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今日から北海道

今日から北海道
 「宝の海」は3月31日まで休みます。

  4月25日(日)沖縄県民大会
  5月26日(日)普天間基地包囲「人間の鎖」
 あなたの街で沖縄と連帯する「人間の鎖」を
  今、求められる「5本の指」の行動
 さまざまな個人・団体が一致点で実行委員会を作り共同した闘いが、日米政府に大きな脅威になると思います。共同こそ沖縄が全国に望む、今日の最大の到達点です。
私の「宝の海」の写真使用してください。

北海道のみなさんへ
 3月28日(日)北海道道民大会で発言させていただきます。感謝します。
 3月27日(土)札幌で「普天間・辺野古」報告学習会でお話させていただきます。
 3月30日(火)苫小牧で「普天間・辺野古」報告します。

 テント村で話をする大西、北海道のみなさんよろしく。
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札幌での講演案内です。
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パワーポイント80枚を使い
  辺野古報告行います。
 08年、9条世界会議(幕張)の分科会「憲法と環境」で使用した資料をベースに、今日の安保に関する問題など提起したいと思います。


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 北海道と私
 平和の礎、沖縄に次いで北海道が犠牲者多いことが解ります。北海道は5度言っています。北海道国体、矢臼別集会、啄木歌碑めぐりなどです。下記の啄木の歌(明治41年7月)に沖縄の明星詩人・歌人の二人を「思いつかれぬ」のはだれか、仮説としてかってに想定しています。(佐々木信綱「心の花」7月号啄木の歌)
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 我が家の床の間
  平和の文化を暮らしの中から
 この写真を見て「大西さんが和服?」と少なくない人たちが笑います。
  35年、憲法9条、サンシンを飾っています。私の日々は憲法9条と沖縄文化の原点、平和の文化です。「日本刀」や槍ではありません。
 鳩山内閣は「移設探し」で、チョロチョロ動き回りますが、安保「がん細胞の転移」を深めるであろう。


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しんぶん「赤旗」日曜版(3月28日)
 全国紙「日米大本営」報道のなかで
 新聞「赤旗」が民衆の立場から「普天間問題」、全国的によくわかる。「移設探し」や核密約、COP10IN名古屋など多彩だ。特に、日曜版(3月28日)を勧める。


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普天間問題を見る目
 安保条約に切り込もう。
 普天間基地は閉鎖・全面返還、海兵隊は撤退が現実的解決である。グワムの先住民族チャモロ族も頑張っている。米政府は環境アセス、議会予算も難航し日本に予算求めてきている。
 民主連立政権は迷走しているのではなく「迷走のふり」をして、辺野古現行計画を本命にアメリカの求める日本総基地を実現する。負担平等論、訓練移転論を振りまいてくるであろう。これらがいかに危険な道か。
自公政権も、民主連立政権も対米追従、民主連立政権は「だまし」で、自公より悪く映る。
 植民地的グワムのチャモロ族の闘い凄いと思う。「独立国」日本国民情けない。チャモロ族同様、環境アセスで優位に、また、日米政府追い込みながら、「政治劇場」に弱い。「思いやり予算」をグワム協定同様、グワムに投入するのか。いい加減にしよう。
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全国の友へー日本列島「人間の鎖」を作りだそう

 沖縄、辺野古・高江に想いを寄せる
   全国の友へ


 鳩山内閣の涙ぐましい
  移設先探しの本音が見えてきた
 長期間、旅行していると「ボケて」しまうようだ。鳩山内閣の移設探し、ついに、普天間継続使用と訓練分散論にたどり着きSACOと同じ、ゲーツの普天間居座り、鳩山も言い出し、アメリカ現行計画強行になってきた。鳩山城陥落近い。移設探しは下手な芝居、踊る政党、踊らされた政党、責任重い。
 全国紙だけ読んでいると「抑止力」論で国民を操っている感じがする。嘉手納統合プラス陸上案なるものは2012年問題に直面することを知らない非現実的発想である。
 道はただ一つ。普天間閉鎖・全面返還。
 自公はSACOで条件付きながら普天間返還、再編成では嘉手納以南返還打ち出した。社民党含む連立政権が「普天間継続使用」を、口にするとは自公政権より悪い。
 鳩山政権は、醜いほどアメリカに屈服する
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(旅から帰り、辺野古テント村へ24日 若者たちから送られた寄せ書き)

 全国への訴え
  日本列島に「人間の鎖」を
  4月25日(日)沖縄県民大会
  5月16日(日)普天間包囲「人間の鎖」

今、沖縄は「普天間閉鎖・全面返還、沖縄に新基地いらない」で島ぐるみの闘いを構築し始めた。
 旅をしながら、少なくない人たちから「沖縄に行く」と激励を受けた。私は言った。北から南まで自分の街で「沖縄連鎖行動」を生みだしてほしい。私は知っている。辺野古テント村に連帯して愚直に絶やさず各地の駅で行動している人々がいることを。どんなに力ら強いことか。私は知っている。都会の駅の冷たいビラ配りに温かい手を差し伸べる市民が増えていることを。
 私らは沖縄で頑張る。岩国、横田、横須賀の駅、街を「人間の鎖」で、手をつなごうではないか。沖縄と同じ時刻に日本全国の街に、今、日本に必要なことではないか。
 ある講演で、私のブログの写真を部屋一杯展示した人がいた。うれしかった。
 私たちは、基地の前で無言に座り始めた。一人で立つ勇気が市民的勇気に発展し、国民的勇気を生みだす。
 いくつかの都道府県で連鎖集会あるようです。私は求めたい「1日共闘」で、一致点での行動が生み出せないだろうか。沖縄を共有すること「5本の指」の思想が、日本の運動に求められる。


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(二見入口に新しい看板立てました)



歴史が動くー防衛局も2012年問題で動き出した

旅から帰る 
23日、旅から帰った。26日から北海道の旅、1集会、2講演が入っている。
 ビラが1枚入っていた。
 1955年9月8日、北京で開催阿されていた世界女性会議に参加した女性たちが、帰沖とともに、少女暴行事件に抗議行動を開始した。闘いの導火線になった。明日、日記で見たい。
歴史が動く、防衛局も動く。


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(続きー旅日記)

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「日本列島ぐるみの闘い」を

東京下町歩きます
 ちひろ美術館を見たいと思っています。24日まで「宝の海」休みます。
 そのために13日から「辺野古テント村」初期を掲載しました。
 過去を学ぶこと大切と思っています。
 私は「銃剣とブルドーザー」から「島ぐるみの闘い」の学習の旅です。

 
  5月16日「普天間包囲人間の鎖」です。全国的に沖縄と連帯する「日本列島ぐるみの闘い」を呼びかけます。

 3月26日から北海道です。

2000年平和発信アピ
 ちゅら海に基地はいらない
 わしらは人柱になっても
 新しい基地は作らせない。

 我らは
 武器を楽器へ 心に「花」をと
 平和の歌を歌い辺野古の浜に集う
  2000年の暁の陽光が
  我らの頬を紅く染め始める今、
  水平線に浮かぶ雲は7色に変化し
  ニライの海から真っ赤に輝くテイーダは
  我らの確信に満ちた心を一つに
ラグーン(イノー)の海の
ジャンヌの林
腹一杯朝食を摂ったジュゴンの親子が
テイーダ輝く大海原に
安らぎを求めて泳ぎ行く
辺野古の豊かなラグーン
干瀬のサンゴの森
タツノオトシゴの親子が
わしらの干支の年に
棲みかを奪うなと身を寄せ合う
熱帯魚も
今眠りから覚めて
タツノオトシゴの回りに群れて舞う
  海の生き物の命の場所イノー
  地球の生命の故郷母なる海

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(2010年1月1日)

