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国際婦人デーとウチナーイナグ

 きょうは何の日
   国際婦人デー(その1)

 3月4日(サンシンの日)、3月5日(サンゴの日)など、ラジオは毎日伝えていた。3月8日、世界婦人デーなのだが、あまり、伝えられない。語呂合わせで9月17日を「クイナの日」と提唱(92年4月18日、琉球新報論壇)したのは私。
 国際婦人デーを意識したのは、一つは、沖縄で啄木享有の歴史を調べていると沖縄での第1回国際婦人デーの記事見つけた。その2は、07年3月8日、エクアドルの街で村ぐるみ,町ぐるみで祝う姿であった。日本ではお目にかかれない姿であった。
  遊女「演舌カマデー」
   沖縄の女の陰と陽

 昭和3年(1928)第1回普通選挙は沖縄でも無産政党は候補を立ってて闘った。那覇では得票2位ながら落選。書道沖縄三蹟の歯医者山城正忠(啄木の友人)は短冊に啄木の歌を書き、選挙資金とした。労働党のスローガンは「労働者に仕事と食を」「農民に土地を保障せよ」であったから、推測するに啄木の歌、正忠の歌は
  こころよく
   我に働く仕事あれ
  それを成し遂げて死なんと思う(啄木)

  車より「歯を守れ」とて
  ビラ撒く歌人
  われも今日は町医者(正忠)
などであったであろう。
 
 
 この年の3月8日、那覇市公会堂で婦人解放大会が開かれ「階上階下場外にあふれる」(『人民』松本三益、1972年3月8日)と回想、次のように記録されている。
 
「首里出身の1女性が・・辻遊郭攻撃になり大拍手を受けました。(略)
 17・8歳の若い女性が反論させてくれと・・・演壇に立ったこの美しい女性は、自分は、辻の遊郭の遊女である。自分たちは好んでこんな商売をしているのではない、社会が悪いのであって私たちが悪いのではないと論旨整然と反ばくし、これまた大拍手を受けました」
この美しい遊女(ジュリ)は、「演舌カマデー」の仇名で有名になったようだ。

 当時の知識人、師範・中学の教師、官僚達は遊郭チージに群れていた。3月15日「プロレタリア文学現状」の講演会が開かれていた。

 大阪の零下の寒さとたたかえる君を思い寄らず日の桶(正忠)

 いわゆる「3・15共産党大弾圧」が起こっていた。

 琉球の歌は8886(サンパチ6)と言われ、詠み、サンシンで奏で、舞う歌である。高貴な人々の歌と言うより、庶民の日常の歌が有名で各地に歌碑が建つ。沖縄で祝日に奏で舞う「風やでふう」は、私の祖先が詠んだ歌とされ、歌碑が母の実家に建つ。

  沖縄の「新しき女」と
   ウチナーイナグの恋
 「沖縄の女流歌人恩納ナベの歌碑」
 大正期、平塚らいちょうらは「青鞜」で「新しき女」と言われた。沖縄でも「新しき女」の登場があったが、それは伊波普猶の知識にあこがれた「5人の新しき女」の群れと近代思想を学ぶ女たちの群れであった。
 1995月5月、『歴史地理教育』から沖縄を散歩するなら、どこがいいか、書いてくれと頼まれた。
無題024

 「伊波普猶は沖縄の万葉歌人と言われる恩納ナベ「恩納松下に禁止の碑の立ちゅし恋忍までの禁止やねさみ」(写真上)を与謝野晶子が賞賛したと書いています。
 写真下の碑は「恩納岳彼方里が生まり島森んおしのけて此方なさな」の歌が黒い円の中に刻まれている。「琉歌の里」の碑です。
 すぐそばの万座毛は景観地ですが、これらの碑を訪ねる人はほとんどおりません。歌碑の愛は晶子の恋もこえる天真爛漫で自然をも動かす沖縄の女性たちのしたたか闘いに共通するものです。旅は自然と人々の生きざまと結合してこそ体に刻まれます。比謝川に建つ吉屋チルも心にとめて、沖縄の恋歌に陰と陽の沖縄の旅を発見することを勧めます。」
 (『歴史地理教育』95年5月号)

 チージ(遊郭辻)は王国時代、沖縄の近代の「暗部」として疲弊する農村の貧しさの象徴的存在であった。吐き出されるようにうら若き女性たちが,
童女たちもチージ売られた。琉球王国は女たちの生き血を吸った。映画「テンペスト」は王国の女性を支配する聞え大君までチージのジュリになる。

