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東宜野座村長コメント―どう見るか(1)

 その1
 ヤンバルを考えるー私の体験的山と水、開発とダム

 琉歌
   やんばるぬ旅や幾度ん さしが(やんばるの旅は幾度もした)
    みるかじやねらん 山とぅ海 (見るのは山と海だけ)
 
部落総会に山羊も豚肉料理も出て
 出席者にはお米も?
確かに琉歌、そうだけれど、山は台地形成、特に、金武から高江までの東海岸は広大な台地となって持続的な開発可能性を秘めている。特に、大浦湾から金湾には沖縄でも広いイノーが伸び日本の500の湿地に上げられる。そして、キャンプハンセン・シュワブ、北部訓練所と海兵隊の基地が連なり、ダム群が共生しているのが特色である。

 中南部の基地が個人誘致を接収したのに対して、北部の基地は国有地(入会権)と村有地、部落有地である。町村財政に基地使用地代のせめる割合は高くなる財政構造になり、各部落とも贅沢な財政状況になっている。
 宜野座村には、知人少なくない。時たま、部落総会に出くわすと、総会場からもらってきた山羊刺身いただくこと少なくない。
て無題
(漢那ダムから、台地は広大な平野、明治山、久志岳・辺野古岳。左は名護湾、右の太平洋に台地が広がり、集落と農地をなし、海に広大なイノー形成)
 
 次回に宜野座村を見てみますが、私と台地開発(国頭村奥間)の体験を見てみたいと思います。

  水の力、ダム、灌漑施設
 人間の歴史は水との闘いである。地球の未来も同様である。
川があるから水は豊かであるとはいえない。川と水を制するのが水の恵みを受ける。
 1957年、辺野古基地の完成でブルなどの重機が余り、第1次とも言うべき台地の開墾と林道つくりが始まる。わたし(我が家)が50年代(小学生)に鍬とツルハシで開墾した土地をブルでより広くする。1960年代に入るとパイン・キビを中心とした農業構造改善へ転換する。第3次(1970年代から)はダムと大国林道などの山の林道とチップ開発と連動した台地の開発(ダム見返り事業)が進むとともに、ますます、赤土汚染深刻しイノーとサンゴ・サンゴ礁の劣化と荒廃が深刻化する。国頭地方の簡易水道も蛇口から赤い水が流れる。
 森は海の恋人
 私の故郷は国頭村奥間、比地奥間川の2ダム問題が持ち上がる。「ダムを考える部落有志の会」立ち上げる。その中で、みんなで討議して成し遂げた二つのことがある。
 
その1、沖縄1の美味しくて農業にも贅沢に灌漑のできる簡易水道を作ろうと完成させた。奥間川の入り口に、現在、動物保護センターが建つ、川は現在直線になっているが、以前は大きく蛇行して、村の子どもたちが泳ぐ広大な自然プールになっていた。この場所にボーリングを打ち込み地下水をくみ上げる。成功した。
 
その2、開発した台地の畑に農業用水がいくらでの放水できる飲料水兼農業用水を「開墾組合」で作る。与那覇岳の山麓の平坦な場所の川を掘り、パイプを設置、川の石をろ過装置にして、数キロパイプで引き、開墾地にタンク装置を設置、水の自然の力でスプリングクーラが回る。
 
 村人の知識は
  深部の力 
奥間平野(沖縄三大美田の一つ)川の水は豊かだが、干ばつ、洪水に苦しめられ、森の開発で赤土を飲まされた歴史と決別した、村の自治の成果である。国・県のダム押し付けに勝った小さな村の知恵である。安くておいしい水、しかも、黒字を出している。この地域では大国林道と連動した皆伐、林道工事止み、奥間・比地川は大雨・台風でも赤土汚染は減少し黒い水に変わった。
 奥間・比地ダムの反対活動は、奥間ダム保護基金のナショナルトラスト運動の力は大きなものがあった。私も中学高校時代に炭を焼く山を5万坪取得「ナショナルトラスト」提起(94年3月13日沖縄タイムス論壇)し、有志会に意志を示した。
 何よりも、有志会、村の民主的な討議、水との闘い、新しい開発への挑戦であり、自分たちの山を知り尽くした知識であった。ダム建設位置は険しい渓谷が脆弱な地層であることを村の人は知っていた。国はいくどもボーリングをしたが強固な岩盤を発見することができなかった。
 その目から宜野座村の変化と知事評価書を「水」に視点をあってて見てみる。

沖縄タイムス社説
アセス知事意見]沖縄の総意が示された
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-29_31677/


韓国済州島の軍港建設反対運動がDVDで見れます
 もっとも多く、辺野古を訪問する外国人は韓国
http://www.youtube.com/watch?v=foC0umJax4I&feature=youtu.be
 (国際反基地ネットワークメールより)

辺野古の2日間

私の27日
 頑張っています。
http://www.rimpeace.or.jp/jrp/okinawa/henoko120327.html
 バーナー撤去のために
 水陸両用車出動か?(28日)
 あなたの作ったばーなー送ってネー!
http://www.rimpeace.or.jp/jrp/okinawa/henoko120328.html
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プロフィール

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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