スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宜野座村長のコメントーどう見るか(2)ー普天間爆音訴訟



 宜野座の水と辺野古ダム
 
 命の水で村の明日を
   命のダムを廃棄する基地誘致の違い


 宜野座村長が新基地推進を担ってきたことは、昨日の日記で書いた。昨日は沖縄タイムスの記事、琉球新報の東宜野座村長のコメントの概要。
 
「松田ではリゾート開発計画があり、海が汚染されては納得がいかない」
「観光立県を目指す中で海は命、きれいな海を埋め立てるのは財産の損失だ」「知事意見は県民を代表するもので専門家の判断が反映されている。国は意見を尊重して基地を作らない方がいい」

DSC01735.jpg
(ヘリ基地反対協総会(29日)でも、宜野座の変化に触れる。開会あいさつ)

 命の水と
  命の海
治水・灌漑・ダム
 昨日、宜野座に友人少なくないと書きました。広大な台地が広がるとも書きましたが、台地は灌漑が難しい。20年前、宜野座の友人が畑に案内して自慢したことがある。水道水で農業に自由に使えるようになった。
 水が豊かということは単一作物のキビから、多様な農作物が作れるということ、そして、土地が多様に利用できるということである。
 宜野座村は有機肥料含め、農業機材などに農家に補助を行っている。財源は軍用地代であると聞いている。現在、ジャガイモを中心とする地域の農業に力を入れている。
 宜野座の森はキャンプハンセンと重なるが、伊芸の大地が実弾演習で赤土がむき出しているのに対して、森が生きている。
 漢那ダムなどの開発が終了して赤土汚染も落ち着いて、広大なイノーはモズク養殖が盛んでウニにも力を入れている。
 阪神タイガースの春季キャプとも結合して、リゾート(漢那ビーチ)など賑わい初めている。村民の生産活動の多
様化は行政の思考を変えた。

 金武町の山は赤土むき出し
  (キャンプハンセン)
DSC01740.jpg
 (30日、病院の帰り撮影)
 金武町の台地
  森に木も生えず赤土が
DSC01738.jpg

 新基地は農業と命の海破壊
  村民の持続的開発の可能性を奪う
 東海岸域の風は60~70%北東の風、新基地は松田区含む地域を塩害にさらすと同時にMV22オスプレイはリゾート、阪神キャンプの障害になる。
 水は命、命の水を得た宜野座の広大な台地は、そして、命のイノーは宝である。
 新基地の埋め立て工事、辺野古ダム周辺埋め立て土の発生地(破壊)、美謝川の切り替えは大浦湾含む外洋に赤土の流出を拡大させて、宜野座のイノーを破壊してしまう。これらのことは準備書への意見、知事への意見書の私の主張であった。
 命の海の持続的開発の可能性をも奪ってしまうのである。
 ダムやリゾートについてみる視点は、住民自治、持続的開発の視点が大事であろう。

 愚かなる前島袋名護市政とアセス
  辺野古ダムの放棄ー「財産の損失」

  (辺野古ダムの特性)
 知事意見の中で重視されているのは「埋め立て土砂」の問題がある。評価書は辺野古ダム周辺の森破壊して埋め立て土にし、美謝川をトンネルで辺野古弾薬庫に流す計画だ。そして、それは、辺野古ダムを放棄することである。
 玉城代議士がテント村訪問した際、嘉陽オジーが「辺野古ダムは宝、命の水、誇りあるダムだ」と言った。代議士は目を白黒させていた。

 みなさんは、ダム群と辺野古ダムの違いわかりますか。
2009年11月25日「宝の海」で安波ダムと辺野古ダムの写真掲載しています。
 よく、観てください。ダム本体は国道331号線。面白いです。それだけではありません。

http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-entry-155.html

 どんな旱魃でもダムの水は減っていません。地下から湧き出るのです。

 このダムの周辺から埋め立ての土取るのです。
「 日米両政府は14年までの代替施設完成を予定。アセス準備書では同区域から採取する土砂の量を約200万立方メートル、採取面積を約30ヘクタールとしている。」(沖縄タイムス010年5月31日)

 なぜ、辺野古ダム(美謝川)は渇水しないのでしょうか。その謎は、ダムから北に1キロほど散歩してみてください。国道331号線の森を覗くと昔のヤマダー(山の田んぼ)の遺跡と思われる湿地が見られるのです。辺野古岳の麓は盆地状態になっていることが見えるでしょう。シュワブ内の森にはさまざまな湿地が存在していることが推測される。
 いわば、自然の池が存在し、美謝川に地下から湧き出ていると推測される。この森を「埋め立て」で剥ぎ取ることがいかに「愚か」なことか。

 水は命です。辺野古ダムのようなダムは存在しません。今は基地ですが、持続的開発の豊かな台地と盆地です。

  (森は海の恋人)

 QABレポート
 普天間爆音訴訟提訴
 豊富な資料
http://www.qab.co.jp/news/2012033034684.html


PAC3配備 石垣では石垣港埋め立て地に
http://www.qab.co.jp/news/2012033034674.html
スポンサーサイト

東宜野座村長コメント―どう見るか(1)

 その1
 ヤンバルを考えるー私の体験的山と水、開発とダム

 琉歌
   やんばるぬ旅や幾度ん さしが(やんばるの旅は幾度もした)
    みるかじやねらん 山とぅ海 (見るのは山と海だけ)
 
部落総会に山羊も豚肉料理も出て
 出席者にはお米も?
確かに琉歌、そうだけれど、山は台地形成、特に、金武から高江までの東海岸は広大な台地となって持続的な開発可能性を秘めている。特に、大浦湾から金湾には沖縄でも広いイノーが伸び日本の500の湿地に上げられる。そして、キャンプハンセン・シュワブ、北部訓練所と海兵隊の基地が連なり、ダム群が共生しているのが特色である。

 中南部の基地が個人誘致を接収したのに対して、北部の基地は国有地(入会権)と村有地、部落有地である。町村財政に基地使用地代のせめる割合は高くなる財政構造になり、各部落とも贅沢な財政状況になっている。
 宜野座村には、知人少なくない。時たま、部落総会に出くわすと、総会場からもらってきた山羊刺身いただくこと少なくない。
て無題
(漢那ダムから、台地は広大な平野、明治山、久志岳・辺野古岳。左は名護湾、右の太平洋に台地が広がり、集落と農地をなし、海に広大なイノー形成)
 
 次回に宜野座村を見てみますが、私と台地開発(国頭村奥間)の体験を見てみたいと思います。

  水の力、ダム、灌漑施設
 人間の歴史は水との闘いである。地球の未来も同様である。
川があるから水は豊かであるとはいえない。川と水を制するのが水の恵みを受ける。
 1957年、辺野古基地の完成でブルなどの重機が余り、第1次とも言うべき台地の開墾と林道つくりが始まる。わたし(我が家)が50年代(小学生)に鍬とツルハシで開墾した土地をブルでより広くする。1960年代に入るとパイン・キビを中心とした農業構造改善へ転換する。第3次(1970年代から)はダムと大国林道などの山の林道とチップ開発と連動した台地の開発(ダム見返り事業)が進むとともに、ますます、赤土汚染深刻しイノーとサンゴ・サンゴ礁の劣化と荒廃が深刻化する。国頭地方の簡易水道も蛇口から赤い水が流れる。
 森は海の恋人
 私の故郷は国頭村奥間、比地奥間川の2ダム問題が持ち上がる。「ダムを考える部落有志の会」立ち上げる。その中で、みんなで討議して成し遂げた二つのことがある。
 
その1、沖縄1の美味しくて農業にも贅沢に灌漑のできる簡易水道を作ろうと完成させた。奥間川の入り口に、現在、動物保護センターが建つ、川は現在直線になっているが、以前は大きく蛇行して、村の子どもたちが泳ぐ広大な自然プールになっていた。この場所にボーリングを打ち込み地下水をくみ上げる。成功した。
 
その2、開発した台地の畑に農業用水がいくらでの放水できる飲料水兼農業用水を「開墾組合」で作る。与那覇岳の山麓の平坦な場所の川を掘り、パイプを設置、川の石をろ過装置にして、数キロパイプで引き、開墾地にタンク装置を設置、水の自然の力でスプリングクーラが回る。
 
 村人の知識は
  深部の力 
奥間平野(沖縄三大美田の一つ)川の水は豊かだが、干ばつ、洪水に苦しめられ、森の開発で赤土を飲まされた歴史と決別した、村の自治の成果である。国・県のダム押し付けに勝った小さな村の知恵である。安くておいしい水、しかも、黒字を出している。この地域では大国林道と連動した皆伐、林道工事止み、奥間・比地川は大雨・台風でも赤土汚染は減少し黒い水に変わった。
 奥間・比地ダムの反対活動は、奥間ダム保護基金のナショナルトラスト運動の力は大きなものがあった。私も中学高校時代に炭を焼く山を5万坪取得「ナショナルトラスト」提起(94年3月13日沖縄タイムス論壇)し、有志会に意志を示した。
 何よりも、有志会、村の民主的な討議、水との闘い、新しい開発への挑戦であり、自分たちの山を知り尽くした知識であった。ダム建設位置は険しい渓谷が脆弱な地層であることを村の人は知っていた。国はいくどもボーリングをしたが強固な岩盤を発見することができなかった。
 その目から宜野座村の変化と知事評価書を「水」に視点をあってて見てみる。

沖縄タイムス社説
アセス知事意見]沖縄の総意が示された
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-29_31677/


韓国済州島の軍港建設反対運動がDVDで見れます
 もっとも多く、辺野古を訪問する外国人は韓国
http://www.youtube.com/watch?v=foC0umJax4I&feature=youtu.be
 (国際反基地ネットワークメールより)

辺野古の2日間

私の27日
 頑張っています。
http://www.rimpeace.or.jp/jrp/okinawa/henoko120327.html
 バーナー撤去のために
 水陸両用車出動か?(28日)
 あなたの作ったばーなー送ってネー!
http://www.rimpeace.or.jp/jrp/okinawa/henoko120328.html

PAC3配備の沖縄ー知事意見と「県民の力」「宜野座村の変化」


知事アセス意見報道から

 昨日のQAB動画
県民の力とは

 わたしのコメント「県民の力が、このような意見になったと思う」と短い。テレビだから仕方ないが、よく、現場まで取材に来たこと感謝する。司令部壕、教科書問題など関連する報道、新聞・テレビ多彩だが、「宝の海」は辺野古情報柱とする。教科書問題の仲間からのメール情報満杯流れてきますが、すまないとも思いますが返信控えています。一度、ハマり込んだら抜け出せなくなる。

昨日は抗癌剤投与のため朝新聞読む時間なし、点滴だけで約1時間半かかる。昼寝減らしたいが体が求める。

「県民の力」には、県民になじみの薄かたアセス問題の学び、学び合った県民の蓄積の歴史が込められている。

 (メモ)
 私が高校教師の頃の社会科教科書には太字で「環境アセスメント」とだけ記載していました。
 03年3月13日、ヘリ基地反対協総会に「アセスの闘いはプロゼックトチームを結成」して闘うと提起した。4月8日、那覇防衛施設局(現沖縄防衛局以下防衛局)は地質調査として『水産資源破砕許可願い』を申請して、調査に乗り出した。私たちはなす術がなかった。環境省パンフ「環境アセスのあらまし」沖縄県「環境アセスメント」を手掛かりに猛勉強、土曜日朝8時、辺野古浜の清掃と学習が1年余続けられ、アセスに関する知識が豊かになり、共有が始まった。

 9月23日「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」(以下アセス監視団)を立ち上げた。
 11月17日、防衛局は「公共用財産協議書」(事前調査ーボーリング調査、詳細は旧「宝の海」文集「100日闘争記」)を提出してきた。
 アセス監視団は法律団体(家)、環境団体(専門家)との連携、学習を深め理論・実践的闘の水準を蓄積、知識の輪をメデイア、県民に広めていった。

 04年4月19日から現在のアセス知識の学びの世界は隔世の感がある。V字の方法書の意見書に対し、準備書の住民意見書10倍、評価書「飛行場」知事意見への住民意見に対し「埋め立て」への意見2倍と増えている。


 沖縄2紙の報道
  各面で報道
た無題

ち無題

桜井コメントを
 学びの共有にしよう
琉球新報(28日)沖縄タイムス(28日・29日連載)
 私は拡大の有りませんので辺野古関連サイトに添付されたら「宝の海」に転載したいと思います。

 
て無題
 小さな短い記事に目を
  そこに大きな変化が読み取れます。

 沖縄タイムス総合2面「知事意見の「意思」評価」-名護・宜野座首長日米政府に不信感」の見出し、最後に短いながら宜野座東村長のコメント(新報は単独記事)が短いながら出ています。稲嶺市長は当然ながら・・・宜野座村の変化は自治的開発・持続的開発を含め面白い変化を観ることができると。キーワードは治水・台地とイノー、水は政治です。

 東村長のコメントの要点
 「周辺海域はモズクの養殖ウニ魚などを行っており、漁師にとっては命の漁場、辺野古の海の美しさを考えるとき大きな財産となる。ジュゴンが生息し環境の面から大事」「松田区で予定されているリゾート開発計画を上げ「海が汚染されることはわれわれとしても納得いかないし、アセスはしっかりとやってもらいたい」
   (沖縄タイムスより)

つ無題

 北部の基地誘致首長の変化
  台地(森)・イノー・自治的「治水」から(1)

 東宜野座村長は、岸本・島袋市政・儀武金武町長、宮城元東村村長らとともに新基地推進の立場で動いた。
 この16年、宜野座村に何が起こって、宜野座東村長および村民に変化が起こっているのであろうか。嘉手納以南5施設「統合・移転」はキャンプ・ハンセン要求してくるであろうこと含めて。
 (次回の「宝の海」で考察する。)

琉球新報
社説
アセス知事意見 辺野古断念で決断の時だ
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189190-storytopic-11.html

QABニュース
自衛隊 PAC3配備準備で石垣入り
http://www.qab.co.jp/news/2012032834644.html

知事意見の日の辺野古ー私の夕食料理


知事意見と今日の辺野古

 散歩
 空は晴れ、少し肌寒いような快適な天気、12時辺野古へ散歩へ出かける。演習通告あるも、海兵隊の動き見られず。
 陽光受けて南コメツキガニの群れが見られるようになってきた。
安次富代表がイーフルエンザーに罹って、午後からの訪問団に話をすることになった。療養生活で控えていたテレビの取材(知事意見書コメント)も待っていた。今日のバス訪問者4台(約100人)、今週は連日、多くの団体客予約入っています。
DSC01713.jpg


 法律家の皆さんへ
 安保を問う科学者の勇気を

 (要旨)
 日本民主科学者協会(法律部会)の団体がバス2台、約70人がテント村訪問、今日はテント村2900日、表示、辺野古16年の歴史を①SACOと市民投票、②軍民共用空港と沖縄非暴力(積極的非暴力)、③日米合意(V字)とアセス学際的協同、④新日米合意と安保全面に据えた日本の科学者の果たす役割、科学者の勇気などについて約1時間話をした。この16年、諸々の移設計画を頓挫、縺れあせてきた。

 現在の到達は、この国の基本的な形、憲法と安保を正面に据えた闘いが求められる。メデイアやジャーナリズムは、安保に踏み込む勇気を失っている。法律家の皆さんが勇気をもって挑む時だ。福島も沖縄も同じ構図と言う。
 1953年、アイゼンハワーは沖縄の永久核基地を宣言、同時に、核戦略として、国連で「原子力の平和利用」を演舌、日本はアメリカの原潜型原発を進めてきた。

 脱原発・脱安保の根源は同じであり、脱基地の闘い戦略・戦術的にも安保廃棄の道を歩むべきであろう。高江訴訟は「日本国憲法が涙を流した日」である。

DSC01716.jpg
嘉陽のオジー元気にDSC01725.jpg


 アジアからの留学生へーTACの道に誇りを
  今晩、沖縄の酒泡盛飲んでネー
 (要旨)
フイリッピン、マレーシア、ベトナムなどの留学生が続いて訪問、ベトナムが4人いたので、ベトナムと私、父が太平洋戦争でベトナムからの帰還、ベトナム戦争終結後78年南北ベトナムの旅、ベンハイ川(北緯17度線、日本人で最初に渡った人ーベトナムのガイドは?)を渡ったときの感激を話した。ホー・チミン市の歴史博物館に沖縄「悪魔の島」(当時は入れてもらえなかった)と書かれていること確認、キャンプシュワブの兵士がダナンに上陸していった訓練、出撃基地であったこと。
 「みなさん、首里城行きましたか、泡盛飲みましたか」と聞いてみた。沖縄の歴史は東南アジアなどとの平和的貿易の歴史、それが、小さな島の城群から見えます。沖縄のお酒は日本のお米ではなく、インデイカ(タイ米)が原料です。ポルトガルがアジアにやってきたとき、武器を持たない誇り高き琉球の貿易船を恐れたようです。
 わたし、TAC(東南アジア友好条約)の道しるべに励まされてきました。紛争を平和的に解決、武力の威嚇、武力の行使を認めず、世界に平和の道を示し、偉大な世界を築いています。日本の憲法9条の道と同じですが、日本はアメリカのために辺野古に「悪魔の要塞基地」を作る、でも、私たちは許していません。アジア・太平洋地域に対する威嚇基地はいらないのです。私たち沖縄は武器のない歴史を歩み、現在、平和の発信基地としての道を求めています。わたしたちの運動は非暴力です。
 みなさんは、国の違いを越えて、今日、ここにいます。平和なアジアを共に築きたいと思います。
DSC01731.jpg


知事意見に対するコメント
 明日以降行います
 
琉球新報電子版
普天間代替アセス 知事意見を提出 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189186-storytopic-53.html