我らの2000年の元日
命(ぬち)ど宝、島の文化を歌い続け
心と心の絆を深めた
戦争屋と死の商人どもが
母なる海の生命を奪わんとした1999年
人柱になっても
ちゅら海 ちゅら島守ると闘う
オジー・オバーたちの指し示す道
それは自然と人間が共生する21世紀
世界の潮流
 21世紀を告げる2000年の夜明け
 平和の礎(イシジ)でともされた灯は
 瀬嵩の浜に燃え
サバニ漕ぐ若き漁師の櫂で
闇の海に浮かぶ長島
辺野古の松田浜に
火柱となって燃える
二見坂を越える松明は
熱く燃える連帯のたすき
2000年の元日
キャンプ・シュワブは
平和の炎の火で
包囲された
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 (2010年1月25日、稲嶺進む勝利を祝福する陽光)
 我らは2000年の出発の火
 美ら海の水平線に輝く
 暁のテイーダに誓う
 美ら海、美ら島に基地をつくらさない
ジュゴンよ
ともに生きよう
平和こそ我らが豊かに生きる道
勇気は歴史を切り開く力
我らは 高らかに
辺野古のちゅら海に基地はいらないと
世界に発信する
辺野古の海に輝く導き太陽よ
勝利は
我らの頭上に
 2000年暁の辺野古浜集会
  ヘリ基地反対協協議会
   大西 照雄(作、朗読)
ール

3月後半は県外ー辺野古初期の紹介

 沖縄を留守に
  3月後半はほとんど県外

 ヘリ基地反対協議会安次富浩代表はじめ、少なくない方々が県外へ出ている。
 私も私的要件含めて、3月はほとんど県外となる。ブログ1週間休みます。
 3月13日から辺野古の初期の闘いの記録を掲載しました。
 普天間・辺野古問題、現在の状況について多くの問題があって、辺野古13年の歴史、沖縄の代表のみなさん触れる機会がないと思います。
 辺野古現場の責任者の一人として、過去の歴史を書きとめました。長い文章ですが、これからの闘いの参考になると思います。

移設先探しの陽動作戦、マスメディアを駆り出して垂れ流されるであろう。
見る目は。
 「宜野湾にいらないものはどこにもいらない」
 「普天間即時閉鎖、全面返還」
 アジア。太平洋は「紛争の平和的解決」の流れ
 安保条約を日米平和友好条約へ

5月16日(日}普天間包囲「人間の鎖」
   全国的に連帯行動の「人間の鎖」を呼びかけます。


( 続きー「第4の権力」との闘いの始まりー日経新聞と我が家の「床の間」)

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移設論、過去・現在ー勝山シークワーサー花の香りイベント

3月18日(金)ジャンプシュワブ座り込み
  第1ゲート 朝7時30から8:30
  あわてないで、周りをよく見て行動


過去・現在・明日につなげるために
辺野古の闘いの歴史(4)
 負けても、負けても、権力に勝つために

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(庭のツツジ満開です)
シークワサーの花の香り充満 
名護市勝山ー21日~23日イベントあり
 本部伊豆味
 大宜見村上原・キンナー


 (続きーあの小泉にー軍民共用空港から米軍再編成前夜)

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辺野古初期の闘いー過去・現在・明日につなげる

18日から旅に出ます
 辺野古の闘い初期ー13日から掲載
  過去から現在・未来を

 
自民党谷垣総裁が沖縄に来て、普天間・辺野古問題民主党が「メチャメチャにした」など言いたい放題。自公の13年の「ロードマップ」に要因があり、県民の知恵が「めちゃめちゃ」にした。民主党は「国外・県外」移転と利用しただけ。
 「日米合意」重いなど、自公・民主の外交音痴が縺れに縺れているのだ。政治利用いい加減にしろ。

