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26日第2信ー日米首脳会議―「茶番劇開幕か」?-共同文書延期


10:30
 日米合意は打ち破れるもの
   自己破綻するもの

 30日からのオバマ・野田会談前に新日米合意文書発表が延期のようだ。
 SACO合意は17年経っても進展せず、日米合意(95年10月)・ロードマップも破綻、その後の日米合意「モドキ」も外交的に破たんの連続である。
 日米政府の約束ごとは、ことごとく、破綻しながら、沖縄基地の強化、日本全国での米軍の訓練の激化のみ進んでいる。
 オバマ・野田には「恥」がないから厄介だ。両首脳が何を約束するか、日本人民は約束をこれまでの実績に加え、その野望を打ち砕くであろう。
 日米政府の茶番劇場が、GWのWDだ。

追記
 日米政府、面子保つために、野田渡米までには発表するであろうが・・・・・

共同文書発表を延期 在日米軍再編見直し
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-25_32972/

共同文書発表を延期 在日米軍再編見直し

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-190495-storytopic-108.html
社説

オスプレイ前倒し 命脅かす暴挙止めよ
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-190493-storytopic-11.html
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私の復帰闘争小史ー主席公選・渡航拒否闘争から教師の道へ



 私の復帰闘争小史(4)

  復帰協執行委員として
   沖縄の闘い高揚期のなかで

  63年秋、2年次、友人の伊波宏俊を学生会長に立候補させ当選させる。祖国復帰協議会の琉大を代表して執行委員代行(会長代行)となり主席公選、渡航制限撤廃、大学自治では永積渡航拒否問題で全学共闘を組織、全学生が立ち上がるなど様々な問題に取り組むことになる。
 当時の任命主席太田政作は村の出身で、村の人々の誇りであった。彼の実家に胸像も建てられている。村には、私が知らないようなことまで伝わり、父母は嫌な思いしたようだ。大学では、CIC(米諜報員、学生にもいた)が暗躍していた。
 
無題10
 (主席公選・自治権拡大県民大会 64年6月26日)


 主席指名闘争秘話
   「逃亡者?」

 米民政府は主席任命から立法院の指名受け、任命制へと余儀なくされる。64年10月29日~31日、指名反対立法院包囲大闘争が起こる。私は琉球大学の指揮を任された。
 機動隊に逮捕されそうになり「大西が捕まった、救え!」の声、ところが、機動隊、僕を離して、移動。機動隊勘違い。
 琉大の部隊と対峙し、機動隊指揮していたのが私の従兄であった。機動隊は従兄が指名反対の民衆につかまったと救出行動取ったのである。
 (1967年2月24日、教公2法反対闘争では「ゴボウ抜きされた機動隊」と報道された)

 お盆、シミーで会うと二人で昔話を思い出すのでした。大西(沖縄で大西はめったにない姓)でよかった。比嘉とか宮城であれば、わが人生変わっていたであろう。
 任意出頭のハガキが来た。喜屋武真栄会長が「外国旅行」(本土)をして来いと手配し、東京大学駒場、信州大学、金沢大学、名城大学、南島寮と二月、冬の旅をした。パスポートはこの夏の原水禁大会参加するため申請、9月になって交付されたが・・・かなりの人が起訴された。

「海外旅行」中、全国教育系学生教育ゼニナールに参加し、優れた教育理論、民間教育運動に触れる。教師の道こそ、私の進む道と決意する。1966年4月、宮古高校に採用される。教育二法闘争は援農活動であった。66年秋、宮古島第二台風は宮古島を壊滅的に襲った。2割・5割年休闘争指令されても宮古ではすることないから、ビラまきしながら農家の支援していた。台風でキビは浮き、悲惨な状況で枯れたキビ、収穫出来るキビ、涙がこぼれた。また、沖縄県高等学校教職員組合の結成に参加し、宮古支部の初代書記長に就任する。教師2年目であった。宮古は文学サークル、歴史サークルが地域で盛んで知識欲を駆り立てられた。

無題11
 (64年10月31日、いわゆる「立法院本会議乱入」事件)

主席公選実現ー自治民衆の力で
  屋良朝苗革新主席実現(68年10月11日)

無題12

 (明日ー復帰闘争小史最終回ー「最後の4・28」原点とは過去・現在)
 次週はー5・15に向けて全国の闘いへ

お知らせ
 4・28やんばる統一連学習会

無題8
日本平和委員会
 4・28学習会


http://j-peace.org/2011/pdf/120428ihakikaku.pdf
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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