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オスプレイ(ミサゴ)と私の復帰闘争小史(2)


 映画「ひまわり」製作始まる

 日本列島を「鉄のオスプレイ」
飛ぶ空にしてはならない


 オスプレイ(ミサゴ)の訓練
   久しぶりの太陽がいっぱい

 朝、太陽が寝室に激しく差し込んできた。空には雲一つなく、名護湾は油を流したようにウリズンの太陽の恵みを受けている。担当医は「大西さんの体、正常に闘っている」と励ましてくれた。
 辺野古の干潟、潮干狩りを楽しんだ村の婦人たちゆったりと家路に


DSC02083.jpg 沖縄防衛局の違法調査、天下りの社員であろう。

        DSC02087.jpg
 オスプレイ(ミサゴ)の若鳥か?
   ホバリングと漁訓練

 海が輝いたのは久しぶり、大干潮の海が上げ潮に動き出した。ミサゴが漁港内で餌獲りを始めた。今年初めての出会い、オスプレイは空中にホバリングして、垂直に体を螺旋的に落下させて獲物を捕獲する。オスプレイの獲物捕獲は、アジサシに比べて獲物捕獲率は高く、失敗すると広範囲の旋回に移る。
 今日は、漁港内も漁港外も同じ場所(目標?)を繰り変えし、角度も45~60度の角度で突っ込んでいる。この風景は見たことがなく、あいにく、カメラの焦点も絞れない。
 若鳥の訓練?
 オスプレイはアメリカ大陸から秋から春先まで日本列島に来ると言われている。オスプレイが去ると、辺野古に赤道越えてオーストラリアからアジサシがやってくる。
 沖縄の夏、「鉄のオスプレイ」配備反対運動高まるであろう。日本列島を「鉄のオスプレイ」飛ぶ空にしてはならない。

ミサゴの旋回
DSC02090.jpg
 獲物捕獲?失敗の意味?
           DSC02088.jpg

私の復帰闘争小史メモ
 その2「素顔の青春」

  二つの写真と二つの「日記
 1959年6月30日、辺土名高校2年E組、2校時日本史の授業中、突然、トランジスターラジオの声が教室中に響いた。授業聞かずレシーバーでラジオ聞いていた奴(私かもしれない)が、ボリュウムを上げたのである。
 石川宮森小学校ジェット機墜落事件の実況放送であった。学校中が騒然となった。
「子供にパラシュートはなかった」


2無題


 ノルマンデー作戦の英雄
    アイク来沖『歓迎』『抗議」の渦の中で

 1960年6月19日、沖縄最北端の高校生の私は「フエニックス通り」(現58号線から県庁まで)、この写真のこちら側、向こう側は日の丸と星条旗の歓迎で米軍の軍服、こちらは完全武装の二重の配置、私の眼の先に銃剣が光った。宮森小学校の陳情団は国際通りを行進していた。琉球民政府(現県庁)周辺は人民党が強く、米軍は嫌がらせで舗装していなかった。アイゼンハワー大統領は正面から帰れず、乗用車の屋根に頭を打ちつつ沖縄を去った。私が大学進学決意した日ともいえる。
 なぜ、私が祖国復帰協議会のデモの中にいたか。それから、35年経って私は突き止めるのです。当時、那覇高校は沖縄でも優秀校で、沖縄の高校生の祖国復帰闘争のリーダー校でもあった。
 当時の新聞は、全琉球模試、琉球新報模試の成績を得点、氏名、学年、学校名を掲載していた。私の同級生に総合点で10位以内に入るのが複数いた。科目で自分の名前入ることもあった。

 推量だが。下記の文書が各高校の掲載された高校生に送られたであろうという事。土地闘争、島ぐるみの闘いで弾圧された高校生のネットワークは大学受験システムを利用したということ。

 『琉球大学学生会決議の支持声明および全高校生への呼びかけ』
      祖国復帰を願う高校生の会 1960年6月8日
 「アイゼンハワーの来る19日の空港を歌と請願のプラカードでうずめよう!
  高校生の意気と力をこの行動に結集しよう。
  アイゼンハワーを『祖国復帰』のわれわれの叫びのなかに迎えよう!」
    (ビラの以後の部分)
 1950年代の沖縄の高校生の闘いは拙著『沖縄の太陽物語』(1995年7月)に紹介しています。


         3無題

 ガリ版先生の「学級新聞」
  「素顔の青春」

 私の教師はじめ、ガリ版時代、ボールペン原紙、ロットリング(ドイツ製ペン)、フアックス、コピー機、ワープロ、パソコン時代と歩む。
 ガリ版時代の学級通信に「素顔の青春」欄に高校時代を書いています。
 「ある夏の昼下がり」は石川ジエット機墜落事件を書いています。
 毎年、ガリ版で書くの大変でした。コピー機ができて助かりました。今の教師はもっとダイナミックなこと出来ますが・・・・・・

無題3
 素顔の青春「1960年の夏」でアイク来沖闘争と進学への決意を書いています。
無題4

 石川宮森小学校ジエット機事件
   映画「ひまわり」製作中(赤旗23日9面)
 辺野古海闘争闘った宜野座映子女史(元高校教師)が「フクギの雫」の演劇にして上演。今年中で映画になるようだ。脚本は高校の後輩大城貞俊さん。
 ネットで探しました。
http://eiga.com/news/20120414/7/

オスプレイ・宮森事件書いたら、偶然、私の日記と重なった。
 
(明日の「私の復帰闘争小史メモ」大学で何を経験するか)

 
主張
オスプレイ墜落
欠陥機の沖縄配備許されない

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-04-23/2012042302_01_1.html
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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