スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

この1年を振り返って(2)ー私の現場は書斎

 大晦日、よい年を迎えましょう

晴天の霹靂の2012年
 「活きるちからの源泉」


昨年秋・冬の手術は、絶望の淵に立たされ、8年の辺野古・高江の過酷な闘いを呪った。
 道のない人生環境に陥った。アセス評価書「投げ込み」、アセス訴訟、オスプレイ配備、高江を闘う同志たちの姿に励まされた。
 車を運転して、通院できるようになって、辺野古にも寄れるようになった。理性的に「活きる」ために、毎月初めに「わが指針」を確認することで、新しい力が湧いて来た。
 そして、毎日日記、メール情報、facebookへの投稿は、孤独、孤立、閉鎖の生活に希望を見出した。
 若者たちに辺野古で話出来た。写真1枚1枚は宝だ・・新しい年もできるか・・・
この1年、「宝の海」で印象深いことは次のことだ。

その1 
 毎月「わが指針」をニヌハブシ(北極星)として来たこと。


人類は「平和の文化宣言」から
  「平和の権利条約」制定へ

毎月、1日は 自分の指針を確認 辺野古闘争始まって以来の指針、今の沖縄だ。また、沖縄を丸ごとキャッチすることが大事だ。

私の「道」とロマン
 辺野古を闘い  辺野古を語り続けてきてー指針(続ける)
 辺野古テント村含め、十数万の人々に語ってきた。その柱は、辺野古現場闘争は、もちろん、日本の進むべき道であった。月の節目にはいつも確認している。
1、 21世紀の人類は平和の文化(紛争の平和的解決、非暴力)の道を歩む
2、 21世紀の地球は生物多様性保全の道を歩む
3、 沖縄の過去・現在・未来は「万国津梁」の道である。
4、 安保をなくして日米平和友好条約への道
5、 憲法9条と東南アジア平和友好条約の示すアジアの道と日本の運動の課題・
6、 普天間の原点と本質は全面返還であって、負担軽減、移設論、訓練移転ではない、訓練・分散移転は基地沖縄を前提とした陰謀である。他基地から飛来訓練強化され、訓練集中化は歴史と現状が証明する。

 沖縄を観る視点=沖縄6つの顔(沖縄ガイドの柱)
  
1、 島々の広がりを持った顔
2、 熱帯。亜熱帯と照葉樹林の織りなす顔
3、 王国(万国津梁の邦)の顔
4、 沖縄戦の顔
5、 米軍基地の顔
6、 沖縄チャンプルー文化の顔
  05年11月19日、名古屋講演「憲法・米軍再編成と辺野古の闘い」(講演記録より) 
(沖縄文化が日本を包む時代が・・・)

 その2
 違法アセス訴訟で
  意見陳述できたこと
 意見陳述書は、草稿を病棟で書き、退院後、弁護士ととの詰めは、妻が車を運転してくれた。公判の日は自分で那覇まで運転した。同志のみなさんに心配かけたくなかった。陳述終わって法廷出て、裁判所のソファ―に横になっていたら、警備員に叱られた。「冷たい」と思った。

 2月1日「宝の海」 
私の法廷陳述書と軍民共用空港非暴力(写真)


http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20120201.html
  (2月2日の「宝の海」は裁判長の質問)

その3
 「沖縄非暴力の歴史と積極的非暴力の課題」(動画)

 7月1日、「高江座り込み5周年」、辺野古の非暴力、高江の初期の闘争を担ってきて、沖縄の歴史の中の非暴力を振り返り、これからの闘いで起こるであろうことして提言を行った。
 辺野古で「平和の文化」語り続け、日本各地で話して来た。「沖縄から学ぶ」と言う姿勢が生まれた。脱原発の運動にも活きていると自負する。オスプレイの闘いの中で、行動的非暴力などと闘いの基本姿勢が貫かれた。
 ネット上に動画として残っている。「大西照雄高江5周年」で検索できます。多くの方々の発言も観ること出来ます。

「オスプレイパッドいらない!高江座り込み5周年報告会」2
 ネット動画
http://www.youtube.com/watch?v=FlmX5pMFlUU

 2013年の闘いの幕開けは
  普天間自動車デモで始まる


●名称 第30回普天間基地撤去をめざす新春
    自動車デモ
 ●日時 1月3日(木)
    12時30分 集合
     1時00分 出発集会
     1時40分 出発
●集合 宜野湾市役所駐車場

こんな動きも
 共同配信

県内移設反対伝達へ訪米 沖縄県幹部、普天間飛行場
http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012123001001467.html
スポンサーサイト
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。