  辺野古と環境アセスメント(歴史地理教育05・5月号掲載)
   教室からテント村の授業へ
        ヘリ基地反対協議会代表委員 大西 照雄
はじめに
 昨年12月スマトラ沖地震による大津波被害拡大は、マングローブ・サンゴ破壊、無秩序なリゾート開発も起因していると言われている。地球を人間の独占物とする驕りに、自然の逆襲が日本を含めて地球規模で起こっている。
 辺野古では海上基地反対、違法なボーリング調査を許さない座り込み(300日余、2月12日)、4月余の海上での阻止闘争が続いている。海上に設置された単管ボーリング櫓から稀少生物の宝庫ヤンバルの森が連なり、ウミガメ、ジュゴンの棲む生物多様性に満ちた太平洋、果てしなく広がるラグーン(イノー)とサンゴ礁の白波が映え7色に変化、空には虹が浮かぶ。この小論は単管櫓で書いている。
1、 授業実践を社会と言う学校で
私は、昨年3月末、生徒への定年挨拶で「38年間、国民の税金で生活多くの学びの蓄積を得た。第二の人生は自由人として社会と言う学校で国民へ還元する道を歩む、基地問題で稲嶺知事、岸本市長に勝つ人生」に向うなどと述べた。
4月19日以来、辺野古の漁港前にテント村を設営、ボーリング調査を阻止する闘いの責任者として、テント村で「授業」を行う。
21世紀を担う生徒たちに、社会科教師として重視してきた21世紀の人類の課題を次の二つに絞ってきたが、辺野古の現実である。
1)「平和の文化」を築く21世紀、1999年9月国連総会は「平和の文化宣言」と行動計画を採択した。暴力の世紀から非暴力の時代へ、戦争の世紀から平和的解決の時代へと文化概念に平和の文化を加えた。今年は「平和10原則」を確立したバンドン会議50周年の年に当たる。現代社会平和の文化の授業は、ガンジーの非暴力、平和五原則、アジアアフリカの台頭、沖縄の武器なき闘い、阿波根昌鴻の非暴力主義、瀬長亀次郎の不屈の抵抗、仲宗根政善の絶対平和主義などの生き方は「平和の文化宣言」に吸収され、21世紀の人類の目指す方向を示す。ブッシュの戦争は平和の文化確立の過度期で20世紀的遺物である。
だとすると、辺野古の闘いは完全非暴力出なければならず。テント村には故阿波根昌鴻翁の写真を掲げ、海上での闘いもカヌーを主力とした非暴力を貫いている。
2)地球環境保全の21世紀、1972年は沖縄返還の年、世界的には「人間環境宣言」で「地球にやさしく」の合言葉が生まれ、ワシントン条約、ラムサール条約、世界遺産条約と人類は地球環境保全の施策積み重ね、1992年「地球サミット」を迎える。
世界8千NGOは「地球憲章」を結実させ、「生物多様性保全条約」などなどの地球環境保全の課題は、地球の。
辺野古のテント村「学校」隅々での実践課題となったの授業は、辺野古の海上基地建設問題に現れる21世紀の潮流を地域の具体的事実行でう。
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2 宝の海と海上基地
 キャンプシュワーブの海兵隊はイラクのファルージャで虐殺の主力部隊である。この基地及び辺野古弾薬庫の提供水域に普天間基地の機能を移設、艦船も停泊できる護岸が建設されると、アジアの脅威となる危険基地が出きる。ここでは、地球環境問題との関連に絞ってのべる。
辺野古海域を含む沖縄東海岸海域は沖縄県が厳正に保全すべきAランクに指定されている。太平洋に面し南北に広がるサンゴ礁とラグーンは日本の湿地500の一つで、初夏から夏アジサシの群れが島々で産卵する。
大浦川には熱帯のマングローブ群落、湿地を形成、大浦湾にはユビエダサンゴの群落、ハマサンゴなどが白化現象を免れ、日本に棲息するクマノミ6種が観察できる。1998年、沖縄のサンゴは白化現象で壊滅的影響をうけ、回復は著しい。
名護市東海岸域は旧久志村で、『字誌』などには厳密な意味での漁業が存在しない。海は村落共同体の「海の牧場、畑」であり、命を育み子どもを育てる恵みの海であった。        沖縄の川には上海カニの仲間モズクカニが棲息、イノーとサンゴ礁で産卵し稚魚は川に遡上、陸と海の生態系循環が営まれる。嘉陽小学校ではウミガメの稚魚を育て放流する自然教育の実践が定着している。
イノーは希少種を含む海草の畑が広がり世界の保護動物ジュゴンの食べるアマモなどの海草の野原が豊かに広がり、野性のスヌイ(モズク)がとれ、品質のいい養殖スヌイの栽培が宜野座・金武漁協で盛んである。沖縄北部の照葉樹林の森は稀少生物の宝庫、熱帯的サンゴやマングローブの生育する湿地と一体をなし、生物が多様で豊か生態は貴重な日本の財産、その保全は日本の国際的責務である。
高校の教科書には地球環境保全、生物多様性条約、環境アセスメントなどの記述が少なくない。辺野古の海上基地建設は日本の環境政策、環境影響評価法(環境アセスメント法以下アセス法)の矛盾が集中的に凝縮されている問題でもある。
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3 環境問題としての辺野古海上基地
 普天間基地代替施設辺野古の海上基地は2600×730mにわたってイノーとサンゴ礁の埋め立てる軍民共用空港、建設の作業ヤードに大浦湾を30haさらに埋め立て、3haをケーソン式護岸の置き場に使用、中城湾の埋め立ても使用する。中城湾泡瀬干潟ではラムサール条約に登録する住民運動が起こっている。
 海上基地埋め立てはアセス法の対象で事業者である国に厳密なアセス法の適応が求められる。日本のアセス法は1997年制定、それ以前は閣議アセスといわれ、アセス法の普及版に環境省は『環境影響法のあらまし』、都道府県は『環境アセスメント』を作成、教室の授業などの入門書として適切である。ですが、辺野古の現場での実態は環境省の普及版などと遊離してすすめられている。
 アセス法は厳密な法手続きと国民への説明責任、参加を認めている。手続きは、大まかに①方法書、②アセスの実施(調査・予測・評価)③準備書(アセス結果の案)④評価書、⑤事業実施と3~4年を要する。方法書と準備書には誰でも意見を出すことができます。②アセスの実施は(A)環境の自然的構成要素の良好な状態の保持(大気環境、水環境、土壌環境など)、(B)生物の多様性の確保及び自然環境の体系的保全、(C)自然と人間との豊かなふれあい(景観、アメニティーなど)、(D)環境への負荷(廃棄物など)など多岐にわたる。
日本のアセス法は「ベスト追求型」といわれる事業アセス、「あわせメント」と揶揄される基本的性格を持つ。先進国のアセス法は「戦略的アセス」が常識で、代替案、ゼロ・オプション(中止)を含むものである。
 昨年4月28日(民族屈辱の日)、那覇防衛施設局は方法書を広告縦覧、コピーも認めない手法を行い内容は「欠陥商品」「欠陥設計図」と専門家の批判にさらされた。軍民共用基地が単なる埋め立て事業になり、機種、建築物など記載されず、書かれてない問題に環境破壊の実態が内包されている。
 アセス法には事前調査はかかれていない。那覇防衛施設局はアセス法に護岸項目がないことに着目、「護岸構造検討のための現地技調査」の姑息な違法行為で、アセス法の手続き回避を行ってきた。今、問題となっているボーリング調査である。
 これは明らかに違法行為であり、国民への説明責任もなく、環境省が「広く国民の理解を求める」という助言に反する。方法書に関する意見はすべての国民に与えられ、外国人も意見を述べる権利を持つ。ですが、事業者の防衛施設局は名護東海岸の行政機関にのみ説明、住民参加を拒否、マスコミの取材も拒否する。環境アセスも、方法書を4月28日(民族屈辱の日)に広告縦覧するなど、沖縄に対する政治的構造的差別の再生の姿があり、ジャーナリズも例外ではない。
 環境アセス法、前述の環境省及び県普及版では調査は「既存の資料」を優先し、自然環境に負荷を与えないことを原則とする。辺野古は1997年ヘリポートの20箇所のボーリング調査があり、63箇所の地質ボーリングは必要ない。
 ボーリング調査は国際的保護動物ジュゴン及びウミガメ追い出し作戦で、生物多様性に満ちた海域などの諸調査を回避する手法である。実際、本事業で重要な柱である地質調査は方法書に記載されないことが証明する。
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4、辺野古の闘い
違法なボーリング調査であっても手続きが必要である。防衛施設局は03年3月31日、沖縄県に「水産資源破許可願書」を提出、沖縄県は同日「安全保障上の問題」などと許可不要の裁量を行った。
海上基地建設は平和と環境問題が結合、環境アセスに入る段階で大切なことは環境団体、自然保護団体、平和・市民団体、学者および研究者を含めた個人参加をも含む学際的共同が求められる。
その過程のなかで環境法律家協会と共同、アメリカ文化財保護法で「ジュゴン訴訟」(自然の権利)をアメリカで提訴するとともに、「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」(略ジュゴン監視団)を9月23日結成、全国的に呼びかける。私には運動体であるヘリ基地反対協とジュゴン監視団の活動が加わるが、車の両輪である。ジュゴン監視団の理論及び情報と実践はヘリ基地反対協の理論と行動を豊かにする。
那覇防衛施設局は11月17日、沖縄県土木部河川課に「公共用財産使用協儀書」を提出、いわゆる、ボーリング調査の許可であり、期限は翌1月初旬。高校教師最後の年、ボーリング調査着手されたら闘いが始まると3ヶ月を残し退職せざるを得ない。那覇防衛施設局、沖縄県環境文化部、環境省、文化庁交渉を強化、4月9日まで引き伸ばす。
定年退職に入った4月19日、未明5時半、那覇防衛施設局は職員、業者を含めた約80人で辺野古漁港からボーリング調査を強行、同時に作業ヤードの建設を強行、烈しい攻防で中断、再び強行を試みた。その日以来300日にわたる座り込みを持続、テント村と称し、海上でのボーリング阻止闘争も5ヶ月になり、掘削を許していない。
テント村では毎日、ミーティングとテント村の歴史の講座、環境影響評価法とボーリング、参加者たちがさまざまな分野の講座が自主的に行われる。沖縄の武器なき闘いと完全非暴力の講座は徹底する。テント村は闘いの場、学習と教育の場でもある。現職の頃、生徒とともに学びあった地球及び地域環境や生態系学習、歴史・平和学習、文化学習が生きてくる。
昨年11月25日、バンコクで開催された国際自然保護連合(IUCN)総会は、日米両政府に対しヤンバルクイナ・ジュゴン保護の異例の再勧告、ボーリングをアセスに組み込み、ゼロ・オプションも視野に入れた勧告を採択、国際的関心を集めている。毎日、海上で船を操縦、単管櫓に体を縛り抵抗、積極的非暴力主義を模索している。
那覇防衛施設局は環境影響評価の前段から、これほどの抵抗を受けると予想しなかったであろう。この力は「杭一本うたせない」とがんばった「命を守る会」の8年余の歴史、学びあいの共有、愚直までの日々の行動の積み重ね、それが世論形成豊かにし、日米政府を追い込んでいる。この原稿が掲載される頃には新しい展望をきり開いているかも知れない。(沖縄県歴史教育者協議会会員、05年2月6日記)

現在・過去・明日の展望ー04年8月31日日記

辺野古浜集会(その2)
 稲嶺進新市長激励
 「海上にも陸上にも基地は作らしません」
   挨拶する稲嶺進市長

島ぐるみ闘争に発展も、稲嶺市長が陸上案批判
読売新聞 03月13日20時49分

 沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で、同県名護市の稲嶺進市長(64)は13日、政府が有力視する米軍キャンプ・シュワブ(名護市など)陸上部への移設案について、「基地の中なら何でもできると言わんばかりで、絶対に許してはいけない。このままでは(県議会が計画している)県民大会だけでなく、島ぐるみ闘争に発展せざるを得ない」と批判した。

 この日、同案に反対する集会が同市辺野古で開かれ、主催者によると、稲嶺市長は地元住民ら約200人を前に訴えたという。

 稲嶺市長は1月の市長選で、辺野古沿岸部に移設する現行計画に反対して当選した。今月8日の市議会本会議では「辺野古の海はもとより、陸上にも新たな基地を造らせないという信念を貫く」との施政方針演説を行い、シュワブ陸上部案に反対する考えを示している。

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勝利に向けて頑張ろう
 4月には超党派県民大会予定
 5月に普天間人間の鎖基地包囲
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 昼食が出来上がりました。
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山羊の刺身も出来上がりました。
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高江・辺野古の娘たちがフラダンス踊りました。
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浜に座って昼食満喫です。「家族団欒」です。
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木陰求めて親子で
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辺野古浜集会ーおよび100日日記

辺野古浜集会
 稲嶺市長激励集会(その1)

13日晴れました。ヘリ基地反対協行事、今年も天気に恵まれています。300人が集まりました。辺野古の節目、節目の集会を写真で見ます。
<続き>では、私の日々の日記から、初期の辺野古の闘いを歴史で学びましょう。
 3月後半は、県外での集会、学習会、過去・現在・明日を展望するために。
私は、当時の戦略、戦術は、基本的に間違っていなかったと確信します。

