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県民大会1月間で構築する気概ー過去の実績に立って


末尾に高江5周年「オスプレイ学習動画」-とてもわかりやすい
過去の島ぐるみの運動の蓄積と成果に立って
  30日間で県民大会を作りあげよう


 灼熱の県民大会・2010年の甲子園球児たちの誓い・平和宣言思い出す。
 
 04年8月、ヘリ墜落、3万の市民集会で演壇に立った少年たち。
   
    「未来は、私達の手で創るんだ。
      未来は、私達の手で創るんだ。」

 2010年春夏甲子園連覇を成し遂げる。こちらをぜひ読んで
 http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/1671.html
  (「平和新聞」コラムに書く、下記に掲載)

 学者・文化人はアピールを出そう!
 教育者は教室の中から生み出そう(今回私の強調する課題)
 母親は台所から
 平和・市民団体はあらゆる行動を積み上げていこう
 子ども・高校生・学生は「自分たちが平和の未来を創る」(子ども平和宣言)

  
 私の家の前に「オスプレイ反対」ノボリ
DSC02964.jpg

嘉手納爆音訴訟団(2万2000人)
  1万人の参加目指す」

   (「琉球新報」-オスプレイ配備を問う。7日

22日(日)オスプレイダメダメ!サウンドデモ「音のちから」

オスプレイダメダメ!
7月22日(日)17:30集合
県庁前県民ひろば
「音のちから」を信じる人
楽器を持って集まろう!
楽器が無い人は声でも手拍子でもオッケー。
愛しあってるか~い!?
待ってるよ。
*<高江ブログより>2012年07月06日
 ツイター呼びかけ、沖縄統一連参加表明

思い出の夏の記録
「宝の海」(2010年8月27日・28日)
 球児たちの心、議員懇のドタバタ、大西の「命のへの尊厳」頑固、断固とした決断が刻まれている。
 今、観て、私自身すごい判断。いくど、海上闘争で「撤退」判断下したか。
http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20100827.html

「平和新聞コラム「宝の海通信」(9月5日号)
 球児と沖縄の心Ⅱ
4月15日「宝の海通信」は、興南球児の戦いの心と沖縄の復帰闘争の民衆の心を重ねてみると書いた。興南球児たちの春夏連覇は旧盆入り、グソー(あの世)から迎えた祖先も共に球児たちの快挙に熱く燃えた。
 04年8月12日、テント村での防衛局との交渉。具志堅徹(会員)「普天間は危険と思うか」、防衛局「思わない」、具志堅「明日にも落ちるよ!」と激しい議論であった。翌日、沖国大にヘリ墜落「タマシーヌキタ」(肝抜けた?)のは辺野古の伝説になっている。
 3万人の市民集会が開催された。小学校性を代表して意見表明したのが島袋投手、平和宣言(私たちの未来)を朗読したのが慶田城外野手である。少年の訴えは「人と人が信頼し助け合うこと」(意見)、「未来は私達の手で創るんだ」(宣言)です。(ブログ日記「宝の海」に全文参照)
 優勝戦の島袋投手は「みんなに助けられてきた、僕がみんなを助ける」と直球三振投球を打たせて取るに切り替え、チームは縦横無尽に甲子園で力を発揮した。
 興南球児たちは6年前の宣言「フェンスの向こうにはどんな未来があるのか」「世界中の人が互いに理解し合い、争いのない平和な世界を」「未来は、私たちの手で創る」を甲子園で実現した。
 沖縄の甲子園は、沖縄戦後史そのものである。勝利を祝うのではなく「民衆が信じあい、力を確かめ、決意を新たに」(復帰闘争碑文)することこそ「未来」があるのです。私は春以来、沖縄の青春の活躍に注目してきた。私たちが青年教師として教えてきた生徒の子たち(島袋君の父親は家内の教え子、7月7日追加)が、偉大な力を体と心で全国に示した。
 6年間の辺野古座り込み、若者たちが夢実現、大人たちが夢実現する番だ。「夢や希望をもち、たくさんの喜びを生み出そう」(平和宣言)、喜びの明日の沖縄・日本とはと問う。

今もっともわかりやすいオスプレイ
 学習

ヘリパッド建設阻止!危険なオスプレイNO!」真喜志好一
http://www.youtube.com/watch?v=1eg4q2sRm-w&list=UUIgsi2Dvj8sYRl1Vqudt01Q&index=1&feature=plcp
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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