沖縄タイムス電子版
県が知事意見を提出 普天間移設アセス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-27_31615/
QABニュースステイション
 簡単な私のコメント

辺野古アセス知事意見 前回同様「辺野古は不可能」
http://www.qab.co.jp/news/2012032734628.html

高江ヘリパッド裁判 通行妨害判決に住民控訴
http://www.qab.co.jp/news/2012032734632.html

今日もカミさん孫の洋服縫っています。
 夕飯作りました。

 今日は嘉陽オジー始めオバーたちと半年ぶりに会いました。嘉陽オジー、私が戻ってきたことに涙を流し、私の手を握り締めて離しません。ふがいない自分、心配かけていることに私も泣きました。
 久ぶりに話を二つの団体にしたので少し疲れました。
でも、やはり、わたし、現場にいると力が出ます。まだ、わたしがやるべきことがある。現場にいると生きている実感がわいてきます。語れる間は語りたい。

 イカ大好きですが、4月ぶりに食べたくなりました。
 イカ墨の御汁です。白イカの黒墨の御汁は沖縄の伝統、高級料理に入ります。豚の三枚肉(脂身)を入れると甘い味がしてきます。内臓も胃袋以外すべて入れます。コツです。野菜はインジャナバー(薬草)ですが、ブラジルフダン草入れました。
 
おかずは、大西流カルパチョ、レタス、サラダナ、島ラッキョウ、カイワレ、マグロは刺身屑(安い)をゴマダレ、粗挽き胡椒で風味、ミニトマトで色を付けます。ヘルシーなおかずになっています。
 平和委員会の学習会の終わった後、安いマグロやタコ、名護湾に養殖(普通の人の知らない貝)などで野菜を入れて作ります。島ラッキョウ、玉ねぎは魚介類の味を引き出します。
DSC01734.jpg

ヘリ基地反対協総会



お知らせ

 ヘリ基地反対協総会
さ無題
 連帯メッセージ
TEL&FAX 0980-53-6992

 3月27日
  知事評価書意見書提出

 3月30日
  普天間第2次爆音訴訟提訴

 穏やかな辺野古の浜
 26日から海兵隊訓練の通知あり、うるま市病院通院の帰りによる。動きなし、若者たちがウリズンの陽光浴びて散歩している。のどかで平和な風景だ。明日はどうであろうか。



DSC01707.jpg

 32軍司令部壕説明板
  改竄問題

 朝、新聞読む時間なく、辺野古から帰って読む。沖縄2紙とも社説で沖縄県知事の暴挙を批判している。沖縄戦の実相を歪める問題は、1980年代の家永訴訟「住民虐殺」、199年代からの「大江・岩波訴訟」(「集団自決」)、八重山教科書問題と繰り返されて来た。
 沖縄戦の実相を正しく継承してゆくことは重要である。

32軍壕説明板設置 戦争犠牲者を冒涜するな
琉球新報社説
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189099-storytopic-11.html
[32軍壕説明板設置]県のやり方はおかしい
 沖縄タイムス社説
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-26_31562/

近況
 病院に自分で通院できるようになって久しい。ウチのカミさん自分の時間取れるようになった。
古着で孫の着物縫ってDSC01709.jpg
 元気になって好きな琉踊り、着物の着付け指導などさせてあげたい。
 カミさんのミシンの音聞き、夕飯作るのも今、楽しい。体が動くという楽しみ。
 今日も、天気がいいようだ、太陽の晴れマークが増えてきた。辺野古に散歩に出ようと思う。、
DSC01710.jpg

週末ー閣僚たちの「沖縄詣で」-核サミット前夜の辺野古



お知らせ

平和な市民よりお誘いあり。行くべし! --- <講演と討論会>
・とき:3月31日(土)午後2時~5時 ・ところ:教育福祉会館中ホール(2階)
 (那覇市古島) ・講演 演題:「米軍再編見直しの動きと私たちの課題」

講師:新崎盛暉氏(沖縄大学名誉教授) ・講演後に討論を行います。


 今、日米両政府は2006年の米軍再編合意「ロードマップ」を見直しするとして、頻繁に審議官級の協議を開催しています。ところで、在沖米総領事のレイモンド・グリーン氏は3/19の琉球新報で相も変わらず在日米軍再編の目的は「抑止力の維持」と「沖縄の負担軽減」だと言い、沖縄に海兵隊を残す必要性については「地理的な重要性」だと言っています。「抑止力論」と「地政学論」はもはやズタズタになっているのにも拘わらず、裸の王様よろしく、これを持ち出している有り様です。また、日米両政府は国家財政が窮迫しているにも拘わらず、今回も日本に米軍再編の費用の負担をさせるために「沖縄の負担軽減」を日本国民説得のために使用してきています。このようなデマゴギーを許してはなりません。  これから沖縄は、「アセス評価書への知事意見」「6 ...



今週の注目
 評価書ー知事意見書(27日)


 辺野古の「浜下り」(旧暦3月日)
  今日から大規模な軍事演習

 24日(旧暦3月3日)は、浜下りの日、あいにく、この時期には珍しく寒波押し寄せて、風も強く、寒さで潮干狩りに出られなかったようだ。すこし、寒いけれど、太陽が輝いたので日曜日、辺野古に散歩にでかける。
 韓国で「核サミット」が始まる。オバマの気を引くためではなかろうが海兵隊の軍事演習が始まるようだ。09年11月のオバマ来日、辺野古の海兵隊大げさな演習展開した。

 厚木基地にEA6Bプラダーに代わって電子攻撃EA18Gグラダー(6機)配備、
 韓国から米軍チャータータンカー沖縄向っている情報あり。嘉手納・ホワイトビーチ・普天間の動き見る必要あり。

天気は快晴が続く、水陸戦車、ヘリ訓練の総合的動き撮影できるか。

 新配備強襲揚陸艦ボオム・リシャール号(約4万トン、船体6番)現れる?

 干潮の辺野古、寒くて今日も潮干狩りなし、
DSC01694.jpg

アセスのがれの兵舎などDSC01692.jpg

寒さ厳しいがポチ日向ぼっこ
 一人の訪問客も大切に説明する具志堅徹幹事
DSC01697.jpg
 記者の質問の答える
DSC01690.jpg

今日は個人の訪問者切れ目なくDSC01695.jpg

 閣僚たちの週末ー「沖縄詣出」

  仲井真知事との「密会」恒常化
 主要閣僚たちの沖縄詣で、週末に恒常化してきた。知事との会談は「密談」が続いている。玄葉外務大臣、韓国に来たオバマにアピールのためか? 閣僚たち、沖縄問題休みの日の仕事と思っているのか?
 仲井真知事、これらの閣僚の歓心を買うためか、沖縄戦の改竄で、応えている。その手法は強引である。沖縄県が全国に誇る県史をも無視した。また、沖縄戦の改竄は、基地の問題と無関係ではなく、優れて現代と未来の問題である。
 
 これらの動き無視出来ません。


32軍司令部壕説明板、県が設置 「虐殺」など記述を削除
 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189070-storytopic-1.html
嘉手納より南の米軍基地 外相、早期返還を困難視
 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189073-storytopic-3.html

玄葉外相来県 非公式会談は得策ではない
 琉球新報社説
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189075-storytopic-11.html

 辺野古にいけませんが
  何が辺野古に来るか写真撮ってくださ。


ブログ「リムピース」より
EA18Gグラダー
http://www.rimpeace.or.jp/jrp/atsugi/120324ea18gin.html

リムピ-スより
沖縄に向っているとされるチャーター船タンカー
http://www.rimpeace.or.jp/jrp/umi/yokosuka/120323chulan1.html

 強襲揚陸艦ボノブ・リシャール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8E%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3
 揚陸艦デンバー・ジュノー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC_(%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E5%9E%8B%E8%BC%B8%E9%80%81%E6%8F%9A%E9%99%B8%E8%89%A6)%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E5%BC%B7%E8%A5%B2%E6%8F%9A%E9%99%B8%E8%89%A6)

24日第2信ージュゴンが現れるー私の指摘の正しさ


 沖縄防衛局ジュゴン追い出し作戦後
  大浦湾・辺野古近海にジュゴン現れる
共同ニュース(24日)
http://www.47news.jp/47topics/e/227035.php

 私の指摘の正しさ
 違法アセス裁判陳述(2月1日)
第5 防衛局アセス調査は
   なぜ、ジュゴン追い出し作戦か 1 私は、2003年から2008年7月まで、大浦湾・辺野古海域で最も長い時間海にいたと自負しています。
 (「宝の海」ジュゴン観察日記は法廷で提出)
 2 準備書には、ジュゴン回遊調査記録があります。防衛局は、方法書の公告縦覧手続もなされていない段階の2007年3月、ジュゴンの調査を「いであ」という会社に委託しています。
「いであ」は、ヘリコプターからのジュゴン調査を行いましたが、一日中、あるいは連日、朝8時から午後5時まで、ジュゴンをヘリで追い回していました。それも何回もです。
添付資料2は、準備書にある「ジュゴンの生息状況に係る航空調査の実施状況」で
すが、「いであ」は、頻繁に、朝から夕方まで、ジュゴンをヘリで追い回しています。
しかも、ヘリの飛行地点は、常にジュゴンの南に位置していました。
昼間から、ヘリコプターに低空で追いかけられたら、夜の食事もできるかどうか、非常に心配でした。
ジュゴンの南から北へジュゴンを低空飛行のヘリで追い回し、明らかにジュゴンが南へ移動しないよう、意図的、恣意的に行動していました。
 3 私は、QAB朝日放送が、ジュゴンの交尾と思われる映像を撮影した際、船長としてかかわっていました。その際には、ジュゴンにストレスを与えてはならないと2日(各1時間)で終わらせています。QABとは、真剣な討議を何回もしました。
 4 私は「いであ」による調査中、大浦湾外洋に船を浮かべ、エンジンを切り漂流しながら、防衛局および環境省に対して、追い回しの中止やヘリの高度などについての抗議、要請を何度も行ってきました。
準備書にはジュゴンの回遊は表示されていますが、ヘリの位置は表示されていません。ヘリは常にジュゴンの南に位置し、ジュゴンを追い回しているのです。
   ジュゴンは、防衛局が違法調査するまでは、辺野古イノー・大浦湾で確実に、カメラ撮影(04年3月)や目視(08年8月28日6時)されています。
   防衛局が自らジュゴンを追い払っておきながら、準備書においては「ジュゴンはほとんどない」と結論づけているのです。
5 このように、軍民共用空港及びV字2本滑走路計画のアセスは、その秘密性、非理法権的行政、非科学的調査、住民無視、非民主主義(説明責任放棄)からして、「断じてアセスとは言えない」違法なもので、調査も許されるものではありません。

埼玉のSさんへの手紙


 埼玉のSさんへ
  4月にお会いしましょう

 激励の手紙と資料ありがとうございます。毎年、数度辺野古・高江の座込みに数日間滞在して闘に参加していただき感謝申しあげます。
 4月の中旬に辺野古・高江来られるようですが、お会いしましょう。
 確か、昨年10月にも高江の闘いに参加した折、やんばる統一連の学習会にも参加してくださいました。10月27日でした。その翌日、私は入院しました。
 学習会での私の提起は「評価書といかに闘うか」「2012年は安保廃棄を掲げて闘うことが重要な年」であったと思います。
私のレジメ報告は次のような内容でした。
  (レジメ要点)
評価書への闘い第一段階ー「評価書提出するな」、各組織、県議会など

第2段階ーアセス審査会「アセスやり直し」答申(90日の闘い)
    アセス審査会の公開・住民意見提出運動
    個人が出来る運動ー激励の手紙(数万規模)ー楽しく直筆でー資料
    違法アセス訴訟支援強化ー裁判所包囲?
第3段階ー広告縦覧(30日)全国的展開と大規模集会へ(県議選挙背景)
第4段階(最終戦?)-知事要請連鎖行動、激励? 抗議?

 アセスに関する基本認識
1、 辺野古アセスは「絶対にアセスではない」
2、 事前調査でジュゴン追い出し作戦、生態系の破壊
3、 後出しジャンケンアセスー方法書事業内容記載なし追加方法書、オスプレイ隠蔽
 評価書にオスプレイ記載
4、 自治と民主主義の成熟への闘いーアセスの秘密主義、民主的説明責任放棄

普天間・辺野古の闘いの基本
1、 普天間は全面返還・即閉鎖、負担軽減ではない
2、 移設論ではない(名護市長選挙前哨戦)
3、 安保廃棄を展望する闘いにこそ、差別論の克服、ー県民世論・全国世論資料
4、 脱原発・脱基地、脱安保の結合した統一戦線を目指す

私の予測したとうりに12月から「評価書」めぐる闘いが高揚しました。宜野湾市長選挙・高江・評価書・違法裁判と激しい年末・年始でもありました。知事への意見提出運動は、個人的運動まで発展できませんでしたが「社会環境自然環境の保全は不可能」の知事意見が出されました。
 27日には、埋め立てに関する知事意見が出されます。

 この間、「日米合意」が破綻して新日米合意に入っていますが、日米安保との矛盾、日米の軍事一体化が深まっています。

 沖縄県知事は沖縄の原点である沖縄戦の改竄に入りました。「軍隊は住民を守らない」を転換して、日米の沖縄および日本への基地強化に応える動きだと思います。
 Sさんの科学者としての原発に対する論文および学会誌も読ませていただきました。特に報告書「今こそ、安保条約を平和条約に変える運動を起こそう!」は、「宝の海」で書き続けてきたことでした。

海兵隊と自衛隊の一体化目指す
 野田政権の急速な動き

長島補佐官、米海兵隊の県内配置を強調
 沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-23_31391/

 体調がいいので
  イワヒバの盆栽手入れ
DSC01683.jpg
             DSC01685.jpg
DSC01687.jpg

第2信ー韓国済州島軍港反対のビデオ

病院治療から帰りました。メール開きました。
 
国際反基地ネットワークメールから
 辺野古のカヌーが
http://www.youtube.com/watch?v=FaMzaAMoR0I&feature=player_embedded

秋田県平和委員会の取り組みです
 全国の取り組み交流したいです。
毎月15日沖縄行動 
P3150204.jpg
          P3150206.jpg
P3150212.jpg

本島、石垣に配備検討 PAC3、北朝鮮発射実験受け
琉球新報(22)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188964-storytopic-3.html

新聞報道の嘘見抜く目ー5施設返還」の嘘


庭のツツジ満期
 朝霞のなか、太陽が久ぶりにこぼれた。庭の掃除などした。
DSC01681.jpg
 落ち葉が、家の前の街路樹ホルトの木、春も秋も年中落ち葉が絶えない、雨が続きよけに積もってしまった。堆肥にもならない落ち葉、余り燃えもしないから厄介物だ。
DSC01679.jpg

海兵隊は撤退すべき(させる)軍隊(3)-海兵隊のリゾートを国民のリゾートへ

 復帰40年5・15に向けて
  全国的な大きなイベント


 その1-5・15平和行進
  沖縄県平和センターなど
お無題
 詳しくはこちら
http://www.peace-okinawa.net/
復帰40年
  意見広告
か無題
 詳しくはこちら
http://homepage3.nifty.com/anpohaiki/index-box/120124ikenkoukoku-yobikake.pdf

新聞をどのように読み
 嘘を見抜くか
22日、タイムスも下記の琉球新報と同じニュース。タイトル読むと5海兵隊基地が返還されるようだが、返還されないのだ。新聞読むとき、タイトル、最初読み、最後読むとわかりやすい。 

5施設返還へ協議機関 米軍再編見直し
 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188959-storytopic-3.html

 記事の結語は、次のようになっている。

 「日本側は米側の要望を受け普天間の辺野古移設を前提として、この5施設・区域を県内の既存の米軍施設・区域に統合する計画の策定を目指す。」

 タイトルは正確に県内統合移転と書くべきだ、返還は「大本営」的報道で政府のプロパガンダに手を貸す。20年の嘘を暴く姿勢必要。

 「5施設を県内統合」が条件だ。嘉手納以南返還ですから、ハンセン、シュワブ基地への機能統合になる。
 キンザー基地の地主だがSACO以前、日米合意(パッケージ)、新日米合意(先行返還)などと言い、県内移設条件ついて、20年以上同じこと繰り返す。嘘、欺瞞、姑息な返還プロパガンダを繰り返してはならない。
 SACO合意発表、浦添各自治会で減耗率(道路・公園)などに提供する問題も話し合いました。私のカミさんの土地は広大なビーチの丘、一等地、この記事からすると返さない。
 貧乏海兵隊に取って最高のリゾートになっています。兵站部隊だが倉庫がら空き、ベトナム戦争期は肉片のついた戦車を洗った。

 こんな海兵隊、日本お金「ゆすり」『セビリ」最高のリゾートホテル気分、キンザー基地の海水浴ビーチ、辺野古の基地のビーチ、日本一のリゾートである。

 日米合意などふざけた外交に終止符打つこと求められいる。
  日米安保を日米平和友好条約への道を

主張
「再編」見直し
米軍駐留の異常をこそただせ
  赤旗(22)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-22/2012032201_05_1.html

海兵隊は撤退すべき(させる)軍隊(2)-海兵隊あれこれ報道メモ



海兵隊は撤退すべき(させる)軍隊(2)

全国紙に高江問題が取り上げられました。
 朝日新聞社説

沖縄ヘリパッド―今からでも地元と話を
http://www.asahi.com/paper/editorial20120320.html#Edit2
  (「高江の現状」から転載)


メモ記録
 私は20年前から、「海兵隊は撤退すべき軍隊」と言い、16年前の訪米でもペンタゴンで主張した。
 マメリカは4軍と言う。現に、在沖軍司令部は4軍調整官が司令部長官となり、海兵隊司令官が兼務している。