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 嘉陽オジーの元気な挨拶です。くじける時、オジーの一つ一つの言葉で、苦境を乗り越えてきました。
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 稲嶺進市長とヘリ基地反対協代表委員安次富浩、大西です
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 名護市長選挙、全国から送られた檄、寄せ書きをシュワブ有刺鉄線に縛りつけました。海岸線色鮮やかです。沖縄平和委員会大久保事務局長、大西です。
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<続き>
 SACO(1996年)から「軍民共用空港」までの記録「100日日記」(1)を掲載素ます。辺野古の闘いの足跡から現在を考える。

続きを読む

辺野古市長選挙勝利、市長激励ー辺野古浜集会

 節目、節目の辺野古浜集会
 今日は
  名護市長選挙勝利、名護市長激励
   3月13日(土)11時

   辺野古浜
  イノシシ獲りました。今回は牡丹鍋です。
 500日は魚のお汁、1000日も魚釣りお汁鍋、2000日はイセエビでした。やんばる・高江との連帯を求めてイノシシにしました。さまざま持ちよって居ます。


 人間と猪との闘いの歴史。
名護湾。塩屋湾は天まで畑でした。塩屋湾から大宜見村を取り巻く猪垣(沖縄の万里の長城)御存じですか。カルスト台地の農業生産とイノシシの闘いの歴史遺産です。国頭村では竹垣と落とし穴が山から谷へと連なります。数100年のイノシシと人間の知恵比べ、今も続いています。
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(3月12日 車庫で軽トラックの上で仕込み油は取り除きます。一人で持てませんので知恵をしぼりました)

普天間・辺野古・高江の闘い
全国的闘いに発展させるために
 3月・4月は重要になってきた。私の元に他府県の青年から次のような質問が寄せられてきた。
●「ニュースでは移転が前提となっておりどうしたら解決できるのかわからない」
●米軍によるレイプがなぜ無くならないか
●抑止力問題をどのように乗り越えたらいいか
●基地に依存した経済を乗り越えるにはどうしたらいいか
などなどです。
 私の体は爆弾を抱えていますが「未来の権利者たる青年」(啄木)が、明日に目を向けている今に。応えるため<ヤーグマイ>(家に籠る)から全国への旅をしようと思っている。3月の後半はほとんど旅である。北海道も入っている。パワーポイントもほぼ完成した。
 沖縄の今を学ぶ総合的、基本的な書として『沖縄論』(岩波書店)を勧める。


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(12日、沖縄タイムス、鳩山とルース大使の会談、日米合意ありき)
移設探し、やはり鳩山の芝居か
 踊る下地幹郎議員
  踊らされた社民党か
昨日、「陸上案」に具体的に言及、現行計画に戻ると書いた。鳩山首相は、昨年12月15日ルース大使に「日米合意に戻したい」と告げたようだ。12月15日は「5月先送り」決めた日、よく大手新聞が日米合意で社説書きなぐった日である。大使との会談は首脳会談に匹敵することであり、キャンベルなどと外交上大きな違いがある。鳩山劇場に全体が踊らされている。愚弄とはこんな時に使うのであろう。軍用地地主、名護市の野党が海に同意しなかったことの意味が理解できる。
 昨日の私の考察を証明する。アメリカは辺野古弾薬庫、軍港が絶対に欲しいのだ。「地政学的優位」はそのことであろう。
米軍と自衛隊共同使用。

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(辺野古「核」弾薬庫―金曜座り込み7:00)

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 (キャンプシュワブ金曜座り込み7:00。35人参加。)
 辺野古のオジー・オバー毎回参加、

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 (ポチも座りこみです)

辺野古陸上案と2012年問題ー信仰の山ー果たして・・・・・・。

ヘリ基地反対協議会からのお知らせ
1、 キャンプシュワブ早朝座り込み金曜行動
 3月12日(金)朝7:30~8:30
 第一ゲート前
2、 名護市長激励辺野古集会
 3月13日(土)朝11時
 ヘリ基地反対協恒例昼食は500円
  私はイノシシ捕りましたので「牡丹鍋」で歓迎します。
 泡瀬干潟「美味しんぼう」に載ったようだ。辺野古の味は、やんばるのイノシシで。



2010年問題から
 2012年問題で見る移設探し論
 07年、自公政府はV字の環境アセスメントに着手。ロードマップ(工程表)の2014年完成を逆算しての計画であり、2010年の着工を目指した。日米同盟の「鍵」と位置付け、基礎である。環境アセスメントで狂いが生じれば縺れる。
私は平和委員会に属する。全国大会、日本平和大会などで「2010年までが最大の山場、県内・国内および国際的にも面白い年になる」と言い、平和・環境・市民団体の共同が大事な時代を迎える。2010年問題である。2010年を平和と環境問題が前進するには、そのためには、節目があり、段階がある。平和団体も環境アセスメントに全力を挙げること、方法書では弱かったが、準備書では大きく広がった。日米合意のロードマップは崩れた。
そして、2010年の幕開けは、名護市長選挙の勝利である。
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 (1997年 市民投票、防衛省ビラ)
「よくもマー」
 陸上案まで来たものだ
移設探し国民新党案「陸上案」、下地は2012年問題(基地の20年使用切れる。再契約)を想定していると思う。だから、下地は辺野古の軍用地主を引き連れて防衛省に要請させ、この日の新聞記事に沖縄土地連が「10年使用」を要請している。名護市議会の自公がなぜ「海」を決議に加えなかったか。最終的に現行計画に戻ると読んでいる。
民主連立政権、下地議員(建設業)、辺野古(基地誘致派)に利益の一致があるのが現行計画である。
 現行計画の評価書、今年度中でないようだから封印していた2012年問題を出した。辺野古陸上と嘉手納連動は、より環境アセスの厳密さに、2012年問題にも直面、軍用地主の思惑(土地代値上げ含む)、自治体の抵抗など、情勢によっては「同時多発多種抵抗」に発展する可能性を秘めている。鳩山内閣は大きな抵抗覚悟の上であろうか。
アメリかで「地勢的優位論」が全面に出てきたようだ。
 信仰の山は・・・・・・・。
日本の政治家、評論家は2012年問題を承知の上で普天間辺野古問題を見ているであろうか。特に、北沢・平野は認識しているか。
 認識して、下地も政府も、国会議員も 評論家も、言いたい放題、だとすると、極めて、沖縄認識幼稚である。
 戦略なき普天間である。
 まさに、阿波根昌鴻の「非理法権天」の極みである。


ある雑誌に辺野古13年をメモした。
(続きー辺野古小史)

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ローレンス元国防相次官補ー海兵隊撤退「恫喝」歓迎する

 これでもか これでもか
  辺野古押し付ける
 庭にツツジの花が満杯に咲いた。ミカン(タンカン)の花も紅の中に映える。ワシリビーサが沖縄を襲って寒い。平野長官が名護市議会全会一致の陸上案反対決議に「決議を超える選択」と「斟酌」に次いで民主主義否定の発言をしている。
 夏の花が咲き乱れる沖縄は美しい、移設先探しの満開は醜い。辺野古しかないとする政府とマスコミ報道は時代閉塞を醸し出そうとしている。

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 (ワシリビーサ(最後の寒さ、庭にツツジ、ミカンの花が満開)

 友人から手紙に亀次郎獄中日記の一部が添えてあった。
 「苦しい時はよく方向を見失う。突然暗がりに投げ込まれるとその瞬間何も見えなくなるようであるが、しばらく、じっと腰を据えておれば、次第に心眼は開かれる。必ず、突破口は見つけることが出来る。」
    1954年11月21日「獄中日記」より
現在の「時代閉塞」状況は、99年から05年9月の明日が見えなかった「時代閉塞」とは絶対異なり、明日が見える中での動きと言っていいだろう。

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 (ワシリビーサ、テント村炭を灯して8日) 

