スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

平成19年度事業ー4年間繰り越せる!

高江20日情報
 1袋も降ろさせるまい
 動けぬ沖縄防衛局
民主党政権よーあきらめたらどうですか
DSC07077.jpg
 さて、日米政府どうする。愚かな・・・・・
  その意味は明日述べます
スポンサーサイト

共同体的民主主義の力ー形式民主主義の虚構の中で

高江ー2011年前半の闘い終了(?)
 28日 高江に結集しよう。
全国は抗議の輪を!
  


 天気予報は晴れ、25度まで上がるようです。
水忘れず お弁当忘れず
 朝、道路を鳥たちが飛び交います。安全運転。
 私は塩分補給のため島ラッキョー持参します。

お知らせ
第7回高江スラップ裁判

日時:2011年3月2日(水)11:00~
場所:那覇地方裁判所

※那覇地裁前広場にて10:00~事前集会を開きます。
裁判終了後、報告集会を開きます。



高江に向う前に
山原の森を守る闘い(歴史メモ)
  (『沖縄祖国復帰闘争史』写真集からヤンバルを観る。写真はすべて同書からコピー)

 「売国奴佐藤」の叫び
 1965年8月19日、佐藤栄作首相「沖縄の祖国復帰が実現しない限り日本の戦後は終わらない」と言いた。いくどか取り上げてきた。密約によっていまだ沖縄は「戦後」の状態が続いている。
 吉田首相はじめ歴代内閣の罪が問われている。

B無題
 佐藤の来沖は、琉球警察が米軍の手先になり、沖縄の闘いの弾圧体制を確立した歴史をも持っています。
 佐藤首相は天久東急ホテルに来れず米軍の迎賓館に逃げ、解散時、機動隊がデモ隊に襲いかかり天久米軍住宅の金網(現那覇新都心、ゲートは現パチンコ店近く)に民衆が重なり押しつぶされ、私も、眼鏡を割られ、体中に血が流れた。
ですから、
 高江で「沖縄県警は、過去に戻るな」と言い続けている。
A無題
 伊江島非暴力の闘いは、ミサイル配備、1966年非暴力の行動で撤去勝利する。
無題K
 北部訓練所
  実弾射撃基地撤去の闘いー一発も撃たすまいー
1970年12月19日、金城トヨさん轢殺無罪判決抗議集会(糸満)、20日、いわゆる「コザ騒動」を背景に国頭村安田「国有林」の大闘争が組織される。
 ヘリで次々に運びこまれる大砲。
 (地図25日ブログ)
C無題
 有刺鉄線を破り、先陣を切った女性たち、海兵隊も、機動隊も恐れず。当時の記録に私は安田の女性たちの動きを「ジャングルは庭」と書いてある。闘いの中で昼食、安田のお母たちの声は「でっかく」山に木霊し、笑いも爆発的である。
 照葉樹林の森をズタズタにするのは、昔米軍、今、沖縄防衛局、
え無題
 中学生も海兵隊に立ち向かっている。
 (写真中学生?)
F無題
 わが後輩金城祥一郎君の
   凛々しい青年期(右、現大宜味村9条の会会長)
無題d
 懐かしい顔が
無題J

 民主主義の力
   正義は堂々と
1、沖縄の戦後史は無権利の中から実践的に人権や民主主義の獲得であった。今日の写真は直接的な闘いの写真である。伊江島であれ、国頭であれ、共同体の民主主義の実践的成果が色濃い、安田の指導者故宮城定正氏(人民党安田支部長)は村の最高機関「常会」(戸主の直接参加)を大事にし、戦略、戦術を組み立ってています。
 1971年4月27日、辺戸岬、最後のかがり火(復帰闘争のシンボル的行事、28日27度線で海上大会)、宮城さんらは、海兵隊が無残に切り倒した材木を運んでかがり火にしています。
  (岩崎書店『子ども歴史風土記』47巻、1982年「辺戸のかがり火」執筆)
2、伊江・安田の闘い、ヘルメット、マスクで自分を隠していません。1970年代ヘルメット・マスク時代です。辺野古の闘い、灼熱の太陽の下でマスクなどで顔隠した人、参加許していません。女性「マックロネシア美人」求めています。安田の女性たち権力のカメラに「ヤナカーギー(ブス)に撮ったら承知しない」と言っています。
 高江、わたし「初めて来られるみなさんへ」で、肖像権で喧嘩するの「やめなさい」と「喧嘩」しています。人権意識のない奴と思われていますが、大事なことです。

 2月28日、高江、民意確立の基礎作るための大事な1日になります。歴史に学び、最終勝利のための誓いの闘いの日にしましょう。 


アメリカでも問題になり始めた高江
沖縄ヘリパッド工事批判


思い出の1972年(沖縄返還)
反射鏡:今も残る沖縄と本土のギャップ=論説委員・中島章隆/teruo024/20110227130932e52.jpg" alt="無題l" border="0" width="291" height="400" />
プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。