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1日ー第2信ー私の法廷陳述書と軍民共用空港非暴力(写真)


今日はアセス裁判で意見陳述行います。
 10月11日に陳述書は書いて、提出していますので、情勢は大きく変化していますので情勢に応じて行います。
 新基地は、世界どこにもない最新鋭の「悪魔の要塞基地」に力点を置く。
 
 意見陳述の時間帯に公開

大西照雄意見陳述
 違法アセス訴訟公判(2012年2月1日)
 
 (傍聴者のためにプリントで配布します)

 プリント
1、 陳述書(案)

2、 「別冊記録」アメリカジュゴン裁判草稿ー準備書審査会提出
 (ジュゴン観察日記ブログ「宝の海」抜粋)
3、 準備書審査会への意見(ジュゴン・ウミガメ・サンゴ)
    2009年7月7日
4、 準備書審査会への意見書(アジサシ中心)
    [2009年7月25日]


陳 述 書(案)
         大西 照雄(ヘリ基地反対協代表委員11・10・12)
第1 高校教師として
   21世紀に地球と人類の生きる道

 1 私は2004年3月31日まで、高校の社会科教師でした。
翌月の4月19日、那覇防衛施設局は、軍民共用空港の違法調査に着手しました。それも、辺野古沖海上案を前提とする違法な調査でした。
その日以来、私は辺野古に基地を作らせない現場の責任者の一人として今日に至り、テント村で教室の延長として、野外授業や環境調査に従事しています。
   2 私は、21世紀に生き、21世紀を担う子どもたちに、21世紀の地球と人類の課題として、次の3点を指針に教えてきました。それは、沖縄を切り開く道でもあります。
   その1は、21世紀は「平和の文化」を築く世紀であるということです。
1999年9月13日、国連総会は「平和の文化宣言」と「10年行動計画」を示しました。戦争の世紀から平和の世紀へ、紛争の武力的解決から平和的解決へ、非暴力の世紀への道であります。
   その2は、21世紀は生物多様性の保全をあらゆる分野で実践する世紀であるということです。1972年の「地球環境宣言」以来積み重ねた、地球と人類の文明を大切にする取り組みは、諸条約、地球サミット(1992年リオ諸条約、日本首相参加せず)へと結実しました。
   その3は、沖縄の過去および未来は「万国津梁」の道、即ち、アジアの国々と平和的友好、武器なき闘いの歴史、沖縄の非暴力の行動、文化を大事に、戦争の架け橋から平和の発信、架け橋として明日を描くことであるということです。
  3 ですから、私の第二の人生を辺野古に捧げることは、高校生と学び合った教室の実践を行っているに過ぎないと思っています。

