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「死ぬ気でかかってこい」-政府の言うことかー「第2の沖縄戦」仕組むか

高江から緊急発進
小さな村の大きな闘いとは!
 全県・全国の目と支援を求める。

 高江の現場に見える
  殺してでも基地建設?
 防衛省の現場に現れていること。前回より戦術練られていると書き、昨日のブログに「死者に弔意を示さないーセンリツ」を書いた。
 朝7時に出た。8時時に高江N1についた。11時30分名護署公安到着、防衛省来ない。公安「防衛省約束守らない」とぼやく。
 キャンピングカーで仮眠する。
 テントの中ではブリの大根お汁が煮え、昼食。


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 「死ぬ気で反対してこない限り」
  「地元の意向は反映されない」(朝日2月21日)
 名護市長選挙の結果に対して、平野官房長官は「斟酌しない」「地政学的」と言った。ニュースを見たカミサンが「父さん、命かけた闘いになる」と言った。(26日ブログ)、ナチス理論だと書いている。
 カミさんの洞察に敬服している。

 2月2日の高江住民説明会、住民を上回る防衛省職員を動員、真部朗沖縄防衛局長を誘導・護衛する姿は軍隊であり、真部に発言にも「殺してもやる」と言う意思が見えた。数十枚の写真を見ると「殺してでも」が鮮明に見える。
 現場の状況を「防衛省は戦術がうまくなった」と書いている。この日の朝日(21日)が、ちょうど、防衛省が現場に到着した時間(1:30)にメールで「死ぬ気でかかってこい」(政府高官、平野のベーター選択発言記事関連)流れてきた。
 作業車の後(作業現場側)に座り込み、メール情報を確認する。さて、この発言は「沖縄県民の命を奪ってでも辺野古基地建設、高江ヘリパット建設する」意思と現場の状況でも見える。

残念ながら、この6年、このブログ予測、外れたことがない。ベトナム戦争米軍戦略<民族同士闘わせろ>、今日、防衛省人数減らし、業者多し。昨年の現場責任担当見えず。業者をにらみつけ、命令通りせよ、これに、山城君、方言で業者を叱り、諭している。この構図が面白い。


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 「死ぬ気」
   素敵な笑顔で高校退職3人トリオと山城君


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 防衛省は
  「第二の沖縄戦」仕掛けてアメリカに捧げる
 平和センターの山城君が怒った。メール情報が確認取れた。防衛省の写真撮影は単なる
裁判にかける意図だけではない。
 平野発言を補足した高官の発言は「殺してでもやる、覚悟して命を差し出せ」と言っているに等しい。政府役人が平然と言う言葉か。
民主連立政権をナチスと同じと書いたが、高江の現場に現れている。辺野古の嘉陽オジーが「ひと柱になっても」の意味と違う。
 まさに、政府はヤクザより悪い。
 防衛省現場担当官に「00さん、命奪っても強行せよと指示受けているのか。沖縄県民はイチムシ(虫)だから、殺してもいいという方針か。私のような老人は貴方がたに、殺されてもいい。私はあなた方を傷もつけない、触りもしない。」激しく詰め寄った。
 トンブロックの基礎を打って引き揚げた。(3時)、N4にフエンスを下ろし、抗議が続いた。


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 住民虐殺
  高江は疎開地
「死ぬ気で」の情報に接した時、頭を横切ったのは、沖縄戦、高江は那覇泊の疎開地であった。川のエビもカニも、山のヘゴの新芽も食べ尽くし、ネズミもミミズもいない。餓死で死ぬなら生まれた家で死のうと南下をする。米軍の捕虜になった。渡野喜屋に降ろされた。米軍は食糧を与えた。皇軍敗残兵は山から見ていた。1945年5月12日夜3時、皇軍敗残兵は手りゅう弾を投げて住民約40人を殺し、イモクズまで全て消えていた。
 (大西照雄『仲村梁仁王虐殺の碑を訪ねて』もしくは『空白の沖縄戦』(森繁多)、殺した「共同正犯」の森繁多は東京上野高校校長歴任、実行犯東郷少尉は鹿児島で高校体育教師で終わる。
 
 この高江で「死ぬ気で」の挑発と現場の現実を目にする。
これは、日米共同作戦である。米軍はどう動いたか。
 (続きー米軍ヘリはどのように動いたか)

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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