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過去から学ぶ(最終回)-現場の「愚直」な闘いは力の源

辺野古・高江情報
 高江動きなし
 辺野古無言座り込み(32名)
 ドイツ国営放送の取材あり
 韓国から寄せ書き届いた。

 日米合意(米軍再編成)最終報告の中で
  いかに闘うか
         

勝っても勝っても押し付ける悪魔の要塞基地
          米軍再編成(日米同盟)の危険な日本の明日を許すな
                 大西  照雄 名護平和委員会
(ヘリ基地反対協代表委員)
  Ⅰ SACOから米軍再編成へ
1、名護市民は2度勝った。
 5月30日、政府は米軍最終報告を閣議決定「的確かつ迅速に実施する」とする方針を発表した。同時に軍民共用空港に関する1999年の閣議決定も廃止された。名護市民は海上基地建設で2度目の勝利ということになる。第1の勝利は、1997年12月21日名護市民は市民投票で海上ヘリポートを拒否した。
第2の勝利は、軍民共用空港の閣議決定の廃止で、04年4月19日から始まった環境影響評価法(アセス法、以下)逸脱の事前調査、ボーリング調査に対するテント村座り込み、海上でのカヌーを柱とした完全非暴力の実力阻止、単管ヤクラの座り込みとテント村での1年5ヶ月余の愚直な日々の勝利であった。現在もテントの座り込みは続き6月下旬には800日を迎える。全国の民医連は定期的に大浦湾でカヌー体験、現場で学習会を行っている。
閣議決定はSACO(日米行動委員会)の闘いから米軍再編成(日米同盟)との新たな闘い、V字型滑走路を持つ新沿岸案を中心とする「悪魔の要塞基地」建設反対の闘いに入ったことになる。まず、沿岸案がどのように生み出されるのか、私のホームページの日記「宝の海」などからみてみよう。

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 (海兵隊、体重オバーしたら、給与減法と聞く。早朝ジョギング7:20)

2、「国防省劇場」の陰謀
05年2月、小泉首相は「辺野古見直し」の記者会見を行なった。単管ヤグラが撤去される9月2日、「小泉首相の『辺野古見直し』は米軍再編成の中での陽動作戦の一つで、安保の傷みを沖縄・辺野古におしつけるサインである」(歴史地理教育)06年2月号「平和の文化と非暴力の実践」以下『平和』)、「『辺野古見直し』として、陸上案、浅瀬縮小案と日米政府が<喧嘩>を演じている。日本政府に米国政府と喧嘩できるほどの外交政策があると思っている人は誰もいない」(『愚直』-沖縄非暴力の心)と書いている。
私は9月から政府交渉に参加する機会が多くなった。特に、10月下旬の日米審議官級協議(中間報告)に対しては緊急要請行動で上京、20日、衆議院外務委員会開催中の合間、控え室で大古和雄防衛局長、河相周夫外務省北米局長に会い、外務委員会に比べて落着きがない、これでアメリカとの交渉任されるか疑問に思った」(「宝の海」―外交権侵害の中の直訴―21日)、「日本の官僚が国防省、国務省で恫喝されたらうろたえるだけで亡国の官僚と読んだ」(「宝の海」27日)と記録した。
両者の「落着きのなさ」「うろたえ」には、私どもの厳しい資料の説明があったのである。この要請の中で、わたしどもは1996年アメリカ海軍が設計した大浦湾軍港計画、1997年国防省が作成した浅瀬・沿岸案を示し「アメリカの演出に乗っている」と指摘した。中間報告はわたしどもが指摘した沿岸案に軍港を持つものになった。国防省としては「外交音痴小泉首相がアメリカ<陸上案、浅瀬案>と戦って頑張ったと国民に認知させるために<芝居>した」、そして、「沖縄包囲網を、マスコミを総動員して行なう壮大な側面」と指摘する。
日本のマスコミは、4月19日から翌年9月までの辺野古で展開される非暴力の実力行動を無視し続けたが、わたしどもはHP・メールによる全国的ネットワークなどで辺野古闘争の輪を形成した。
10月に入ると朝日、毎日をプライスリーダーとして報道が政府支援で動き出す。その特徴は、閣議決定、建設協議会などの軍民共用空港事業の実施を「従来案」と書き選択過程と描くことであった。

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  (ドイツ国営放送の撮影)