第2 日米政府の沖縄政策は「非理法権天」
   民主主義と非暴力・沖縄世論の勝利

 1 名護市民は1996年のSACO合意に対して、「大切なことはみんなで決めよう」と市民条例を制定し、1997年12月21日、米軍ヘリポート基地計画に対する市民投票を実施して、海上基地を拒否しました。自治と民主主義の勝利でした。また、1996年7月には、沖縄県議会において、「普天間飛行場の全面返還を促進し、基地機能強化につながる県内移設に反対する決議」を全会一致で決議しています。
この民意は辺野古問題を観るときの原点というべきです。
 2 ところが、1999年、こともあろうに、日米両政府は、軍民共用空港計画を名護市に押し付けてきました。
日米政府の沖縄政策について、沖縄の先人は「非理法権天」と言いました。
「非道に対しては理性で勝てる。理性は法には勝てない。法も時の権力に勝てず、権力者は法を勝手に解釈、都合が悪くなると変える。天とは人である」という意味です。
まさに、軍民共用空港計画は「非理法権」でありました。
 なぜなら、
①計画の内容は、市民投票で拒否した撤去可能な海上基地よりも巨大な海上基地を建設し、サンゴ礁とイノーを埋め立てるという暴挙となっています。
②しかも、アセス法(閣議アセス)手続より前に、姑息な「護岸構造検討のための現地技術調査」と称し、アセス法を逸脱し、それも、基地本体を含む全面的な事前調査の強行がされました。
 3 04年4月19日未明、那覇防衛施設局(現在の沖縄防衛局。以下、併せて防衛局といいます)は、辺野古沖海上案を前提として、違法調査を強行してきました。
   2004年9月9日には、防衛局は、辺野古漁港の沖にボーリング調査用足場設置工事に着手し、約1年間、ボーリング調査を強行しました。
   2005年4月26日には、辺野古沖におけるボーリング調査用足場設置工事の24時間作業にも突入しました。
   ボーリング調査用足場設置工事は、小型足場設置作業だけでなく、スパッド台船を積載する台船の運航や、サンゴ破壊を伴うスパッド台船の乱暴な設置工事、大型固定ブイ積載台船の大浦湾への航行と同湾での長期に亘る停泊が行われており、現場は、非常に騒然とした状況が続いていました。
   ご存知のとおり、ジュゴンは、夜に大浦湾周辺に食事に来ます。
   防衛局は、約1年もの間、このような騒然とした状況を作りだし、アセス法に基づく調査を行う前に、ジュゴンを追い払い、サンゴを破壊し、環境の改変を図ったものでありました。
4 私どもは辺野古漁港で抗議行動を展開、テントを設置し、今日まで2732日の座りこみを継続しています。
 私どもの行動は、憲法16条(請願権)・21条(表現の自由)にある国民の権利行使であり、責任説明を求める平和的交渉と完全非暴力を基本としています。私たちと防衛局との間では、4月19日から9月まで、33回の交渉が持たれています。
 同年4月28日、防衛局は辺野古沖海上案についてのアセス方法書広告縦覧に着手しました。「民族屈辱の日」にあえて行い、県民の心を逆なでしたのも許せないことでした。
 同年8月13日には、沖縄国際大学に普天間のCH53ヘリが墜落しました。その後、沖縄防衛局は「焦り」、基地から船を出し、ボーリング調査及び海上調査を強行してきたのでした。
4 私は、漁師になりたいという思いから、1977年に、船舶免許を取得していました。そして、私は、2002年には、沖縄防衛局が違法調査を強行してくると予想し、船購入していました。
われわれは、その他、カヌー20数艇を整え、辺野古・大浦湾の調査・学習を深めていました。
私たちは、エンジン付きの船での請願・抗議行動は、不測の事態が起こりかねないと考え、カヌーでの抵抗を基本としていました。
その心は「どぅ(自分)が危めらりてぃん、にんばりーしが(眠れるが)、ちゅう(他人)危みてぃや、にんばらん(眠れない)」(自分が危められても眠れるが、他人を危めては眠れない。)という、沖縄の戒めに従ったものでした。
 5 2005年9月2日、ボーリング調査と事前調査は中止され、軍民共用空港は事実上とん挫し、方法書などのアセス調査も消滅しました。
名護市民投票に続く、沖縄非暴力と世論の勝利と言えます。沖縄の天(民衆)の勝利です。人は「5本指」のようにそれぞれ個性、役割は違いますが、5本の指が一つになれば、どんな困難も乗り超えられる。沖縄の歴史を貫く思想です。

