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13日第2信ーミサイル「戦争ごっこ」の中の沖縄基地


 普天間返還合意の日の沖縄基地

オスプレイ墜落
 琉球新報
無題
タイムス
無題2
ハリアー着陸トラブル 嘉手納基地
 タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-13_32422/

アメリカは報復国家と書いた。普天間返還合意の日に、普天間・嘉手納基地大暴れ、

普天間 外来機が爆音 返還合意16年
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-13_32401/

 琉球新報社説
オスプレイ墜落/県内配備 断固阻止を/県民全ての命の問題だ
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189899-storytopic-11.html

再掲載
 「動かぬ基地」QABレポート
 学習に拡散
http://www.qab.co.jp/news/2012041134919.html
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石川啄木を沖縄から見る(最終回)ー「検証動かぬ基地」拡散・学習


 石川啄木没100年の命日に
 啄木を沖縄から見る(終わり)

 沖縄自立的社会科の授業目指して
  高校「現代社会文化編」の自主編成

 「啄木を沖縄から見る」をメモしてきました。現職の頃、沖縄の社会科教師として、教科書を沖縄で組み替える授業を目指してきた。特に「現代社会」は環境・文化編は多様に組み換えが可能であった。授業は「現代通信」とプリント、特に、重視したのは「もの』教材である。
 「私たちの回りには、物語、「もの」が、ゴロゴロしています。教師の目で、命を与えると素晴らしい教材として生き返ってくるものです」(「教育研究論文受賞あいさつ」ブック・レットパート1)
 沖縄には多くの碑(戦争碑を含む)が建ちます。啄木碑もその一つ、沖縄の文化学習に使えないかとメモを取り出す。

文化編第一校時の「もの」は椰子の実と万国津梁の鐘と伊良湖岬港のサバの写真、島崎藤村の椰子の実詠い柳田國男「海上の道」、太田知事の記者会見の屏風に何が書かれているか。
  
  万国津梁の鐘

   琉球国は南海の勝地にして」
   三韓の秀を鍾め、大明を以て輔車(ほしゃ)となし、
   日域を以て唇歯(しんし)となして、
   此の二つの中間にありて湧出せる蓬莱(ほうらい)島なり
   舟楫(しゅうしゅう)を以て万国の津梁(しんりょう)となし、
琉球王国の成立と琉球の大交易時代に入り、文化および食文化を「もの」で組み立てて
ゆきます。

 2校時「炭水化物と豆の食べ方文化ー箸・味噌汁」
 3校時「海上の道、あわもり、オモロ、琉歌、沖縄チャンプルー文化」
 4校時「伊波普猶をなぜ学ぶか「ニガ世からアマ世を目指す今に」
 5校時「伊波普猶「沖縄女流歌人恩納ナベ」と山城正忠と友啄木」
 6校時「異文化への尊厳(柳宗悦中心)、西洋崇拝、アジア差別、朝鮮から」
 7校時「人間への尊厳(ハンセン病とヒューマニズム)」
   (地域総合学習愛楽園から組み立てる)

 沖縄県高教組には副読本『沖縄の文学1古代近世編』『沖縄の文学2近代・現代編』があ
り、山城正忠と石川啄木の「交流」があったと書いている。沖縄の教師を那覇から伊江島
案内した時、沖縄自動車道、いつも見る風景なので、恩納ナベと与謝野晶子、山城正忠と
鉄幹・晶子などの歌などともに啄木までしゃべってみた。まず、国語の先生が驚いた。
 今日で「沖縄から啄木を見る」を終わる。
山城正忠追悼文『噫!啄木君』によれば、「君は常に『歌は我らのかなしき玩具』と言って
いた。私はこのなさけない言葉を思い出すたびにあの死神に見たれたような青い顔色を思
い出さずにいられない」(沖縄毎日明治45年4月30日)と、那覇に帰っても気になっていたようだ。当然、正忠は『一握の砂」後の啄木の歌を文芸誌で読んでいたと思う。
な無題
(山城正忠『明星41年11月号終刊号)