 吉屋チルが詠んだとされる「流ゆる水に桜花うちて色美らさーあてる請けていちゃる」は、幼い時から口ずさんでいた。炭焼き少年頃、奥山の渓谷で、沖縄の桜は散らない。この桜は山桜(山ツツジ)であろうとだけ思っていた。滝壺埋めつくし浮かぶ山ツツジやさまざま花は美しいジュウタン、その中のピンクの山ツツジ1輪のあでやかで、知的にも輝いていたチル、首里の貴族に身請けされるが、果たせぬ恋ではなく、絶食して、18歳で命を絶つ。

恨(うら)む比謝橋(ひじゃばし)や 情な(なさきね)い人の(んひとぅぬ) わ身渡(みわた)さと思て(とぅうみてぃ) かけてお(きてぃう)きや(ちゃ)ら

及ばらぬとめば思ひ増す鏡
 影やちよんうつち拝みぼしゃぬ

 恩納ナベの為政者にも恐れぬ恋、吉屋チルの内に沈殿させ命絶つ恋、ウチナーイナグの世界があると思う。

平塚らいちょうは「原始女性は太陽であった」言う。すでに、「宝の海」で、わが屋に伝承されている琉球王国初期(オモロ時代)のオモロより古いとされるクエナを検証した。素朴で生き生きとした「女たちの園」「女たちの絆」が詠われている。5・5調で単純な言葉を繰り返すし50番ほどの舞と謡である。

追記挿入(2・30)
 ちなみに、ナベに晶子、鉄幹への恋破れた薄明の山川登美子に薄明のチルを対比させて観た。2月8日の沖縄タイムスに文化欄の歌人今野澄子女史は山川登美子について「その時代に沖縄はどうであったろうか、目を向けてくださる方がいるとうれしい」と書く、沖縄の明星人山城正忠は、晶子を姉と慕ったが明星(明治41年7月号、啄木は石破る集)に登美子の悲報を詠う。

 はしけきやしわかきいらつめまがつみもよしやとほしけれこそ君撰びかれ(山城正忠)
  (私には難解の歌である)

 山川登美子研究者だから、当然、知っているであろう。
 (ここ,追記)

 薩摩支配下の琉歌となるウシデークの謡と舞には支配階級への怨嗟が随所に謡われる。首里城建設の踊りとされる「国頭サバクイ」は首里王を讃える踊りとされるが、村の記録から、私は「農民の抵抗」演劇と珍説を唱えている。

 時代とともに、伝承文化は消え始めている。国際婦人デーで、ウチナーイナグの歴史に思いをつづって見た。高校教師時代の沖縄文化学習、オモロから琉歌、近代を短歌、異文化への尊厳など授業に組入れていた。

 1995年9月、沖縄イナグの闘いが沖縄県民をリードし、沖縄の今日の闘いへと継続する。
北京で開かれていた世界女性大会から帰ったばかり、「チムグクル」の共有の行動であった。それは、女たちの沖縄女性史の「絆であった。」
 しかし、日本中では「沖縄可哀そう」であった。この「可哀そう」論を、復古させようとの動き顕著になってきた。
  
 3月8日は「国際婦人デー」、いま、日本では、どのような日であろうか。
 (明日はエクアドルの「国際婦人デー」


オスプレイ、一時本州へ 普天間への直接配備避ける
朝日新聞
http://www.asahi.com/politics/update/0307/TKY201203060867.html
 昨日、米国は「ゆすり」「タカリ」で逆襲に出たと書く、普天間の修復利用し、日本全国米軍基地化も要求してきた。日本の政治家、官僚は米国追従で拒むこと出来ない。1996年SACO合意、日本中「沖縄可哀そう」と155ミリりゅう弾砲演習、矢うす別など4か所が受け入れた。沖縄を追いこんで新基地押しつけてきた。
 沖縄可哀そうと決別し、1時的ににも容認してはならない。

 沖縄負担軽減論に騙されてはいけないとは、歴史の反省でもある。
この国の政治の劣化の根本、安保条約に挑み、アメリカの「ゆすり」「タカリ」に異議の言える日本を目指すことであろう。脱原発も、安保も正面から挑まなければならない。

緊急学習会
「白紙撤回!!」辺野古アセス


3月10日(土) 午後6時~
場所:教育福祉会館(那覇市古島・興南高校隣)
参加費:500円

~史上最低のアセスを葬り去るために~
島津康男(日本環境アセス学会前会長):辺野古アセスを総括する~独善で時代遅れ
桜井国俊(沖縄大学教授・環境学):3・27知事意見に向けて~公有水面の埋め立て事業について
金高 望(辺野古違法アセス訴訟弁護団):高見沢防衛研究所長・証人尋問の報告
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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