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公判中に高江襲う沖縄防衛局

新しい情報ー発信更新中高江緊急発進
 公判中沖縄防衛局高江襲う。
 防衛省、沖縄防衛局に抗議の電話を。
 あなたのメールなどで情報をつたえてください。
  これから、防衛局交渉に向います。公判中責任者がいない高江襲う。やはり、真部朗、やり追った。
   (12:40)

image003.jpg
(18時更新)
 那覇では裁判、高江では強行ーヤクザより悪い。民主党政権。
http://takae.ti-da.net/
  (18:10更新)

QABステションQ
 高江とヘリ基地反対協交渉レポート
http://www.qab.co.jp/
  (20:30更新)


少ない人数で、ダンプ1台だけで止めています。すごい!
 車で24時間監視体制のみなさん、山の冷気に万全の態勢取ってください。
21時28分更新
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本質を観る目、=展望を拓くために辺野古の浜から



高江情報とお知らせ
 沖縄防衛局交渉ー沖縄防衛局名護事務所問題
   1月26日(水)3時

*高江ヘリパッド・第6回高江住民弾圧裁判のお知らせ*
「第6回口頭弁論」
日時:2011年1月26日(水)午前11時から
   午前10時から事前集会があります。
   午前10時35分から傍聴整理券配布
   裁判終了後、報告集会を行います。。


 こんな日に、沖縄防衛局長真部朗は、高江襲撃するまいと思うが・・・・・。

 辺野古浜有刺鉄線問題について
  何が国民の認識として、今、大事か
 辺野古で米軍が有刺鉄線建設、沖縄防衛局は高江の作業開始24時間体制で「共同戦線」(住民運動の分散)のように見える。
 有刺鉄線は新聞・テレビも大きく取り上げている。新基地建設、辺野古の闘いの根本的問題であろうか。
 この有刺鉄線が問題になったのは、06年である。04年は台風が13個来襲、当時は海上闘争の激しい年であった。
 幾度も台風で流され、戦場の有刺鉄線になった経緯がある。兵舎の建設とは異なり大騒ぎするものではない。
メデイアは当時辺野古漁港の浚渫に伴い道路沿いのテントを現在の場所に移したときも(海上闘争の初期)、重大ニュースと報道し、内部でかなり批判された。公開はしていませんが浚渫請負業者とかなり交渉し、約束ごとつくりあげていた。むしろ、海上闘争の展望できる場所を模索していた。現在の場所は、闘争指揮所としても、学習の場所としてもいい場所である。本質にかかわる問題ではない。

 もし、あのとき、浚渫も海上闘争も同じと闘い組んでいたら。今日の到達はあり得ない。
いま、直面する重要なこと辺野古は防衛局名護事務所狙いや規模明らかにし、高江を止めること、高江に大きな結集を作りあげること、沖縄防衛交渉は反対協の幹部を信じ、すべての力を高江に結集すること、26日は裁判も高江現場闘争も重視だ。
 
 裁判は被告と弁護士中心に耐え、現場をおろそかにしない。
 この問題(フエンス)も報告事項になり得ても、闘いの主要な議題とはなりえない。

 この工事が、作業ヤード計画と同じ構造で有れば、重大問題である。
 
目をそらされないようにすることも「宝の海」の一貫した立場である。

 石川真央女史の以前の写真集を見ると海兵隊員が簡単に越える粗末なもので、辺野古闘争の始まる前までは外国女性が越えてくる米兵を待っていた。
DSC05443.jpg
 (25日、有刺鉄線設置工事、地方議員、NHKカメラ、仏教徒の抗議のテントなど、連日報道だが・・・報道はいいことだ。本質と目はシッカリと)

有刺鉄線に
  リボンをつける始まりー日本国憲法
 有刺鉄線が有名になるのは、米軍再編成(日米合意)の時期に、民間地砂浜に「これから先は、日本国憲法によって制定された法律で罰せられます」の看板建てようとして、米兵との闘いが起こった。米軍は設置できずに、沖縄防衛局の名前の入った看板を基地の中に建てた。

 私は憲法と安保を学ぶ大切な教科書にしていた。防衛施設局の看板を海兵隊が建てた。
 有刺鉄線へのリボン結びは、このころから始まった。
無題H
現在の立て看板
DSC05445.jpg


 悪戯心
  「拝啓額賀長官殿」
 今、「しまった」と思うのです。
 遊び心で、06年7月13日、沖縄タイムス「声」欄に、「拝啓額賀防衛長官殿」と次の2点を書いた。
  ①憲法、自民党憲法草案を米軍にささげるのか
  ②沖縄県警はキャンプシュワブの米兵を「銃刀法」違反で直ちに逮捕せよ。
 翌14日、日本国憲法は黒く塗られた。夜、ブログ「宝の海」に、看板は「これから先」となっている。朝、「有刺鉄線と看板の間を、私が歩きます。どうぞ、よろしく」と書いたら、未明に看板撤去。現在の看板になった。(この始末記、ビデオカメラマン大島氏が写真に撮ってあると思うのですが)
 これより大事なことは
 憲法研究家も「日本の法律(法令」がなんという法律?知らないことである。
 
   なんという法律ですか。有刺鉄線の本質です。
 1970年代までは、基地問題に関心のある人の常識でした。
自衛隊基地は「なんという法律ですか」


 幅広い訪問
  辺野古に行く
   地方議員の沖縄研修は
カン首相の施政演説読んだ。「現実主義」を美しい言葉で彩られている。沖縄県民は「現実的対応」が非現実であることを証明した。日本国民が「現実を冷静に見つめ」、対米追従をあぶりだす年だ。あえて、今、書く必要はない。
 辺野古テント村から電話、訪問団体多い、超党派議員研修(5自治体)、宗教団体(4)、労働組合、小学校「総合的時間」などなど、カメラに納める時間無し。
 今年になって、自治体議員の研修増えています。再編成交付金と名護市の変化などの質問多くなりました。
 各地の市民運動、平和運動は、自治体、議会が沖縄に足を運んで「研修」することも大事です。地方から日本の民主主義、平和の課題、政府の地方いじめ、新しい世界が開けます。私たちヘリ基地反対協は有能な議員団持ちますから、辺野古「研修」に責任もって派遣できます。
 振興策、再編交付金に対する具体的問題、あるいは基地のない県での闘い方、自治体の持続的発展の交流は今日的課題と思います。
DSC05447.jpg
 (奈良県広陵町議員団、町長さんが真先に稲嶺市長、伊波前宜野湾市長激励の手紙書きました。お礼を述べると共に、辺野古14年を語る)
 
 オバーたちの出勤日(14年)
 多くの団体、記者たちの取材、嘉陽のオジー(87歳)は、浜で4時間説明、取材を受けていました忙しく、カメラに納めること出来ませんでした。
DSC05456.jpg

高江の2009までの闘い動画アップされました。
 防衛局に詰め寄る私も出てきます。黒い潜水シャツに雨靴です。
 伝説では、辺野古の海から駆け付けたとなっていますが、ブヨ対策でたまたま潜水服、確か、08年8月23日だと思います。
http://takae.ti-da.net/<




プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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