3、沖縄の非暴力の心
ヤマトの床の間には剣があり、沖縄の床の間にはサンシンがある。沖縄の戒めは「自分が危められても眠れるが、人を危めては眠れない」である。日本経済新聞(以下日経)はテントに座り込み、那覇防衛施設局の違法なボーリング調査に非暴力で抵抗する人々の行為を「妨害運動」と矮小化し、剣を抜いて威圧せよと提言する。
 アメリカ独立戦争のスローガンは「代表権なくして課税なし」であった。1951年サンフランシスコ条約、安保条約は沖縄県民にとって代表権、意見表明権も日米政府に剥奪され、他都道府県の米軍基地とは異なる歴史的側面を持つものである。
 沖縄の抵抗権の歴史は「武器なき闘い」と称され「すべての兵器を楽器に」など非暴力の文化で、闘いのなかには常にサンシンの文化があった。
 私どもの座り込みは非暴力が柱で、辺野古の老人たちは命を守る会事務所に9年間座り込み「海に杭1本打たせない」「人柱になっても止める」の愚直な日々であった。那覇防衛施設局は座り込み現場に33回交渉に来た。私どもは灼熱のアスファルトに莚を敷き、冷たい麦茶を出し座って交渉に当たり「説得」して来た。この間、テントでは整然と座り込み、海上の単管櫓でも同様である。
 小泉首相は「辺野古見直し」を言ったが、それは「辺野古内見直し」で、強力な傷みを押し付ける論理であることが明白で、基地の負担軽減は抑止力が強調され、沖縄に安保の傷みを押し込めることが明白になった。
 私どもの抵抗は沖縄への基地押し付け、環境影響評価法違反のボーリング調査に対する正当な請願、抵抗権であり、国際自然保護連合(IUCN)総会はジュゴンなどの保護およびボーリング調査を環境アセスに組み込めなどの勧告を行なっている。
 政府が決定した軍民共用空港は、わたしどもの正当な抵抗、沖縄県民及び国民世論、国際的注目と批判のなかで環境影響評価法手続きの初期の段階で挫折し始めている。現在、日米政府は、SACO及び代替施設協議会などの検討過程で自ら却下した「陸上」「浅瀬」「沿岸」案など死んだものを蘇らせ、名護市を米軍の要塞都市に変えようとしているが、これは、政策決定過程のルール(行政民主主義)に対する不信を助長し沖縄の頭越しに強行、新たな抵抗権の源泉になることは沖縄県知事の動向が証明する。(日本経済新聞への手紙から)

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 (新しい寄せ書き)

Ⅱ、わたしの21世紀の生き方と辺野古
1、 辺野古は教室の延長上の世界
 わたしは高校の社会科教師を04年3月末定年退職、私の「定年に合わせるように那覇防衛施設局はボーリング調査に着手、400日経っても掘削できないばかりか、普天間移設が座礁しかけている」(『愚直』あとがき5月末記)と書いている。
 わたしの授業は教科書を沖縄で組み替え、教材作成は「行って、見て、聞いて、確め」を柱に自主編成である。わたしにとって辺野古の闘いは教室で教えた世界の延長線上にある。前者は現場から物事を見る。後者は人類のめざす21世紀の生き方の問題で二つの潮流と述べ、地球の片隅の辺野古に具体的実践として現れる。
 その1は、地球環境保全と生物多様性環境の保育の生き方である。
地球環境保全の21世紀、1972年は沖縄返還の年、世界的には「人間環境宣言」で「地球にやさしく」の合言葉が生まれ、ワシントン条約、ラムサール条約、世界遺産条約と人類は地球環境保全の施策積み重ね、1992年「地球サミット」を迎える。
世界8千NGOは「地球憲章」を結実させ、「生物多様性保全条約」などなどの地球環境保全の課題は、地球の隅々での実践課題となった。
すでに、わたしは沖縄タイムス論壇(02年12月27日)に「高校の教科書は<われら地球家族。諸国民も、あらゆる植物、そして動物、雨も大洋も、すべての森と海洋の流れによって生きているわれらは、美しい地球と多様性に満ちた生命を保育する>(「地球憲章」)、生物多様性保全条約など、21世紀の地球環境の潮流と生き方を学びますが、亜熱帯の生態系の多様性は豊な教材である。(略)環境影響評価法に入った住民は、地球の生きとし生けるもの、地球のすべての生命体が<名護市民>となったことを自覚すべきである」と辺野古海上基地建設の新しい段階を描き、実践を模索する。
ウミガメとジュゴンは辺野古海域の生物多様性のシンボルである。辺野古の闘いにはIUCN,WWFJを含めて国際的自然団体、アメリカの生物多様性センターはジュゴン裁判を起こし米国400自然保護団体が支援する。

その2は「平和の文化」を築く21世紀である。1999年9月国連総会は「平和の文化宣言」と行動計画を採択した。暴力の世紀から非暴力の時代へ、戦争の世紀から平和的解決の時代へと文化概念に平和の文化を加えた。今年は「平和10原則」を確立したバンドン会議50周年の年に当たる。現代社会平和の文化の授業は、ガンジーの非暴力、平和五原則、アジアアフリカの台頭、沖縄の武器なき闘い、阿波根昌鴻(伊江島土地闘争の指導者)の「5本の指」の思想と非暴力主義、瀬長亀次郎(沖縄人民党委員長)の不屈の抵抗、仲宗根政善(映画「ひめゆりの塔」の引率教師のモデル)の絶対平和主義などの生き方は「平和の文化宣言」に吸収され、21世紀の人類の目指す方向を示す。ブッシュの戦争は平和の文化確立の過度期で20世紀的遺物である。

