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断念報道ー新たな砦に

新しい局面?新たな闘いの出発になるか
 歴史の皮肉
  SACOの亡霊(2)
 
「アメリカでもSACOに関わった「知日派」が蠢き、沖縄でもSACOに関わった人たちが老体にムチ打って登場か。いい加減にしてくれと言いたい。前を向いて歩きたいが、やはり、過去が、最近よみがえってくる。
 過去に死んだ「移設先」が亡霊となって、現実を見る目をゆがめている。SACO当時より「沖縄の心」は亡霊におびえる時代ではない。
 私も年か。それゆえに、記録しておく。
 4月4日ブログに二人の「大田」を書きSACOの亡霊と書いた。
  大田範雄(昨日は俊雄と書いた)が新聞に登場し、政府と動いている
  大田昌秀は「陸上案」になお連ね、海上現計画断念のなかどう説明する。嘉手納や中城湾に知事として反対に先頭  になり、辺野古計画に「名護市の問題」と口を閉ざし、いまだに辺野古に顔を出せない。歴史は皮肉なものだ。
 「日米合意は重いものでなく軽く自ら崩壊するたとえの典型ではありませんか。新日米合意をまた結び、日米合意重いなんて、政府もジャーナリズム、評論家も、
 SACO以来、日本の外交の世界認識、沖縄認識全然変わってないのは、顔ぶれでもわかる。
 具志堅徹が「歴史を学ばざる民族は滅ぶ」と口癖のように言う。
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 歴史に学べ
   ハマり込んで来た政府
 ヘリ基地反対協は、軍民共用空港の闘い戦術でも長い学習と準備出迎えた。陸上案や新しい情勢に応じてキャンプ座り込み計画を立て、今日はその1回目、雨の中行われた。
 合わせるように今日の新聞報道である。
 「移設先探し」論、策謀も崩壊した証し、「閉鎖・撤去」でいいのだ。

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 嘉陽のオジーから学ぶものとは
  だじなときに行動する優れた判断力
 雨の中、嘉陽のオジーたちが駆け付けた。よく、辺野古のおじー・おばー~学ぶという。大事なことへの判断・決断・行動であろう。このみずみずしい感性である。やがて、この座り込みは新たな砦になろう。


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 3月5日は2回の発信となった。新たな闘いへの1歩になるであろう。政府は「死ぬ気でかかってこい」と言っている
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ヘリ基地反対協お知らせ、「移設論」「沖縄自立的」社会科教育論など

おしらせ
 ヘリ基地反対協早朝キャンプ・シュワブ前座り込み
 「名護市に陸上にも海上にも基地はいらない」無言座り込み
3月5日(金)AM7:30~8:30 (毎週金)
 県内移設に反対する緊急県民集会
   3月9日(火)6時
   那覇市県民広場
   主催 県民会議
稲嶺市長激励辺野古浜集会
   3月13日(土)11時~
   「臨時食堂」あり、私はイノシシ取りました牡丹鍋出来そうです。反対協テント村集会恒例、それぞれがナベ持ち寄り、海の幸、山の幸を楽しむことでもある。
 高江裁判
   3月19日(金)10時 那覇地裁
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(私の家にもツツジが咲きだしました。東村桜祭りー高江のテント村にも寄ってください3月4日)

 「移設探し」は政治道徳の退廃へ
   行きつくところは沖縄分断―辺野古ありき
 下地と国民新党が嘉手納統合案プラス辺野古などSACO焼き直し、社民党が国外県外分散移転、民主党・自公は高見の見物の構図が見える。
 SACOの頃、沖縄「カワイソウ」論があった。沖縄には「カワイソウ」とい言葉はない「チムグルサン」という言葉はある。沖縄の運動を発展させているのは「チム」と「ククル」の共有(立命館土曜講座『憲法・安保・沖縄』ブックレット1号1996年)であり、「カワイソウ」で沖縄を見ることは、沖縄に新しい不幸をもたらす。「移設先・分散・負担軽減論」もまた同じである。
 SACOで155ミリりゅう弾砲移転、沖縄で出来なかった夜間訓練、砲弾数も増え、残虐弾白リン弾も使用している。海兵隊にいたり尽くせりで、海兵隊不要論が吹っ飛び、抑止力論が大手を振って歩いている。
 「負担軽減・分散論」の実態は、嘉手納・普天間は外来機がアラスカ、岩国、三沢、韓国A10などで爆音最大値になっている。破綻した「現実的対応」論も同じだ。振興策(長島防衛政務官)などがまた出てきた。
国民新党などの「移転先」論は「沖縄バカ」認識に立っている。2012年がいかなる年かわかれば、下地が自分の選挙区と関係ないとバカ騒ぎしているが、防衛省から見れば笑いもので、適当に泳がしていると見た方がいいであろう。2012年はもうすぐ、沖縄を県民心底怒らすと面白いことが起こることは幼稚な、私にもわかる。
 そもそも、岡田外相がキャンベル国務次官補と公式会談するのが外交レベルとしておかしい。クリントン国務長官が日本外務省の北米局長と会うであろうか。キャンベルの2度の訪問で小沢氏に会ったのは「特使」的性格を持つ。日本マスメディアで問題にならないほど「知日派」に弱い。外交ルールがない。
 グワム協定についても日本は国会批准事項、アメリカは議会と関係なく、日本では統治行為論で憲法の上に立つ。どうして、このような屈辱的協定が日本のマスメディア、ジャーナリズム問題ならず、天皇と中国とは問題になり、口を閉ざす。
 下地議員の嘉手納統合プラス案は、土建屋として私的、経済的利益と一致する。現行計画の「沖合い移転」も沖縄建設関係の経済的理由が根にあった。
 過去に論議されたものが蘇る。ドイツ、ブァイツゼッカー元大統領の二つの言葉が蘇る。
「“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」
「必要な時期に立ち上がるなら、後で独裁者に脅える必要はない、つまり自由民主主義擁護には法と裁判所だけでは不足で市民的勇気も必要”」