まず、海兵隊撤退こそ
  対等平等な日米関係の始まり
ー知日派ローレンス「海兵隊撤退」の脅し

 沖縄タイムス社説「辺野古現行案断念―県内に逆戻りさせるな」(2月5日)に、V字現行計画にかかわったローレンス元米国国防副次官は現行案以外の選択したら、と、次のように述べている。
 「米国は海兵隊の撤退を考える可能性もある」
 海兵隊抑止力論に立っている政府、政党、マスメディアに対するゲーツ流恫喝であろうが、一貫して海兵隊不要論、撤退論を唱え、民間外交で国防省、国務省、議会などのスタッフに要請(1996年9月『愚直』に報告掲載)して来た者には、どうぞ、海兵隊撤退してくださいともろ手を挙げて歓迎だ。
 ベトナム戦争以来、海兵隊は侵略の軍隊である。しかも、日本ミリタリストの「雇い兵」的存在で、日本の「思いやり予算」を凍結すれば日本に駐留出来ない「パンと銃」のみの乞食的軍団でる。
  軍民共用空港から
   日米合意―V字のいわゆる再編成
 軍民共用空港頓挫させた。(05年9月)、「日米同盟の変革と未来」(05年10月末)「ボードマップ(06年6月)で、また、辺野古に「闇」のように見えた。お金は雨のように降り続けている。
 亀次郎が言うように「腰を据えて、心眼を開く」と日米政府の弱点、「辺野古は日米同盟の鍵」、ロードマップ自らが崩壊する姿が見えてきた。
 「愚直」と「不屈」の精神で現場は共同する。
 昨年秋から冬、普天間・辺野古問題の流行語は「日米合意重い」「日米同盟基軸・深化」「地政学的優位」であった。
 日米合意はすでに飛んでしまった。今、持ち出されているのが「海兵隊抑止力」であるが、ローレンスの発言のように「撤退」をアメリカ自身が言いだしている。皮肉な現実である。
 自然や人間に対する畏敬もない秘密と民主主義否定の日米合意は、結んでも、結んでも軽く自ら飛んでゆく。「陸上案」など、首脳会談声明、日米条約にするつもりか。
 SACOは合同委員会、V字は2プラス2、グワム協定は片面行政協定(米批准なし)、ふざけた、日米関係ではないか。
 グワムでもアセス進まず、グァム協定? に、なり始めていないか。植民地的環境アセスは沖縄でもグワムでも破綻する。
 「核抑止力」のさまざまな密約も暴露され始めた。国民の力が政府を追い詰めた。
 アジア・太平洋に「抑止力」は、そもそも必要か。
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 (10日、沖縄タイムス、琉球新報)

(続きーお知らせ)

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過去を学び・現在と未来にー島ぐるみの闘いの今に

伊江小学校6年演劇「沖縄の太陽」(2)
<沖縄を返せ>を歌って
 伊江島問題の広がり表現


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島ぐるみの闘いへ
 1956年6月・7月
 毎日新聞「黒田さんのまいた小さな種は沖縄の人たちの心に力強さを植え付けた」
 黒田さんが訪問した各高校で「高校生の島ぐるみの闘い」が起こった。立ちあがった高校生1万5000人。『沖縄の太陽物語』より


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沖縄の太陽を讃える歌と踊り
 沖縄の太陽<テイーダ> 沖縄照りわたす
 大和太陽がなし 照りわたち たぼり
 御太陽がなし
  阿波根昌鴻『米軍と農民』(岩波新書)から  
 説明 ①テイーダ(テダ)は慈悲に満ちた導きの神
     ②琉球王国の王をウフガナシと呼ぶ、ガナシは尊厳を意味する。


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1956年1月の踊り
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 明日に向かってー終幕
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 沖縄の太陽劇を観て
   菊川操子

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 1956年1月、那覇伊江島陳情座り込み小屋前で
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1955年、中学生が描いた「銃剣とブルドーザー」
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(続きー移設探し)

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伊江小学校6年生演劇「沖縄の太陽」

辺野古から
 6日、7日、伊江島、8日は辺野古テント村担当。今日は県民集会。休みたい。
 普天間・辺野古問題、名護市議会の決議、沖縄県議会の要請行動、平野官房長官の無責任発言、国民新党、社民党の「移設先探し」など、メディアは伝える。
 見る基本は「宜野湾にいらないものは名護にも、日本のどこにもいらない」「普天間閉鎖・即返還」である。SACOで親切に実弾演習受け入れた矢臼別、東富士、大分で何が起こり、普天間への外来機の飛来で被害は過去最高にきている。
 普天間のヘリはアフガンへ、今日の辺野古朝から銃声止まず。新兵が新たに来たのであろう。つまり、海兵隊は移動性で定員はないのだ。グワムに移転の嘘は辺野古から見える。移転するのになぜ兵舎、住宅作るの? あなたの県が受け入れても沖縄の海兵隊、負担軽減にならないのだ。

沖縄の闘いの原点を見よう
 小学生演劇「沖縄の太陽」
 

伊江島の小学校生6年生がが「沖縄の太陽」演劇にして上演、昨年秋に続き2年連続の公演である。今年は沖縄の太陽一家を招待しての上演。1955・56年の写真を交えて紹介したいが、原稿も重なってゆとりがない。拙著『沖縄の太陽物語』原作

 
小学生演劇「沖縄の太陽」(1)
 リンゴの唄が流れプロローグで幕が開く


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1955年1月13日、伊江島を「銃剣とブルドーザー」が襲う。孤立無援のなかであった。
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1月23日、黒田操子からの手紙を届ける阿波根昌鴻102.jpg

演劇を見る黒田(現菊川)操子・和子姉妹、最後列息子順平

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 沖縄の太陽ー私にできることはと悩む36.fc2.com/t/e/r/teruo024/105.jpg" alt="105.jpg" border="0" width="400" height="267" />
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 1956年正月、伊江島に迎えられる黒田操子108.jpg

(続きー演劇「沖縄の太陽」1)

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お帰りなさいー沖縄の太陽

沖縄の太陽
 1955年3月11日、米軍は銃剣とブルドーザーで伊江島真謝を襲った。 同年1月13日、アメリカの人権団体から沖縄の米軍の野蛮な行為を告発する手紙が届き「朝日報道」と言われている。
 この記事に心を動かされ伊江島と伊佐浜、そして、沖縄の青年を励ました女子高校生がいた。沖縄の天使ともいわれた。伊江島タッチューに「沖縄の太陽」碑が建つ、1955年1月1日である。
 この沖縄の太陽碑に込められた少女の愛と沖縄の青年群像を描いたのが「『沖縄の太陽』物語」である。(1995年7月)


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(15年前に書いた「沖縄の太陽物語」)

 伊江・伊佐浜の闘いは
  沖縄の抵抗の発火点・導火線
「銃剣とブルドーザー」「島ぐるみの闘い」の1955年、56年、沖縄の青春の心と沖縄の運動に大きな影響を与えたのは黒田操子(現菊川)の数々の行為であった。
 伊江島「わび合いの里」では毎年、5月に阿波根昌鴻偲ぶ会が行われる。今年は、伊江小学校6年生が「沖縄の太陽」を芝居にするという。
 黒田さんが家に招かれているので、私も6年ぶりに同行することになった。6日11時カーフェリー城山に乗った。伊江港では小学校生たちがエイサーで迎えてくれた。



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 (フエリー城山から、 歓迎のエイサー)
 城山にて
左が菊川操子、右黒田和子(妹)エイサーを背景に撮りました。


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 伊江小学校の子どもたちと記念に撮りました。


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 芝居が終わって
   55年前 18歳を語る菊川操子
 「宝の海」で沖縄の歴史を語ること少なくありません。1956年までの沖縄の戦後、在京新聞の沖縄報道、1954年14記事、1955年94記事、1956年501記事である。今日の沖縄報道(内容に問題あるけれども)と比較してみてください。特に、1955年は黒田操子と関係して沖縄報道が進み、1956年の「島ぐるみの闘い」によって、大手新聞の沖縄報道は増える。「本土留学」「本土集団就職」で沖縄の青年たちが「異邦人」として受けた無知な屈辱は、体から消えることはないであろう。
 黒田操子の好意に「大和の心」を見た。
 子どもたちの芝居は原作以上の出来栄えで会場は涙の洪水であった。明日は芝居の場面を紹介します。
 人の痛みに共感し、具体的に行動にあらわす原点は日光疎開でのいじめであった。いじめられている伊江島・沖縄への一人の少女の行為をさらに受け止めて支える人々の純な行為。菊川操子は淡々と語った。現在、72歳、老いても同世代の老人介護の日々の活動で、伊江から、沖縄のどこも寄らずに東京東村山市に戻った。多くの老人たちが菊川操子を待っている。