 地域協定1条
「(a) 「合衆国軍隊の構成員」とは、日本国の領域にある間におけるアメリカ合衆国の陸軍、海軍又は空軍に属する人員で現に服役中のものをいう。」
 
 第3海兵遠征軍は規定されてない。と、いう、単細胞的理解ですが、書かれてないことは事実である。

 沖縄の抵抗は、サンフランシスコ条約の発効(52年4月28日)とともに始まる海兵隊基地建設(銃剣とブルドウザー)を「発火点・導火線」を源流とする。
 普天間航空基地は沖縄戦で陸軍が本土攻撃基地として建設、57年空軍へ移管、海兵隊基地群完成後1960年5月、アメリカ海兵隊へ編入される。海兵隊は強襲揚陸艦なくして海兵隊とは言えず、揚陸艦艦隊の母港は佐世保で、ホワイトビーチ・那覇軍港と直結し、岩国基地と密接に連動する。

 ベトナム戦争は第3遠征軍の最大の活躍舞台となったが、米国の政治的威信、経済的弱体に引き金となり、中東のあらゆる戦争で、海兵隊は「浪費の軍隊」として維持不能となり、日本の「思いやり予算」で、施設建設・維持、兵員家族・軍属は維持されているのが実態である。

 普天間は海兵隊の中枢基地
  海兵隊は「日本防衛基地ではない」「抑止力でもない」


 元沖縄県知事稲嶺恵一氏は「基地のない沖縄は理想と思った。基地のない沖縄は「現実」の課題」となったとアセス評価書有識者声明に関するインタービユーなどで語っている。

 沖縄返還の闘いは、「核も基地もない沖縄」であり、90年代初頭から、その第一歩の具体的県民要求が普天間返還、それは、いくども、紹介しているが、私の野外授業「普天間基地返還させて沖縄一の街」を作る宜野湾高校の授業でも見える。

  普天間基地は閉鎖・返還である
     危険性除去でも移設でもない
     
     危険性除去は、仲井真知事が辺野古移設賛成の頃の知事選挙論理
      そして、今、「固定化」などで、米軍安全の危険性除去として補修容認
      辺野古移設への恫喝「布石」の論理でもある。
    危険でいやなものは、日本中は反対する権利を有する
    特に、いやなもの拒否する岩国住民に「構造的差別」などと取れる言葉は?
    普天間移設であれ、海兵隊移転、訓練移転であれ。日本中、アジア・太平洋地域の人々は叫ぶことだ。ま     た、連帯すべきである


 普天間「国内移設」は
  海兵隊分散移設に利用されている。海兵隊訓練を全国に拡大、それはMV22の配備・訓練基地の拡大であろう。155ミリりゅう弾砲、全国各地に受け入れさせて、辺野古に強引に押し付けて二の舞ごめんだ。
   そのために岡田副総理は来沖してCH46の「置き換え」と述べた。岡田はそのためにだけ来た。アメリカでは厳しい環境アセスの対象になっている。辺野古でアセスのがれ、「固定化された普天間」で米兵安全の補修予算の根拠作りに来た。危険なMV22を米兵が安全に訓練するための危険性除去と言える。

  地位協定は、日米合同委員会の諸規定含み、何でもアメリカの論理となっている。マメリカ4軍、地位協定に海兵隊保護の対象ではない、日米安保6条の保護になるか?ですから、SACO合意・日米合意は破綻し、また、新日米合意の審議も破綻するであろう。

 サンフランシスコ条約・日米安保条約の発効で、本土にいた海兵隊、米軍統治下で海兵隊基地群完成、60年安保で普天間は海兵隊基地になる。
 60年は「アフリカの年」、非同盟の拡大、アメリカのベトナム介入を背景にしている。当時の安保めぐる日本人民の認識では「殴り込み部隊」を憲法下に置くことの危機がアメリカ首脳部にあったであろう。
 
 ベトナム戦争、アメリカは沖縄に海兵隊戦闘部隊を配備することで「日本国憲法」との危機を逃れることに成功した。日本の労働運動も1988年代から95年9月までに安保容認に変質し、現在、安保掲げること困難になっている。
 この過去の歴史が、今、問われていると思う。
 
 
  

 
 

3月21日

散歩道
 テカチ(シャリンバイ)とイッペー
 2月以来、太陽が顔出すこと少ない。農家にとっては気になるところである。
 野や里、磯にこの季節になるとテカチが咲く
DSC01666.jpg
                  DSC01669.jpg
 イッペーは南米の熱帯トロピカルの花、すっかり、沖縄の花になって、街路樹、庭に咲く、
DSC01671.jpg
            DSC01673.jpg
 阿波根昌鴻オジーの命日
 今年は行けません。
う無題
 オジーのプロフィール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E6%A0%B9%E6%98%8C%E9%B4%BB
在沖総領事見解 浅薄な基地押し付け論理
 琉球新報社説
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188894-storytopic-11.html
第2次普天間爆音 3129人が提訴
 沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-20_31280/
赤旗ー新連載
 「海兵隊問う」に期待
え無題


普天間・辺野古問題の原点と復帰40年


 海兵隊は撤退すべき軍隊(1)
  ビンのフタ論はもはや通用しない

干潟の野鳥
 気になる?

 うるま市クリニックの帰りにテント村寄る。昨年、今の時期、元気で出勤していた、よく、野鳥をカメラに納めていた。今年は、余りであいません。少し、気になります。
DSC01649.jpg

二つの社説から見えてくるもの
 普天間・辺野古の原点

 日米外交の劣化についていくどか触れてきた。また、それは、メデイアの劣化でもある。日米政府の垂れ流しを、メデイアも垂れ流す。「負担軽減」「危険性の除去」「海兵隊移転」などなど、グチャグチャである。タイムス「原点」、新報「ごまかし」は正鵠を得ているが、「見直し」が気になる。

 沖縄タイムス(18日)
[米軍再編見直し]負担軽減の原点に返れ
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-18_31200/
 琉球新報(19日)
米軍再編見直し ごまかしは通用しない
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188828-storytopic-11.html
 「見直し」を安易に使ってはならない
  それは「なぜか」ーその1
 見直しを最初に言ったのは、小泉首相であった。軍民共用空港への抵抗で行き詰った05年1月ごろ、小泉首相は「辺野古見直し」言い出した。

 「小泉首相の『辺野古見直し』は予想したように『辺野古内見直し』として、陸上案、浅瀬縮小案と日米政府が『喧嘩』を演じている。日本政府にアメリカ政府と喧嘩できるほど成熟した外交政策があると思っている人は誰もいない」
 (『愚直』あとがき、05年10月初旬)
 そして、10月19日の「日米同盟の変革と未来」(いわゆる日米合意)で、新日米合意声明(審議官クラス)も日米「喧嘩」報道がなされている。
 下記は、オバマ・鳩山会談、11・8県民大会前後の私の講演のプレゼンテイションの一コマである。
い無題
 それは「なぜか」-その2
   自公政権の崩壊と見直し

 09年初頭から、普天間・辺野古が国政および外交の争点になり民主党は「国外・県外移転」「日米合意見直し」など政策とし国民の支持を集め政権を取る。同時期は、名護市長選挙の前哨戦、稲嶺氏は「辺野古合意見直し」を掲げた。見直しの洗礼を受けているだけに、見直しの政治的危険性から、きっぱりと「辺野古ノー」の候補者を立て、その選対本部長を受諾する。
11・8県民大会後、11月12日、稲嶺氏「陸にも、海にも基地作らせない」と政策転換、統一へ動く、選対事務所設置など「マンガタミ」(持ちきれないほど)借金、でも、全国の友に救われる。
 たかが「見直し」ではなく、用語はきちんと見なくてはならない。オバマ・鳩山会談の全国紙は「日米同盟深化」と一人の論説員が書いたようであった。(11月15~16日各社社説)

海兵隊をどう見るか」
 海兵隊は撤退すべき軍隊であるー日本ミニタリストの傭兵

 「宝の海」(3月17日続き)に、1996年訪米報告 「沖縄の抵抗はアメリカ独立の思想と同じ-沖縄の「武器なき戦い」の優れた人間性・道徳性を訴えて-」の一分を掲載した。ペンタゴンはじめ議会での活動の基本姿勢として次のように書いている。
 「② 日米安保条約を破棄し、新しい日米平和友好条約を締結する。すぐできることとして、地位協定第1条にも違反する海兵隊は、ただちに本国に撤退させる。このことは、アメリカの尊厳を取り戻すことでもある。在日米軍は、日本の傭兵化の道を歩み、日本の軍国化を速めアジアの恐怖になり始めている。」

 (当時、在日米軍の駐留をアジア社会は「瓶の蓋」論で容認していた。簡単に言えば、米軍が日本軍国主義をビン  に閉じ込めている。ATC(東南アジア友好条約の発展、および  世界情勢は「ビンのフタ」論は消えた)


 傭兵とは、いかなることか
読者のこえ(歴史地理教育1997年2月号)
 『歴史教育月報』(1996年12月No.316)にいいレポートがあった。
「 大西照雄「沖縄の抵抗はアメリカ独立思想と同じ」は、沖縄の抵抗の心に豊かな人間性・道徳性が存在することを述べている。
 それとともに、抵抗する側には、すぐれた歴史認識が裏付けになっていることを、この文章は示している。アメリカ独立宣言から説き起こし、海兵隊の野蛮と非合法を見、日本政府の屈辱外交に怒り、沖縄の抵抗に正当性を与えている。その歴史をたどる論理はみごとである。
 要望を一つ加えたい。「在日米軍は、日本の傭兵化の道を歩み」という文章について、その裏づけとなる具体的な史実と根拠を示していただければ嬉しい」
  (旧「宝の海」文集より)
 
 海兵隊の実態は「パンと銃」のみがアメリカで、日本の「思いやり予算」などなどないと存在できない現実が見えてきていると思う。日本政府がアメリカ以上に「海兵隊抑止力」強調する姿は滑稽でもある。

 (明日は、グチャグチャの報道を整理する)

 近況
 何とか辺野古もいけるようになった。帰ると仮眠、3:30頃になるとビンゴは吠えだす。下校中の小学校性がビンゴ、ビンゴと声をかけて行く、子どもたちのアイドル。ビンゴ・カミさん、子どもたち。
DSC01653.jpg
 カミさんと21世紀の森の散歩、人工ビーチ、向こうに伊江島、明日は阿波根昌鴻オジーの命日、毎年お線香あげに行っているが検査でいけない。
DSC01656.jpg

スラップ訴訟・「語り部」「ヒージャーグスイ」


 私の散歩ー土曜日辺野古(2)

 先週は、高江スラップ訴訟を柱に「沖縄の抵抗権と非暴力の正当性」について考察メモ書いた。市民運動団体、平和・人権団体、労働組合などは『スラップ訴訟』の概念をつかむこと大事になってきました。大阪の思想調査なども含むと思います。
 私は、新聞記事は添付できますが、拡大する技術持ちません。沖縄タイムスの知識人の見解が(上・中・下)と連載、必読の記事です。
 ブログ「高江の現状」「16・17・18日」をどうぞお読みくださり、拡散して、ください。スラップ訴訟はあなたの身にも起こります。アメリカでは裁判に値しませんが、今の日本の政治状況、国民の人権意識構造では、高江スラップ訴訟の「成果」が起こりやすい。現に、大阪の異常が示しています。
読めます。拡散して、国家・行政から国民の人権を守る、敏感さを身につけましょう。

「 高江判決を問う」(上・中・下)ー拡散を!
 沖縄タイムス
http://nohelipadtakae.org/files/times2012mar16.pdf

http://nohelipadtakae.org/files/times2012mar17.pdf
http://nohelipadtakae.org/files/times2012mar16.pdfhttp://nohelipadtakae.org/files/times2012mar17.pdf

http://nohelipadtakae.org/files/times2012mar18.pdf

「高江の現状」より
 辺野古講義から
  ヒージャーグスイへ

 辺野古へ散歩出かけました。帰る頃、H県の弁護士9条の会の訪問があり、話をすることになりました。高江スラップ訴訟、辺野古の歴史を語り、「安保廃棄」を全面に掲げた日常が大事になってきたと述べた。
 「基地のない県で「安保」を掲げることは厳しい」などなどの質問など出された。
 私たちも、新基地反対、とても、厳しい時期がありました。いま、憲法が安保に食われている。高江判決「憲法が涙を流した日」、やがて、人権も食われる。と、いう意味の言葉使った。「愚直な勇気」が世論を作るのです。
DSC01617.jpg
 いくつかのツアー(右翼含めて)が込み合った土曜日
DSC01621.jpg

 学ぶ力と
  学びの共有

 弁護士の皆さんへの話終わったら、修学旅行の高校生たちが来た。ガイドのI君が大西さん一言お願いされ、話をした。
 辺野古の闘いは、学者も専門家も住民の「学び合い」のたまもの、個人の学びの力を、一人のものとせず、みんなが持っている知識を広げてきた。大学受験でいえば、みんなで学び合い、みんな合格しよう。皆さんは辺野古、他の皆さんは他の場所、各班が経験したことをみんなが分かち合う、ことが、大切であろう。
DSC01623.jpg
   (修学旅行の高校生)
 医学生たちへ
  「チムグクル」のこころ

 家に帰ると、妻が、やんばる協同クリニックで医学生が待っている。すっかり、明日と思ったら・・
午前中、平和丸で海からの学習、わたしが海に出られなくなって、新しい船長体制が出来た。
 私は、25年前まで琉球大学医学部の漕艇部の監督をしていたこと、表情が和らいだ。当時の顧問の教授は「6年で卒業するな、ボートを一人前に漕げるようになって卒業せよ」の言葉でから話、高校生にも話したが「チムグクル」につて話をした。
 沖縄返還闘争を経験した学生たちが、(復帰前医療保険、年金制度なし)の沖縄、医療の充実のために身をささげようと立ち、那覇診療所から協同病院を作り、沖縄の平和の課題と結合している。返還前は国民保険もなく一家で病人出ると破産など、また、わたしが、癌を告知されていることも告げた。
DSC01629.jpg
「語り部に復帰できたかDSC01632.jpg
  (やんばる協同クリニックで)

 ムエー(模合)でつながる隣組
   ヒージャーグスイ
 夜、30年以上続くムエーグワ、今月はHさんの家、毎月、各家庭持ち回り、これが沖縄社会、旅行ムエー、ゴルフムエーなどもある。Hさん今月で定年退職、その祝いも兼ね、くるもの拒まず。山羊料理で賑わう。山羊料理を火ヒジャーグスイ(山羊料理は薬)と新築祝い、合格祝いなどで行う。
 退院後、食を体が拒否した。いま、なんでも食べられる。山羊料理は栄養価が高く、脂肪が多いため血圧に悪いと、今、昔ほど、もてなしとされなくなった。
 4年前に脳梗塞で倒れて以来、食べたことない、今日は、食べられる喜びで、昼食も軽くして、ヒージャーを口にする『妄想』で唾液が溜まった。DSC01641.jpg
 大なべにヒージャーグスイDSC01635.jpg

DSC01642.jpg
 (手前の皿はヒージャー刺身に島ラッキョウ、お椀はヒージャーグスイの御汁、肉・骨・内臓すべて入れます。究極の味は血、血の入らないのはヒージャーグスイとは言えません。野菜はフーチバー(ヨモギ)、小さい椀は肉と大根を血で数時間煮込んでいます。至福と究極のひと時、すべて、胃袋に、健康な時は3・4杯食べたのですが、翌日はヒージャーボロボロジュシー。おにぎり、野菜の和え物、小魚のあんかけ。)

 
妻にはお寿司を腹いっぱいと嘘をDSC01640.jpg

庭の3本の蜜柑の木から蜜柑シークァーサー(クガニー(黄金)の花の香りが。、庭に充ちる
 (シーは酸っぱい、クァーサ(食わす)、芭蕉布の洗濯はシ^クワーサーで行った。青切は刺身酢、ジュース)
DSC01646.jpg
 今日は、川田正子の「蜜柑の咲く丘」、数奇な歴史から生まれた「里の秋」を聞きながら寝ます。
http://www.youtube.com/watch?v=RCH1ljUAClA

普天間・辺野古問題の原点とは
 用語含めて、政府・メデイアのさまざまな報道、整理・原点、今週のテーマだ。
米上院、軍に期限順守要請 グアム移転査定
沖縄タイムス
 沖縄・グワム民衆の闘いに手を焼いているか?
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-18_31209/
岡田氏「辺野古進める」
 沖縄タイムス
 懲りもせず、また、「閣僚隊」の沖縄詣で?
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-18_31207/
[米軍再編見直し]負担軽減の原点に返れ
 沖縄タイムス社説
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-18_31200/

私の散歩ー土曜日の辺野古


私の散歩ー土曜日辺野古(1)
 ヤマト右翼が吠えた日

 月曜日・金曜日は治療のために、ビタミンC点滴と温熱治療、約3時間寝ている。昼食を食堂で摂り、家に帰ると疲労で、また、ベットで昼の仮眠になると、夜が眠れない。
 昼に寝ないために辺野古に散歩に行く。

 ラジオで八重山与那国の「海開き」イベント放送している。辺野古も南西の風、ウリズンの風だが、沖縄は雨と曇りが続き,日照時間が少ない。磯を散歩する。夏がすぐそこに来ている。

DSC01614.jpg

磯はアザミの花が揺れていたDSC01608.jpg

 今日は、倍賞千恵子「アザミの歌」「知床旅情」など聞いて、深く眠りたい。1961年冬、大学受験講座にかじりついていたころ、森繁久弥「知床旅情」流れた。3年前立待岬でハマナスの花に出会った。
   (最後に添付)

 浜を散歩する
DSC01596.jpg

そこは米軍基地の金網DSC01605.jpg
 新しいバーナー
DSC01598.jpg
 新しい芸術が
DSC01599.jpg

     DSC01600.jpg

DSC01601.jpg
       DSC01602.jpg

 海兵隊に取られたり
  みなさん 送ってねー
DSC01603.jpg
 ヤマト右翼が
  妨害でわめく

 韓国の子どもたちの作品です。初めてですが、ヤマト右翼が来てわめく、特に、韓国の子どもの作品見てわめいたようだ。(団体名「日本侵略を許さない国民の会」「在特会」)、司令部壕問題含め全国的な状況含め見る必要あり。
 辺野古区が名護市に出した「テント村撤去署名」振りかざしてたようだ。右翼使い出した?沖縄防衛局?


