スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ネズミと猪の逆襲に立ち向かう国頭地方


 沖縄地方から大きな雨雲が北上しています。フイリッピン南熱帯低気圧、東経40度・北緯10~20度付近にも大きな雲できました。太平洋高気圧の張り出し、6号の異常、天気が不安定で雷がゴロゴロ。海上で竜巻発生するしれません。
 赤旗「続原発の源流と日米関係」(1)は、「2プラス2」から始まった。興味ある記事だが、明日まで、琉球の古謡に集中する。後、わたしなりのメモ。


 高江・原発の中で
 よくも、イモと猪、書く暇があるのか、緊張感がないと思うかもしれない。辺野古でも緊張感のないといわれた。
 今日は、里山を見、名護の里山に新興住宅地になった大北区5班の夏休みの1日(続きで)を見てみよう。

 古謡から見る琉球の地方(3)
  イモから見る
  琉球・沖縄史―イノシシの逆襲
 琉球王国の成立、薩摩支配の中で、山は荒廃し、沖縄的里山が形成され、それを、イモから見てきた。古謡と少年期の原風景から推測してきた。
 さて、山の荒廃と里山の形成で自然の生態系にも異常が生じていた。国頭地方の農家や村落はイノシシの逆襲を受けるのです。

 今日、国頭地方は、海岸から森になっている。国頭の沖縄戦「山から米軍の動き、見ていた」の証言、状景理解できる人少ないでしょう。
 今、里山と森の境界をなす指標は、植物形態としては椎の木である。

 人間の残した遺跡はイノシシ垣根である。琉球・沖縄史の中で、国頭地方の農業史はイノシシと人間との闘いと言っても過言ではない。イモや農産物の多様化はイノシシの繁殖をももたらしたと言える。
 さて、次の記事を見てみましょう。

 沖縄の万里の長城
  イノシシと人間の壮烈な闘い
 まず、最初に
琉球新報「コンパクト事典」を見てみます。ネットで「沖縄の猪垣」を検索するのもいい。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-40199-storytopic-121.html
 ネットの動画
http://www.youtube.com/watch?v=En5NFS-5QGc

 賦役労働
 米とネズミの伝来は同じと言われている(柳田國男『海上の道』)。私の少年の記憶には村落共同体の協同労働には「ウエレー」と「ブー」と言うのがあった。前者は村落共同体の自発性的側面があり、後者は賦役労働的意味合い(王府時代は首里城や官僚たちの御材木賦役労働、すでに、古謡「虎頭山節」で紹介、「国頭サバクイ」が代表的である)を持つ。

 山の荒廃はすでに書いた。王府は大宜味・国頭地方では馬の飼育禁止、人間が担ぐことで乱伐を防いだといわれる。

 奥間平野は沖縄でも3大美田と言われた。稲の収穫が終わると、この平野に土地を有するすべて(老人、幼児を含む)が、ネズミ撲滅作業をする。二期作だから年2回と記憶している。これらの協同作業終わると大人たちはヒジャー料理、豚料理にありついた。王国時代も同じであったろうと推測される。
 (ネズミの話は尽きないが省略)
 
 猪垣は
  村落を包む「城」
 大宜味村の猪垣根4・7キロ、1776年から修復と記される。私が観察するに10kmを越える。大宜味村、大保の尾根から謝名城まで、石垣、山を垂直に切り取っている場所もある。敵(猪)から生産地を守るまさに城である。竹林を密植形成して竹を編んでの猪垣根もある。森には、幾重にもイノシシの落とし穴が掘られている。森と里山はいきなり椎・カシの密林になるのではない。竹茅の空間があって、イノシシの落とし穴が無数にある。家の屋根は竹の茅(正確な漢字出せない)である。竹茅地を形成、そこの樹木は低木、巨木にならないように適当の高さに切る。ムチャ(トリモチ)が多く子ども時代、トリモチの木を探した。、ワラビで落とし穴は塞がれ、危険であった。
 1960年代末期から、家の屋根がセメン瓦、コンクリートに代わり、里山消えると椎の樹などが成長し森となっている。

 ウンジャミのクエーナ
 イモの話は、国頭地方の神事ウンジャミ(海神祭と一般にいわれている。旧盆終わった干支の日)の古謡クエーナから始まった。ウンジャミに登場する動物は、まず、イノシシの狩りである。ニライカナイの神の住む海に流されるのはパパヤに挟まれた生きたネズミである。

 NHK ドラマ「テンペスト」が始まったので、クエーナは古琉球(琉球の大航海時代)から紹介した。マキ世時代の村作り、家つくりのクエーナを母が謡い、玉栄清良琉球大学教授が『平屋敷朝敏の文学』に現代文に訳している。
 村の場所を定め、家の場所決め、山から木を切り出し、家を作る。竹茅を乗せる場面である。
 
 「家茸のクエーナ」
  (前略)
 奥の山は このところか
 伊集の木は しっかり立てて
 何度も斧を 打ちかけて
 何度も斧を 打ちかけて
  (中略)
 たくさんのたくさんの
 茂った茂った
 屋根に乗せる茅も 持ちよせて
 強く締めて
 
 思うに、私の村から見るに、イモの畑の開墾は部落時代の竹茅には手を付けていない。この地帯は1950年代にブルドーザーの時代に入っての開墾となる。
 猪垣はマキヨ(部落)時代から、長い年月かけて築きあげられたのか、特に、イモの時代に入ると修復に修復を重ねた、琉球の万里の長城である。
 生産や労働が自分のものとなった時代は、歌もいきいきとしている。

 御馳走さま
  「タラジーサビタン」
 海・山のものを頂いたら、御馳走様と言ってはいけません。タラジーサビタン(不足しました)と言うのが喜ばれる。もともと、沖縄には「おはよう」などのあいさつはない。私の小学校時代、沖縄はあいさつは下手だと言われた。

