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