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  (芝居が終わって 18歳の青春を語る菊川操子)
「お帰りなさい」の込められた
   伊江・真謝の心
 芝居が終わって、伊江教育委員会・真謝の人々が交流夕食会を模様してくれた。二男順平夫婦も駆けつけてくれた。芝居をした子どもたちも来てくれた。55年前、真謝の公民館で黒田操子を迎えた1955年、1月1日の夜の歌や踊りを披露して再現してくれた。
 後ろ右から2番目の方は当時小学校2年生、私の「沖縄の太陽」にはp137の写真に出て来る。操子さんは「初恋の人」と言いてみんなを笑わし、操子さんの手を離さなかったようだ、離すと希望が逃げていくようであったと、涙がジーンときた。今、修学旅行の民泊をしているようで、原点は「沖縄の太陽」との出会いで、社会への一つの奉仕だという。
 横断幕の「お帰りなさい」に込められた意味に、伊江島の人たちの寄せる心が解る。


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  (交流会終わって)
 太陽の心を
  子どもたちが受け継ぎー
 脚本を書き、全ての企画をしてくださった内間常喜(伊江村教育委員会生涯学習課長補佐)は次のように述べた。
 「伊江の子どもたちは、15になると島を離れる(高校進学)。この芝居をすることによって人間としての大切な心、そして逆境の立った時、伊江のシンボルタッチュウーのを思い出し、生きる力を呼び覚ますであろう。」と語った。
 菊川操子も年を老い、私も辺野古の新しい展開と体に爆弾を抱え、最後の伊江訪問かもしれない。
 伊江島を去る。車のワイパーにハンカチを結んでワイパーがいつまでも手を振っていた。


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 (伊江24時間を終わって)
(『語り継ぐ戦中・戦後Ⅱ』(労働旬社 歴史教育者協議会)「伊江島に建つ沖縄の太陽碑」収録

伊江島ー報告は明日

伊江島に行きます。
 日記書けません。
 昨晩は、沖縄の天使、沖縄の友、沖縄の太陽とった得られた黒田(菊川)操子姉妹と夕食をしました。今日は伊江島に行きます。報告は明日ですが、老いても同世代の痴ほう症の介護をボランティアで行っている。
 伊江島タッチュー登るとき、「沖縄の太陽」碑ぜひ見てください。詫び合いのの里の「平和資料館」で、私の「沖縄の太陽」読んでくだされば、と、思っています。

断念報道ー新たな砦に

新しい局面?新たな闘いの出発になるか
 歴史の皮肉
  SACOの亡霊(2)
 
「アメリカでもSACOに関わった「知日派」が蠢き、沖縄でもSACOに関わった人たちが老体にムチ打って登場か。いい加減にしてくれと言いたい。前を向いて歩きたいが、やはり、過去が、最近よみがえってくる。
 過去に死んだ「移設先」が亡霊となって、現実を見る目をゆがめている。SACO当時より「沖縄の心」は亡霊におびえる時代ではない。
 私も年か。それゆえに、記録しておく。
 4月4日ブログに二人の「大田」を書きSACOの亡霊と書いた。
  大田範雄(昨日は俊雄と書いた)が新聞に登場し、政府と動いている
  大田昌秀は「陸上案」になお連ね、海上現計画断念のなかどう説明する。嘉手納や中城湾に知事として反対に先頭  になり、辺野古計画に「名護市の問題」と口を閉ざし、いまだに辺野古に顔を出せない。歴史は皮肉なものだ。
 「日米合意は重いものでなく軽く自ら崩壊するたとえの典型ではありませんか。新日米合意をまた結び、日米合意重いなんて、政府もジャーナリズム、評論家も、
 SACO以来、日本の外交の世界認識、沖縄認識全然変わってないのは、顔ぶれでもわかる。
 具志堅徹が「歴史を学ばざる民族は滅ぶ」と口癖のように言う。
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 歴史に学べ
   ハマり込んで来た政府
 ヘリ基地反対協は、軍民共用空港の闘い戦術でも長い学習と準備出迎えた。陸上案や新しい情勢に応じてキャンプ座り込み計画を立て、今日はその1回目、雨の中行われた。
 合わせるように今日の新聞報道である。
 「移設先探し」論、策謀も崩壊した証し、「閉鎖・撤去」でいいのだ。

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 嘉陽のオジーから学ぶものとは
  だじなときに行動する優れた判断力
 雨の中、嘉陽のオジーたちが駆け付けた。よく、辺野古のおじー・おばー~学ぶという。大事なことへの判断・決断・行動であろう。このみずみずしい感性である。やがて、この座り込みは新たな砦になろう。


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 3月5日は2回の発信となった。新たな闘いへの1歩になるであろう。政府は「死ぬ気でかかってこい」と言っている

ヘリ基地反対協お知らせ、「移設論」「沖縄自立的」社会科教育論など

おしらせ
 ヘリ基地反対協早朝キャンプ・シュワブ前座り込み
 「名護市に陸上にも海上にも基地はいらない」無言座り込み
3月5日(金)AM7:30~8:30 (毎週金)
 県内移設に反対する緊急県民集会
   3月9日(火)6時
   那覇市県民広場
   主催 県民会議
稲嶺市長激励辺野古浜集会
   3月13日(土)11時~
   「臨時食堂」あり、私はイノシシ取りました牡丹鍋出来そうです。反対協テント村集会恒例、それぞれがナベ持ち寄り、海の幸、山の幸を楽しむことでもある。
 高江裁判
   3月19日(金)10時 那覇地裁
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(私の家にもツツジが咲きだしました。東村桜祭りー高江のテント村にも寄ってください3月4日)

 「移設探し」は政治道徳の退廃へ
   行きつくところは沖縄分断―辺野古ありき
 下地と国民新党が嘉手納統合案プラス辺野古などSACO焼き直し、社民党が国外県外分散移転、民主党・自公は高見の見物の構図が見える。
 SACOの頃、沖縄「カワイソウ」論があった。沖縄には「カワイソウ」とい言葉はない「チムグルサン」という言葉はある。沖縄の運動を発展させているのは「チム」と「ククル」の共有(立命館土曜講座『憲法・安保・沖縄』ブックレット1号1996年)であり、「カワイソウ」で沖縄を見ることは、沖縄に新しい不幸をもたらす。「移設先・分散・負担軽減論」もまた同じである。
 SACOで155ミリりゅう弾砲移転、沖縄で出来なかった夜間訓練、砲弾数も増え、残虐弾白リン弾も使用している。海兵隊にいたり尽くせりで、海兵隊不要論が吹っ飛び、抑止力論が大手を振って歩いている。
 「負担軽減・分散論」の実態は、嘉手納・普天間は外来機がアラスカ、岩国、三沢、韓国A10などで爆音最大値になっている。破綻した「現実的対応」論も同じだ。振興策(長島防衛政務官)などがまた出てきた。
国民新党などの「移転先」論は「沖縄バカ」認識に立っている。2012年がいかなる年かわかれば、下地が自分の選挙区と関係ないとバカ騒ぎしているが、防衛省から見れば笑いもので、適当に泳がしていると見た方がいいであろう。2012年はもうすぐ、沖縄を県民心底怒らすと面白いことが起こることは幼稚な、私にもわかる。
 そもそも、岡田外相がキャンベル国務次官補と公式会談するのが外交レベルとしておかしい。クリントン国務長官が日本外務省の北米局長と会うであろうか。キャンベルの2度の訪問で小沢氏に会ったのは「特使」的性格を持つ。日本マスメディアで問題にならないほど「知日派」に弱い。外交ルールがない。
 グワム協定についても日本は国会批准事項、アメリカは議会と関係なく、日本では統治行為論で憲法の上に立つ。どうして、このような屈辱的協定が日本のマスメディア、ジャーナリズム問題ならず、天皇と中国とは問題になり、口を閉ざす。
 下地議員の嘉手納統合プラス案は、土建屋として私的、経済的利益と一致する。現行計画の「沖合い移転」も沖縄建設関係の経済的理由が根にあった。
 過去に論議されたものが蘇る。ドイツ、ブァイツゼッカー元大統領の二つの言葉が蘇る。
「“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」
「必要な時期に立ち上がるなら、後で独裁者に脅える必要はない、つまり自由民主主義擁護には法と裁判所だけでは不足で市民的勇気も必要”」

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 (大宜見村安根から本部半島にきえる夕日、明日は伊江島、夕日の沈む向こうに伊江島が浮かぶ。伊江島は沖縄を学ぶ縮図という。13日の辺野古集会のイノシシ採れた。牡丹鍋準備帰途撮影)