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 (大宜見村安根から本部半島にきえる夕日、明日は伊江島、夕日の沈む向こうに伊江島が浮かぶ。伊江島は沖縄を学ぶ縮図という。13日の辺野古集会のイノシシ採れた。牡丹鍋準備帰途撮影)


 沖縄自立論的社会科教育
   伊江島「沖縄の太陽」に関連して
 現職の頃、私の「現代社会」は沖縄を中心に組み替えてゆく、「現代社会」は国内政治・国際政治、環境・文化、平和、人権など多彩で「学際的」教科である。私が「学際」という用語を使うのは「現代社会」を教える教師であったことによる。
 現場の教師の自主的着想があれば、子どもの世界が広がる。
退職までの7年、沖縄愛楽園を学習の中心に置いた。らい予防法の歴史的判決が生まれた。
沖縄現代史を子どもや高校生を主人公として教材化する。「銃剣とブルドーザー」「島ぐるみの闘い」を、伊江タッチューに建つ「沖縄の太陽碑」で構成する。沖縄文化では柳田國男や柳宗悦など出て来るから島崎藤村「ヤシの実」や「海上の道」などを琉球の文化として「万国津梁の鐘」の思想など入れる。宜野湾高校とコンベンション公園のポケット公園の野外授業は11月8日、9日のブログで紹介している。
 伊江では毎年3月、故阿波根昌鴻を偲ぶ会、シンポなどが行われる。伊江の小学校生が「沖縄の太陽」を芝居にするようである。太陽の主人公黒田操子(現菊川)が招待され、今日は、私の家で夕食を共にして、明日、伊江島に渡る。
 辺野古の闘い以後、伊江島には6年足を運ぶ機会がなかった。菊川操子さんも、私も最後の伊江島になりそうだ。伊江島には書き残したいいくつかもある。伊江ガイドに入れたい遺跡や物語もある。


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(2007年7月は沖縄防衛局のジュゴン追い出し作戦などの監視活動、高江の闘いにいた。家のカミサンがタイムスのコラム保存していた。今日初めて見た。黒田姉妹と4人で私の手作りでささやかな夕食会)
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沖縄タイムス電子版に次のニュース流れる
政治 2010年3月4日 14時00分

(7時間52分前に更新)

 政府は米軍普天間飛行場移設問題に関し、2006年に日米両国が合意したキャンプ・シュワブ沿岸部への現行移設計画履行を断念する方針を米側に伝達した。同時に、これまでのキャンプ・シュワブ陸上部に加え、米軍ホワイトビーチ(うるま市)から沖合の津堅島の間を埋め立てる案についても本格的な検討に着手した。複数の日米外交筋が4日、明らかにした。

 平野博文官房長官、北沢俊美防衛相が今月2日、ルース駐日米大使と都内のホテルで会談し「現行計画は困難な情勢になった」「別により良い案を検討している」と伝えた。ルース氏は「現行計画の修正で対応できないか」と求める一方、週末に米本国へ戻りホワイトハウスや国防総省、国務省と協議の上で回答するとした。米側は移設先の変更になお強い難色を示しており、5月までの決着は予断を許さない。

 鳩山政権は現行計画を排除せず「ゼロベース」で移設候補地を探る方針で検討を進めてきた。


( 4日、23:30でも電子版に在京大手マスメディアに報道でない
  全国的にはどうであろうかー日米合意重視にしがみついたみじめな姿をさらしたくないのか。地方紙の沖縄の新聞や報道機関が誤りなのか、5日の新聞などが面白くなる。)
プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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