DSC01612.jpg
 今日も訪問者多く、わたしも、久しぶりに講師務めた。
 (明日、「私の散歩ー土曜日辺野古」(2)

スラップ訴訟とは何か
 (「高江の現状」3月17日から。記事アップできます。「宝の海」出来ません・・・
http://takae.ti-da.net/

 アザミの歌ー倍賞千恵子
http://www.youtube.com/watch?v=DW4upkF_aBY

「沖縄の抵抗権」(最終)ー積極的非暴力と「乞食行進」


沖縄座りこみ抵抗権
 日本国憲法法体系でも侵すことのできない権利(4)


『座り込み継続へ」 
(沖縄タイムス)
 「高江の現状」(16日)から(新聞記事拡大できます

http://takae.ti-da.net/
 昨日、判決は、座り込み非暴力を裁けなかったと評した。しかし、判決は国民運動の面から見ると、国や企業が「スラップ訴訟」を乱発することに道を開けた。原発・基地問題が国民的課題になっている今日、また、翼賛的政治状況の中、「監視国家」への危険性を持つ。
高江判決は、国が民事で国民を訴え、写真など有効とした。国民の請願権・意見表明の行動を監視する点で、重大な問題をはらんでいる。
 この問題含め、伊江島の闘いは、何を私たちに示しているか教訓を読み取りたい。

 伊江島の闘い(3)
  沖縄の闘いの源流

「宝の海」3月15日、陳情規定、模擬原爆の降る日記、軍事裁判、陳情口説など資料として添付、沖縄の闘いの源流とした。何が見えてくるか整理したい。
 1、陳情規定の中に、米軍・米兵と対峙するときの心構えと行動の中に日常の非暴力が明確にされている。武装兵   が上陸する前の決定であることに感銘する。
 2、米軍が接収した爆弾の降る中、集団耕作始める。これは積極的非暴力の行使と言えるものである。
 3、傀儡琉球政府に「座り込み」陳情始める。4月に渡る。琉球政府・マスコミの報道に怒る。(阿波根昌鴻『米   軍と農民』岩波新書参考)
 4、「乞食行進」(7月21日~翼年旧正)

 「乞食行進」と
   島ぐるみの闘い(「宝の海」12日参考)

 1964年8月6日、伊江村川平公民館で野里翁「陳情口説」を聞き、阿波根さんから深夜まで話しを聞く。1955年は小学校5年、傀儡琉球政府比嘉秀平任命主席学校訪問などしていた。米民政府副長官オグデンは基地強奪を行うと同時に、善政として用水路「オグデン水道」を各地に建設、学校前にコンクリートの用水路建設、その業績を讃えるための比嘉主席の学校訪問、「アメとムチ」であった。
 (オグデン水道は、名護市安部33号線に見ることができる、後「高等弁務官資金)

 「乞食行進」は今でいえば「平和行進」である。米軍の圧倒的支配体制の中、南は喜屋武岬、北は国頭奥までサンシンを持ち、宿泊は公民館、民家、妨害に屈せず、半年に渡る巡礼が続けられた。沖縄の心と言われる「チムグクル」の共有が萌芽し、全県的に「土地を守る会」と連合が結成され、6月、「4原則貫徹」島ぐるみの闘いとなる。
 沖縄の人口約80万、6月27日を全県そう立ち上がりの日とし、7月28日の那覇高校大会まで、50万が参加したといわれる。
 「乞食行進」の開始から1年、そして、瀬長那覇市政攻防、民連ブーム、祖国復帰協議会結成と進むのであった。

 「陳情規定」非暴力と
  積極的非暴力ー高江・辺野古

 辺野古テント村非暴力は陳情規定を柱とし、責任者への信頼を求めた。そこには、復帰闘争を闘った先人たちの戒めと心が指針であった。

 「しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。 闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。」
  (国頭村辺土岬、復帰闘争碑文『結び』、1981年岩崎書店『子ども歴史風土記」(47巻)に「辺戸のかが   り火」を執筆)
 海上闘争は、米軍への提供水域、いわば、基地の中での闘いで有り、伊江島の集団耕作と似た性格を持ち、積極的非暴力と言えるであろう。高江についても同様である。
 私は、沖縄民衆が継承してきた非暴力、「座り込み」などの行動を誇りあるものとする。

高江裁判は、米軍占領期でもできなかったことを
 日本国憲法の下でおこなわれた。
 日米政府の沖縄への基地押しつけ強まるであろうが・・・来週から日米政府の狙いに入る

 日本国憲法
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 やはり出てきた「基地負担増」ー判決と連動ではないであろうが、見事。
在沖米海兵隊は2万1000人=昨年連絡、地元に伝えず―外務省
 時事ニュース
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120316-00000071-jij-pol
愛知県多面的に
 頑張っています。
無題a

 続きに
  1996年9月 アメリカ国防省。国務省、議会訪問


沖縄の抵抗はアメリカ独立の思想と同じ

-沖縄の「武器なき戦い」の優れた人間性・道徳性を訴えて-

  国際法律家連盟機関誌12月号掲載報告書

続きを読む

沖縄座り込み抵抗権(3)


沖縄座りこみ抵抗権
 日本国憲法法体系でも侵すことのできない権利(3)


反面教師として
  高江不当判決を活かすために

 「宝の海」は、高江判決を視野に入れ、復帰前、復帰後の「座込み」「沖縄非暴力」の正当性を歴史的に検討してきた。
 高江判決は、伊佐さんに「交通妨害」を認定、安次嶺さんを棄却にし、判決そのものが矛盾に満ちたものである。
1、 座込み行動を否定していない
2、 第3者(支援)への呼びかけ(煽動?)を否定している
よって、非暴力の座込みは、堂々と支援者含め、断固と貫き、継続することは「沖縄座込み抵抗権」の歴史的継承の豊かな闘いを構築できる。当然、伊佐さんは控訴、沖縄防衛局は、現場の闘いと裁判の結合で、法の暴力行為、現場の暴力体質がさらされることになる。
 「座込み抵抗権」は、理性の豊かな発露である。理性的行為は自然法であり、実定法を超える世界である。
 不当判決 
resize0103.jpg

新しい豊かな闘いの始まりresize0104.jpg
(写真提供 牧志治氏、現場にいけない身、いつも感謝しています)

  阿波根昌鴻「非理法権天」の思想と
   非道に対する理性の力-伊江島は沖縄の縮図・抵抗権の源泉(2)

 伊江島の土地闘争のなかに、現在の辺野古・高江の座込み・非暴力の闘争の源流があると説き、正当な権利と検証してきた。
 土地を奪われ、家や畑を焼かれ、爆弾・模擬爆弾の降る島、軍事裁判にさらされた中かで、米軍の非道に理性的「陳情規定」で、非暴力を確立、闘いの中で積極的非暴力を豊かにし、沖縄の抵抗の発火点になった。
 阿波根昌鴻は、日米政府政策と人民の関係を「非理法権天」と規定し、「5本の指」の団結を示した。
 次の歌は、伊江真謝の団結道場のトイレに書かれている琉歌で、陳情口説の野里竹松翁の作と言われています。
      The flowers in the United Stat
      アメリカぬ花ん
      The flowers on the Majabarru
      真謝原ぬ花ん
      Blow depending on the same soil
      土瀬て咲ちゆる
      How pure they are in both
      花ぬ清らさ
 小さな島伊江島ですが大陸的な田園が広がりる。米兵が銃剣を持ち突き付ける。翁は米兵に、足元に咲く花(マーナの花―伊江島にしか育たない野生の菜の花)を指して、陳情規定「人道・道徳」「軍人に優った・・教え導く」実践を説いていると同時に「軍を恐れない」理性的で人間性を歌い上げています。
理性とは自然の声であり、自然法の支配、 理性的抵抗は自然法が支配する世界、人間尊厳の思想で有り、翁の歌と行動には近代思想の歴史と歩みが刻まれている。
 それは、哲学的学問のとして理論ではないかもしれないが、琉球サンシンの音色だ。

 近代市民社会の思想は、絶対主義的専制支配に近代自然法から、自己保存権、自然権を生み出した。アメリカ大統領行政命令によって軍事植民地的沖縄支配は米民政府長官(後高等弁務官)の発する布令政治であった。それは、絶対主義的軍事的植民地支配体制そのものであった。

 アメリカ独立宣言
「人の営みにおいて,ある人民にとって,他の人民と結びつけてきた政治的な絆を解消し,自然の法や自然の神の法」「 すべての人間は平等につくられている.創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている.これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ.その正当な権力は被統治者の同意に基づいている.いかなる形態であれ政府がこれらの目的にとって破壊的となるときには,それを改めまたは廃止し,新たな政府を設立し,人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方でその政府の基礎を据え,その権力を組織することは,人民の権利である」

 非道に対して理性は勝つ、でも理性は法には勝てない。法も権力は自分勝手に解釈し、法を変える。
 これは、絶対主義的支配体制を意味する。
 天とは人である。人はこの支配体制を見ている。人は「5本の指」が拳になったとき、偉大な力を生みだし、法権 的非道を許さない。
  法廷は、沖縄の抵抗権を否定できなかった。
( 次回で沖縄の抵抗権を終わります)

高江判決ー「国の暴力行為」に将来も道を


 高江不当判決

 沖縄タイムス・琉球新報一面
DSC01595.jpg
 沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-15_31072/

 琉球新報社説
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188647-storytopic-11.html
 赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-15/2012031515_01_1.html

 軍事裁判とどこが違うか

 奇しくも「宝の海」は1955年の軍事裁判、伊江の基地闘争を書き、歴史から学ぶことの大事さを伝える。基地建設反対闘争で住民が裁かれr、有罪とされるのは実に47年ぶりとなる。軍事植民地時代に歴史がタイムスプリットした判決である。
 「将来においてもも妨害の恐れがある」(高江判決)

[ 2度と一部の人々に誘導されるな
もし、1か年内に
いかなる罪にでも問われ場合は
この「3か月」に
新しい罰を合わせて罰する・・・](軍事即決裁判1955・6月14日)

 国の「暴力行為の道」を将来に
 2月1日、アセス裁判で、次のように陳述書書き、述べた。基地被害に過去と現在の非は認めるが、「静かな夜」の将来について、認めない。本判決は「将来」について、国の暴力行為を認める点で、異常な裁判と言える。

 1、沖縄は「万国津梁」の歴史です。非暴力の歴史です。司法は嘉手納爆音・普天間爆音訴訟で国の非を認めながらその非の根を裁けません。戦後60年、米軍及び米兵・軍属に殺され、レイプされ、基地被害を受けても、沖縄の人が米兵および軍属を危めた例はありません。私たちは世論を形成し、法廷でも整然と正当なさばきを求めてきました。
 2 しかし、法廷は道を示すことはありませんでした。バイツゼッカードイツ元大統領は「民主主義は法や裁判所だけで守られるのではない、市民的勇気が必要だ」と言いました。私は、裁判所は、今、勇気が求められていると思います。

 民主主義と人権を守るには「市民的勇気」が基本である。
  (12:00現在

抗議声明


高江・通行妨害禁止訴訟の第一審判決に対する抗議声明

 本日、那覇地方裁判所は、東村高江のヘリパッド建設に関し、国(沖縄防衛局)が住民2名を被告として通行妨害禁止を求めていた訴訟で、2名のうち1名については請求を棄却したが、他の1名については通行妨害を禁止する判決を言い渡した。

 本判決は、住民らの反対運動について、表現の自由の重要性に照らし、抗議の意思を表明する表現行為として正当な行為であることを認めた。また、1人の行動については妨害行為にあたらないと正当に認定した。ところが、他の1人については、本人による物理的行為に限定しつつも通行妨害の禁止を命じており、これには重大な事実誤認がある。
 住民らは、一方的にヘリパッド建設を進めようとする沖縄防衛局の職員やその関係者に対し、非暴力かつ平和的な方法で抗議・説得を行ったにすぎず、違法な妨害行為にはあたらない。本件訴訟は、自ら及び地域の生活環境、自然環境を守り、基地のない平和な社会を実現するという信念に基づき住民らが行った反対運動を弾圧する目的で国が起こした訴訟(スラップ訴訟)に他ならない。
 本判決は、この訴訟が不当目的のスラップ訴訟であるという本質を見過ごすものである。国の姿勢を一部追認し、地域住民の平和的生存権や表現の自由、政治活動の自由といった憲法上の権利をないがしろにする極めて不当な判決であり、 厳重に抗議する。

 現在、沖縄の過剰な基地負担を一刻も早く解消すること、新たな基地建設は絶対に許さないことが沖縄県民の総意となっている。国は、このような沖縄県民の総意を真摯に受け止め,直ちにヘリパッド建設を中止すべきである。


2012年3月14日

ヘリパッドいらない住民の会
ヘリパッドいらない弁護団

高江ヘリパッド訴訟不当判決に抗議する


2012年3月15日 日本平和委員会

 那覇地裁は、3月15日、米軍ヘリパッド建設に抗議する東村高江の住民2人に国が通行妨害の禁止を求めた裁判で、「被告」とされた2人のうち1人(伊佐真次氏)について、通行妨害禁止を命じる不当な判決を下した。
 これは、国民の「平和のうちに生存する権利」(憲法前文)や、生命、自由、幸福追求の権利(13条)、国民の請願権(16条)、言論・表現の自由(21条)を保障した憲法に反し、国の不当な政策に対する住民の正当な抗議行動を違法行為として弾圧することに手を貸すものである。住民の活動を脅す「スラップ訴訟」(苦痛を与えることを目的とする報復的訴訟)であることへの判断の回避を含め、司法の反動化が地方の末端まで広がっていることを示すものであり、断固抗議する。
 そもそも高江周辺へのヘリパッド建設は、住民との十分な話し合いもせず、住民の合意を得ることなく、政府が一方的・暴力的におしすすめようとしてきたものである。とりわけ、いま大問題になっているオスプレイの訓練については、政府は一切説明を行わないできた。これに対し、住民らは抗議し、納得いく話し合いを求めてきたものである。その抗議は、徹底して非暴力を貫いてきた。その先頭に立ってきたのが伊佐真次氏である。こうした正当な国民の政府の横暴に対する異議申し立ての行動を、「通行妨害」などとして禁止を命じることは、断じて許されない。
 我々は、国民の正当な権利を守るためにも、この不当な判決に抗議し、伊佐真次氏の勝利をかちとるため、今後とも共に闘う決意を表明するものである。また、住民生活と自然環境を破壊し、「平和のうちに生存する権利」を侵害する米軍ヘリパッド建設計画を撤回させるため、住民のみなさんとともに今後とも奮闘する決意を表明するものである。

沖縄の抵抗権(2)-沖縄の縮図伊江島

 高江不当判決
 絶対主義的軍事・植民地専制の軍事裁判以来47年ぶり
  基地建設抵抗への
 日本国憲法法体系下での不当判決
  (新聞・テレビ報道は第2信にて)



沖縄座りこみ抵抗権
 日本国憲法法体系でも侵すことのできない権利(2)


  軍事植民地支配の中で
奪い尽くせ、焼き尽くせ、
 非暴力・座り込み・平和行進の源流 

  第三条
 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
 米軍は布令109号[土地収用令]を発し土地強奪に乗り出した。

伊江島・伊佐浜の闘いは
 沖縄の抵抗の発火・導火線

 「宝の海」(3月12日)に次のように書いた。
 1950年代の基地闘争(銃剣とブルドーザー)に、米軍は布令刑法で瀬長亀次郎らを獄中(人民党事件1954)に送るとともに、反共攻撃『旋風』を煽り、伊江島の非暴力と積極的非暴力(集団農耕)を、軍事裁判で処理した。
 大学生・高校生にも弾圧はおよび(第1次・第2次琉球大学事件)
 それでも、農民たちは「爆弾の降る」中、集団耕作を持続した。不発弾は唯一の「換金作物」で、爆死した人少なくない。
伊江島・伊佐浜の闘いは、沖縄の抵抗の発火点・導火線と言われる。
 伊江島に関する資料、私の戦後史授業から見てみる。
 
 「汽車」替え歌
 いまは銘刈にいまは具志 今は宜野湾伊佐浜と
 思うまもなく伊江島も 土地取り上げに民は泣く
 遠くに見えるあのむらも 近くに見えるこの街も
森も林も田も墓も 次から次へと接収だ
まわり道路や山や川 変わるけしきの恐ろしさ
それを見つめているうちに 殺人兵舎が立ちならぶ
  (「詩と歌があり、子どもや高校生を教材化した沖縄学習」1996年『平和教育』50号)
066.jpg
 (1955年、伊江中学生の絵、いわゆる「銃剣とブルドーザー」拙著『太陽』より)

 沖縄県民の抵抗は小録村具志部落から始まった。
琉球立法院は1954年4月、「土地を守る4原則」を決議し、米軍に抵抗した。米軍は抵抗の先頭に立っていた沖縄人民党への弾圧を強行し、瀬長亀次郎ら幹部を獄中に送り、反共旋風が吹き荒れた。
 土地を守る四原則(スローガン)
• 一括払い反対
• 適正補償請求
• 損害賠償請求
• 新規接収反対

