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わが「戦友」-当山栄氏の訃報のなかで

日本平和大会IN佐世保から
帰りました

福岡空港でテント村長当山栄氏の訃報受ける。
 わが「戦友」の壮烈な死に、ぽろぽろと体がぬれる


1.12月5日2時20分に病院にて死亡。病名:肝臓ガン
2.12月6日お通夜(自宅:〒901-1411南城市佐敷兼久72番
地にて)
3.12月7日(火)告別式
 とき:午後2時~同3時まで
 ところ:サンレーグランドホール中央紫雲閣
 〒901-2102浦添市前田2丁目15-1
 電話098-873-3000.FAX098-876-2640)
4.喪主:妻 当山ヨシ子。


平和大会国際会議
 沖縄報告の時間とってもらった。

国際会議での発言
 名護・ヘリ基地反対協代表委員
 大西照雄
全国の皆さん 知事選挙敗北お詫び申し上げます。
苦節14年(今日、SACO合意)の決着をつける思いで闘いました。日本平和大会へ結集された皆さんに共同の闘いへのお礼を申しあげます。
DSC03631.jpg
  (日米合同演習「出撃」待つ、海上・航空自衛隊那覇基地 2日、7時25分)

 沖縄知事選挙の敗北をどう見るか。展望はあるのか。
 沖縄知事選挙はシンボルカラー黄色、自公は青から黄色に変え、告示前に移設容認を「県外移設」に変え、諸政策も同様でありました。民主党政権の裏切り、不況含めた不信と閉塞感を自公勢力は利用した。
 私は、復帰闘争から「民衆が信じ合い、力を確かめ、決意を新たに」で歴史を切り開くと訴えましたが、この県外移設の争点そらしを破ることできませんでした。
 知事選挙敗北、私の口から最初に出た言葉は「やられた」とでした。この新しい情勢、展望は仲井眞陣営の政策の中に埋まっています。仲井眞知事は現行計画微修正から「県外移設」に踏み出し、県内移設、辺野古移設を掲げる事には、後戻りできません。
DSC03641.jpg
  (海兵隊基地群、キャンプキンザー、普天間、キャンプ桑江など、2日、)
 さらに、「安全保障は日本全体で追うべき」と、安保問題が国民的課題を提起しています。自公政権・民主党政権、歴代の政府の安保の深い罪を、アメリカで起こっている海兵隊不要論、撤退論などと重なって日米外交が時代閉塞に入ります。管内閣の尖閣列島への対処、朝鮮半島情勢も沖縄知事選挙に影響しました。
 私は辺野古の闘いが始まって以来、世界を観る目は「平和の文化」と生物多様性の結合で、アジアと日本を観る目は憲法原則および9条と東南アジア友好条約を結合し、偏狭ナショナリズムではなく、紛争の平和的解決、暴力の世紀から平和の文化を、日本人は、特に、身に着けるべきと辺野古の現場から発信してきました。
沖縄を観る目は「命が宝」と琉球・沖縄の歴史を貫く、武器なき戦いと「5本の指」の思想、不屈の民衆の立場です。
 
 これは、今日の情勢でも生きると思います。14年前、私たちは「1本の柱」もありませんでした。知事もDSC03643.jpg
 (嘉手納基地 2日)
市長も取れませんでした。今、宜野湾・名護市長の「2本の柱<矢>」を持っています。
 仲井眞知事は環境アセス評価書広告縦覧、埋め立て申請に対する許認可に直面し、公約の「県外移設」の沖縄の世論に縛られ、日本全国への安保条約負担押し付けは、安保に火が付く「導火線」になる可能性を秘めています。我々の闘い如何がカギとなっています。
 イハさんは「普天間撤去・返還、辺野古を葬り去る」と闘いました。勝てませんでした。相手は何を勝ち、私たちが闘った成果は何か。過去・現在および明日を観ることです。「県外移設」の中に明日を切り開く展望が見えるのではありませんか。
DSC03645.jpg
 (国際会議、2日 佐世保 3時)

 仲井眞知事は「安保を語ろう」と言っています。沖縄で語るとき、基地のないところで語るとき(基地のない奈良県の経験は後程広告)、温度差はあります。日本の諸悪の根源と言われ「安保」を正面から沖縄は問います。
 新しい情勢の下で安保廃棄掲げる私たちが、明日展望しましょう。時代閉塞は日米政府が陥っているのです。
 平和大会国際会議の中で、アジア・アメリカなどとの連帯も深化させましょう。
DSC03673.jpg
 (友人のガーソン氏、アフガンのジャーナリスト、モハンマド・イルラウーム・アルコザイ)
 
 明日からアフガンの子どもたちの写真
 アフガンの人たちは日本に何を求めているか
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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