 私の今と
 『悲しき玩具』

 退職の挨拶「生き長らえることではなく、太く生きること」とあいさつし、辺野古の闘
いに没頭、脳梗塞で倒れ、まさか、癌まで住み着いているとは思わなかった。『悲しき玩具』
の歌は、今の自分と重なり開く事躊躇う。
 『悲しき玩具』最初の歌である。
    呼吸すれば、
    胸の中になる音あり。
    木枯らしよりもさびしその音。
 11月初旬に手術し体が食べ物を拒否した3ヶ月、バナナとイモ、トウモロコシのスープ
で体を維持していた。妻は、様々なメニュー試みた。妻の顔見るのがつらかった。
 今は、なんでも食べ、自分で食事作るの楽しみだが、胃袋や腸でゴロゴロ、粛々と音が
高鳴り、オナラが連続的爆発するときあり、「さびしその音」が重なる。医者は順調に胃や
腸が活動している・・・・・・・が。
 
    真夜中にふと目がさめて
    わけもなく泣きたくなりて
    蒲団をかぶれる
 抗がん剤点滴は一般的に副作用があるという。僕の場合は倦怠感と睡魔に襲われ、昼と
夜が逆転してしまう。

    友も、妻も、かなしと思ふらしー
     病みても猶、
     革命のこと口に絶たねば。
 僕は「病みても猶」、辺野古が真に勝つには「安保を日米友好条約」への道を説く、そん
な僕に妻は、僕が見落とした記事の重要な内容,視点(最近記事への集中度落ちている)
を示唆してくれる事少なくない。友は「無理するな」と心配してくれるが、ヤーグマイは
体力と精神力、思考力を低下させる。

   新しき明日の来るを信ずという
   自分の言葉に
   嘘は泣けれどー

は無題
  (国吉真哲)

 『石川啄木集』(日本の近代文学大系23)の解説者今井泰子は、次のように書く。

『「新しき明日」は、現在のような苦しい生活や矛盾だらけな人間の状態がなくなっている
社会。「なれどー」で、「明日」が現実とあまりに遠く、そうした願望いだくこと自体にむ
なしさを覚えてなえしぼんでゆく心の動きを示す。』

かも、知れない。しかし、また、読む側には新鮮で、活力を与えてくれる。啄木は「奇跡
の年」(明治43年)、国家論など展開したことはすでに書いている。また、琉球の文学青年
及び主義者たちの心をとらえたのは啄木であった。
 明治は啄木の死とともに終わる。啄木日記「千九百十二年」の死の3月前、明治45年の
正月日記の労働者のストライキに、新しく来るであろう力を労働者に見ている。
  1月2日日記
「明治45年がストライキ(東京市電)の中に来た。・・保守主義の好かない事のどんどん
日本に起こって来る前兆のようで、私の頭は久しぶりに一しきり急がしかった」(明治45
年1月2日日記)
 1月3日日記
「国民が、団結すれば勝つという事、多数は力なりということ知って来るは、オオルド・
ニッポンの眼からは無論危険極まる事と見えるに違いない」(1月3日日記)

 啄木を沖縄から見る、を、啄木命日で終わる。
  結びに
 僕の命も定めから、逃れること神も許さない。僕は「脱安保・脱原発」に「国民が団結
すれば勝つ、多数は力なり」と「新しき明日」を、辺野古の歴史蓄積から、また、現在の
安保呪縛の「オオルド・ニッポン」に異議を唱え、特に、日本の運動の統一、沖縄の生き方
『5本の思想』を求めている。この国の形は翼賛的潮流が闊歩し始めた。
 特に、北朝鮮の人工衛星(ミサイル)の戦争玩具で恐怖と危機を煽る中で冷静さを失い
始めてる。いま、東アジアは「敵国」作るのではなく「友好国」の共同世界を創ることだ。

ひ無題
 (石川啄木『明星』最終号?)
追記赤旗潮流(13)陸前高田の啄木碑
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-04-13/2012041301_06_0.html

QAB動画

発射予告あすから 県内物々しい雰囲気に
http://www.qab.co.jp/news/2012041134908.html
 QAB
検証動かぬ基地vol.107 オスプレイ配備 マスタープランの裏側
http://www.qab.co.jp/news/2012041134919.html
拡散して、学習に役立ててください。

QAB動画
4人死傷 オスプレイモロッコで墜落
http://www.qab.co.jp/news/2012041234941.html
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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