 家で掃除をしていると、となりの奥さん、掃除しているのがわかるのに、「ヤーヌ―ソウーガ」(なにしているか)と声をかける。「掃除している。お茶でも飲まないか」と返す。
 「わったー スーが、ミーバイ、クワーチ、ナマ、アチコウコウー、ヌリカナ」(夫がミーバイ(高級魚)釣ってきた、御汁、アチコウコウー(熱い)、飲んで行け」となる。

 奥さん、御代りまでして「タラジーサビタン」(不足です)と帰ってゆく、このあいさつの豊かさこそ、沖縄的です。高江で私が提供したイノシシ料理食べたら満腹しても「タラシ―サビタン」でお願いします。

 辺野古では魚食べたら「たらじー」が理解されて来た。次はもっとたくさん捕れるよう願っています。
沖縄あいさつ知らんとある教育者書いた。あいさつを、旗本のタマタマの早起きと同列にするなと書いたことがある。
 「ハイサイ おじさん」は立派なあいさつ。

 狩り、海に打ち上げられるの、それは、独り占めしてはならない。すべての人に分かち合う。
 
 「家茅のクエーナ」
 家が建ちお祝い、村の人々が総出で家が建つ、5・5の単純な謡だがいきいきとしている、村人招待してヒヌカン(火の神=台所の神)やニライカナイの神への祈りで終わる。

  16、 赤い皿の 白いご飯を
  17、 たくさん盛って 溢れるほど盛って
      神様に上げたから
  18、 男の子を お授けください
  19、 女の子を お恵みください
  20、 今日も明日も
      お祝いばかりつづくよう
 私が少年の頃、子どもが生まれると、若水とって、子どもに蒔いた。1歳の誕生日(確かマンサン祝い)と言って、沢蟹、本など並べて、何をとるか、家族でワクワクし、軒下に桑の木で作った弓矢を刺した。

 村に伝承される琉球王国期の古謡になると儒教的道徳が厳しくなるのか、次の古謡は1番で他人の夫を奪ってはならないと戒める。
 古語を正確に理解してはいないが、
 薩摩支配の琉球王国は、冊封使の持てなし、江戸への慶賀史、薩摩への貢納で、農村は賦役労働的生産(サトウキビ、うっちん、米、(7公3民、8公2民)材木、薪のブー(賦役労働)などの課税で生産、道徳的にも疲弊した。
 人身売買、女の子は、那覇の辻(遊郭)へ売られ、首里。那覇の特権階級は遊郭で泡盛と琉球宮廷料理、琉球舞踊に明け暮れていた。
 「貴族や士族がわが世の春を謳歌した封建社会は、百姓にとって生きた地獄であった」(『奥間郷友誌』)

 ドラマ「テンペスト」を見るとき、台風などの飢饉に蘇鉄も喰えず死んだ民衆の琉球王国末期を見る目も欲しものだ。

 「恨む比謝橋や 情ないぬ人の 吾渡さと思て 架けて置きやら」

…恨めしいこの比謝橋は、私を遊廓に売り渡す為に非情な人が架けておいたのだろうか
 (遊女吉屋チル8歳、18歳で自殺)
 下記歌は、遊女を首里の貴族が見初めたとされる歌、技巧的である。でも、沖縄の桜は散らないから水に浮かない。ただ、国頭の山奥には山桜の花(ツツジの仲間)が、滝壺をピンク色に染めて浮く。大和旅した官僚が大和の桜見ての歌であろう。
 多くの少女が色町に近代日本になっても束になって売られた。

「流れゆる水に 桜花浮けて 色美さあてど 掬て見ちやる」

…流れる水に桜の花が浮いている。色があまりにも美しいので手にすくって見たのだ
  (歌および訳、ネットより)


イモと豚で見てきたのだが、琉球の偉人羽地朝秀、祭温などは疲弊した社会、開墾、山林再生など力を注いだ。呈順則(名護親方)は、儒教道徳、教育で琉球王府の矛盾を解決しようとした。

 呈順則の「六諭」の一節である。

尊敬長上(長上を尊敬せよ→目上の人を尊敬し、礼儀正しくしなさい
各安生理(おのおの生理に安んぜよ→自分の境遇を受け入れ、努力しなさい)、簡単に言えば、お上に逆らうな。
 古謡に。
 かしたらじ たらじ
 ぬちまでん たらじ
 ぬちぅむる えまや
 さとや いもち
  (奥間臼太鼓ーインチャーウーヤー)

 まず、「インチャーウーヤー」がどういう意味なのか? タラジーを「不足」「満たされません」と書いた。「たらじ」は欲望抑制、あるいは不貞、夫を失った女性と理解したとき、命あるまで、「さと」(あなたの夫は、あなたの中に生き続けている)とでも、解すべきか。このような歌が詠まれるということは、クエーナの時代とは違い社会が乱れていたのではないか。「テンペスト」は琉球王国末期、王府の女性の欲望と乱れで、第一回は終わった。

 民衆の欲望(色、恋)はシングと言う古謡に多いようだが、王府に禁止されて、村の伝承は聞いてない。シヌグはモーアシビーとともに貧しき民衆の生活であった。首里の貴族、那覇の特権階級は、辻(遊郭)に性のはけ口を持っていた。
 民衆には「タラジ」を強制した。
(参照、民衆の恋は恩納ナビの歌の明るさと強さ、吉屋チルの内に秘めた恋の絶望、拙著『啄木と沖縄』に晶子と山川登美子と対比している。)

 明日は「『労働演劇』ー国頭サバクイ」

 
 





続きを読む

スポンサーサイト
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。