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高江スラップ訴訟と沖縄の抵抗権と「座り込み」



米軍支配下の
 沖縄の抵抗から高江訴訟へ


3月14日 判決と報告集会のご案内

今週の焦点
 高江スラップ訴訟判決


今週、高江座り込み弾圧訴訟に、那覇地裁の判決が下されます。

裁判長は「判決を出しても問題の解決にならない」とコメントしてきましたが、仮処分申立からの3年余、私達に精神的・物質的負担を強いて来たこの「ゲート前の通行妨害」という矮小化された争点に、司法による一定の判断が示されます。

3月14日
那覇地裁判決
13:00 事前集会 那覇地裁前広場
13:30 傍聴整理券配布
14:00 開廷〜判決
報告集会
15:00 八汐荘大ホール

傍聴・集会参加と激励をお願いします!

 高江訴訟は沖縄戦後史でも
  異常な裁判ー強いもの権力の恫喝裁判

スラップ訴訟とは、
 ネットで検索すると、大方が次のような説明になっている。裁判の勝ち負けは問題ではなく、恫喝が目的のようだ。高江は代表的な例であろう。
 辺野古の軍民共用空港の事前調査頓挫させたとき、P社の現場責任者、私に賠償責任をほのめかしたことあった。p社は確か防衛施設局と裁判起し、辺野古から撤退、いであ(株)などがアセス調査独占してゆく。

スラップ訴訟とは、ネットで見る
「 公に意見を表明したり、請願・陳情や提訴を起こしたり、政府・自治体の対応を求めて動いたりした人々を黙らせ、威圧し、
苦痛を与えることを目的として起こされる 報復的な民事訴訟のこと」

(Ⅰ)政府・自治体などが権力を発動するよう働きかけること=(注)裁判所への提訴や捜査機関への告発など
(Ⅱ)そうした働きかけが民事訴訟の形を取ること
(Ⅲ)政府・自治体・企業ではない個人や団体を被告として提訴されること
(Ⅳ)公共の利益や社会的意義にかかわる重要な問題を争点としていること

 「すわり込」請願権と非暴力は沖縄固有の権利
 (メモ的記録)   
 1950年代の基地闘争(銃剣とブルドーザー)に、米軍は布令刑法で瀬長亀次郎らを獄中(人民党事件1954)に送るとともに、反共攻撃『旋風』を煽り、伊江島の非暴力と積極的非暴力(集団農耕)を、軍事裁判で処理した。
 大学生・高校生にも弾圧はおよび(第1次・第2次琉球大学事件)
 それでも、農民たちは「爆弾の降る」中、集団耕作を持続した。不発弾は唯一の「換金作物」で、爆死した人少なくない。
伊江島・伊佐浜の闘いは、沖縄の抵抗の発火点・導火線と言われる。
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(1957年7月28日、4原則貫徹県民大会、那覇高校10万人「島ぐるみの闘い」その前に高校生各学校校内集会1万5000人立ち上がる。
 6月29日 那覇高校1,600.7月3日野嵩(普天間700人、石川750人、首里1,000と全県21校に広がる。琉球大学6人退学処分、1謹慎、大学米軍に謝罪)

伊江島の金網のない基地の「黙認耕作地」金網にの中の「黙認牧草地」は、命をかけた請願・抵抗権の貴重な歴史を語る。
 瀬長は獄中から出ると、那覇市長に当選、米軍は買弁資本の琉球銀行に命じ、那覇市への融資凍結、那覇市民は自主的納税運動で反撃するも、米軍は布令集成刑法「破廉恥罪」で瀬長を追放する。沖縄県民は統一戦線「民連」を組織、1960年4月28日、「沖縄県祖国復帰協議会」を結成、自由・人権・自治を含む壮大な運動を展開してゆく、もはや、県民を軍事裁判に掛けること許さなかった。
 ハンストの座り込み
 私もくつかのハンスト参加、48時間で赤十字病院へ失態
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 軍用道路1号線
  6時間の座り込み

 1960年代中期、米軍は第2次土地接収ともいうべき暴挙に出た。1965年8月19日、佐藤栄作首相来沖、沖縄県民は「佐藤帰れ」「売国奴佐藤」と軍用道路1号線(現国道58号線)東急ホテル(現新都心)を数万の民衆がすわり込み、6時間に及び佐藤は米軍基地の迎賓館に宿泊、琉球警察は解散間際暴力行使したが、道路占拠などで逮捕起訴することはなかった。

 昆布の闘い
  団結小屋放火されても
 60年代の新規土地接収の代表的なのが具志川村昆布(現うるま市)の闘い、団結小屋を建て抵抗、団結小屋が放火されても屈せず勝利、わたしもよく行った。当時、米軍は大浦湾全域も接収計画と飛行場計画(ジュゴン裁判で明らか、「宝の海」知事意見)、大浦湾の漁師たちの闘いがあった。
 今も歌われる当事できた
 「1坪たりともわたすまい」
http://www.youtube.com/watch?v=XKYH8wbg5aA

 伊江島ナイキ基地反対闘争
  非暴力の行動と「座り込み」の勝利

 1966年、伊江島にナイキハーキュリー配備計画、村民ぐるみの闘いが展開された。
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無題040
 (拙著『沖縄の太陽』「うずくまる人々」)

 国頭村実弾演習阻止
  女たちの「すわり込」

 1970年12月30/31日、国頭村安田の密林の155ミリ実弾阻止の闘いは特筆される。米軍は照首山に砲座4門を建設、実弾射撃通告、男たちは着弾地伊部岳に入り、白い煙を燃やして「座り込み」を強行、女たちが砲座を取り囲み「すわり込」、男たちが続いた。米軍も琉球警察もなすすべがなかった。女たちは「ユーコザ」と詰め寄る。12月20日のコザ騒動の意である。
 1発でも撃たしていたら、世界遺産登録候補になっていなかったであろう。貴重なヤンバルクイナなどの貴重な生態系をなす。
  (『歴史地理教育』71年4月号「安田国有林1970年12月の闘い」ルポ残す)
 安田の母親たち
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 続く男たち
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 大砲撤去
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 (写真『祖国復帰闘争史』より)
 沖縄の戦後の人民の闘い見ると「すわり込」と非暴力の闘い一体であり、米軍の「犬」と言われた琉球警察も逮捕、起訴できなかった事実に注目する。
 沖縄返還後の闘いはどうであろうか。
高江のスラップ訴訟が、沖縄の歴史を見て、いかに、異常な裁判であるか、沖縄防衛局の狙いは裁判の判決ではなく恫喝裁判である。
 明日は、復帰後の沖縄県民の闘いを見る。
  
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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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