伊江島土地闘争と非暴力
陳情規定

1、 反米的にならないこと。
2、 怒ったり悪口を言わないこと。
3、 必要なこと以外はみだりに米軍にしゃべらないこと。正しい行動を取ること。嘘偽りは絶対に語らないこと。
4、 会談の時は必ず座ること。
5、 集合し米軍に対応するときは、モッコ、鎌、棒きれその他手に持たないこと。
6、 耳より上に手を上げないこと(米軍は我々が手を上げると暴力をふるったと言って写真をとる)
7、 大きな声を出さず、静かに話す。
8、 人道、道徳、宗教の精神と態度で折衝し、布令、布告など誤った放棄にとらわれず、道理を通して訴えること。
9、 軍を恐れてはならない。
10、 人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍人に優っている自覚を堅持し破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること。
11、 このお願いを通すための規定を最後まで守ること。
右誓約いたします。
1954年11月23日 真謝、西崎全地主一同署名
067.jpg
 (銃撃、爆弾投下監視塔、1955年、伊江中学生の絵、『太陽』より)


銃剣の暴力
 爆弾と模擬原爆の降る島
 1955年伊江島 

3月11日 催涙ガス、救急車など伴った完全武装の米兵約300人余が上陸用船艇で伊江島大口浜から上陸。

3月12日 工作隊長ガイディヤー中佐他武装兵約300人によって真謝部落の測量開始。午前7時、伊江村真謝1063番地並里清二(当時62歳)さん宅地内に数十名の武装兵が測量に来たので、並里さんは測量止めるよう訴えると、殴る、蹴るなどの暴行を加え、荒縄で縛り毛布を巻き付けた上、金網の中に放り込み、飛行機で軍事裁判所(嘉手納)に連行し、公務執行妨害、煽動、暴行の罪をきせた。

3月13日、着剣した武装兵で守られた作業隊が、村民の中止要請にもかかわらず、家屋を次々に破壊していく。横暴な現地米軍との交渉に見切りをつけた農民は代表7人を派遣し、この日から「琉球政府」に対する座りこみ陳情を始める。

3月14日、 米軍は前日に引き続き、残りの農家に侵入して銃を突きつけて農民たちを家から追い出し、家財道具を外へ放りだして農家を放火し、また、ブルトーザーで破壊した。こうして昨日からこの日までに十三戸の農家は跡形もなく焼き払われ、破壊しつくされた。家を焼かれ、土地を奪われた13戸の農民たちを米軍は無理やりトラックに積み込んで、接収予定地の外の野原に張ったテント小屋に放りこんだ。強制収容されたもの77人、以後5ヶ月テント小屋生活が続く。

 3月22日 西崎区の内間初枝ちゃん(6歳)は、自分の宅地内で遊んでいて米兵の撃った銃弾に大腿部を貫かれて重傷を負う

4月21日 生活補償打ち切りと言う事態に直面し、農民たちは立ち入り禁止区侵入を声明して実力耕作を始めた。

5月14日 射爆演習によって山林、原野火災発生した。

6月13日 農民たちの実力耕作に手をやいた米軍は、立ち入り禁止区域内の耕作者80数人を逮捕し暴行を加える。

6月14日 80数人の逮捕者のうち32人に対し、即決軍事裁判(コザにて)で懲役3ヶ月、執行猶予1年の判決が下る。

6月29日(毎日新聞)炎天続きの天幕生活中に栄養失調に陥り、続々病人を出し、中峯キヨ(36歳)4人の子ども残して死す。

7月21日、「乞食行進」決定、翌旧正まで。

 8月20日 今村賢男(18歳)再逮捕、(出獄後糸満に売られ、海の事故で死す。『最初の獄入り』の少年、以下に紹介)
   (『模擬原爆ふる中で』伊江島基地資料実行委員会製作に大西資料追加)

068.jpg
 (銃撃・爆弾投下、1955年、伊江中学生の絵『太陽』より)

   二つの軍事即決裁判
 その1-軍事即決裁判

小さなコンクリート建ての裁判所
基地の街の裁判所
それは…軍事裁判所である
そして僕は今日初めて知った
罪人によって検挙された良民を
実にてきぱきと裁いてしまうところだと
  目の前の
  5脚の長い腰掛に
  土にまみれたぼろをまとい
  ひげをぼうぼうとはやした
  32名の農夫が今裁かれている
  彼らのある者は
  泥だらけのゴム草履
  あるものは雨靴をはき
  そして
  大部分のものはハダシのままだった
  うら若い18歳位の青年や
  62歳の年寄りもまじっていた
証言台には
4人の鬼のような米兵が座っていた
彼らの腰にはピストルがさがっていた
彼らの青くくぼんだきつい目は
時々、農民たちをにらみおろしていた
そしてまた
時々
何か沖縄人の通訳とべらべら話しては
ゲラゲラ笑ったりした
間もなく米兵の証言が始まった
農耕をしていたのに
「すわりこみをしていた」といい
一戸にしかくれてない材料を
「13戸に与えた」といい
強制立ち退き後の住民の
「幕舎生活は30日だ」と言っていた
実はその日で90日目だったのに・・・
続いて
被告の中の1青年が発言を求めて
これらの証言を
かたっぱしら覆したが
続いて
判事シャドウ少佐による
尋問が始まった
  貧弱な農民ではあるが
  正直でねばり強い態度に行き詰まった判事は
   「お前はウソをついている偽証罪だ、偽証罪だ」と
  顔を真赤にしてわめき脅していた
そして、最後に
判事の論告があった
 「君たちは
  一部の人々に誘導されている
 彼らは
 君たちの犠牲をタテに
あくまでも軍と戦おうとしているのだ
君たちは罪を犯しているから
この法廷は
君たち32名のひとりびとりに
3か月の有罪を言い渡す
 だが、しかし
 1年の執行猶予にしてやる
 2度と一部の人々に誘導されるな
もし、1か年内に
いかなる罪にでも問われ場合は
この「3か月」に
新しい罰を合わせて罰する・・・
琉球政府に相談してあるから
本部までは
琉球政府の援助によって帰りなさい」と・・・
 あー
 何たる暗黒の島沖縄であろう
 承諾せぬままに・・・・軍は
 伊江島真謝部落の30戸の農民から
 各々半分以上の土地を取り上げ
 49戸の農民の土地を全部奪い 
 そのうち
 13戸の立派な家屋を
 ブルドーザーで押し倒してすきならし
 あるいはたったままの家に火を放ち
 逃げまわる山羊をまとに射撃のけいこをし
 食と住の一切を奪い
 死ぬに死ねず
 柵内で自分の土地を耕せば
 不法侵入で3か月の刑である
すでに 与那城ツルさんの如きは
子どもに与える一握りの米もなく
泣きながら・・・
泣きながら17歳のわが子を
糸満の漁夫に売り渡している
 6月13日に逮捕された人々の
 明14日の軍事即決裁判の
 傍聴者はわずか9人であるのに
 二十名余の
 私服警官の配置される沖縄
 そしてまた
 きょう六月五日の島内新聞は一斉に
 「民政官、立法院へ警告」と見出しで
 「もし伊江島問題にのみ没頭し
 予算案が年度内に成立しない場合は
 議会の解散を勧告する用意あり」と
 おどしている。
 以下略
   (以下略1,955年月14~17日記す。高宮城清『雑記帳』『沖縄の太陽』収録)


 その2-最初の獄入り
   八月二十日の夜
   伊江島真謝の部落民は
   そこの木の下 ここの家のかどに
   幾人かが寄り合ってしょげていた。
   どの群れにいっても
   だまってうつむいていた。
   だが、
   彼らの眼は涙をじっとこらえ
   その唇は
   固くかみしめられていた。
     (中略)
   目を覚ました今村賢勇は
   「畑に行けばいくらでも芋や野菜があるものをなあ……」
      (中略)
   祖母思いの温和な彼は
   その祖母のなげきにやるせなく
   クワを取り、家を抜け出していった。
   バリケードをくぐり
   自分の芋畑に入り
   夢中で掘りはじめたが
   一、二分もすると後ろから
   大きな犬が
   唸りながら近づいてきた
   犬は二匹だった。
     (中略)
   八月二二日…月曜の朝
   弁護のかいもなく
   軍の思うままに裁かれた
   三二名の農夫の中一人で
     (中略)
   瓦礫の高い塀でめぐらされた
   中央刑務所の中で
   祖母の身を案じつつ
   冷たい冬の明け暮れを数えている
   彼は今
   満一八歳にもならない少年であるのに…
     (後略)
         一九五五年八月三一日 高宮城清作『新女苑』「沖縄を忘れないでください」『太陽』収録より
 乞食行進
 「復帰・平和平和行進」の源流

陳情口説
ウチナー口
♪さてむ世ぬ中 あさましや いせに話せば 聞ちみしょり 沖縄うしんか うんにゅきら
♪世界(シケ)にとゆまるアメリカぬ 神ぬ人びと わが土地ゆ 取て軍用地 うち使てぃ
♪畑ぬまんまる金網ゆ まるくみぐらち うぬすばに 鉄砲かたみてぃ 番さびん
♪親ぬゆじりぬ畑山や いかに黄金(クガニ)ぬ土地やしが うりん知らんさ アメリカや
♪真謝ぬ部落ぬ人々や うりから政府ぬ方々に う願(ニゲ)ぬだんだん はなちゃりば
♪たんでぃ主席ん 聞ちみしょり わした百姓がうめゆとてぃ う願いさびしんむてぃぬふか
♪親ぬ譲りぬ畑山や あとてぃ命や ちながりさ いすじわが畑 取ぅいむるし
♪願ぬだんだんしちうしが 耳に入りらんわが主席 らちんあかんさ くぬしざま
♪うりから部落ぬ人々や 是非とぅむ沖縄ぬうしんかに 頼てぃうやびん 聞ちたぼり
♪那覇とぅ糸満 石川ぬ 町ぬ隅(シミ)うてぃ 願さりば わしたう願いん 聞ちみせん
♪涙ながらに 聞ちみそてぃ 町ぬ戻(ムド)ぅいぬ う情や 誠真実 ありがたや

脱原発で「替え歌」ユーチーブ
 陳情口説が「沖縄の心ーチムグクル」として、沖縄の民衆に与えた歴史的影響ははかりしれないものがある。一度聞いてみてください。なお、伊江島の民謡・舞踊は、沖縄本島と微妙に違い、無形文化財に指定されている。曲は 「上り口説」野里竹松翁は語りかけるように、噛みしめるように謡っていた記憶がある。

陳情口説「替え歌ですが聞けます。
http://blogs.yahoo.co.jp/tatakau_yunion_okinawa/38638636.html

 標準語訳
・さても世の中はあさましいことだ 腹の中から話しますから 聞いて下さい沖縄の皆さん
 聞いて下さい
・世界にとどろきわたるアメリカの神のような人々が わが土地を取って うち使ってしまっ
 た
・畑の周りに金網を 丸くめぐらして そのそばに 鉄砲かついで番をしています
・親譲りの畑は黄金にまさった土地ですが それを知らない アメリカだ
・真謝の部落の人々は それから政府の方々にお願いし いろいろと話もしました
・どうか主席様聞いて下さい 私ら百姓があなたの前に出て お願いするのはただごとで
 はありません
・親譲りの畑があってこそ 命がつながっています すぐに私らの畑を取り返して下さい
・だんだんとお願いしましたが 耳にも入れないわが主席 らちもあかないこの仕業
・それから部落の人々は ぜひとも沖縄の皆さんに 頼っていますから 聞いて下さい
・那覇や糸満、石川の町の隅々で お願いをしたならば 私らの願いを聞いて下さいました
・涙ながらに聞いて下さって 帰りに誠真実ありがたいことだと 感じたことでした
 (歌詞と訳文は沖縄国際大学大学院地域文化研究科「ウチナーンチュのエンパワーメントの確立ーー沖縄音楽社会史の変遷を通して」を参照しました)

 「乞食行進」では、三線を弾きながらこの「陳情口説」を歌って回ったという。伊江島の土地を守るたたかいは、その後の全県的な「島ぐるみ闘争」へのつながっていったのである。
 なお、この曲のことは、ブログにアップしてある「戦世と平和の沖縄島唄」でも紹介している。関心のある方は、そちらものぞいてみて下さい
 (インターネットより)
 「沖縄の抵抗3、伊江年表、陳情規定。陳情口説から現在の闘いの解説・分析」は他の課題にも追われて17日(土)になる。

14日第2信ー高江判決

高江スラップ訴訟
 基地建設反対闘争
 1955年代「軍事裁判」以来の不当判決
   (明日、「宝の海」軍事裁判」)
 詳細は情報把握して(遍在18:00)

 琉球新報電子版
http://ryukyushimpo.jp/
 沖縄タイムス電子版
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-14_31057/
 (18:00)

QABニュースステイション

http://www.qab.co.jp/news/2012031434389.html

沖縄座り込み抵抗権(1)ー「不屈」「愚直」「チムグクル」

やはり、来ていた強襲揚陸艦ボノム・リシャール
  船体番号「エセックス」(2)、ボノブ・リシャール(6)
http://www.rimpeace.or.jp/jrp/okinawa/120310lhd6.html
 (リーム・ピース「追跡在日米軍」より

今日、高江判決


沖縄座りこみ抵抗権
 日本国憲法法体系でも侵すことのできない権利(1)


はじめに 
辺野古の座り込み、高江の座り込みが非暴力と結合して「不屈」と「愚直」に継続され、SACO合意、再編成日米合意を揺さぶっている。沖縄の戦後、米軍単独占領からサンフランシスコ条約の米軍支配は大統領行政命令により米琉球民政府の布令・布告によって傀儡的琉球政府(主席は高等弁務官任命)、琉球立法院、琉球裁判所を設立した。
 琉球立法院の設立日、瀬長亀次郎立法議員は米国への忠誠を拒否して座ったままであった。彼の「不屈」な闘いの始まりであった。
 サンフランシスコ条約が」が発効(53年4月28日)すると米民政府は布令を出し土地強奪に乗り出し、伊江島の阿波根昌鴻の非暴力と5本の指の「愚直」な闘い、座りこみと乞食行進に象徴される。
 これらの闘いは1960年沖縄県祖国復帰協議会(結成4月28日)に受け継がれ、復帰行進、網の目行進などに受け継がれ、米軍支配下で、人権、主席公選、自治などの大衆闘争と「座込み」などの闘いが、沖縄の闘いとして多くの成果を上げてゆく、これらの蓄積が1995年10月21日の県民大会に示され、50年代の土地闘争、60年代の土地闘争(11日「宝の海」)と復帰運動、80年代後半の基地強化に対する県民の闘いは(11日、12日「宝の海」)、辺野古・高江の闘いに受け継がれる。
 90年代への継承は、私の日記に見てみたい。

旗の見えない集会の心(96年1月20日日記)
 10月21日の午後、宜野湾市の海浜公園に集結した8万5000余の沖縄県民は、司会者の「みんなの顔が見えるように旗を降ろしましょう」の声に旗をたたみ、翌日の新聞のカラー写真は白黒のように見える。
 この集会の特色は人間尊厳への高らかな宣言であり、沖縄の自主的自治、平和な沖縄を築きあげてゆく誓いであった。在京ジャーナリズムの取材陣の中には、この静かな集会にもの足りなさを感じた向きもあったと言われている。が、白黒の集会の中に、沖縄県民の豊かな感性と理性的な歴史体験の蓄積の諸結集を見落としてはならない。それ故に、日米両政府に威嚇を与えていると、私は認識している。
   (『未来をひらく教育』96年105号収録)
 沖縄の闘いの心 
  「チムグルサン」の共有(96年5月11日日記)

 沖縄には「かわいそう」と言う言葉は無いのです。「かわいそう」に匹敵する言葉は「チムグルシ」と言うのです。あるいは地方にあっては「チムグルサン」。さらに加えると「チムグクル」と言います。チムと言うのは肝の琴です。心です。心と心の共有とも言うべきものです。
 あの少女の痛みの心の中に自分の心も入って生きたいというのです。簡単に言うと痛みをお互いに共有しようというのが「チムグクル」なのです。少女と母親の勇気の共有含めた「チムグクル」を豊かにしようと歩きはじめるのです。
  (「『憲法を暮らしの中に』を考える」立命館大学土曜講座ブックレット1収録)
 日本の戦後史を観るとき、沖縄と本土で大きな違いがあります。まず、そのことを、私の戦争と戦後史の授業から見てみます。
 日本二つの占領
  君の親の戦後の始まりは

 沖縄戦後史はどのように歩むのか、私の社会科の授業から見てみたい。
1、 本土の戦後、ポツダム宣言受諾(8月15日)、連合国極東委員会(GHQ)占領、日本国憲法制定、「里の秋」「リンゴの歌」
2、 沖縄、3月26日沖縄戦(地上戦)、ミニッツ布告、皇軍殲滅、本土攻撃基地、収容所(各自の戦後の始まり)「屋嘉節」「われは膿の子」(我は膿の子/シラミの子/弾ふる荒れ野に身をすくめ/煙たなびくカバヤ(収容所天幕)こそ/わが懐かしき住家ねど)、二見情話
(「詩と歌があり、子どもや高校生を教材化した沖縄学習」『平和教育』)
 すべてが破壊尽くされた沖縄戦、収容所から始まる沖縄後の殺生与奪権は米占領兵に握られていた。
 すべて、失った沖縄、人間の生活は原始的自然状態に戻り、文明らしきものは戦争の残骸、山積みされた米軍の砲弾、米軍基地の物資であった。米軍基地、キャンプの物資を盗むことを「戦果」だと言った。
 海のみは、今では想像できないほど魚が群れていた。船の漁具もなかった。不発弾、米軍基地から爆弾の「戦果」の火薬を抜いてダイナマイトつくり、ダイナマイトで魚を獲った。爆発後、人間とサメの獲りあいであった。ダイナマイト漁で死んだ人122名、手足など失った人122名の統計が沖縄タイムスの記録にある。唯一の換金作物は「戦果」と砲弾の残骸、不発弾の解体で得たスクラップであった。

