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移設論はV字への誘導と謀略ー「沖縄の心」とは

違法アセス訴訟
 第3回公判開かれる
3日(水)、那覇地裁で違法アセス裁判が開かれた。方法書数ページ、国民の痛烈な批判(昨日のブログ)、沖縄環境アセス審査会でのアセスやり直しなどの意見のなか、追加方法書300P(?)を出してきた。意見表明権を奪われた。準備書の不備など辺野古アセスを暴くものである。
 沖縄防衛局は「訴えの利益なし」と却下を求める立場。代理人同士の法律論争になる。高校時代の1期先輩、大学時代ともに学びあった瑞慶山茂弁護士が千葉から駆け付けてくれた。
 昨日も書きましたが、沖縄から日本のアセスメントが形骸化される。理論や評論ではなく実践的に日本のアセスをよくしていくために大学の学友とともに闘えることに懐かしさを感じた。大学2年、沖縄問題研究会、憲法研究会など立ち上げ、琉球大学学生会を改革した思い出がある。
 琉球大学は、琉球大学事件(1956など)のように沖縄問題にかかわって首がきれない時代を迎えていた。60年安保の後、清水幾太郎などの「近代化論」、学生運動の諸潮流、大学6浪など学生運動の兵が群れるのが普通である時代に、大学2年生の無謀ともいえる挑戦で、後輩に照屋寛徳君などがいた。私らは4年で終えたこと記す。


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 大田とは誰
   「沖縄の心」のシンボルが????
 裁判後集会で、當山栄(テント村村長)が、特別発言で
 「太田がシュワブ陸上案を唱えている」
 集会参加者から
 「太田って誰?」と問うものがいた。
辺野古問題には二人の「オオタ」がいる。
  大田俊雄(元沖縄市商工会会長)で辺野古埋め立てを先導した。)
  大田昌秀(元沖縄県知事、元社民党参議院議員。沖縄歴史研究者である。)
大田とは大田昌秀氏のことである。
 集会参加者は「信じられない」という顔と、どよめき。私は「また、大田か」であった。大田は1度も辺野古に顔を見せたことのない。それはなぜか。
 
 一般的、大田は学者・文化人を含めて沖縄に関心のある少なくない人たちに「沖縄の心」のシンボル的存在および理念とされている。大田を批判することがタブーとされる雰囲気もある。
 私は、移設論は「沖縄の心」への謀略、弄びと一貫して述べている。1996年県民投票以後からSACOに掛けて、私は大田知事に関する新聞論壇を書き、教育庁にいやがらせをされたことは昨日書いたばかり。当時の教育日記はきちんと公開している。(『沖縄を語り、沖縄を教えて』ブックレットⅡ)
 移設論はV字滑走路(現行計画)への誘導と謀略である。
 當山栄に確かめた。大田昌秀の名前があるようだ。大田の「沖縄の心」を信望する学者・文化人を幻滅させる。「沖縄の心」を持って「沖縄の心」をゆがめてゆく、高江の作業に現れていたことと同じである。
 アメリカでもSACOに関わった「知日派」が蠢き、沖縄でもSACOに関わった人たちが老体にムチ打って登場か。いい加減にしてくれと言いたい。前を向いて歩きたいが、やはり、過去が、最近よみがえってくる。
 過去に死んだ「移設先」が亡霊となって、現実を見る目をゆがめている。SACO当時より「沖縄の心」は亡霊におびえる時代ではない。
 私も年か。それゆえに、記録しておく。
 沖縄は、大田に対して批判を封印して来た歴史がある。「隠居をして」自分の歴史に耐えられない汚点を残すのか。自ら釈明すべきであろう。


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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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