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沖縄県「安全政策課)主任論文ー外国の識者はどう見ているか必読



辺野古テント村9年目に

静かな時ー何をなすべきか


 今、辺野古の現場・高江の現場「イクサ」の状態ではない。孫子の兵法の如く、動かざること山の如し、日米政府も策略をめぐらしています。「敵」を知ることは大事なこと、「4・28」「5・3」「5・15」と「味方」も静かに、知恵と連帯行動で力を養い、草の根の運動広げていること知っています.
各地域で企画している学び企画及び行動を成功させることです。沖縄で開催される5・15行動(平和センター)、本土と沖縄で企画されている新聞広告を着実に前進されるべきです。これらは民衆の深部の力を呼び覚まし、確固とした民意の形成力を高めます。

GWには日米首脳会議、6月には高江再開です。

また、復帰40周年で、国頭村では辺戸岬のかがり火(27日夜)、海上集会(28日)再現され、米軍占領期と復帰運動とはなんであったか。過去と現在を学ぶ機会になるかもしれません。

 高江の工事は「大米組」で、連立政権国民新党下地幹郎幹事長の弟が社長で沖縄建設協会の会長に就任しました。基地建設に参入して大きくなってきて、戦前から基地に依存してきた国場組と骨肉の争いをしている。6月の沖縄県議選挙もし烈になってきます。
 
6月は、MV22P酢プレイ反対宜野湾市民大会も予定されています。

「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の句は、『孫子』

 カナダからのメール
  我々が学ぶもの少なくない


 沖縄県は官制シンクタンクともいうべき「地域安全政策課」を立ち上げ、主任研究委員の一人がアメリカのシンクタンクに論文発表したことは新聞でも報道されました。
 カナダのNGO[Peace Philosophy Centre ]から、沖縄BDのメールに論文が送られてきました。

すでに、「動かぬ基地」(QAB製作)、昨日、1昨日と添付してきました。動かぬ時、私たちは「敵」を学び、沖縄チムグクルの絆を広め、深くする日常が求められる。

 国際的には、6月にはブラジルリオで地球サミットが20年ぶりに行われます。1992年地球サミットに日本の首相は参加していません。「軍事費と貧困」が主要テーマであるようだ。世界NGOの果たす役割は大きくなって来ています。
 92年にはNGOは「地球憲章」を採択しました。私は期待しているのですが「平和の文化」から「平和の権利憲章」が宣言される希望です。

 日本の運動で
  「軍事費を削って教育・福祉・被災地へ」のスローガンは国内・国際的にも輝きます
  「軍事同盟(日米安保)から憲法前文・9条が輝き平和友好への道」も同様です。
 特に、ジャーナリストの役割が課題となります。

 動くであろうために下記のブログ読むこと大事です。沖縄県(知事)が何を考え沖縄の有識者の質も問われ、学者の真価のも問題、沖縄の民衆の力の評価含めてです。、、沖縄に思いを寄せる外国の学者が、どう見て、また、世界に広げているか、学べます。ガバン氏の『属国』は必読の書と思います。
 昨日はアメリカのシンクタンクの論理、学者、ジュゴン裁判の弁護士など紹介しました。合わせて総合化することも必要です。辺野古は学際的協同の歴史です。国際化も重視(ジュゴン裁判)してきました。

 私は辺野古の闘いは「第4の権力」(メデイア)との闘いでもあったし、連携の模索でのありました。中央紙は基本的「大本営」報道と規定してきました。

沖縄についての「誤解」-沖縄県「地域安全政策課」主任研究員の米国シンクタンク寄稿文について

必読文書ー拡散可能

2012年4月17日

ガバン・マコーマック 乗松聡子

http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/04/blog-post_18.html


 このメールから思い出す
  二つのこと

 その1、06年カナダバンクーバー世界平和フォーラムに参加し「軍事基地問題」分科会で報告させてもらった。
 「憲法9条」分科会の組織者に乗松聡子女史がいた。フロアーからの発言は2分、どんなに知恵絞っても「沖縄と憲法」語れない。休憩前に特別に手をあげ、発言を5分くださいとお願い、分科会も了承した。しかし、最後に司会団から「1分」の時間で発言となった。司会団(コーデネイター)には、乗松女史・ジョセフ・ガーソン氏もいた。
 発言拒否を行った。気まずい空気が流れ、日本から参加した幾人から僕に失礼だの意見もあったようだ。沖縄の歴史からすれば、2分で語れないから5分を要請したのであって、礼を尽くしたと私は思っている。「頑固が取り柄」を貫いた。ぼくから「頑固」や「愚直」をとったら何も残らない。

閉会集会の宣言文に沖縄問題が事前に入ると聞かされていたが、宣言文から抜けていた。
 ピース・ボートが舞台では沖縄エイサー上演していた。英語できる友人に入れるよう努力してもらった。「9条」分科会は苦い思い出である。

 でも、それは、よく年国際反基地ネットワーク結成総会(エクアドル・キト市)で総会・分科会・展示場で積極的に発言するバネにもなった。

 その2、「サンフランシスコ体制」の中の「銃剣とブルドーザー」(1955年)の時期の本土紙の沖縄報道である。1955年1月13日、有名な「朝日報道」である。1954年の中央紙全体の沖縄報道14件、「朝日報道」も日本の新聞社、記者が書いたのではなく、アメリカの人権団体ボールドイン氏から日本の人権団体への手紙の掲載に石川達三氏らの談話である。
 沖縄を伝えない伝えない大本営報道体制が敷かれていた。今でも自国の重要問題がアメリカから伝わるという大本営報道は変わらないとするのが私のメデイア・ジャーナリズム批判の根底にある。

 沖縄県のシンクタンクの論文が、沖縄で公開されず、カナダからもたらされる。実に滑稽ではないか。
 そして、ブログ・メールなどが「第4のメデイア」と言われるゆえんである。福島原発集会で福島の代表は「一人ひとりがジャーナリスト」と発言した。

 いくどか批判として、日本の進歩的ジャーナリストも国の形論に勇気失っていると、僕は思っている。

(明日は復帰40年ー4・27・28辺戸のかがり火・北緯27度線海上集会再現に関連して)

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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