だとすると、辺野古の闘いは完全非暴力出なければならず。テント村には故阿波根昌鴻翁の写真を掲げ、海上での闘いもカヌーを主力とした非暴力を貫いている。「平和の文化宣言」のシンボルマークと「5本の指」の思想を対比してほしい。地球の片隅の実践的な生き方が見事に吸収され、地球を包みはじめている現実世界がある。

 平和の文化は文化及び宗教の多様性の尊重、寛容を含み、辺野古はあらゆる宗教者が共同の闘いを築きあげた。阿波根昌鴻の「5本の指」の思想は「非理法権天、どんな非道なことも理性を持ってあたるなら、勝つことができます。しかしその理性も法の前には歯が立ちません。そしてその法も、時の権力は自分に都合よく変えてしまいます。けれども天は見ています。天とは何か、それは、私達一人一人は小さく、その立場も、また、形もそれぞれ違うものでありますが、そんな私たちが、この指のように団結し、力をあわせていくならば、どんな困難であっても、勝つことが出来ると信じております。日本の平和憲法を世界の平和憲法にし、すべての人が幸せに、そして平和に暮らせる日を実現しましょう。」(拙著『沖縄の太陽物語』より、1996年5月15日メッセージ)

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 (韓国から)
2、日米同盟の中で
 5月1日米軍再編成最終合意、同30日閣議決定で安保条約はグローバルな日米同盟の強化、拡大、日本政治を日米同盟に従属させ、憲法・教育基本法改悪、共謀罪などは平和・民主主義の国の基本を根本から変えるものとなった。
米軍再編成は米軍と自衛隊の共同、基地の共同使用は日本全体の「沖縄化」の完成をめざし、また、海兵隊のグアム移転は虚偽に満ちたものだが太平洋・アジアにたいする抑止力をたかめる。
沖縄に関しては新V字型滑走路建設によって基地の北部集中化<悪魔の要塞基地>を基本として、普天間返還、中部の基地返還をパッケージにして分断策を特徴とする。また、北部振興策の廃止で恐喝、基地建設とリンクした出来高払いの新振興策(特別交付金)による「住民を争わす」政策と弾圧体制の強化が目論まれている。

最終報告はV字型滑走路2本(1800M)を着陸・離陸用として「この施設からは戦闘機は運用しない」と安全性を強調するがイラクには実践的滑走路として存在する。確かにF15戦闘機は常駐しないが、嘉手納および空母からF18 戦闘機などの艦載機の訓練は否定してないのであり、「から」に秘められている陰謀は、大浦湾軍港化とともに機能は普天間の比ではないのである。

閣議決定にはV字型滑走路含めて具体的なものは書けなかった。SACOの軍民共用空港のように磐石な閣議決定ではないところに、国民との矛盾が反映されている。米軍再編成はグワム移転費を含めて3兆円という膨大な税金を投入し、実施計画が明らかになるにしたがって国民が安保の存在を生活実感として認識するようになって、日米同盟と国民生活との矛盾は深まり、乖離が鋭くなってくる。

米軍再編成下の日米同盟は、平和外交、紛争の平和的解決の国際的潮流、アジア会議の柱である東南アジア友好条約の紛争の平和的原則にも反し「脱亜入米」追従の危険な道でもあり、日本は<悪魔の要塞基地>となる。
米軍再編成の3兆円の財政負担、年間6000億円の米軍維持費、防衛予算は、国家財政、地方財政の危機の中で国民への負担、増税政策に迷走し経済を混乱させる。「米軍のために税金を使わない」運動提起が焦眉の国民課題となる。
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 (韓国から)

むすび
辺野古海岸の基地の中に面白い那覇防衛施設局の看板が立っている。「日本国憲法で制定された法律で罰せられる」で、共謀罪の成立を前提としている。英語版には憲法記述がない。英文にもJAPANESE CONSTITUTIONが書かれていたら米兵は殺人罪、銃等法違反で怯えるであろう。基地内は安保条約で制定された刑事特別法で日本人を罰するのである。
V字型滑走路基地建設は米軍基地内に日本国憲法まで捧げ、強権発動を持って強行してくる。
わたしは、日本の新しい価値観として平和のために、「平和の文化」の思想で留置所、刑務所に入る事を誇りとする文化価値を共有すべきだと実践している。防衛庁が平和の文化を犯罪とする法を制定するなら平和の文化の思想と行動で、沖縄が「犯罪国家」になることは国際的名誉を勝ち取ることだ。

学者・文化人にも「議論の時代は過ぎた実行の時代だ」と行動を提起している。特に、団塊の世代には辺野古で非暴力と平和の文化のための第二の人生を歩んでほしいと望んでいて、退職は失うことのない人生の始まりだ。わたしの生徒への定年退職の挨拶は「第二の人生は生き長えることではなく、太く生きること。わたしは国民の税金で生活し、多くの知識を得た。第二の人生は国民へ還元する自由人の道を歩み、稲嶺知事と岸本市長の基地政策に勝つ人生」に向かう。辺野古の闘いは10年間の闘いの財産を礎として3度目の勝利に向かって進む。

                        
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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