第3 米軍再編成とV字2本滑走路
  「断じてアセスに非ず」

1 2005年年始頃から、小泉首相は「辺野古見直し」を言い出しました。
しかし「非理法権」の日本政府は、一貫して、痛みを持った者に痛みを押し付ける特性を持っていますから、信じる人は皆無です。
2 同年10月29日、2プラス2は「日米同盟の変革と未来」(以下、米軍再編成)で、辺野古に「沿岸案」を押し付けてきました。私は「悪魔の要塞基地」と呼んでいます。
  06年5月1日の「ロード・マップ」において、V字型滑走路2本の計画になり、2014年の完成を日米で合意しました。
3 沖縄防衛局は、またもや、07年5月、アセス法によらない事前調査を強行しました。
 それは、繊細で人工物の影響を受けやすいジュゴンに対し、アセス法の手続に則ることなく、ジュゴンを追い払うかのようにパッシブソナー、水中ビデオカメラ、その他多数の調査機器を、ジュゴンの餌場などに設置するというものでした。
 ジュゴンの生活の場に多数の人工物を設置して、ジュゴンを警戒させ、辺野古周辺から追い払うものとしか、いいようがありません。
 しかも、5月18日からは、自衛艦まで投入し、海上保安庁の多数の船舶を辺野古周辺に浮かべ、事前調査を行いました。
 普段非常に静かな辺野古周辺の海域は騒然としており、ジュゴンを追い払う意図であったとしか考えられません。
 私たちは、これらの環境現況調査に対して、環境影響評価法に基づく意見を提出することはできませんでした。
 防衛局が故意にジュゴンを追い出したことは、後でも述べます。
 4 2007年8月14日、沖縄防衛局が広告縦覧した方法書は「欠陥方法書」「方法書に値しない」もので、隠蔽、秘密主義に貫かれていました。
   事業計画はわずか7頁にしか記載されておらず、意見の出しようがないものでした。
   なぜ、環境保全がされるべき辺野古に基地を作るのかという必要性、違法な環境現況調査のアセスにおける位置付け、埋め立てに要する土砂採取、運用される航空機の種類や飛行ルート、飛行場の高さ、飛行ルート、洗機場などについての記述がなく、意見の出しようのないものでした。
   私は、方法書に対する意見書においては、辺野古の環境は保全されるべきであり、基地建設は相当でないこと、運用される航空機の種類や飛行ルートの記載がなく不当であること、オスプレイの配備も隠ぺいされていること、事前調査が違法であること、洗機場についての記載がないこと、ケーソン式・傾斜式護岸の設置場所・大きさが数字化されていないことなどを述べました。
   つまり、方法書は、全体として「秘密性」に貫かれていることを述べました。
   しかし、本来、上記の事項について、防衛局が「秘密性」のない方法書に記載した事項を踏まえて、意見を述べることができたはずであったのであり、本来述べられるはずであった意見を陳述できたわけではありませんでした。
   しかも、ジェット機の配備、集落上空の飛行、洗機場の設置などは、防衛局が2008年2月に提出した「方法書に対する追加・修正資料」において初めて記載されています。
   このようなやり方は、住民に意見を述べる権利を認めたアセス法の脱法行為で、違法であることは明らかです。
 5 防衛局が作成した準備書についても、違法なものです。
   準備書において、初めて、ヘリパッドの設置、係船機能付護岸の設置、汚水処理浄化槽の設置などが記載されており、私は、この点について、方法書の段階において意見を述べることができませんでした。
   既に述べたように、辺野古周辺においては、辺野古沖埋立案を前提にした違法なボーリング調査に伴う騒音、環境現況調査に伴う人工物の設置、サンゴの破壊により、環境の改変が行われています。
   準備書においては、違法な環境現況調査の結果も準備書に引用されていますし、環境が改変された後の調査結果が引用されています。
   また、私たちは、違法な環境現況調査に対してアセス法に基づく意見を述べることができず、環境が改変された後の調査結果に対する意見しか述べる機会がなかったのですから、私たちの意見陳述権が侵害されていることも明らかです。
   オスプレイの配備についても、隠ぺいされており、オスプレイ配備を前提とした飛行ルートや、騒音予測もなされていません。
 6 アセスの手続について、初めからやり直す義務があることは明らかであります。

