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25日第2信ーオスプレイ配備、知事コメント?


田中防衛大臣が来て、去って
 知事談話なし「密談」政治の成果?ー高江と同時狙った?

 拡散希望ー

 関連記事両紙から検索
琉球新報
無題14

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-190447-storytopic-3.html
 沖縄タイムス
無題13
="233" />
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-25_32942/

12:50追加
 沖縄タイムスHP
 疑問の湧く記事だ。
25日の新聞には、知事の談話なし、HPには知事談話掲載。どういうことか。23日田中・知事会談後田中は「オスプレイの問題共有している」と意味不明発言、知事の態度気にしていた。頻繁に知事上京含めて。
タイムス記事は電子版といえる?。なぜ、この記事出て来る。

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-25_32969/
コメント
 普天間問題の原点は「普天間返還」「閉鎖」である。仲井真知事は「危険性除去」に言い換え、「辺野古不可能」論の「県外移設」が立場である。
 この談話では「普天間移動」説の珍説を普天間原点とする。政府・メデイアが流し続けている訓練移転論含む移転論の反映、原点をマチブイマチブイさせる新しい用語となるか。
 さらに問題、疑惑を抱かせるのは知事の「基本的に反対」の姿勢で、下記QABニュースでも公室長の発言で見られる。

QABニュース
アメリカ海兵隊 オスプレイ7月配備を計画

http://www.qab.co.jp/news/2012042535142.html
オスプレイ7月配備計画 県民「これ以上の危険増やすな」と反発
http://www.qab.co.jp/news/2012042535144.html
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植民地大学ー私の復帰闘争小史(3)


祖国復帰を教えるとは
  過去・現在・未来の沖縄

 沖縄タイムス(22日)

「メーリングリスト」で発信したメール
沖縄タイムス1面

 「高校で『復帰教育』を」
皆さんはどのように受け止めたであろうか。
 私は現職時代野外学習など重視、定年に至る7年は愛楽園を柱としてきました。教育庁に呼び出されたたり、校長室に呼び出されたりした経験からすると、何を狙っているであろう。と、思うのである。沖縄を主体的に教えることは「勇気」のいることなのです。いくらでも教える機会はあります。教えられてない現実はなぜ生み出されたか。いま、また、国の立場から教える必要性が生まれてきたのか。沖縄民衆の立場から教えるのか。少なくとも、沖縄の子供たちは他府県(修学旅行)より、沖縄を教えられてないことは事実です。悲しい現実です。(沖縄DDメール投稿より)
  大西 照雄 元高校教師


無題7
1995年9月4日、琉球新報夕刊コラム「人工衛星」ー「都合のいいとき沖縄に学べとい、都合悪くなうと老い縄切りすてる日教祖」、日本の労働組合が安保容認完結の日、少女暴行事件が起こった日だ。
 しかし、また、私教連に加盟する学校は「沖縄平和修学旅行」の実践を深め、10・21県民大会以降、沖縄修学旅行が爆発するが、沖縄は逆に動いた。
 NHKなどの安全保障番組で沖縄の学生の「基地で生活している人もいる」の発言、うまく利用される場面に遭遇する。

「本当の悲劇は、独裁者の暴虐ではなく、善良な人々の沈黙だ」(沖縄タイムス「大弦小弦24日」

 

私の復帰闘争小史メモ(3)

 琉球大学へ入学
   植民地大学のなかで

 みんなで合格しよう
 「学ぶ」と「学び」
 当時、電機は村の自家発電11時まで、田舎には予備校もなかった。最終バスは9:30分、教室にランプつけてみんなで勉強、教員は遊ぶ場所もないからヤンマージーゼルで発電して学校で酒を飲んでいる。わからなくなると酒を充満させた居残り教師引っ張りだしていた。約40分自転車こいで家路へ。朝・夜はNHKの受験講座、村はVOA(謀略放送局ー空中から電気獲れる地域あり)でなかなか聞けず。その中を北京放送の甲高い声が国際情勢を伝える。
 当時、日本は外国で国費・自費の留学制度が高校生のあこがれ、落ちて琉球大学へ62年入学する。仲間たちとの学び合い、教師になって「学ぶと学び」の教育観となる。
 琉球大学を支配していたのはミシガン州立大学であった。1955年土地闘争などで学生を退学処分にしていた。

 最初に遭遇した事件
    国場君轢殺事件(63・2・28)

 大学に入って起こった事件の重要な事件であった。
 大学ではアルバイト、休みは土木工事、夏休みなど長期は村に帰り炭を焼いた。寮費は月10ドル、夏、月で80ドルの炭を焼いた。家庭教師もかなりやった。学生に人気のあったバイトは那覇軍港のチャカーマン、米軍の貨物線のガードマンみたいなものだ。手当より「戦果」が大きかった。ベトナム戦争反対運動と矛盾していたと思うが、結構軍のアルバイトあった。大学での給料は公務員の2~3倍の時代と言われていた。
 
無題4
QAB「国場君轢殺事件」と軍事裁判(「宝の海」3月3日)

http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-entry-1056.html
 QAB
http://www.qab.co.jp/news/2012022834084.html

4・28海上集会始まる(63・4・28)
 沖縄問題研究会・憲法問題研究会創設

 琉球大学にはマル研と言うサークルが活発な運動をしていた。肌に合わなかった。
 八重山・辺土名高校グループと言うのか田舎者で沖縄問題研究会立ち上げ、その責任者となり、引き続き憲法問題研究会立ち上げた。
 国際法の授業では統治行為論、条約論、潜在主権論など教授に論争を挑んでいた。千葉松戸で弁護士をやっている瑞慶山茂(高校1期先輩、アセス裁判弁護団)、後輩に照屋寛徳(現衆議院議員)などがいた。

また、毎週キャンバスでうたごえを学科越えて歌っていた。山川完治君はサンシンサークルで意思を引きついでいる。

復帰40年4・28海上大会、かがり火は沖縄問題研究会の辺土名高校同級生青山恵昭君が写真提供約束4月29日 公開出来そうだ。青山君の小中生への復帰闘争講話新聞で紹介された。

無題5

沖縄タイムス社説
[米軍再編見直し]「普天間返還」が原点だ

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-24_32889/
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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