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ダイオキシン汚染半世紀


予約機能がおかしくなり、印刷機とパソコン機能もうまく来ません。カメラもカビ。
 8月10日(金)の発信ですが・・・
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 (9日5時ごろ、虹)
原点から見る辺野古の自然(7)
 ユビエダサンゴの周りのサンゴの仲間(2)

図1
                              図2
図3
                  図4
図5
                        図6
 (次回ーユビエダサンゴの周りの生物たち)
沖縄で枯葉剤問題に
 半世紀たってダイオキシン除染とは?しかも、防毒マスクで

米国が枯葉剤除去に着手、ベトナム戦争後初めて
ロイター 8月9日(木)13時49分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120809-00000072-reut-int
 ダナンの街
  ベンハイ川を渡る。最初の日本人と言われたが?
 1978年12月31日、ハノイトンニャットホテルで赤旗記者高野さんと夕食ともにした。すでに、カンボジアと戦争状態、中国国境も緊迫していた。
 当初の日程では、飛行機で古都フエに向かう予定であっが、飛行機飛ばせないという事でソ連製のマイクロバスにドラム積んで南下する。ベンハイ川(北緯17度線)を渡る。川という川の橋は絨毯爆撃でクレーターの池が出来ていた。ダナンに近くなると山の頂上に仏像が見える。枯葉剤で山に木がないのだ。子どもたちが焼けた米軍戦車で遊んでいる。
 バスの運転手暗くなってもライトつけない。北ベトナムの道路沿いの貨物列車に戦車が積まれ、南下して行く風景、幾度か見た。フエから飛行機飛んでホーチミン市へ、下界を見ると密林と剥げた山が見えた。
 戦争博物館では、当時は「悪魔の島」(沖縄)の展示場は見せてもらえなかった。高野記者がベトナム国境で死んだこと、8日、羽田で知った。
脱原発金曜
 沖縄は普天間ゲート集合呼びかけています。

 8時から5時までです。
  
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第2信ー枯葉剤と主権

琉球新報
社説
枯れ葉剤県内貯蔵 情報開示徹底し厳正調査を2012年8月9日

 もはや言い逃れはできない。米陸軍化学物質庁が作成した報告書に、ドラム缶2万5千本分もの枯れ葉剤が県内で貯蔵されていたことが明記されていた。
 米政府は日本政府に対し「(枯れ葉剤が)使用、貯蔵されていたことを示す資料、証言や記録はない」と回答し、沖縄での枯れ葉剤の存在を否定してきた。ならば今回の報告書は一体何なのか。これは釈明程度で済ませられる問題ではない。
 米政府は、既に公表されているこの報告書を「ない」とした経緯を、日本側に明確に説明しなければならない。その上で、これまでに示された沖縄での枯れ葉剤に関する事実関係を認め、同問題の再調査と全ての情報の開示に誠心誠意取り組むべきだ。
 日本政府も、この問題をうやむやにしてはいけない。外相、防衛相はもちろん、野田佳彦首相も米政府に厳重に抗議した上で、情報の全面開示と、関係自治体を含めた日米合同調査の実施を強く要求すべきだ。
 枯れ葉剤には、自然分解されにくい猛毒のダイオキシンが含まれる。県民が最も懸念しているのが環境汚染の有無だ。調査が遅れれば事態はより深刻になろう。貯蔵場所を特定し、早急かつ厳正な土壌調査を行う必要がある。
 米退役軍人省の公文書で、米軍北部訓練場などで枯れ葉剤を散布していたことが明らかになっている。また、普天間飛行場内の地中から、枯れ葉剤を含むとみられるドラム缶100本以上が掘り起こされたとする元米兵の証言もある。それを踏まえれば、当時の基地従業員たちにも何らかの影響を及ぼした可能性がある。関係者への聞き取りを含めた健康被害の調査も必要だろう。
 昨年5月に在韓米軍基地内で枯れ葉剤の廃棄が問題化した韓国では、すぐに米韓による合同調査団が設けられ真相究明が図られた。沖縄でいまだにそれが実現できないのは、間違いなく消極的な日本政府の姿勢に原因がある。こうした主権を放棄したかのような日本政府の米追従の姿勢こそ、真っ先に改めるべきだろう。
 枯れ葉剤問題の真相はまだ闇の中だが、事は県民の命に関わる問題であり、このままあやふやな形で終わらせてはならない。日米両政府はそれを肝に銘じて、真相究明に全力を尽くすべきだ。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195386-storytopic-11.html

東京新聞
消費税増税法案 国民に信を問う潮時だ
2012年8月8日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012080802000130.html
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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