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貝の道と椰子の実ー農民漁民の闘いの歴史を今に(1)

日本列島台風注意  
10月台風弧を描き・速度増す、しかも2個

 貝の散策
  親子で自然の神秘を
 9月21日ブログ、大浦湾干潟散策のガイドを書いている。日本の湿地500の内、沖縄は確か56。
大浦湾から金武湾に掛けては広大な湿地となっている。
 辺野古のイノー(礁地ーラグーン)を「湖」と称したことがある。辺野古港正面のマナル岩、平島のピシ(干瀬)は干潮時(とくに大潮)陸地になる。ピシから眺めると湖に見える。
 ピシの内側のサンゴにはホンダワラの草原が広がり、そのうちには塊状ハマサンゴ群落、そして、ジュゴンの藻場、3月から5月天然のもズクが揺れる。
  大浦湾は、サンゴ群落は紹介した、広大な扇状地が広がり砂と藻場、刺し網にさまざまな貝が掛る。
 干潮(大潮)の時間帯、二見大橋の木陰で昼食を食べ、シオマネキ、トカゲハゼ(初心者に確認難しいが)、掴むのではなく、生物たちの自然体を観察する。大浦河口まで石の下などの生き物に接する。
 動くサンゴは濁りの水深、普通の泳ぎでは観察できません。でも、多くの生き物の姿に出会うでしょう。
 漁師の家を訪ねた。時折、刺し網に掛る。
 写真はセンネンガイ、砂地で泳ぎながら発見することあるが、私の少年のころのようにはいない。手前の二枚貝美しいが名前知らない。


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 ホラ貝とサンゴ

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  貝のビル
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  柳田國男『 海上の道」と
    島崎藤村「椰子の実」(1)
「 名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ・・・・・」は島崎藤村『落梅集』の代表的な詩、昭和12年大中寅二によって作曲され、日本人心の歌となった。1999年8月4日、伊良湖岬に柳田國男「海上の道」の椰子の実を訪ねた。柳田は伊良湖の浜に打ち上げられた椰子の実から「海上の道」(1962年)である。柳田の椰子の実との出会いは明治30年7月から9月、明治31年には藤村の「椰子の実」となる。貝の道、椰子の実の道は柳田民俗学の重要な課題となってゆくのでした。

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 写真左上伊良湖海岸ハマゴウ、ハイネズの草原
 写真右上伊良湖の燈台から神島
 写真左下 椰子の実の碑
 写真右下 石垣市から送られたサバニ(伊良湖港)

(続きはー安田国有林の闘いー復帰闘争碑)をどうぞ

過去の農民・漁民の闘いから
   現代の沖縄の闘いに生かす


 安田国有林の闘い(その1)

平和新聞コラム
   沖縄の基地、辺野古・高江

 日本平和委員会は60年の歴史を持つ個人加盟の平和NGO,月3回平和新聞発行、沖縄の基地を大久保さん、高江を伊佐さん、辺野古を大西が情報を書いている。
 安田国有林の闘い
   伊部岳闘争碑(国頭村制100周年記念碑)

 高江の伊佐さんが闘争碑について書いている。キャンプシュワブ以後、沖縄県民は基地接収許していない。
 北部訓練所はベトナム戦争でゲリラ訓練基地(現在も)、アメリカのベトナム戦争は泥沼、世界的反戦運動、現在の普久ダム(川)、照首山の麓に砲座4門、伊部岳に打ち込む。
 村民と県民の闘いで阻止する。70年12月31日、この年は毒ガス撤去、米兵の金城トヨサン轢殺事件、高校生暴行事件、12月20日、コザ人民抵抗と基地と県民の闘いが激しい年であった。
  米軍に完全勝利、ですが、キャンプハンセの155ミリりゅう弾砲によって恩納岳など禿山になっている。「県内移設」に心を許してはならない。安波ダムハリアーパット(1988)年の勝利も、伊江島が受け入れた。歴史の教訓が高江・辺野古の愚直な日々である。
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  青年教師の
   闘いの記録

テント村で平良悦実さんが、安田の闘いの記録ないかという。1971年『歴史地理教育』に書いた「1970年12月ー国頭村安田国有林の闘いから」を探した。
 写真は、『沖縄県祖国運動史』写真版を図書館で調べることを勧める。

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  辺戸岬に足を延ばして
    祖国復帰闘争碑文で歴史と明日への警鐘

 高江から伊部岳闘争碑、ついでに、辺戸岬へ、「山原ヌ旅ヤ、幾度サシガ、ミルカジヤネラン、山トゥ
海」、ゆとりの時間を体験し、現代と明日に目を据えて、先人たちの歴史から勇気と希望、地球的世界観を持とうではないか。
 岩崎書店『子ども歴史風土記』(47巻沖縄編1982年)に「辺戸のかがり火」を書いているの思いだした。
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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