スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

明日から7月、高江緊迫?
  政府「死ぬ気で来い」
  私「命をはぐくみ、命の水豊かに、明日の命のために」
忘れられない6月30日
 石川宮森小学校ジェット機墜落事件

 
学級通信で語り継ぐ
 教師になって、学級経営は学級通信に「青春の素顔」を書いてきた。コピーが登場すると便利になったが、ガリ版の頃は大変であった。学級通信は学級経営の柱、教案も「世界史通信」「現代社会通信」ですから、毎日印刷、学級通信は『学校に愛とロマン求めて』と本にした。学級通信は「太陽」「伝える」「テルジーゆんたく日記」など。
IMG_0006_20100628223641.jpg

       
素顔の青春(7) ある夏の昼下がり
今、歴史の本を持っていないので、頭に残っている記憶を語る。ある夏の昼下がり、確か一九五九年ではないかと思う。教室中がざわめき出した。ざわめきはやがて教室から学校中へと広がった。授業中ラジオでイヤホンを聞いていた生徒がジェット機の墜落だと大きな声でさけんだのが、ことの始まり。昼食中の石川宮森小学校に米軍のジェット機が、落ち、学校中を地獄の世界を生み出された。泣き叫ぶ子、生徒の名前を叫び合う女教師命果てたわが子にすがりきちがいのようにわめく母親、ラジオから聞こえてくる叫びは、自分がその現場にいるような、身も心も、こわく、心をひきさき、怒りが込み上げてくる。
死者一七名(学童十一名)負傷者二一〇名(学童五六名)民家三〇軒焼ける。「子どもらにはパラシュートはなかった」米兵無事脱出。「久場くみ子ちゃんは、洋服が背中と左脇が焼けこげ、下から焼けただれ、上皮がろう色にぶよぶよとはげそうになっているのです」(「沖縄教職委員会一六年」)より。
あの頃、米兵はさまざまな事件を起こした。「由美子ちゃん事件」(小学生を暴行し殺した事件)など私たちの世代から消えることのない、そして、私たちの青春の情熱をかりたて沖縄を救うのは私たちだと心に焼きつけたものでした。大学進学の決意も、その頃からあら頭をもたげはじめた。
          (『太陽』『テルジー』)
「なかよし地蔵」は
  武者小路実篤
 数か年前、宮森小学校訪問「なかよし地蔵」見つけた。なぜ、武者小路実篤なのか調べに入ったが、辺野古で追跡出来ないでいる。


IMG_20100628223732.jpg

素顔の青春(8) 一九六〇年の夏
一九六〇年、この年日本中が安保問題で大きく揺れ動いていた。
その年の六月一九日、私は全島球技大会の応援で那覇に前日から出ていた。この日、第二次世界大戦、ノルマンディー作戦の将軍、アイゼンハワー米大統領が来沖、嘉手納から軍用道路一号線(現国道五八号線)は、完全武装の米兵がカービン銃などを設置して、物々しい警戒、大統領の笑顔は、「百万ドル」の顔を言われ、アメリカは世界の指導者として君臨していた。
私は、大統領の顔を一回見たいものとフェニックス通り(タイムスーリウボウ間)の文教図書向いの琉球新報社(現在沖銀本店)前に立っていた。大統領歓迎と反対の声がうづまいていた。
私は、人の群れをかきわけ、小さな体を巧みに使い道路の前に出た。突然、私の眼前にあらわれたのは、太陽の光をギラッとうけた銃剣の先であった。完全武装の米軍兵士の必殺の顔であった。私は、その場にヘナ、ヘナと座り込んでしまった。
大統領はオープンカーに乗って立法院の中に消えていった。
「沖縄返せ」のデモの波が、今の県庁周辺を取り巻いていた。国中の先輩で琉大生のHさんが、私を見つけて、デモに強引に誘った。私もデモの中にいた。大統領は、帰れなくなってヘリコプターで脱出した。Hさんは、私に必ず大学に来いよと励ましてくれた。この日から私の高校生活に一つの変化が生まれ、文学や新聞、「中央公論」などよく読んだ。特に「中央公論」広津和郎の松川裁判は、興味があった。私の高校二年の夏。
           (『太陽』『テルジー』)
IMG_0001_20100628223819.jpg

世直し医師
イジュ氏頑張る
 カン・オバマ首脳会談(28日)、名護でイジュ氏の政策演説会参加、翌9日、朝、青山前でマイクを握った。
1、 普天間閉鎖全面返還
2、  移設探し「国外・県外」ではない
3、 安保解消、日米友好条約へ
4、 消費税増税12兆、法人税減税9兆、大企業辺への研究減税など差し引くと、残りはり米軍基地維持、基地建設費で強い財政にならない。
5、 「安保夏の陣」をイジュさんで勝利して、秋の闘いへ明確な政策で闘おう。
日米首脳会談は、琉球新報社説参考、


社説 日米首脳会談 移設強行は安保の亀裂深化2010年6月29日
 菅直人首相と米国のオバマ大統領との初の首脳会談が現地時間27日、カナダ・トロントで行われた。
 会談の結論を言えば、沖縄県民にとっては、とても歓迎できない内容だ。なぜなら、菅首相は、普天間問題で「日米合意に基づき、実現に向け真剣に取り組みたい」とオバマ大統領に約束したからだ。
 日米合意は、米軍普天間飛行場を名護市辺野古崎と隣接水域への「県内移設」を目指す内容である。
 8割を超える県民が県内移設反対を明確に意思表示する中で、菅首相は民意を無視し移設を強行する方針を伝えたことになる。
 席上、菅首相は県内移設への反対姿勢を強める県民の理解を得るための米軍基地の「沖縄の負担軽減」を要請している。
 オバマ大統領も県内移設が「日本政府にとって簡単な話ではないと理解している」と語っている。その上で「米軍が地域で受け入れられる存在であるよう努力したい」と応じている。
 だが、軍に対する文民統制の緩み、軍人による大統領・副大統領の権威の軽視を、オバマ大統領自身が、最近のアフガン総司令官更迭問題で実感しているはずだ。
 沖縄では、県民の怒りを買った1995年の少女乱暴事件以来、多くの在沖米軍総司令官(四軍調整官)が米軍事件・事故のたびに綱紀粛正と再発防止を誓うもののゼロになった年はない。
 逆にあまりの事件の多発ぶりに「なぜ事件が起こるのか。幹部の指導力が足りないからだ」と嘆いた四軍調整官さえいた。
 「負担軽減」も38年前の沖縄の本土復帰時以降、幾たびも約束され国会決議すらある。
 しかし、在日米軍専用施設の74%が依然、国土面積の0・6%にすぎない沖縄に集中したままだ。
 ある意味、日米安保は74%を沖縄に依存している。その沖縄の民意を無視し、移設強行で同盟の深化など図れるはずはない。むしろ民意無視は同盟の亀裂を深化させかねない。
 都市の真ん中の世界一危険とされる普天間飛行場でさえ衆院選前には「最低でも県外」と移設を約束しながら、選挙が終わり政権を握るや「県内やむなし」とする。そんな政治がまかり通る。
 菅首相が目指す「最少不幸社会」が、最大多数の国民のために沖縄に「最少不幸」を背負わせる社会でないことを願いたい。

(負担軽減ー岩国から嘉手納に9機F18駐機)
スポンサーサイト
プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。