 沖縄の縮図としての伊江島
  日本人が消えた島

 伊江島戦線は4月16日から約1週間、沖縄地上戦のすべての実相があり、米軍は皇軍が建設した飛行場を本土攻撃基地にし、生き残った住民を5月初旬に慶良間列島に強制移住、疎開で今帰仁村に疎開していた人々(約3000人)は大浦崎収容所に収容されていた。伊江島は日本人のいない島(4人がいた)となり、島に帰れたのは1947年6月ごろであった。

無題056
(伊江沖海戦、20年4月7日、『太陽』から)
米軍は絶対主義的専制、軍事植民地支配、それは、サンフランシスコ条約の沖縄支配まで及ぶ、本土ではGHQ占領下で民主的改革がなされ日本国憲法が制定され基本的人権が高らかに宣言された。
昭和天皇は1947年、米国による沖縄占領の継続と長期租借を内容とする書簡を連合国最高政治顧問シーボルトに送った。いわゆる天皇メッセージである。1950年朝鮮戦争が起こり、沖縄基地は出撃基地となり、日本は朝鮮戦争特需で復興への道を進みますが、沖縄戦で血を吸った鉄くずが八幡製鉄復興の資源となったことは書かれない。
サンフランシスコ平和条約(1952年4月28日発効)
 (明日、資料から見る伊江の現状)

沖縄基地
 思いやり予算
 琉球新報(13日)

http://ryu
琉球新報社説
 思いやり予算を被災地に(14)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188611-storytopic-11.htmlkyushimpo.jp/news/storyid-188578-storytopic-3.html

13日第2信ー小さな村の大きな闘いスラップ訴訟

明日の判決に向けて
 新報・タイムス報道

 「宝の海」は、辺野古・高江座り込みと非暴力闘争の正当性を歴史的にメモしている。
 琉球新報・タイムスが特集記事を組んだ、

 琉球新報(13日)
無題051
052.jpg
 沖縄タイムス(琉球新報)
053.jpg
無題054

1980年代後半に闘いに学ぶー3つの闘いと辺野古・高江



日米政府の新合意の戦略・戦術が少しづつ見えてきた。が、具体的に動くというものではない。このような時には、先人たちの闘いを振りかえり、学ぶこと、また、私の自信、沖縄の戦後史を歩んできた。自分自身の歴史を振り返る記録メモ取るのもいいのかもしれない。

 明日は、高江の判決が出る。いけないのは残念だ。もし、控訴審になったら沖縄非暴力の正当性で法廷に立ちたい。

  辺野古『座込み』テント村8年(16年)
   高江座り込み5年

 今日の辺野古(12日)
うるま市の病院通院の帰り、辺野古テント村に寄った。ムドゥイビーサ(戻り寒さ)で北西の冷たい風、太陽がこぼれ、海の色は夏の近いこと告げているが、沖には揚陸艦(デンバー級)らしきものの船影が浮かぶ。今春、強襲揚陸艦エセックスは同型艦ボノム・リシャール(満載排水量40,500トン、全長257m、艦載機CH46ー42機、AV-8Bハリアー116機、LCAC3隻、士官104人、兵員1004人、上陸部隊1800人、吃水8,5m)に代わるようだ。

DSC01590.jpg
洋上にかすかに揚陸艦 DSC01587.jpg

 毎日、毎日
 フエンスのバーナー、海兵隊がとると、こちらはまた張り出す。小さな闘いだが、負けない意思を込めた大きな闘いだ。全国から送られるバーナーやリボンに意義がある。君もあなたも送ってみませんか。
DSC01589.jpg


 座り込み2885日(3月12日)
   3000日には節目のイベント?

 現場の闘い始まったとき、教師定年で自由人になっていた。闘いを日々取り仕切る役目を負う。私の意思に明確な非暴力と愚直な座り込みの構想があったかは定かでない。戦後の様々な闘いに参加して、沖縄の先人たちが、私たちに何を遺産として残したかは体に染みついていた。いわゆる≪70年安保」≫の頃、ヘルメット、マスク、ゲバ棒スタイルが隆盛するが、私には無縁であった。1980年代末、基地の20年使用期限(92)問題で沖縄ハンセン地主、一坪反戦地主の闘いがあったが、全国的報道はなかった。
 沖縄ハンセン地主のシンボルが阿波根昌鴻翁、すでに、幾度もメモ記録に記していますが、沖縄自立的社会科教育ので沖縄戦後史学習に入って、「不屈」「愚直」な沖縄民衆の歴史を教えていた。
 テント村開設とともに、阿波根昌鴻の非暴力と「5本の指」の思想が、テント村実践として確立されたことは当然で必然的であったとい言える。
 テント村開設の3月間は、週に1度は、機動隊導入を想定して、「ごぼう抜き」訓練をやっていた。
 これは、80年代末の自衛隊・米軍の基地強化の諸闘争の経験を活かすためであった。
 07年夏、高江の闘い始まると、辺野古の闘いの経験を伝えるため、仲間たちの了解を得て、重要な時に、勝手に指揮らしきことをしていた。今、高江は「言葉の暴力」をも禁止し、闘いを組んでいる。

すでに、私の沖縄関係蔵書は資料館や後輩に譲っているので、記憶の中の代表的3つの闘いを観る。
テント村は2885日を刻むDSC01591.jpg

 (メモ的記録)
  安波ハリアーパット阻止の闘い
   安田の闘いの成果に立った「村民ぐるみ」の闘い

 私は、1978年、国頭村、大宜見村、東村を学区とする辺土名高校(母校)に勤務、一般の教師の2倍異例の9年間過ごす。安波は典型的山村の原風景の村で家庭訪問で毎年ビデオに収めているのだがどこに収めているか探せないでいる。福地ダム開発は陰と陽の社会的問題を含み、教育現場も影響を与えていた。安波ダムに関して、安波区に対しダム労働者の「飯場」を村に作ってはならないと提案していた。ダム開発と教育メモは(拙著『学園に愛とロマンを求めて』)記録に残し、1986年南部の高校への転勤となる。
 1986年、米軍は安波ダム南(ダム入口に道路残る)にハリアーパット建設を通告、村議会は反対決議をする。翌、MP隊と激しい阻止闘争となる。安波区と村民は長期戦を覚悟して監視小屋を作り、ねばり強い姿勢を示し中止に追い込む。(伊江島へ)

 恩納村都市型訓練
  ゴボ=抜きされても屈せず

 同時期、恩納村では都市型訓練基地建設の闘いがあった。沖縄県警は機動隊動員して住民を、ゴボー抜きを繰り返した。村の人々は平然と元の場所に戻り幾日も闘い勝利する。
 辺野古初期、この闘いにいた体験者の指導で訓練受けていた。

 本部町豊原
  自衛隊通信施設(P3C)反対闘争

 2008年8月11日、本部町豊原P3C通信施設断念のニュースが報道された。20余年の闘争小屋「すわり込」の愚直の勝利であった。
 この日、私は連日、違法アセス事前調査の闘いで海に出ていて、疲労・熱中症などからくる複合的な脳梗塞で入院していた。 第2代目テント村村長故当山栄氏と電話で喜んだ。当山氏は陸から冷静指示を出していた。支援やガイドでいくども尋ねた闘争小屋であった。
この勝利は、辺野古にとって大きな励ましになった。

当山氏も連日、守る会に宿泊していて、彼の体も病魔が住み着いていたのかもしれない。010年12月、癌で逝く。

 豊原P3Cの闘いについては琉球新報社説を掲げます。若い世代が豊原の闘いから何を学んだか江藤君のブログを紹介する。

(明日から、「すわり込」と非暴力、平和行進の発祥の地、伊江島の記録から民衆の遺産、継承をメモ記録)

 琉球新報08年8月12日
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-134116-storytopic-11.html
江藤直樹ブログ
http://janjan.voicejapan.org/area/0810/0810169601/1

琉球新報社説(12日)
移設工事「先取り」 膨大な無駄遣いはやめよ
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188539-storytopic-11.html.php

高江スラップ訴訟と沖縄の抵抗権と「座り込み」



米軍支配下の
 沖縄の抵抗から高江訴訟へ


3月14日 判決と報告集会のご案内

今週の焦点
 高江スラップ訴訟判決


今週、高江座り込み弾圧訴訟に、那覇地裁の判決が下されます。

裁判長は「判決を出しても問題の解決にならない」とコメントしてきましたが、仮処分申立からの3年余、私達に精神的・物質的負担を強いて来たこの「ゲート前の通行妨害」という矮小化された争点に、司法による一定の判断が示されます。

3月14日
那覇地裁判決
13:00 事前集会 那覇地裁前広場
13:30 傍聴整理券配布
14:00 開廷〜判決
報告集会
15:00 八汐荘大ホール

傍聴・集会参加と激励をお願いします!

 高江訴訟は沖縄戦後史でも
  異常な裁判ー強いもの権力の恫喝裁判

スラップ訴訟とは、
 ネットで検索すると、大方が次のような説明になっている。裁判の勝ち負けは問題ではなく、恫喝が目的のようだ。高江は代表的な例であろう。
 辺野古の軍民共用空港の事前調査頓挫させたとき、P社の現場責任者、私に賠償責任をほのめかしたことあった。p社は確か防衛施設局と裁判起し、辺野古から撤退、いであ(株)などがアセス調査独占してゆく。

スラップ訴訟とは、ネットで見る
「 公に意見を表明したり、請願・陳情や提訴を起こしたり、政府・自治体の対応を求めて動いたりした人々を黙らせ、威圧し、
苦痛を与えることを目的として起こされる 報復的な民事訴訟のこと」

(Ⅰ)政府・自治体などが権力を発動するよう働きかけること=(注)裁判所への提訴や捜査機関への告発など
(Ⅱ)そうした働きかけが民事訴訟の形を取ること
(Ⅲ)政府・自治体・企業ではない個人や団体を被告として提訴されること
(Ⅳ)公共の利益や社会的意義にかかわる重要な問題を争点としていること

 「すわり込」請願権と非暴力は沖縄固有の権利
 (メモ的記録)   
 1950年代の基地闘争(銃剣とブルドーザー)に、米軍は布令刑法で瀬長亀次郎らを獄中(人民党事件1954)に送るとともに、反共攻撃『旋風』を煽り、伊江島の非暴力と積極的非暴力(集団農耕)を、軍事裁判で処理した。
 大学生・高校生にも弾圧はおよび(第1次・第2次琉球大学事件)
 それでも、農民たちは「爆弾の降る」中、集団耕作を持続した。不発弾は唯一の「換金作物」で、爆死した人少なくない。
伊江島・伊佐浜の闘いは、沖縄の抵抗の発火点・導火線と言われる。
 DSC01575.jpg
(1957年7月28日、4原則貫徹県民大会、那覇高校10万人「島ぐるみの闘い」その前に高校生各学校校内集会1万5000人立ち上がる。
 6月29日 那覇高校1,600.7月3日野嵩(普天間700人、石川750人、首里1,000と全県21校に広がる。琉球大学6人退学処分、1謹慎、大学米軍に謝罪)

伊江島の金網のない基地の「黙認耕作地」金網にの中の「黙認牧草地」は、命をかけた請願・抵抗権の貴重な歴史を語る。
 瀬長は獄中から出ると、那覇市長に当選、米軍は買弁資本の琉球銀行に命じ、那覇市への融資凍結、那覇市民は自主的納税運動で反撃するも、米軍は布令集成刑法「破廉恥罪」で瀬長を追放する。沖縄県民は統一戦線「民連」を組織、1960年4月28日、「沖縄県祖国復帰協議会」を結成、自由・人権・自治を含む壮大な運動を展開してゆく、もはや、県民を軍事裁判に掛けること許さなかった。
 ハンストの座り込み
 私もくつかのハンスト参加、48時間で赤十字病院へ失態
DSC01576.jpg
DSC01578.jpg

 軍用道路1号線
  6時間の座り込み

 1960年代中期、米軍は第2次土地接収ともいうべき暴挙に出た。1965年8月19日、佐藤栄作首相来沖、沖縄県民は「佐藤帰れ」「売国奴佐藤」と軍用道路1号線(現国道58号線)東急ホテル(現新都心)を数万の民衆がすわり込み、6時間に及び佐藤は米軍基地の迎賓館に宿泊、琉球警察は解散間際暴力行使したが、道路占拠などで逮捕起訴することはなかった。

 昆布の闘い
  団結小屋放火されても
 60年代の新規土地接収の代表的なのが具志川村昆布(現うるま市)の闘い、団結小屋を建て抵抗、団結小屋が放火されても屈せず勝利、わたしもよく行った。当時、米軍は大浦湾全域も接収計画と飛行場計画(ジュゴン裁判で明らか、「宝の海」知事意見)、大浦湾の漁師たちの闘いがあった。
 今も歌われる当事できた
 「1坪たりともわたすまい」
http://www.youtube.com/watch?v=XKYH8wbg5aA

 伊江島ナイキ基地反対闘争
  非暴力の行動と「座り込み」の勝利

 1966年、伊江島にナイキハーキュリー配備計画、村民ぐるみの闘いが展開された。
DSC01582.jpg
無題040
 (拙著『沖縄の太陽』「うずくまる人々」)

 国頭村実弾演習阻止
  女たちの「すわり込」

 1970年12月30/31日、国頭村安田の密林の155ミリ実弾阻止の闘いは特筆される。米軍は照首山に砲座4門を建設、実弾射撃通告、男たちは着弾地伊部岳に入り、白い煙を燃やして「座り込み」を強行、女たちが砲座を取り囲み「すわり込」、男たちが続いた。米軍も琉球警察もなすすべがなかった。女たちは「ユーコザ」と詰め寄る。12月20日のコザ騒動の意である。
 1発でも撃たしていたら、世界遺産登録候補になっていなかったであろう。貴重なヤンバルクイナなどの貴重な生態系をなす。
  (『歴史地理教育』71年4月号「安田国有林1970年12月の闘い」ルポ残す)
 安田の母親たち
DSC01579.jpg
 続く男たち
DSC01581.jpg
 大砲撤去
DSC01580.jpg
 (写真『祖国復帰闘争史』より)
 沖縄の戦後の人民の闘い見ると「すわり込」と非暴力の闘い一体であり、米軍の「犬」と言われた琉球警察も逮捕、起訴できなかった事実に注目する。
 沖縄返還後の闘いはどうであろうか。
高江のスラップ訴訟が、沖縄の歴史を見て、いかに、異常な裁判であるか、沖縄防衛局の狙いは裁判の判決ではなく恫喝裁判である。
 明日は、復帰後の沖縄県民の闘いを見る。
  

脱原発の日ー高江ウオークイベント

脱原発へ 
昨年 3月11日、高江の激しい闘い終わって、辺野古で全国民医連のみなさん案内、団長さんは宮城県坂総合病院院長でした。日本全国で150か所で脱原発のイベントが開催されるようだ。沖縄も開催される。

一つの集会
017.jpg
 二つ目の集会
http://www.peace-okinawa.net/

 脱原発の日から
  高江判決(14日)まで国道58号線歩くイベント紹介
   あなたも1歩、車から激励を

035.jpg
(琉球新報10日特集)
QAB
Hot Angle 歌手UAさん 3・11への思いは

http://www.qab.co.jp/news/2012030934311.html


3・11~3・14ウォークイベントについて


以前、当ブログでお伝えしました3・11~3・14ウォークの日程について、以下の通りとなりましたのでお知らせします。

高江住民は7ジェネレーションズウォークと一緒に3・11ティダノワ祭をスタートし、3・14の裁判判決に向けて歩きます!!
私たちは「歩く」事や「交流する」事のなかで、7世代先の未来のために、今何をすべきかを自身に問いかけ、省みて 感じ 考え 話し合い 共有し つながり 行動する 事をめざし、3・11~3・14に向け出発します!

