スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

オバー達の8年から今へ

台風17・18号から目が離せません
  1967年の宮古島台風予測する情報もあります。注意。

「狙われた海」QAB1時15分、何故dbは情報流さない、知らない?
辺野古座りこみ13年
  8年プラス2000日

 アセス答申をどう見るか
      初志に帰る ー桜井国俊談話で見ること進める

 アセス審議会答申でた。「環境影響評価(アセスメント)の準備書を批判し、やり直しを求めた答申」(赤旗主張)は舌足らずである。調査の非科学性、評価予測のでたらめさを指摘するのは当然。事後調査、砂の問題など触れず、事後調査事実上調査容認など極めて問題を孕み、手続きアセスを容認している。アセス法によらない防衛局の住民意見、答申無視が起こる。
 知事意見は問題点だけ指摘して評価書にすべてゆだねる。ジュゴン追い出しなど公然と進む。
 桜井国俊(沖大学長談話を共有することが必要になる。(タイムス3日)
 政府は3度負けている。よくもがんばるものだ。マチブイマチブイ(もつれもつれ日本語では表現できない)準備書の中から武器になるのは何か。
 鳩山、前原、北沢、井沢4閣僚もマチブっている。いかなる行動をとるかは準備書のマチブイを共有することだと思う。そこに、マチブイを解くカギがある。

 オジー・オバーは何を教えたか
  8年プラス0000日

  楽観も悲観もしない事実から 
 2000日以前、オジー・オバー達は元気があった。まだ若かった(?)毎日、事務所に詰めていた。15日(ジューゴンの日)は全員集まった。
 貝の人形を作っていた。愛楽園の調査・ガイドをして貝殻を届け、多くのことを学んだ。最初の闘いの資金稼ぎ。だまされても、だまされても、踏ん張った。
 いま、4度目の勝利を目指している。
 我が家の床の間の人形です。
   オバー達の日々
510_20091003174934.jpg
オジー・オバーの8年
  故金城祐治さん

IMG_0002_20091003222327.jpg
 事前調査  土曜集会(03年4月4日から04年4月)
   学びと知恵の共有

IMG_0003_20091003222348.jpg
  (右に立っているのがオオニシ当時現職)
4月19日の攻防
   防衛局と談判する祐治さん)

IMG_0001_20091003222405.jpg
  (最初の座りこみ故小渡のオバーさん、杖を持つ)
  04年テント村のある日の風景
    テント村講義

IMG_20091003222421.jpg

 桜井氏も指摘しているがジュゴン調査は追い出し、防衛局の調査を継続させたらジュゴンは絶滅する。
 環境省が責任を持つべきだ。自然環境などアセス法によって再調査(複数年)やるべきだ。防衛省設置法4条の事後調査をとりいれることで評価書に入ってはならない。このようなことを認めればアセス法は死ぬ。評価書に意見を言えるのは小沢環境大臣のみ、民主党連立政権の環境政策が問われる。
 日本の裁判所すら、泡瀬の生態系、鞆の浦の景観権を無視できない21世紀だ。
ここは基本に戻るべきでアセス審査会答申に酔ってはならない。アセス審査会、方法書やり直し答申したので評価した。だが、準備書はアセス手続きに言及ない。むしろ、後退である。
 
 ヘリ基地反対協リンクから
    沖縄県内紙アセス答申情報(3日)を

「辺野古アクション」をインターネットで検索すると日本、英語、韓国版で9年の写真付き歴史が見られます。
QAB[狙われた海」の焦点は
漁民が、1番尊敬している自然科学者。歴史の本質語る。個々海の主人公は漁に、アセス審査会は本質を避けている。この海の本質を語るのは漁師の歴史、漁師の責任を私の責任にしたメール発信されてない。、最終的に個人が責任をかぶる決意なくなくて行動は組み立てない。5時間掛けて現場にヤシガニ返した。失敗恐れるのはインテリゲンチャーの組織保存、、完璧主義、私は失敗で生きてきたから、保護の責任を持てないものは「捕獲」を使用してイル。赤裸々に伝えてほしい。油井さんに教えるようにガリ版時代には教えるのが基本。
 でも、生物多様性には情報提供発信はしない、命が持たない。
 何故、中瀬に魚いなの?私は船で事実を伝える仕事が多くなりそうン。
調査は事前公開報告が命。


スポンサーサイト

非公開コメント

プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。