第4 海上作業ヤードと
  「ジュゴンとサンゴの博物館」

 1 先にも述べましたが、私は2002年から辺野古海域、大浦湾の調査を継続しており、「大浦湾はジュゴンとサンゴの博物館」と命名しています。
   以下では、大浦湾の自然と生態系について述べます。
   方法書は、大浦湾の大川河口の干潟にケーソン式護岸作製作業ヤードを設置することを記載していました。この計画は豊かな干潟を破壊するもので、神も自然も人間の恐れぬ、天地への冒涜の典型的な事例であります。
 私は沖縄県環境評価審査会にも意見書および現地調査の具体的な提案をしています。
大浦湾の西には東西に断層が連なり、古代の大川が流れ、「泥を特性」とする海底地形(弾薬庫近辺20m、大浦湾入り口60m)となっています。そして、河口にマングローブや干潟を形成しており、古汀間川は広い「海底扇状地」をなしています。
そして、宜野座村まで広大な湿地(日本の500の湿地の一つ)を構成しており、沖縄県の「厳正に保全すべき海域Aランク」にも指定されています。
方法書は、この特性をなす泥(貴重な生態)を浚渫し、ユビエダサンゴ群落や塊状サンゴ群落含む貴重な生態、生き物を、畏怖の念もなく、理性的・計画的に破壊、死滅させる暴挙と言えるものになっていました。
2 ところが、2007年11月7日、10月ぶりに、第4回代替施設協議会が開催されます。そこでの議案文書では、作業ヤードについての議案が消えています。追加方法書でも作業ヤードについての記載が消えます。
さて、作業ヤードはどこに行ったのでありましょうか。
 大浦湾は二見集落から辺野古弾薬庫、辺野古岬、長島に嘉陽層が褶曲して陸上、海底に2段の断層を形成しています。谷底は旧大浦川が「泥」の地層をなしており、いくつかのバンク(中瀬)あります。準備書では、この褶曲した海の断層の淵に鉄鉱矢板式護岸(桟橋約200m=3万トンクラスの軍艦が接岸可能な軍港)とケーソン式護岸を設置して内側を埋め立てる計画になっています。
 準備書では明確に記載されていませんが、大浦湾海上が作業ヤードになることとなります。そうすると、フローティング・ドッグで約6階建マンションに匹敵するケーソン式護岸作製船団が浮かぶことになります。
大浦湾上には、鉄鉱矢板式打撃船、捨石運搬船・設置船、埋め立て土砂運搬船団、セメント・砂利運搬船、ダグボート等の大船団が浮かぶと推測されます。添付資料1は、準備書にある「船舶・建設機械稼働計画」ですが、これほどの船舶が大浦湾周辺に浮かんで、作業がされることになります。
しかし、準備書には、その影響について明確に記載されず、意図的に隠ぺいされています。それは、「船団作業ヤード」としか言いようがありません。
3 沖縄は「台風銀座」と言われます。さて、台風時に想像を絶する作業船団はどこに避難するのでありましょうか。軍民共用空港のスパット台船母船は中城港に停泊していました。過去の例から「船団作業ヤード」の避難場所は、中城湾、泡瀬地域でしょうか。また、これだけの作業船団の避難港は沖縄のどこになるでしょうか。
  これほどの船団が沖縄の港に避難すれば、他の船は入港することができなくなり、影響は大きいものです。
重要なことですが、準備書には何も記載されていません。
 4 鉄鋼矢板式護岸(桟橋=軍港)設置時に発する水中音は、140dbと言われます。122dbが5km先まで到達することになります。
これは、音に敏感なジュゴンや海生生物に長期的連続音として多大な影響を与えることは明らかです。
 5 準備書では、水中音の科学的見地は学問として確立されていないとしながら、大浦湾の中瀬が音を遮断すると記載しています。
しかし、鉄鉱矢板式護岸打撃音および作業船団の発する水中音は、ダイナマイト連続音です。
沖縄防衛局は1962年、1966年の米軍の大浦湾でのダイナマイト爆破による影響を、調査していません。
上記ダイナマイト爆破により、大浦湾全域で魚が死滅、今日まで影響を受けていると、戦前から漁業を続けてきた汀間の漁師Aさんは私に証言しています。
防衛局は、海の自然,生態系の「科学者」と言われるウミンチュウ(漁師)の聞き取りを行っていません。
調査の基本的・初歩的な瑕疵と言える典型的な欠陥です。
 6 このように、準備書には明確に記載されていませんが、辺野古沖や大浦湾に、6階建マンションに匹敵するケーソン式護岸作製船のほか、鉄鉱矢板式打撃船、捨石運搬船・設置船、埋め立て土砂運搬船団、ダグボートの大船団が浮かび続けることとなり、ダイナマイト連続音が連続して生じ、122dbの水中音が5km先まで到達することとなります。
   一体、基地建設工事がされた場合、辺野古沖、大浦湾の生態系や魚、サンゴ、ジュゴンはどうなるのか、想像を絶する事態となります。
準備書では、この点も隠ぺいされています。
 7 準備書では、鉄鋼矢板式護岸打ち込み及び船団航行によって、ジュゴンが驚いて「刺し網に掛る恐れがある」と数か所に記載していますが、社会常識、通念上、ジュゴンが刺し網に掛かることは絶対にありません。
   漁師Aさんは、戦前から大浦湾で刺し網漁を60年続け、今も毎日出漁していますが、Aさんは午後4時ころ刺し網を設置し、朝6時ころに上げています。しかしながら、戦後60年、Aさんの刺し網にジュゴンがかかったことはありません。
   Aさんの刺し網はテグスリの太さは4号です。
   ジュゴンが刺し網に掛かることなどあり得ないのです。
   防衛局の調査船の母港は汀間漁港ですが、Aさんは朝6時ころ漁港に入り、網から魚をとり、朝食を食べて網を修繕しています。Aさんは、大浦湾を最も知り尽くしている海の科学者です。科学的調査は海の科学者からの聞き取りがスタートであるべきです。
   地元の漁師からの聞き取りを行わずに、「ジュゴンが刺し網に掛かる」などと非現実的なことを言う準備書は責任を転嫁しており、十分な調査がなされていません。
 8 さらに、準備書は、キャンプシュワブ沿岸をウミガメ産卵の「好地」ではないと記述しています。
   しかし、準備書には、過去の歴史やについての説明がありません。
沖縄戦後、瀬嵩・大浦崎は収容所となり、約5万人(宜野湾村民を含む)が収容されていました。
上記Aさんは言います。現シュワブ・弾薬庫海岸はウミガメの産卵場で、ウミガメの卵は大浦湾の魚とともに重要なタンパク質源で多くの命が救われたと。
二見集落の「二見情話」などに込められた歴史的事実に目を瞑ってはなりません。
   防衛局は、準備書設置にあたり、当然行うべき、地元の大浦湾に長年かかわってきた住民からの聞き取りを怠っており、恣意的なものとなっています。