【日程】
3・11(日) ティダノワ祭@名護市・21世紀の森公園

        20:30(祭終了)出発
         ↓ (10km/約2時間半)
        23:00 名護市・幸喜公園・キャンプ広場(名護市字幸喜674-1 )
              ※テント・寝袋持参また初日、夜間のウォークになります。一部道中で街灯がない区間もありますので、懐中電灯を用意ください。
       
3・12(月) 8:00 出発
         ↓ (14.5km/約3.5時間)
        11:30 昼休憩@恩納村・万座毛
        13:30 出発       
         ↓ (16・5km/約4.5時間)
        18:00 読谷・十八番横丁(読谷村喜名458-3 国道58号沿い) 到着予定
        20:00~ ★ 交流座談会
                ・「UAやんばるLIVE・ククル」DVD上映
                ・高江メンバー×7Gウォーク×十八番のクロストーク
                ・音楽LIVE(ミズラー他)
               場所:読谷・十八番横丁
               参加費:¥500/1ドリンクつき
               
3・13(火) 8:00 出発
         ↓ (読谷見学予定)
        17:00 北谷・到着予定
         
    ★「トランジションニライカナイギャザリング」~7世代後の子どもたちの笑顔のために~
        18:30開場
        19:00開演~21:30終了
           場所:北谷ニライセンター(北谷町字桑江467-1 ) 
           参加費:無料
           プログラム:音楽LIVE
                  高江住民の会メンバーによる現状報告&DVD上映
                  7ジェネレーションズウォーク2012について 
                  アースラン2012@琉球について
                  ほか 
           主催:Heart of Earth cafe (北谷)

3・14(水) 7:00 出発 
         ↓ (20km/約5時間)
        12:00 那覇地裁付近 到着予定
        (以下に参加)
        13:00~事前集会@那覇地裁前広場
        14:00  裁判判決
        15:00~報告集会@八汐荘

 ~ 以上 ~

★ウォークは基本的に7ジェネレーションズウォークの方針に沿って歩いていきますので、
7 Generations Walk 2012 pageをよく確認ください。
http://7gwalk.org/walk2012/index.html

★3・11~3・14、このウォークをとても大切な時間、大切な体験にしたいと考えています。
皆さま一緒に歩いてみませんか?
ウォークに参加を希望される方は末尾アドレスまでご一報ください。詳細について連絡します。

★当ブログにて、ウォークイベントに関する情報・報告を随時UPしていきます。

「3・11~3・14-7Gウォーク沖縄2012」実行委員会(高江)
oracion@nohelipadtakae.org

10日第2信ー報道から見えてくる民主党政権の対米追従深化


 民主党政権
  自民党より対米追従・談合・天下り体質
   9日、報道記事より
 民主党政権、アメリカの醜い戦術がだんだんと見えてきました。

普天間・辺野古・韓国の動き
シュワブ陸上、工事23件 民主党政権下
琉球新報(9日)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188422-storytopic-3.html
米、海兵隊岩国移転を再打診 日本拒否
 沖縄タイムス(9日)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-09_30848/
宜野湾市長、防衛相に交付金要請
 沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-09_30816/

三沢など念頭?米、岩国以外へ海兵隊移転を打診
 読売(10日)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120310-OYT1T00022.htm?from=main3
「移設」前提に工事
“利権まみれの沖縄新基地中止を”
衆院予算委で笠井氏が追及
 赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-09/2012030915_01_1.html
普天間基地 補修費負担を批判
赤嶺議員「米軍の不当要求」
 赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-09/2012030904_05_1.html

赤旗主張
普天間基地改修
いすわりに手貸すのをやめよ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-09/2012030901_05_1.html

韓国でも基地問題、住民と警察官衝突
 TBS
http://news.tbs.co.jp/20120307/newseye/tbs_newseye4971872.html

知事への意見書ー普天間・辺野古の動きニュース



お知らせ
緊急学習会
「白紙撤回!!」辺野古アセス


3月10日(土) 午後6時~
場所:教育福祉会館(那覇市古島・興南高校隣)
参加費:500円

~史上最低のアセスを葬り去るために~
島津康男(日本環境アセス学会前会長):辺野古アセスを総括する~独善で時代遅れ
桜井国俊(沖縄大学教授・環境学):3・27知事意見に向けて~公有水面の埋め立て事業について
金高 望(辺野古違法アセス訴訟弁護団):高見沢防衛研究所長・証人尋問の報告

主催:沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団
問い合わせ TEL 090-1946-3181(川満) FAX 098-885-0866

 私の意見書
 「宝の海」(26日~1日)の散歩まとめて知事意見への意見書送りました(5日)

沖縄県知事 仲井眞弘多 殿
                沖縄県名護市大北3-8-20
                  大西 照雄
                  TEL/FAX 0980・53・5081
 代替施設「埋め立て」に関する知事意見に関する意見と要望
 憲法16条に基づき意見を提出します。

辺野古・大浦湾の地層(嘉陽層)と護岸構造に絞って


はじめに
代替施設の埋め立てについて準備書および評価書(概要)は、地質構造について科学的に触れているとは言えません。軍民共用空港事前調査は「護岸構造検討のための現地技術踏査」と地質のボーリングが主で有りました。特に、護岸建設に当たって、地質は重要な基本的問題と認識します。名護東海岸は嘉陽層を基盤とし、代替施設海底地帯も褶曲的嘉陽層の断層と認識します。私は地質についての専門家ではありませんが、毎日観ています。
沖縄本島の地質と代替施設地域の地層を観たいと思います。

沖縄本島の地層(概要)
 小さな島ですが、地層は変化に富んでいます。嘉手納弾薬庫以北を国頭マージ、南は石灰岩土壌の島尻マージ泥岩土壌ジャーガルと言います。植物形態も違ってきます。椎の木、イジュの木は南には生えません。
 国頭マージと言われる地層も、砂岩を主とする嘉陽層、千枚岩と言われる名護層などが複雑に褶曲し、本部層と言われる堆積岩(チャート約2億年)が伊江城、本部半島などに見られます。
 特に、嘉陽層は名護東海岸に典型的に見られ名護市の天然記念物となってます。

天仁屋・底仁屋の褶曲した嘉陽層
 底仁屋にある嘉陽層の褶曲(しゅうきょく)は、東海岸の東端近くに位置する嘉陽から底仁屋にぬける県道70号線の旧道にみられます。その旧道の削り取られた崖に、大きく褶曲した地層が現れています。褶曲というのは、地層が曲がりくねった状態をいいますが、底仁屋の褶曲のように、曲がりくねり、さらにおりたたまれ横倒しになっている褶曲を横臥褶曲(おうがしゅうきょく) といって、大変珍しいものです。
 嘉陽層という地層は、沖縄島中部以北の東側に分布しています。砂岩・泥岩・層内礫岩および礫岩をともない、それらが交互に重なっている地層のことで、新生代第三紀(ほぼ 6,500万年~ 2,500万年前までの 4,000万年間)に 3,500~ 5,500mの深い海に堆積したものです。
 現在は、県内の各高校の地学実習の場として利用されています。

 瀬嵩海岸・大浦崎・辺野古の嘉陽層
 瀬嵩の海岸の嘉陽から基地建設、埋め立て地を見てみました。
 岩の右の森に辺野古弾薬庫(嘉陽層の陸断層)を形成。
 岩、左が埋め立て(飛行場計画)で、海底に嘉陽層の台地と断崖を形成しています。

DSC01448.jpg

 典型的な嘉陽層の褶曲が見られます。

DSC01454.jpg

 砂岩、泥岩、礫岩が重なって、横、縦に亀裂が見られます。

DSC01461.jpg

 この岩は縦に亀裂が走っています。
DSC01463.jpg

 その他、複雑な模様は子どもの学習にこと欠きません。化石も見つかるかもしれません。
DSC01462.jpg

 大浦崎の断層、崩落と貴重なサンゴ
 嘉陽層は東西にいくつもの断層になって国頭の山を形成しています。大浦湾、辺野古岬は嘉陽層の断層が肉眼で見ることのできる典型的な場所と言われます。陸と海に2重の断層が発達しています。
 断層に沿って西から(二見)から長島に向けて大川などの水系が合流し外洋に古大川が流れ、長島沖で60Mの深さ、そして、海底に広大な泥の海底をなしています。大浦湾の特性は「泥」[海底のデルタ]と広大な「海底扇状地」と大浦湾入り口に南北に延びるピシであると思います。東海岸海域最大のクチが南と北にあり、潮流はこの2つのクチから流れ、穏やかな流れです。辺野古弾薬庫付近、水深20M付近の淵にユビエダサンゴ、瀬嵩側に塊状ハマサンゴ群落、大川などの河口付近がラムサール条約登録候補となっています。

 辺野古弾薬庫付近の断層に崩落がいくつも見られます。森の上は辺野古弾薬庫。
評価書埋め立て知事意見の3月に出されます。
 護岸についての意見書、書くための地質の学習です。海の中見えませんから陸地から考察します。

DSC01474.jpg

 辺野古漁港の嘉陽層
 漁港周辺にも嘉陽層、観られます。漁港前のニライカナイの神の住む島(岩)です。砂岩と石灰岩が入り組んでいます。
DSC01499.jpg

 砂岩の重なりが見え、独特の神秘の岩を形成しています。キャンプシュワブが見えます。
DSC01484.jpg

 砂岩の断層
DSC01490.jpg

 礫石が混ざっています。
DSC01487.jpg

護岸建設計画と嘉陽層
 すでに、見たように大浦湾は深く、広い。辺野古岬と国頭山脈に囲まれ、比較的穏やかである。地質は嘉陽層であることは述べてきた。辺野古岬に断層となって、大川などの水系が悠久の地球史の中で断層に沿って古大川が海底に流れていて、海底に広大なデルタ(泥)を堆積させてきた。汀間川水系から見ると海底に砂を主とする扇状地となっている。
 扇状地はデルタに落ちるところにユビエダサンゴ群落が生息している。東に大きな口を外洋に開けて、北東の風(年間60%)を吸い込むので、デルタ地帯は特に夏の南風の影響「濁り」を特性にしている。この自然的濁りが大浦湾の生態系の特質と言えます。
 辺野古岬の海底火曜層を埋め立てる基地計画になっていて、護岸構造はケーソン式と鉄鉱二重締切矢板式護岸(以下矢板式護岸)を組み合わせている。
 方法書では、ケーソン式護岸は大川河口にユビエダサンゴなど浚渫して作業ヤード作成することになっていたが、フロティング・ドッグと言う船舶で作成することになった。
大浦湾作業ヤードは神も自然を冒涜する典型的な暴挙で、辺野古アセス全体の姿を代表するものです。
 (経過などについては、3月1日「宝の海」、違法アセス陳述書を参考)

資料1埋め立てと基地機能
06.jpg

  (評価書概要より)
 資料2鉄鋼2重矢板式護岸断面図
07.jpg

  (評価書概要に落書き)

 軍港としての鉄鉱矢板式護岸
  評価書の「嘘」を観る 

「ヘリ等が故障した場合などにおいて船舶(23、800トン)を使用した輸送を実施する必要があることから、護岸の一部(約200m)を船舶が接岸できる構造(係船機能付)として整備しますが、恒常的に兵員や物資の積み卸しを機能とするようないわゆる軍港を建設することは考えていません。」(評価書概要2-9、2-10)、なお、燃料桟橋7、587トンタンカー。

 下手な嘘1、故障ヘリ1機を運ぶのに23,800トンの船舶必要か、それとも米軍機およびオスプレイは繁 に 故障しているのか。
 下手な嘘2、嘉手納・普天間にこのような故障機を運ぶの、見たことありません。

 悪魔の要塞基地
  海兵隊が海兵隊であるためには?
 05年10月29日、米軍再編成合意「日米同盟の変革と未来」で辺野古地先埋め立て計画、その前、19月19日、私と真喜志好一は、照屋・赤嶺議員を介して、国会外務委員会で北米局長河相、防衛局長大古氏と会っていた。ジュゴン訴訟で得た国防省の資料で「軍港」計画を再編成に組み込み「悪魔の要塞基地」建設と指摘していた。官僚二人の足の震え、額の汗を思い出す。(旧宝の海に記載)

 資料1は方法書に記載せず、準備書で出してきました。
  射撃演習、ヘリパット(基地内にも)、弾薬搭載エリアなどなど、普天間にはない機能である。

 資料2は準備書、評価書で示された鉄鉱矢板式護岸(係船)の断面図です。
 「殴りこみ部隊」として、海兵隊が海兵隊であるためには、揚陸艦、高速輸送船が必要です。
 揚陸艦の母港は佐世保です。揚陸艦ヘリ空母エセックス、揚陸艦デンバー・ジュノー(各17,000トン)は、辺野古沖で訓練しています。エセックスは接岸できませんが、2万トンクラスのヘリ空母、高速輸送船は接岸できます。
 東の風60%、風を吸い込む大浦湾、台風銀座の沖縄、「恒常的」(母港)には不適切ですが、米軍の運用は自由ですから台風以外の「準母港」化を目的にしている。
 機能は陸上競技に喩えると「位置について、用意・ドン」から「ドン」のみの即応体制基地の完成と言うことになる。
 鉄鉱矢板式護岸とケーソン式護岸が、いかに「環境保全不可能」(知事意見)であるかを嘉陽層との関連で見たい。

 大浦湾護岸ー鉄鉱二重矢板とケーソンと生態系
大浦湾・辺野古の磯を散歩して、評価書知事意見に対する自分なりの意見を書くために、3回(前述)にわたって大浦湾・辺野古の地質から、意見書の概要をメモしてきました。
 下記は、前述のまとめメモになります。 
1、名護東海岸域の地質は嘉陽層で形成されていること。嘉陽層は泥岩、砂岩、礫岩などが幾重にも重なり、複雑な褶曲をなして、崩落が見られることを指摘してきました。
2、埋め立て海域も嘉陽層の断層が西から長島に向けって伸びており、護岸構造は鉄鉱2重矢板式(船舶係留)およびケーソン式護岸であること。
3、断層の海底深部は古大川の広大なデルタ地帯となり、泥質の深さの基礎資料は無い。
4、鉄鋼矢板式護岸は揚陸艦および高速輸送船などの「準母港」化を指摘した。

 海の構造は科学的機器での調査ではありません。深さなどはジュゴン1号・平和丸のGPSで海域の地形は頭にすべて入っています。海底の特質、潮流などは釣りで行っています。釣りは釣り竿使いません。ティーナー(手縄)でサンゴ、砂地、泥地など手に伝わります。また、魚の種類で海底状況はつかめます。
 また、多くの自然保護団体、個人、カメラマン、メデイアの調査の船長を勤め、「ミナレー・チチナレー」(聞き、観て」の知識で分析してみました。

無題08
  (埋め立て地の海底地形と護岸の位置、評価書概要、図2,4,2,4)右上に世界最大のケーソン式防波堤、高知港添付しましたが、海底地形は平坦で安定しています。)

鉄鋼二重矢板護岸の
 自然環境に及ぼす影響について

 軍民共用空港の事前調査は「護岸検討のための現地技調査」と称して基地本体全般を対象にする姑息な手法であった。地質調査にイノーでも30ポイント、深場はスパッと台船、スーパーブイなどボーリング調査を重視していた。
 V字型では地質調査をいかにして行われたのか、埋め立て計画地の地質について明確ではない。 

知事意見は、係船付護岸について「設置の必要性に疑義がある」とのべ、「自然環境に及ぼす影響は一層深刻になる」と指摘している。
 1、本来この工法は産業廃棄物を「締切」るであり、シュワブ基地の解体された建物など埋める疑念がある。
 2、鉄板を200×2を海底に約6m(鉄鋼の長さ推測で約30m?)打ち込む、機材は打撃船を使う。
3、護岸設置場所は断層の淵になっていて、海底は広大なデルタ(泥)堆積していることがわかります。
 4、打ち込み打撃音は水中音として140~150dbであり、連続的打撃音であり、水中音の速さは地上の5倍と言われる。
 5、ジュゴン・ウミガメなど海生生物に与える影響につては、違法訴訟陳述(2月1日「宝の海」、参考資料として提出します)で考察しているので割愛する。
 6、嘉陽層は泥岩、砂岩、礫岩の幾重も重なりあって脆弱な地層で、しかも、断層の淵、工事中、共用後の崩落の可能性が懸念される。
 7、大浦湾の特性は、一定の「濁り」を数百万年の地球史、その特性の中で独自の生態系を形成してきた。
 8、打撃船の鉄鋼打ち込みは、振動を発生させ、泥地を揺さぶり、海底から人工的濁りを発生させる。ケーソン式護岸のマウンド作成の浚渫も、礎石の投入も同様であり、長期にわたる濁りを評価書で初めて認め「外洋に流れる」ことを認めた。
 10、人工的「濁り」は干満の潮流で大浦湾全体に広がる。また、美謝川の切り替えによって、大川水系の水流の流れの変化(大雨の流れを止める)をきたし、その影響は「一層深刻」になることは明らかである。
 11、ユビエダサンゴは扇状地と泥地(深場)の境界にあり、人為的濁り、泥をかぶり生育の危険に晒される。
 12、ケーソン式護岸の広大なマウンド、捨て石、消波ブロックは潮流の変化をきたし、総合的な見地が求められる。
13、様々な作業船団群はジュゴン、生態系に多大な影響を与える。
14、ケーソン式護岸作製船(3,000トンから16,000トン)は、どの港湾を使うのか、大浦湾なのか明確でない。
 総合的に見て
  大浦湾護岸は自然・生態系を破壊する

 評価書は、大浦湾の特性、地質含めて科学的に検討されていない。風、潮流、地形、地質の多様性を複合的に見る、見知が欠落している。大浦湾は二つのクチが外洋と結んでいる。特に、南東に向いているから台風のもたらす影響も欠落している。
よって、知事は埋め立て計画に同意してはならない。
 (参考文書「アセス裁判陳述書)」
 2012年3月5日

普天間・辺野古・韓国の動き
シュワブ陸上、工事23件 民主党政権下
琉球新報(9日)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188422-storytopic-3.html
米、海兵隊岩国移転を再打診 日本拒否
 沖縄タイムス(9日)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-09_30848/
宜野湾市長、防衛相に交付金要請
 沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-09_30816/
韓国でも基地問題、住民と警察官衝突
 TBS
http://news.tbs.co.jp/20120307/newseye/tbs_newseye4971872.html

エクアドル国際女性デーと辺野古

国際会議バンクーバーからエクアドルへ

 06年6月カナダバンクーバー世界平和フォーラムに参加した。反基地分科会でエクアドルの代表とコレア大統領を実現し、エクアドルで国際反基地ネットワークの結成総会を成功させようと誓った。
 「9条」分科会にも出た。フロアの発言は2分、休憩前に沖縄から日本国憲法を語るに2分では話せない、5分いただけませんかと了承をいた。最後に指名されたが1分を与えるという。発言拒否をした。25年間憲法の庇護のなかった屈辱と同じと思った。
 そのことがあって、エクアドル反基地ネットワーク(07年3月)では組織名称、組織論、国際連帯の問題で、辺野古の闘い軸に総会、分科会で積極的発言をした。
 両会議ともカンパをいただいたので、沖縄平和委員会には毎日「カナダ日記」「エクアドル通信」を送り、エクアドルにはビラを1000枚、辺野古の自然と闘い記録CD50枚、総会入り口にブース設営して友好深めた。
 高原の首都キトから港町マンタ(米軍基地)へ経ったのが3月8日であった。