 沖縄自立論的社会科教育
   伊江島「沖縄の太陽」に関連して
 現職の頃、私の「現代社会」は沖縄を中心に組み替えてゆく、「現代社会」は国内政治・国際政治、環境・文化、平和、人権など多彩で「学際的」教科である。私が「学際」という用語を使うのは「現代社会」を教える教師であったことによる。
 現場の教師の自主的着想があれば、子どもの世界が広がる。
退職までの7年、沖縄愛楽園を学習の中心に置いた。らい予防法の歴史的判決が生まれた。
沖縄現代史を子どもや高校生を主人公として教材化する。「銃剣とブルドーザー」「島ぐるみの闘い」を、伊江タッチューに建つ「沖縄の太陽碑」で構成する。沖縄文化では柳田國男や柳宗悦など出て来るから島崎藤村「ヤシの実」や「海上の道」などを琉球の文化として「万国津梁の鐘」の思想など入れる。宜野湾高校とコンベンション公園のポケット公園の野外授業は11月8日、9日のブログで紹介している。
 伊江では毎年3月、故阿波根昌鴻を偲ぶ会、シンポなどが行われる。伊江の小学校生が「沖縄の太陽」を芝居にするようである。太陽の主人公黒田操子(現菊川)が招待され、今日は、私の家で夕食を共にして、明日、伊江島に渡る。
 辺野古の闘い以後、伊江島には6年足を運ぶ機会がなかった。菊川操子さんも、私も最後の伊江島になりそうだ。伊江島には書き残したいいくつかもある。伊江ガイドに入れたい遺跡や物語もある。


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(2007年7月は沖縄防衛局のジュゴン追い出し作戦などの監視活動、高江の闘いにいた。家のカミサンがタイムスのコラム保存していた。今日初めて見た。黒田姉妹と4人で私の手作りでささやかな夕食会)
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沖縄タイムス電子版に次のニュース流れる
政治 2010年3月4日 14時00分

(7時間52分前に更新)

 政府は米軍普天間飛行場移設問題に関し、2006年に日米両国が合意したキャンプ・シュワブ沿岸部への現行移設計画履行を断念する方針を米側に伝達した。同時に、これまでのキャンプ・シュワブ陸上部に加え、米軍ホワイトビーチ(うるま市)から沖合の津堅島の間を埋め立てる案についても本格的な検討に着手した。複数の日米外交筋が4日、明らかにした。

 平野博文官房長官、北沢俊美防衛相が今月2日、ルース駐日米大使と都内のホテルで会談し「現行計画は困難な情勢になった」「別により良い案を検討している」と伝えた。ルース氏は「現行計画の修正で対応できないか」と求める一方、週末に米本国へ戻りホワイトハウスや国防総省、国務省と協議の上で回答するとした。米側は移設先の変更になお強い難色を示しており、5月までの決着は予断を許さない。

 鳩山政権は現行計画を排除せず「ゼロベース」で移設候補地を探る方針で検討を進めてきた。


( 4日、23:30でも電子版に在京大手マスメディアに報道でない
  全国的にはどうであろうかー日米合意重視にしがみついたみじめな姿をさらしたくないのか。地方紙の沖縄の新聞や報道機関が誤りなのか、5日の新聞などが面白くなる。)

移設論はV字への誘導と謀略ー「沖縄の心」とは

違法アセス訴訟
 第3回公判開かれる
3日(水)、那覇地裁で違法アセス裁判が開かれた。方法書数ページ、国民の痛烈な批判(昨日のブログ)、沖縄環境アセス審査会でのアセスやり直しなどの意見のなか、追加方法書300P(?)を出してきた。意見表明権を奪われた。準備書の不備など辺野古アセスを暴くものである。
 沖縄防衛局は「訴えの利益なし」と却下を求める立場。代理人同士の法律論争になる。高校時代の1期先輩、大学時代ともに学びあった瑞慶山茂弁護士が千葉から駆け付けてくれた。
 昨日も書きましたが、沖縄から日本のアセスメントが形骸化される。理論や評論ではなく実践的に日本のアセスをよくしていくために大学の学友とともに闘えることに懐かしさを感じた。大学2年、沖縄問題研究会、憲法研究会など立ち上げ、琉球大学学生会を改革した思い出がある。
 琉球大学は、琉球大学事件(1956など)のように沖縄問題にかかわって首がきれない時代を迎えていた。60年安保の後、清水幾太郎などの「近代化論」、学生運動の諸潮流、大学6浪など学生運動の兵が群れるのが普通である時代に、大学2年生の無謀ともいえる挑戦で、後輩に照屋寛徳君などがいた。私らは4年で終えたこと記す。


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 大田とは誰
   「沖縄の心」のシンボルが????
 裁判後集会で、當山栄(テント村村長)が、特別発言で
 「太田がシュワブ陸上案を唱えている」
 集会参加者から
 「太田って誰?」と問うものがいた。
辺野古問題には二人の「オオタ」がいる。
  大田俊雄(元沖縄市商工会会長)で辺野古埋め立てを先導した。)
  大田昌秀(元沖縄県知事、元社民党参議院議員。沖縄歴史研究者である。)
大田とは大田昌秀氏のことである。
 集会参加者は「信じられない」という顔と、どよめき。私は「また、大田か」であった。大田は1度も辺野古に顔を見せたことのない。それはなぜか。
 
 一般的、大田は学者・文化人を含めて沖縄に関心のある少なくない人たちに「沖縄の心」のシンボル的存在および理念とされている。大田を批判することがタブーとされる雰囲気もある。
 私は、移設論は「沖縄の心」への謀略、弄びと一貫して述べている。1996年県民投票以後からSACOに掛けて、私は大田知事に関する新聞論壇を書き、教育庁にいやがらせをされたことは昨日書いたばかり。当時の教育日記はきちんと公開している。(『沖縄を語り、沖縄を教えて』ブックレットⅡ)
 移設論はV字滑走路(現行計画)への誘導と謀略である。
 當山栄に確かめた。大田昌秀の名前があるようだ。大田の「沖縄の心」を信望する学者・文化人を幻滅させる。「沖縄の心」を持って「沖縄の心」をゆがめてゆく、高江の作業に現れていたことと同じである。
 アメリカでもSACOに関わった「知日派」が蠢き、沖縄でもSACOに関わった人たちが老体にムチ打って登場か。いい加減にしてくれと言いたい。前を向いて歩きたいが、やはり、過去が、最近よみがえってくる。
 過去に死んだ「移設先」が亡霊となって、現実を見る目をゆがめている。SACO当時より「沖縄の心」は亡霊におびえる時代ではない。
 私も年か。それゆえに、記録しておく。
 沖縄は、大田に対して批判を封印して来た歴史がある。「隠居をして」自分の歴史に耐えられない汚点を残すのか。自ら釈明すべきであろう。


マチブイマチブイ評価書・MV22・お知らせ

評価書提出延期
 学際的共同の力の賜物

1999年、稲嶺知事、岸本市長の軍民共用空港受け入れに、私は「地球の生きとし生きるものすべてが名護市民となり」「学際的共同」の闘いになる。辺野古13年、軍民共用空港から10年、平和・市民・環境団体が国内・国際的にも力を合わせた。
 私は平和団体に属するが「環境団体は平和問題に近付くが、平和団体は環境問題に戸惑っている」と結合して取り組む視点を強調していた。
 V字型方法書意見書提出運動、アセス調査、準備書への意見提出のなかで幅広い運動へ発展した。
 
風穴を開けろ
 「ロードマップ」(工程表)は2014年の完成を目指している。通常の常識では2014年は無理である。この無理をアセス手続きでやるには違法と強権、虚偽に満ちたものになる。一つ一つ風穴を開ければ、自ら崩れる。すでに、日本の国民の生活要求・政治要求は国民が政治を動かす実感を生みだす政治状況も進んでいた。
 
 07年8月、方法書を出してきた。個人的には風穴をあけるターゲットを「大浦湾作業ヤード」に絞った。ユビエダサンゴを浚渫するなどの生態系破壊を公然と明言している。保全すべきAランクの海域破壊のもっとも解りやすい。
 環境アセス審査会にも意見書、現場視察などの要望書出し、審査会は現場調査を行った。
07年12月19日、官邸で開かれた代替施設協議会で作業ヤード(準備書から消える)は残ったが「浚渫場所」は消えていた。一つ風穴開けたと思った。追加法書を出してきた。
 準備書。評価書も穴だらけになって、09年政治の激動で縺れて、私のブログでは「マチビマチブイ」(縺れ縺れー日本語では表現できない)と使われている。
 沖縄タイムスを見てみましょう。