第5 防衛局アセス調査は
   なぜ、ジュゴン追い出し作戦か
 1 私は、2003年から2008年7月まで、大浦湾・辺野古海域で最も長い時間海にいたと自負しています。
 (「宝の海」ジュゴン観察日記は法廷で提出)
 2 準備書には、ジュゴン回遊調査記録があります。防衛局は、方法書の公告縦覧手続もなされていない段階の2007年3月、ジュゴンの調査を「いであ」という会社に委託しています。
「いであ」は、ヘリコプターからのジュゴン調査を行いましたが、一日中、あるいは連日、朝8時から午後5時まで、ジュゴンをヘリで追い回していました。それも何回もです。
添付資料2は、準備書にある「ジュゴンの生息状況に係る航空調査の実施状況」で
すが、「いであ」は、頻繁に、朝から夕方まで、ジュゴンをヘリで追い回しています。
しかも、ヘリの飛行地点は、常にジュゴンの南に位置していました。
昼間から、ヘリコプターに低空で追いかけられたら、夜の食事もできるかどうか、非常に心配でした。
ジュゴンの南から北へジュゴンを低空飛行のヘリで追い回し、明らかにジュゴンが南へ移動しないよう、意図的、恣意的に行動していました。
 3 私は、QAB朝日放送が、ジュゴンの交尾と思われる映像を撮影した際、船長としてかかわっていました。その際には、ジュゴンにストレスを与えてはならないと2日(各1時間)で終わらせています。QABとは、真剣な討議を何回もしました。
 4 私は「いであ」による調査中、大浦湾外洋に船を浮かべ、エンジンを切り漂流しながら、防衛局および環境省に対して、追い回しの中止やヘリの高度などについての抗議、要請を何度も行ってきました。
準備書にはジュゴンの回遊は表示されていますが、ヘリの位置は表示されていません。ヘリは常にジュゴンの南に位置し、ジュゴンを追い回しているのです。
   ジュゴンは、防衛局が違法調査するまでは、辺野古イノー・大浦湾で確実に、カメラ撮影(04年3月)や目視(08年8月28日6時)されています。
   防衛局が自らジュゴンを追い払っておきながら、準備書においては「ジュゴンはほとんどない」と結論づけているのです。
5 このように、軍民共用空港及びV字2本滑走路計画のアセスは、その秘密性、非理法権的行政、非科学的調査、住民無視、非民主主義(説明責任放棄)からして、「断じてアセスとは言えない」違法なもので、調査も許されるものではありません。

