スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

NHKドラマ「テンペスト」と母の遺品

台風6号は、発生から日本列島かすめるまで異常進路、変わった台風。東北それたのは幸いである。

水戸黄門が来れなかった邦
 NHKドラマ「テンペスト」
 水戸黄門は終わりのようだ。わたしらの世代のテレビは「水戸黄門」の歴史である。とうとう、水戸黄門は琉球に来れなかった。それは歴史的にも、現在でもメデイアでは描けないばかりでなく、現実問題として、触れたくない世界でろう。

 NHKが「テンペスト」で琉球処分(1871年)のドラマを10週にわたって放映、史実への忠実性は別として、聞大君の周辺も描いている。琉球王国は滅んでも、聞大君は1946年まで続くようだ。琉球王国の支配機構の重要な柱でもある。聞大君はノロ制度で地方支配を行った。

 偶然の一致か、私も、琉球の地方のノロ制度をクエーナ(オモロを構成)と古謡から、古琉球・琉球王国形成期、完成期をメモしていた。

 史実は大事だが、琉球王国成立、琉球王国完成期を伝承と古謡の世界、特に、農村の変化、食料革命ともいううべき生産活動、琉球の大貿易時代のいきいきとした民衆を一つの村の古謡から、少年時代の原風景(私の幼いころまで琉球の原風景は残っていた)を重ねてメモしている。
文字の持たない民衆は、伝承と古謡で村を語り継出来た。村の地名、遺跡から、民衆の歴史を見るのも無意味で無いであろう。

 イネやイモの伝来、豚やヤギの伝来(朝鮮人漂流記の古琉球に出てこない)、そして、農民たちの汗、琉球王国成立期の琉球王国の人民は約17万人、今日、世界歴史遺産となる琉球グスク群を形成する。17万人の琉球王国の歴史が世界遺産となり、琉球王国がいくどかNHKのドラマとなって登場してくる。私は、クエーナ、古謡を聞いていると、16世紀の西洋の食料革命の状況が、17世紀の、この琉球にもあったと思うのです。
 植民地支配と
  那覇総領事

 その中には自然の御嶽、王陵も含む。王陵を守った青年時代の闘いは「宝の海」で公開した。アメリカの植民地支配は琉球の文化を根絶やしにすることでもあった。
 「テンペスト」に出てくる聞大君の金の簪、ヒスイの勾玉は、地方のノロ組織にも賜った。私の家にも現存する。けれども、ヒスイの勾玉は米軍の将校が「奪った」、メアー・グリーン総領事に書簡送るのだが、無の飛礫。
 アメリカ那覇領事館に照会している時に「テンペスト」のドラマが始まった。琉球王府は地方の組織にも勾玉と金の簪を賜り、精神的な支配とした。

母が私の命とともに
 沖縄戦で守ってきたもの
 沖縄戦、母は米軍の銃撃を受けながら、私と家族の食料のために命をかけた。また、母は祖先伝来の神具も守った。多くの文化財が奪われた。母が守ってきたもの、戦後も、米軍将校が奪った。
 「テンペスト」第1回で竜に囲まれた場面(主人公仲間由喜恵)が出てくる。あの中で出てくる勾玉の地方版、アメリカにある。将校名も子供も知っている。手紙を書いても戻ってくる。領事館なら調べられるであろう。「宝の海」ではいくどか掲載している。
 今日は、母が自分の息子と同じく守った遺品を掲載する。
「テンペスト」の簪とどう違うのか、見比べている。

 戦争と占領の中で奪ったものは、アメリカは沖縄に返すべきである。一人の琉球人の手紙に何の返事もよこさない領事館は植民地弁務官(代官)でしかない。
 公開するべきものではないが、あえて、「テンペスト」の中で公開することにした。
 琉球王国の文化財をアメリカから取り戻そう。
私は、現在の沖縄だけでなく、琉球のアイデンテテイーも含めて、現在の沖縄の闘いはあると思う。

 1960年代、私はベトナムから沖縄に帰還した米兵が沖縄の古い陶器を買いあさる状況目にして「沖縄ヤチムンの会」の呼びかけ人になって、沖縄の陶器を集めるのに没頭したことがある。「ヤチムン」の会はまだ続いている。今は陶芸家集団の一団体がが、その機関紙9号(09年)に「沖縄の大切なもの奪われてはならない」(A4約10枚)を書いている。異例の掲載原稿である。
DSC09708.jpg
 (母が守ったものの一つ、数百年の伝承の事実として公開する)
 地方でも古琉球の大航海時代(14~16世紀?)をオモロ(クエーナ、一般的に30番、長いのは50番を超す。)を次のように謡う。(ヤマト口に直しました。下記説明)

 勾玉は確実に伝承されてきた。(1429年琉球王国成立、それ以前からの伝承か?)、地方から、伝承や古謡から琉球を見てみたいと思うのである。門外漢だが、わが少年期の生活に伝承は、いまだ、脈脈と存在していた。
  10・11、すぐれた大工を頼んで、黄金大工頼んで
  
  12、銀のような立派で丈夫な舵を打ちかけて
  13 黄金のような立派で丈夫な舵を打ちかけて
  
  16 黄金のような立派な帆を 押し立てて
 
  20、泥の海も 分けぬけて
  21、泥の海 走り抜けて
  22、日本の港に着きました。


  23、曲玉は 私がいただいて
     私は濡れた
 (奥間ウンジャミ「タマガーラ買に大和旅」クエーナ、琉球短歌は8886、クエーナは55を基本とし  ている。謡は、サンシンを伴わず。小太鼓である。古語故、解釈に苦労、玉栄清良『平屋敷朝敏の文  学』二つのクエーナ訳されている。未公開のクエーナなどに挑戦中)


 回顧
 わが『座り込み闘い」は、琉球の歴史遺産保全闘争から始まった。
  6月20日「宝の海」(続きの項)
http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20110620.html
スポンサーサイト
プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。