政府、評価書提出見送り 辺野古沿岸案アセス
14年移設完了困難に
政治 2010年3月2日 10時00分

(47分前に更新)

 【東京】政府は米軍普天間飛行場を名護市辺野古沿岸部に移設する現行案に基づく環境影響評価(アセスメント)の評価書について、県への提出を当面見送る方針を1日までに固めた。名護市長選の結果や県議会が同飛行場の県内移設断念や県外・国外移設を求める意見書を全会一致で可決した状況を考慮した。提出する場合は移設先の結論を出す5月末以降になる見通し。先送りで現行案の2014年完了は困難になった。

 防衛省は、日米合意の14年までに移設完了させるためには今夏にも埋め立て工事に入る必要があるとみていた。政府は、評価書提出から知事の埋め立て許可手続きに半年以上かかることを踏まえ、今年初めに県への提出を想定していたが、名護市長選の結果を踏まえ、保留していた。

 政府は昨年12月に現行案を選択肢に含んだまま「ゼロベース」での移設見直し作業に着手。現行計画履行の姿勢を崩さない米側に配慮した形でアセス手続きを継続、提出の最終段階に入っていた。


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(MV22オスプレイ)

 欠陥アセスの露呈?
  平野官房・北沢防衛大臣MV22オスプレイに言及
 方法書からアセス手続き秘密と虚偽のデパートであった。ヘリ騒音も方法書に記載せず。調査もせず、準備書後にデモフライトした。北沢防衛大臣MV22「将来的な配備も念頭にあるが・・」と述べ、アセス方法書以前から指摘、政府が否定して来たことを認めた。1日の長島防衛政務官の発言を内閣として追認したに等しい。
 2月24日ブログ「宝の海」で、高江の防衛省責任者と私の論争書いています。防衛省の下部までMV22「安全神話」が行き届いていて、機種に配備を記載しないのはアセス法違反の典型的で、アセスになっていない象徴的な事例である。
 機種に嘘を書いているからアセスのやり直しが求められる。嘘ついて既成事実積み重ねていく、このようなアセスの手法、日本の裁判所、まだ、許すのであろうか。いい加減にしてくれ、法治国家が崩れる。
 
 辺野古アセス評価書が広告縦覧されることは日本のアセスの重大な後退、アセスおよび環境政策の「死」を意味する。憲法の諸原則が沖縄の米軍基地巡ってゆがめられる典型的な事例でもある。
 
 アセス手続き、アセス内容を具体的に暴いてきた「学際的」共同が力になっている。平和運動では安保50年を鋭く問い、環境の面でもCOP10含め、国民の共同がますます大事になってきた。
 沖縄タイムスの関連記事みてみましょう。

工程表順守明言せず 普天間移設
平野氏 ゼロベース強調
政治 2010年3月2日 09時58分

(53分前に更新)

 【東京】平野博文官房長官は1日の衆院予算委員会分科会で、米軍普天間飛行場移設をめぐり、2006年に日米が合意したロードマップ(工程表)で記された14年の完了期限について、「ゼロベースで(移設先として)ベストな場所の検討を命じられている。いろんなパターンがあり、一概に即答することは控えたい」と述べ、期限順守への明言を避けた。

 平野氏は旧政権の13年間の移設問題への取り組みに関し「いろんな仕組みや考え方のもとに関係者が努力してきたことは敬意を表する。過去を全部否定するものではない」と述べた。

 北沢俊美防衛相は、普天間代替施設の滑走路の長さについて「500メートルとか1500メートルという議論に、将来的な(垂直離着陸輸送機MV22)オスプレイの配備も念頭にあると推測するが、今の段階で個別にコメントするのは適切ではない」と述べた。高市早苗氏(自民)への答弁。


 辺野古・高江は一つ
  「自然の権利」の闘い
 高江、6月まで作業はないであろう。ノグチゲラ、ヤンバルクイナなどの生きものたちの繁殖期、生物多様性の日本の宝庫(高校退職3人トリオ伊波義安さんによれば全国比動物50倍)、この生きものたちが権利を要求している。
 高江の竹でトマト、ゴヤー、キューリ、ナベーラ(ヘチマ)などの棚、支柱を作る。現在は化学樹脂などで支柱、網を張りますが、あえて、高江の竹を用いた。
 日々の生活の中に高江を刻むために。
 沖縄戦後、竹を編んで家を造った。沖縄の赤瓦建築になくてはならないのが高江などのヤンバル竹、沖縄の建築文化を育できた竹、農業もそうだ。

  
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 (庭の野菜と高江の竹)
(続きーヘリ基地反対協お知らせ)

 

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高江長期戦に入るー蛍が舞う7月に向けて

未完成の完成
  3月1日(月)旧暦1月16日、沖縄はグソウーショウグアチ(あの世の正月)午前中高江に行き、お墓参り。
 辺野古の大西、この10日間、高江の大西になった。防衛省のアクセス道路の入り口工事の期限は2月28日までと聞いている。
 未完成で終了したことになるのだが、「未完成の完成と言える」。
 7月からの本工事がスムーズに行くための工事、さらに、反対派を「嵌める」目的を持っていた。どう、防衛省はでてくるか?
 7月まで長期の「退屈」な闘いが待っている。夏、蛍が舞う季節に本工事が始まる予定である。何を成すべきか日常の「目に見えない闘い」が始まる。
 N4の南、侵入門未完成、内側から撮影した。

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 N1も進入門など未完成。読書にいそしむ。
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寝るのも大切な日々の闘い
  俺が「沖縄の愚直」だ。
N1県道70号線
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備えあれば憂いなし 
座り込み続行
  楽しい昼食のために
平和委員会のYさん、魚釣り得意、朝未明に那覇出て、テントの主人Sさんと昼は魚のお汁、欠かせないのが葉野菜、野の薬草インジャナバー移植して長期戦に備える。


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7月向けて
 交通安全の駐車のために
 山の中。駐車場無し、U字溝利用して白線の内にタイヤーがハミ出ないように蓋を閉める。50台が安全駐車できるように7月までに完成させたい。駐車禁止地帯ではないが、夏はエコツアー、ライダー多い。
 平和丸基金で設置しているが、協力できる方はカンパをお願いします。
平和丸基金
   沖縄労働金庫名護支店(959)
    口座番号 2868611
     平和丸基金 具志堅 徹


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グソーヌショウグアチ
  国道58号線(国頭)
 お墓参りの車

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高江緊急集会ーチリ津波

高江への道 
チリ地震、津波注意報のなか、高江に向かう。1960年チリ津波が真喜屋小学校を襲ったその後、学校移転、屋我地橋も崩壊(記念碑あり)、塩屋湾の宮城橋もさらわれた。これらをこれらの地を見ながら高江に向かう。記念碑屋我地橋にあり。
 高江への道
今年は、私たちが闘いを組むと太陽が輝く、28日高江集会に向かう。塩屋湾から国道331号線に入る。ウデナハ集落から平良部落までイッペーの街路樹が満開の並木を作っている。



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 県道70号線、宮城集落を過ぎ直線左の「国有林」の表示版に入る手前の森の中に新緑に紫の花がひと際、目に入る。カメラに納めた。アオバナハイノキというそうだ.
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 高江集会
 今日は県内でさまざまな集会、シンポなどがあり、高江緊急集会に約150人が集まった。防衛省の今回のアクセス道路入り口フエンス設置は①希少動物ノグチゲラ、ヤンバルクイナなどの繁殖期は作業しないことになっている。7月に入ると一気にヘリパット建設に取りかかる。②住民弾圧、裁判などに備えた謀略だと指摘して来た。
 挨拶する伊佐代表。
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 高江の若いお母たち048_20100228183405.jpg

滑り台で遊ぶ子どもたち055_20100228183424.jpg

 連帯挨拶
  沖縄県統一連、平和センター、沖縄生物多様瀬ネットワーク、市民連絡会、民主党県連、共産党県委員会、社民党など。
私はヘリ基地反対協を代表してあいさつ。
 「頑張ろう」は佐久間さん。


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(続くー高江散策)

 今日はご先祖様の正月。旧歴1月16日、 グソウーヌシヨウグワチ お墓参り多いです。

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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