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地震・津波

東北地震・大津波
 
全国のみなさん
 
引き続き 
注意しましょう
東北地方の友人のみなさん心配しています。
 八戸への友人のみなさん。津波の映像観て心配です。

地震・津波の中「宝の海」沖縄情報休みます。
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11日社説

沖縄タイムス社説
http://www.qab.co.jp/
 琉球新報社説
メア氏更迭 普天間撤去への転機だ 通用せぬアメとムチ

高江今、50年前

連日数回の更新になっています。
 静かなる時、矛盾は露出します。
いかなる目が必要か
 高江小史ー今日も満杯だ

高江は「陸の孤島」
 高江公民館です。(50年前の公民館と共同店=続きに掲載)
 1960年代まで高江は「陸の孤島」と言われ、タケー・アラカーは辺鄙の代名詞であった。高江と言っても牛道(この場)、新川、高江)からなって、きわめて広い範囲を指す。
 村営住宅があり、広い公園がある。

DSC07687.jpg
 3代目高江小中校、
  国頭地方、大宜味村など中学校合併が続くが高江は併置校校で続いている。時代、時代に閉校が問題になりましたが、今、子供が元気な「陸の孤島」である。
 この村の面白さがある。
DSC07688.jpg
 2代目高江小中校跡地
 曲がりくねった急な坂を下ります。2代目高江校跡地でここが新川。 
1958年中学修学旅行、1962年と2度この中学校に宿泊している。
DSC07692.jpg
2代目高江校の近く流れる新川


DSC07694.jpg


 手前古い橋、向こうに新しい橋
DSC07698.jpg
 さらに、谷から上ると高江、ヤギ牧場の看板と扉で入れません。太平洋に面して絶壁になって、段々畑が海まで続いていた。
 この断崖近くは蘇鉄群生、庭園業者が採りつくした。
 沖縄戦那覇泊の人々の疎開地、ミミズまで食つくし、捕虜になる。
  拙著『中村梁仁王虐殺の碑を訪ねて』(天皇の軍隊の住民虐殺)
 
DSC07702.jpg
 高江尋常小学校、高江小中校発祥の地
DSC07709.jpg
 断崖の頂上に喫茶店が建ちます。
DSC07704.jpg
 国頭村美作
   海水揚力ダム展望できます。
 左に獣道への柵が見えます。
 美作への道、安波への1960年までの交通路です。海岸へ降り、谷を上り、また、下り。
  (続きで写真紹介) 
DSC07706.jpg
 パイナップルが
  高江を変えた?
 1950年代後半からパイナップルとキビが注目を浴びます。広大な台地を焼畑で開墾し、耕地が広がります。薪から石油コンロに変わってゆく時代でもあります。
 沖縄基地増設はキャンプシュワブ(1958年)で終わり、アメリカ製のブルは道路建設、林道建設、農地開発に投入されてゆきます。
 この広大な台地に、他村から移住が始まり、パイン産業全盛期を迎えます。
さらに、1970年代に入ると、福地ダムに関連する農業構造事業などで農耕地の拡大が進みます。
 北部だけに7つほどのパイナップル工場がありました。ダム、海洋博で労働不足、台湾から女工が導入されました。
 家族労働が崩壊し、子どもたちは家庭内賃金労働者になり、教育現場にも「豊かさ」ゆえの弊害が生まれていました。記録は『学園に愛とロマンを求めて』に納めています。
 貿易の自由化はたちまち、北部の農業を破壊してゆきます。
DSC07723.jpg
 広大な農耕地が
  高江の至るところにあります。
 県道70号線を高江に北上します。松の林が見えます。かって、パイナップル畑でした。キビが収穫された向こうに放置された畑が見えます。

DSC07725.jpg
 (ハイベスターでキビ収穫終わる)
 1990年代
   新しい人々の住む高江
 「豊かさとは」と、80年代後半から問題となります。
 90年代に入ると県内外からの移住が始まります。緑豊かな自然に住みたい、休耕地の活用で自然的農業をと。しかし、SACO合意のヘリパットが村を襲った。2007年である。
DSC07724.jpg


 今日もまたドラマが待っているか。
( 続きー高江の50年前ー過去から現在へ)

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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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