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SACO合意14年の日にーその時、沖縄では、私は何を!

緊急情報
 名護市が動いた。辺野古調査拒否(1日ブログ掲載)
 全国的激励を
  FAX・メールは行政を混乱させる。

これから那覇空港
 佐世保に向います。

 沖縄の選択
 1996年12月2日はどんな日 
                                                                                   もし、あのとき、太田知事が・・・?

 これから那覇空港
 佐世保に行きます。「宝の海」休みになるか?

 今日はどんな日
 1996年11月2日
 私のこの時期の日記には「県と国<蜜月の間柄>誇示」(新報夕5日)

            「国と県の<甘い関係」(タイムス6日)
 SACO合意(辺野古移設)の日である。太田知事は嘉手納統合案、中城湾案に反対。辺野古に決まると「国と地元」の問題にしてしまった。もし、あのとき、太田知事が明確に反対すれば・・・。
 太田が反対表明するのは、市民投票後、1998年名護市長選挙告示前日である。
 だから、太田昌秀は、いまだかって、辺野古に来れないのである。太田氏が知事選挙のさなか県外講演したこと、わかる気がする。

あのとき、宜野湾高校生と何を学んでいたか
  学校は基地であった
無題10
   (宜野湾高校生の壁新聞1996年7月)

 新基地誘致、新基地ノーの14年
  鋭く切り裂かれた。
 沖縄の最初の公選主席、初代知事故屋良朝苗氏は、沖縄の闘いは「鈍角」であると復帰闘争を導いた。
 私は、辺野古の現場にあって「鋭角」的闘いの場にいた。
 「鈍角」的闘いを常に模索した。
 知事選挙の「県外移設」に、沖縄の民衆は「鈍角」の蓄積された歴史を選択したかもしれない。歴史は「鋭角」と「鈍角」を繰り返しながら進むのかもしれない。
 槍は穴をあける。その穴にハンマーをぶち込むと、壁は破れ、向こうに大きな世界が開ける。

あのとき、宜野湾高校生と何を学んだか
  普天間返還させて「沖縄1の街」

無題9
  (宜野湾高校生の壁新聞 1996年7月)

SACO合意の日ー14年経った普天間・辺野古の闘い
 現在の到達点、これからの闘い、「わが第二の人生」の花、実を結ぶために!
 政府も辺野古に外から攻めてくる。高江、岩国の米軍住宅、振興策など「外堀」作戦、アセス評価書広告縦覧と絡めてくるであろう。慇懃な姿で。
 佐世保で考えたい。
                                                                                      仲井真知事と沖縄自公が
 これから、最も怖いのは「ユクサー」である。佐世保から帰って「ユクサー」を書く。
  政府のアセス手続き、具体的現れてくる。本物(名護市)とユクシ(県の嘘)を具体的に見えてくる。
  
                     
(続きーイノシシとわが裏の畑)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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