エクアドル通信 NO3 山の街キトから海の街マンタへ
 エクアドルの国際女性デー

 マッチの燃え方が違う。3月8日、晴天、国際女性デーである。朝7時出発にあわせホテルを6時45分に出る。指定の公園にバス3台、誰も来てない。日本平和委員会バスに荷物を乗せる。昼食が保障されないので、ホテルのバイキングからパン2個、バナナをもらう。バス停にパン屋があるのでパンと水を追加、キューバA・A・ALの幹部たちが来たので名刺交換と記念撮影、大会では日本と同じような発言をしていた。出発は9時となった。沖縄だ。
 高原の険しい頂きに住宅やマンションが空に伸びる。日本平和大会に参加した方(現通信省政務次官)、美しく魅惑的な瞳の女性二人、赤旗記者、滝本氏が後座席に座った。8台のキャラバン、パトカーが誘導、後ろからは救急車、コレア大統領になって変化したこと警官、高速料金と政務次官は説明した。川田氏がコレア大統領に招待を受けタクシーで後から来る予定。果てしなく広がる高原は山の頂上まで牧草、走ること約1時間トイレタイム、雲海が山を消して襲ってくる、男どもは草原に向かって消防活動。
 高原を降る。数百メートルの断崖の谷底、木はない、降るにしたがって部分的に熱帯樹林の面影が残るが険しい頂上まで草である。断崖に家があり山羊の姿。低い高原も果てしなく草原化して熱帯雨林の面影はない。住宅地は見えないが人と馬が見える。低地に入るとバナナのプランテイション。集積所がいくつもあり、トラックが満載して行く、村は高床式竹で囲った簡単住宅、先住民の家だ。衛生状況が悪いことは人目でわかる貧しさ。穀物はトーモロコシ以外に見えない。
 4時、小さな(街)で国際女性集会、私の挨拶が予定されている。町は祭りになった。日本でも女性デーあるのと聞いてみた。あいさつ原稿は日本から送ってあったので平野女史と、雰囲気に合わせて訂正する(帰国に完成)、夜8時、マンタ近くの街で国際女性デー、バンド付きで喧騒、馬で戦士が入場、乱舞だ。挨拶は平和委員会の女性3人、ここで安次富氏らのバス行方不明。バスで熟睡、目を覚ますと暗闇のバス、降りて集会所らしきところに向かうが突然停電(2回目)で、道路に一人立つ、恐怖が体を流れる。バスに引き返す。11時30分ホテル着、夕食なし、深い眠りに入る。キトでは睡眠が浅く3時には目を覚ましていた。空気の濃さが睡眠を呼ぶのだ。

沖縄にも エクアドルにも米軍基地は要らない(国際女性デー市民集会挨拶)
            ヘリ基地反対協議会  大西 照雄

(こんにちは)
国際女性デーおめでとうございます。
 新自由主義に反対、米軍基地の撤去をめざすエクアドル国民に連帯の挨拶を送ります。
私は太平洋の西に浮かぶ沖縄列島から来ました。
  (略)
 沖縄県の中心沖縄島は、東西約10km、南北約120kmの小さな島で120万人が住んでいます。沖縄県は東洋最大の米軍基地集中、米軍の出撃基地となっています。沖縄諸島は熱帯・亜熱帯、温帯が複合した、サンゴ礁とラグーンに囲まれた自然豊な島です。エクアドルの美しい自然に例えて「東洋のガラパゴス」と呼ばれています。

私は高校教師の道を歩み、アメリカの軍事植民地支配に抵抗する青年の教育に情熱を注いできました。
エクアドルに来ての第一の感想は、大会の成功のために多くの青年が参加して大会の運営の中心にいることです。男性の目は楽天的で理性に輝き、女性の瞳は情熱的に深く澄み、美しいく輝いている。この輝く青年の目はエクアドルの明日の社会を築く宝だ。
  (略)
ラテンアメリカで広がる新自由主義反対、アメリカの覇権主義に反対する人民の闘いは、私たちの闘いに勇気と力を与えました。
昨年6月、カナダで開催された世界平和フォーラムで、エクアドルの代表にエクアドル人民の戦いの発展を希望し、外国軍隊基地撤去での再会を約束しました。
コレアレア大統領を誕生させ熱気に満ちたこの集会に参加、挨拶の機会を得て、海を越え、皆さんと結ばれたことを誇りに思います。
沖縄とエクアドルの自然は似ています。この美しい自然と平和を破壊するブッシュは地球の敵です。
エクアドル人民とラテンアメリカの新自由主義反対、経済主権獲得のうねりは人民の共同は、わたしたちの財産となっています。沖縄の闘いも、アジア人民の共同に向けて新しい仕事に向かいます。このエクアドルの大会は、各国におけるアメリカの基地撤去の戦いを、「世界は一つ」に結びました。
私たちは平和と社会発展の築く兄弟となった。

私たちは勝利に向かって結ばれた。
ありがとうございました。

 日本の国際女性でー  赤旗(9日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-09/2012030901_04_1.html


キャンプシュワブ 陸上部分施設整備に112億円
QAB

http://www.qab.co.jp/news/2012030834286.html
普天間補修、日本側支出15億円超
沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-08_30784/

国際婦人デーとウチナーイナグ

 きょうは何の日
   国際婦人デー(その1)

 3月4日(サンシンの日)、3月5日(サンゴの日)など、ラジオは毎日伝えていた。3月8日、世界婦人デーなのだが、あまり、伝えられない。語呂合わせで9月17日を「クイナの日」と提唱(92年4月18日、琉球新報論壇)したのは私。
 国際婦人デーを意識したのは、一つは、沖縄で啄木享有の歴史を調べていると沖縄での第1回国際婦人デーの記事見つけた。その2は、07年3月8日、エクアドルの街で村ぐるみ,町ぐるみで祝う姿であった。日本ではお目にかかれない姿であった。
  遊女「演舌カマデー」
   沖縄の女の陰と陽

 昭和3年(1928)第1回普通選挙は沖縄でも無産政党は候補を立ってて闘った。那覇では得票2位ながら落選。書道沖縄三蹟の歯医者山城正忠(啄木の友人)は短冊に啄木の歌を書き、選挙資金とした。労働党のスローガンは「労働者に仕事と食を」「農民に土地を保障せよ」であったから、推測するに啄木の歌、正忠の歌は
  こころよく
   我に働く仕事あれ
  それを成し遂げて死なんと思う(啄木)

  車より「歯を守れ」とて
  ビラ撒く歌人
  われも今日は町医者(正忠)
などであったであろう。
 
 
 この年の3月8日、那覇市公会堂で婦人解放大会が開かれ「階上階下場外にあふれる」(『人民』松本三益、1972年3月8日)と回想、次のように記録されている。
 
「首里出身の1女性が・・辻遊郭攻撃になり大拍手を受けました。(略)
 17・8歳の若い女性が反論させてくれと・・・演壇に立ったこの美しい女性は、自分は、辻の遊郭の遊女である。自分たちは好んでこんな商売をしているのではない、社会が悪いのであって私たちが悪いのではないと論旨整然と反ばくし、これまた大拍手を受けました」
この美しい遊女(ジュリ)は、「演舌カマデー」の仇名で有名になったようだ。

 当時の知識人、師範・中学の教師、官僚達は遊郭チージに群れていた。3月15日「プロレタリア文学現状」の講演会が開かれていた。

 大阪の零下の寒さとたたかえる君を思い寄らず日の桶(正忠)

 いわゆる「3・15共産党大弾圧」が起こっていた。

 琉球の歌は8886(サンパチ6)と言われ、詠み、サンシンで奏で、舞う歌である。高貴な人々の歌と言うより、庶民の日常の歌が有名で各地に歌碑が建つ。沖縄で祝日に奏で舞う「風やでふう」は、私の祖先が詠んだ歌とされ、歌碑が母の実家に建つ。

  沖縄の「新しき女」と
   ウチナーイナグの恋
 「沖縄の女流歌人恩納ナベの歌碑」
 大正期、平塚らいちょうらは「青鞜」で「新しき女」と言われた。沖縄でも「新しき女」の登場があったが、それは伊波普猶の知識にあこがれた「5人の新しき女」の群れと近代思想を学ぶ女たちの群れであった。
 1995月5月、『歴史地理教育』から沖縄を散歩するなら、どこがいいか、書いてくれと頼まれた。
無題024

 「伊波普猶は沖縄の万葉歌人と言われる恩納ナベ「恩納松下に禁止の碑の立ちゅし恋忍までの禁止やねさみ」(写真上)を与謝野晶子が賞賛したと書いています。
 写真下の碑は「恩納岳彼方里が生まり島森んおしのけて此方なさな」の歌が黒い円の中に刻まれている。「琉歌の里」の碑です。
 すぐそばの万座毛は景観地ですが、これらの碑を訪ねる人はほとんどおりません。歌碑の愛は晶子の恋もこえる天真爛漫で自然をも動かす沖縄の女性たちのしたたか闘いに共通するものです。旅は自然と人々の生きざまと結合してこそ体に刻まれます。比謝川に建つ吉屋チルも心にとめて、沖縄の恋歌に陰と陽の沖縄の旅を発見することを勧めます。」
 (『歴史地理教育』95年5月号)

 チージ(遊郭辻)は王国時代、沖縄の近代の「暗部」として疲弊する農村の貧しさの象徴的存在であった。吐き出されるようにうら若き女性たちが,
童女たちもチージ売られた。琉球王国は女たちの生き血を吸った。映画「テンペスト」は王国の女性を支配する聞え大君までチージのジュリになる。

 吉屋チルが詠んだとされる「流ゆる水に桜花うちて色美らさーあてる請けていちゃる」は、幼い時から口ずさんでいた。炭焼き少年頃、奥山の渓谷で、沖縄の桜は散らない。この桜は山桜(山ツツジ)であろうとだけ思っていた。滝壺埋めつくし浮かぶ山ツツジやさまざま花は美しいジュウタン、その中のピンクの山ツツジ1輪のあでやかで、知的にも輝いていたチル、首里の貴族に身請けされるが、果たせぬ恋ではなく、絶食して、18歳で命を絶つ。

恨(うら)む比謝橋(ひじゃばし)や 情な(なさきね)い人の(んひとぅぬ) わ身渡(みわた)さと思て(とぅうみてぃ) かけてお(きてぃう)きや(ちゃ)ら

及ばらぬとめば思ひ増す鏡
 影やちよんうつち拝みぼしゃぬ

 恩納ナベの為政者にも恐れぬ恋、吉屋チルの内に沈殿させ命絶つ恋、ウチナーイナグの世界があると思う。

平塚らいちょうは「原始女性は太陽であった」言う。すでに、「宝の海」で、わが屋に伝承されている琉球王国初期(オモロ時代)のオモロより古いとされるクエナを検証した。素朴で生き生きとした「女たちの園」「女たちの絆」が詠われている。5・5調で単純な言葉を繰り返すし50番ほどの舞と謡である。

追記挿入(2・30)
 ちなみに、ナベに晶子、鉄幹への恋破れた薄明の山川登美子に薄明のチルを対比させて観た。2月8日の沖縄タイムスに文化欄の歌人今野澄子女史は山川登美子について「その時代に沖縄はどうであったろうか、目を向けてくださる方がいるとうれしい」と書く、沖縄の明星人山城正忠は、晶子を姉と慕ったが明星(明治41年7月号、啄木は石破る集)に登美子の悲報を詠う。

 はしけきやしわかきいらつめまがつみもよしやとほしけれこそ君撰びかれ(山城正忠)
  (私には難解の歌である)

 山川登美子研究者だから、当然、知っているであろう。
 (ここ,追記)

 薩摩支配下の琉歌となるウシデークの謡と舞には支配階級への怨嗟が随所に謡われる。首里城建設の踊りとされる「国頭サバクイ」は首里王を讃える踊りとされるが、村の記録から、私は「農民の抵抗」演劇と珍説を唱えている。

 時代とともに、伝承文化は消え始めている。国際婦人デーで、ウチナーイナグの歴史に思いをつづって見た。高校教師時代の沖縄文化学習、オモロから琉歌、近代を短歌、異文化への尊厳など授業に組入れていた。

 1995年9月、沖縄イナグの闘いが沖縄県民をリードし、沖縄の今日の闘いへと継続する。
北京で開かれていた世界女性大会から帰ったばかり、「チムグクル」の共有の行動であった。それは、女たちの沖縄女性史の「絆であった。」
 しかし、日本中では「沖縄可哀そう」であった。この「可哀そう」論を、復古させようとの動き顕著になってきた。
  
 3月8日は「国際婦人デー」、いま、日本では、どのような日であろうか。
 (明日はエクアドルの「国際婦人デー」


オスプレイ、一時本州へ 普天間への直接配備避ける
朝日新聞
http://www.asahi.com/politics/update/0307/TKY201203060867.html
 昨日、米国は「ゆすり」「タカリ」で逆襲に出たと書く、普天間の修復利用し、日本全国米軍基地化も要求してきた。日本の政治家、官僚は米国追従で拒むこと出来ない。1996年SACO合意、日本中「沖縄可哀そう」と155ミリりゅう弾砲演習、矢うす別など4か所が受け入れた。沖縄を追いこんで新基地押しつけてきた。
 沖縄可哀そうと決別し、1時的ににも容認してはならない。

 沖縄負担軽減論に騙されてはいけないとは、歴史の反省でもある。
この国の政治の劣化の根本、安保条約に挑み、アメリカの「ゆすり」「タカリ」に異議の言える日本を目指すことであろう。脱原発も、安保も正面から挑まなければならない。

緊急学習会
「白紙撤回!!」辺野古アセス


3月10日(土) 午後6時~
場所:教育福祉会館(那覇市古島・興南高校隣)
参加費:500円

~史上最低のアセスを葬り去るために~
島津康男(日本環境アセス学会前会長):辺野古アセスを総括する~独善で時代遅れ
桜井国俊(沖縄大学教授・環境学):3・27知事意見に向けて~公有水面の埋め立て事業について
金高 望(辺野古違法アセス訴訟弁護団):高見沢防衛研究所長・証人尋問の報告

高見沢証言(3)


 お知らせ

3月14日 判決と報告集会のご案内

来週、高江座り込み弾圧訴訟に、那覇地裁の判決が下されます。

裁判長は「判決を出しても問題の解決にならない」とコメントしてきましたが、仮処分申立からの3年余、私達に精神的・物質的負担を強いて来たこの「ゲート前の通行妨害」という矮小化された争点に、司法による一定の判断が示されます。

3月14日
那覇地裁判決
13:00 事前集会 那覇地裁前広場
13:30 傍聴整理券配布
14:00 開廷〜判決
報告集会
15:00 八汐荘大ホール
傍聴・集会参加と激励をお願いします!

高見沢証言をどう見るか(3)

普天間基地大幅修復
 日米政府を追い詰めてきました。沖縄基地の問題、沖縄の歴史を観ると日本国内で米軍容認勢力が台頭してくるとアメリカは、逆襲、報復を強化してきます。
 佐喜眞市長の登場で普天間基地の補修問題が出てきました。アメリカの「ゆすり」「タカリ」も恥も外聞もなく、あからさまになってきました。

玄葉外相、普天間の補修必要 「古くなり住民が危険」
琉球新報電子版(6日)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188325-storytopic-53.html

玄葉外務大臣 普天間の補修工事必要
 QAB朝日放送
http://www.qab.co.jp/news/2012030634211.html

Qリポート 証人尋問から見えてくるもの
 QAB琉球朝日放送
 5日のQABと連続してみるといいかも。

http://www.qab.co.jp/news/2012030634221.html
 
高見沢証言から
 1、徹底して守秘義務を連発。
 2、基地建設の統括官であること認めた。
 3、CH46の交代期MV22であること認めた。
 4、市民運動の力で防衛省最高幹部を法廷に引きずりだした。

ヘリ基地反対協は「辺野古に基地作らさない」一致点での共闘組織、多面的な闘いがある。すべてを、ヘリ基地反対協が直接的に担うのではない。
 ①アメリカのジュゴン裁判の窓口として、原告団を結成し、直接原告団にならず、援助する。
 ②アセス監視団を提起、個人加盟にし、独自の研究、学習などアセスの闘いの中心を担い、学者、専門家、環境団 体、市民団体との幅広い連携への援助、財政含め支援。
 ③違法アセス訴訟を提起、原告団(622人)の事務局的存在として、弁護団と運動を担う。(安次富氏の奮闘大  なり、提訴の頃に、わたしがダウン)

ジュゴン裁判は、国防省の辺野古軍事空港、軍港構想を暴くとともにSACOのMV22配備を指摘、直接の担当高見沢氏を証人として出廷させる。次に繋げる法廷上の価値、裁判の進行で出てくるであろう。

 アセス訴訟は方法書・準備書のやり直しを求めるものであった。次回公判(7月17日)の準備書面では発展的に評価書のやりなおし含めての攻防となろう。

 知事意見は「社会環境と自然環境の保全不可能」となった。
 アセス手続きと違法アセス訴訟が一体となって進む、日米政府逃げられるものではない。
 日米政府の「ユクシ力」は、沖縄でもとも軽蔑される「ユクサー」(嘘つき、日本語の嘘つきでは表現できない)
 仲井真知事はクニンダ(久米36姓)統帥だから「ユクサ ー」になったらグソー(あの世)まで背負う。
  (沖縄では抑止力をユクシ(嘘)力と言う)

 よく学び、よく闘い、粘り強く、明日も、学び、闘う
複雑なアセス法、アセス手続き、沖縄県民「よく学べり」に尽きる。非暴力と学び合いはまだ続く。

 明日は「世界婦人(女性)デー」、(遊女の人権)
宮城君
 国頭村長へ
 小学校から大学まで同級生宮城久和君が国頭村長に
 まず、おめでとう。
 基地に反対して世界遺産目指してほしい。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-188331-storytopic-123.html
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。