第6 「悪魔の要塞基地」は
   世界的にも例のない基地計画

 1 辺野古海上基地は、射撃訓練、弾薬庫、軍用空港、軍港(貨物船で約3万トンの船が接岸可能。揚陸艦デンバークラスの軍艦も接岸可能)、県内訓練基地群、ヘリパッド群を連結した最新鋭の新基地で、単なる普天間基地の移設ではありません。
単独基地で軍隊の全能力、機能を持ってアジアおよびグローバルに出撃できる基地であります。
2 辺野古海上基地は、キャンプシュワブ・辺野古弾薬庫はアメリカのアジアの戦争、中東の戦争に関連して、また、過去・現在の視点から見ることも重要です。
沖縄は「悪魔の島」(ベトナム戦争資料館)を拒否します。
たとえ、安保条約を認めたとしても日本国憲法上許されない基地です。
沖縄はこの基地が出来ると「世界一危険な島」になります。
(情勢変化により、法廷では、ここの部分を重点にしたいと思います。)

第7 結論
1 沖縄は「万国津梁」の歴史です。非暴力の歴史です。司法は嘉手納爆音・普天間爆音訴訟で国の非を認めながらその非の根を裁けません。戦後60年、米軍及び米兵・軍属に殺され、レイプされ、基地被害を受けても、沖縄の人が米兵および軍属を危めた例はありません。私たちは世論を形成し、法廷でも整然と正当なさばきを求めてきました。
 2 しかし、法廷は道を示すことはありませんでした。バイツゼッカードイツ元大統領は「民主主義は法や裁判所だけで守られるのではない、市民的勇気が必要だ」と言いました。私は、裁判所は、今、勇気が求められていると思います。
  「非理法権」による違法アセスの進行、ましてや、強権による埋め立ては断じて許されません。
 3 私たち沖縄県民は「われわれは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」を、現在および未来にもっています。
   違法アセスの中で、環境省は大浦湾河口地域をラムサール登録候補、沖縄本島北部を世界自然遺産候補に挙げています。「辺野古移設反対」もオール沖縄になりました。
   大きな変化が起こっています。
裁判所も歴史に耐えられる審理が求められます。

2011年10月11日

続きに
 軍民共用空港の闘い写真集ー浅見裕子女史提供
  (04年4月19日~05年9月2日)
軍民共用空港の闘い記録
 沖縄非暴力の記録

 闘いの始まった日(04年4月19日)
 漁港座り込み
  海の闘いから上がってこれからの闘いを描く私、
無題65
 テント村歩道で那覇防衛施設局と交渉(33回)
  交渉は座って
      無題66
 交渉内容は
  電波で送られる。力が確かめられる。
無題67
 闘いは整然と
  交渉内容を聞くテント村、公安当局、防衛省の絶対に挑発に乗らない。
        無題71
 04年9月ー海の闘いに入る
 われらの「武器」はカヌー
 心は「ドウ、危ミラティン、眠バリーシガ、他人(チュー)危ミティヤ、眠バラン」
無題72
 カヌー曳航する
 漕艇競技沖縄監督の経験が生きてきます。一艇も転覆させてはなりません。多いときは10艇曳航します。
 作業地点、風・潮流など読み込んで確保する操縦技術、空を見て雷、天気を読み切ること「命は宝」です。

         69.jpg
 ボーリングヤグラで休憩 ?
  作業船が来ないときは  
70.jpg
 05年4月19日ー闘い1年記念集会
  大なべ一杯、魚を釣ってきて、魚釣りは小さいときから猟師の手ほどき受けています。
  
        68.jpg
  05年9月2日
   軍民共用空港頓挫
 米軍再編成ーV字の闘いへ
無題74
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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