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勝利した国頭村安田の闘いに学ぶ-「タダチ」に連発の嘘の中で



 「タダチ」の嘘
日本の原発事故対処の貧弱
 アメリカ軍や外国技術導入報道ーいったい日本の原子力研究者は何をしてきたか、自分の国の原発事故とりしきれない。だとしたらこの国には原発いらない。
自分の国で責任を負えない原発はいらないとともに、余りにも無責任の世界だ。原発最初に「はしゃいでいた」学者、一体?記録忘れて悔やんでいる。中には子どもと孫、東京から避難させたのもいるようだ・・・
 スタジオではなく、現場で解説せよと言いたい。誰でも放射性物質爆発でないと「直ちに」わかっている。「直ちに」「直ちに」みんな同じ。「直ちに」でなければニュースキャスターも現場に立てば信用するが・・・・

人民が団結すれば勝てる
 「伊部岳実弾射撃阻止闘争碑」
 

先人たちの偉業から学ぶ

小さな村見捨てなかった村民、県民
「宝の海」では、安田実弾射撃阻止闘争、いくどか、書いてきました。急な用があって国頭村楚洲まで行ってきた。ヤンバルクイナが道路を横切った。鳴き声がいくどか聞こえてきた。
 最近では、3月27日の日記に、東村での街頭演説文を掲載しています。

 辺野古および東村高江ヘリパットを勝つために、この碑文から学び取りましょう。
DSC08580.jpg
 3月27日ブログ
http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20110327.html

http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20110327.html

DSC08581.jpg
 碑文を掲載します。読めますか?
DSC08583.jpg
 1970年12月31日
DSC08584.jpg
 やったぞ!米兵帰れ
 1960年代、ベトナム戦争ジャングル訓練の場であった。
DSC08586.jpg
 森と水、安らぎの里
 有刺鉄線乗り越えたのは女たちであった
  中学生も母親たちと海兵隊に立ち向かう。2月28日ブログ参照
 
DSC08588.jpg
 2月28日ブログ
http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20110228.html
 『歴史地理教育』1971年4月号に
 闘いの記録残しています。
無題E

私の調査記録
  70年2月27日 ヘリでブル降ろされヘリポート建設始まる
  70年4月27日 辺戸かがり火大会、宮城定盛村議報告、大衆的広まり見えず
  70年6月22日 「爆発物のため危険」の看板立つ
  70年12月21日(碑文22日) 海兵隊 国頭村当局へ通告
  70年12月30日、比嘉正夫氏と安田へ、村の動き緊迫してない。(那覇に帰る)

 闘いは、いきなり山を作るものではない。2月にブルが降ろされ、12月31日まで、民衆は何をしていた。碑文の文章に見えない。

 私の記録には
「北部山岳地帯における闘いは、日ごろおとなしい農民の知恵の中から生まれた闘いであった」
「これらの山を「安田国有林」という言葉」(日本憲法及ばない時期)
『胸中にあったものは、具体的自然条件、社会的歴史条件を分析して行く」
「 この年、選挙で自殺者も二人出ている国頭村」(記述まとめてみた)                                                   
 闘いの旗は「白い旗」「白い煙」
「ジャングルの中を動き回る村の人々は、庭を散歩しているようである」
「安田区の人々が徹底した討議を行い、闘いの意義、戦術が詳細に、そして用心深く行われていることである。」
 (回顧、用心深さで「緊迫してない判断」し那覇に帰る判断したと思う)

 碑文の闘争配置、実に見事である。135ミリ榴弾砲が撃たれても動じない布陣と女子と子ども果たす役割も見える。
 1970年という年は、沖縄にとって激動の年でもあった。

「闘争碑」の近くに
  こんな風景がありました。
 高江の闘いの中、やんばるの東側は広大な台地、持続的開発能力を持つと述べています。沖縄の風は約60%が北東の風、この風車から東村までは広大な台地を海兵隊ジャングルクンレンセンターとダム群が重なっています。海水揚力発電ダムもある。ヘリパットがいかに危険であるかわかります。
 国頭村が村政100周年で、闘いの碑刻む意義が見えます。もし、あのとき・・・・

DSC08577.jpg
 (闘争碑の近くに)
 先人たちの偉業から、私たちは、学び、明日を展望する。
 過去を学ばざる民族は滅びる


 在日米軍費「赤旗」
米軍駐留経費協定
 赤旗
「思いやり予算」協定の承認


4月2日15:30追加更新

1960年代
 「ベトコン村にされた高江」
  平和新聞4月5日号
無題F
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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