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一人ひとりがジャーナリストー原発・安保・憲法

 脱原発・脱安保・基地、憲法擁護

 日本ジャーナリスト会議機関紙「ジャーナリスト」を購読している。経緯は下記に述べる。「3・17JCJ3月集会」のチラシ入っていて裏面に昨年9・19さようなら原発集会武藤頼子さんのスピーチが詩の形式で載っていた。

 原発を基地に置き換えると沖縄と共通する。また、辺野古・高江などのブログは「一人ひとりがジャーナリスト」の愚直の実践の先駆けと言える。

「一人ひとりがジャーナリスト」

 2011年の春まで、幸せを求めて、
 懸命に生きてきました。
  (略)
 放射能が危険だとは知っていました。
 でも、原発は安全だと信じていました。

 マスコミは本当のことを言わない。
 国の発表をうのみ。
 人々は気づき、不信を抱いています。

 福島は嘆いています。
 真実は隠される。
 国は国民を守らない。
  (略)
 子どもを守ろうと、母親が父親が、
 おじいちゃんやおばあちゃん、
 自分たちの未来を奪われまいと若い世代が、
 土地を汚された絶望の中から農民たちが、
 海を汚された漁民が
 もう原発はいらないと声をあげています。

 それにしてもマスコミはひどかった。
 なぜ真実を伝えてくれないか?
 だいじょうぶ原子力に平和利用を・・・
  (略)
 市民に寄り添い、真実を隠さずに
 伝えてくれるマスコミに変えるために、
 私たちは「一人ひとりがジャーナリスト」
 あなたも私も、あの人もこの人も、
 3月17日、脱原発、もう1歩前に。
 その大きな第1歩を進めましょう
   2012年1月
  日本ジャーナリスト会議

 「ジャーナリスト」との出会い
  亀井淳さん

 亀井さんとの出会いは名護市民投票後の軍民共用空港への闘いの頃、あるいは、その前かもしれない。亀井さんは『反戦と非暴力ー阿波根昌鴻の闘い』(出版99年2月)、すでに私も『沖縄の太陽物語』(95年7月)で、伊江島の闘い(非暴力)を書いていた。
 亀井さんの『反戦と非暴力』
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1101554283/subno/1

 辺野古の闘い
 沖縄非暴力の実践に入る
 
04年4月、私はヘリ基地反対協の責任者の一人として、テント村・海の闘いで非暴力、積極的非暴力闘争の現場指揮に入っていた。それは「現場責任者の指示に従えないものはかえっていただきます」と毎日のミテイング出繰り返していました。亀井氏はテント村によく来ていて、闘い終わって、名護のヒージャーヤー(ヤギ料理店)、居酒屋で会食を共にしていた。
 
 「ジャーナリスト」に拙著『啄木と沖縄」の書評を書いてくれた。(今年啄木没100年、4月14日)
 軍民共用空港との闘い、翌6月勝利を確信し、日記を急いで『愚直ー辺野古は問う―沖縄非暴力の心1』と上梓した。米軍再編成への新たな闘いに備えるためであった。
 亀井氏はテント村で話される「講義」を短い言葉で表現し、闘いの展望を共有している。
 辺野古・高江・泡瀬の座り込み、非暴力と結合し、沖縄が日米政府に挑んでいる象徴的存在と言える。

 亀井さんが書評を琉球新報に書いてくださった。おかげで、本は売り切れ、私の手元には1冊しか残ってない。
 続編も書きたいが暇も金も残された時間もない。 

http://www.kameijun.com/zakki/034.html
 「ジャーナリスト」を読む
  時々、「宝の海」に
「ジャーナリスト」に、浦島悦子女史が毎号「沖縄レポート」書いている。
 私は04年海上闘争が始まると「一人ひとりがジャーナリスト」の気概で、ブログ毎日日記「宝の海」を開設、今日まで続いている。学んだのは韓国旅行、韓国儀政府米軍2少女轢殺事件の米国大使館前のローソクデモの「メール」革命であった。

決めたことは「愚直」に実践を継続する。渡具知家を中心にした毎週土6時半、キンプシュワブローソク集会も8年続いている。すごい、決断と実践がある。「二見10区」のブログで周1回の発進だが、楽しいブログである。

 いま、「辺野古浜通信」「高江の現状」もほぼ、毎日通信、「追跡ー在日米軍辺野古サイト」(辺野古写真)などが奮闘して、毎日の情報の共有、大きな役割をはたしている。
 
たかが、ブログ日記ではない。辺野古テント村、高江テント村のでき発信だが、辺野古1本の杭も打たささず、高江は、今年、草も。1本の木も切らさず、数万の人々が「学び合い」全国的闘いにさせている。
 メール、ブログの拡散で輪は、世界的につながっているのだ。考えの違い、組織の違い、違いを大切に「5本の指」の団結、一致点での毎日の協同である。「異質協同」が民衆が生きる世界である。

 日米政府の合意をマチブイマチブイ(縺れ縺れ」させているのは、生産点の毎日毎日の「耕し」が、県民の心と行動の支えと言える。これらの生産点失ったら闘いは発展しない。
 生産点は「一人ひとりがジャーナリスト」の「機関紙」をもっているといえる。

 自公政権から民主党政権に変わったとき「ジャーナリスト」は、「記者の政権交代」を書いた。なんだこれはと「宝の海」で批判している。民主党は政治劣化を深刻かさせ、メデイアの「大本営」報道も目に余る。辺野古の闘いは「第4の権力」(メデイア・ジャーナリズム)との闘いの側面もある。
 
 大震災以降、「ジャーナリスト」の紙面で、日本の政治の根幹である安保の問題を取り上げたことない。「宝の海」でしばしば批判している。本の紹介以外、安保・日米同盟の字すらないというのが現実である。

 ちなみに過去を振り返る
 1954~56年の全国紙の沖縄報道を国会図書館で調べたことがある。(読売。朝日、毎日など)
   1954年ー14件
   1955年ー95件
   1956年ー501件
  内灘・砂川闘争はほぼ各紙毎日報道

 ジャーナリズムの世界の劣化であろうか。
 テレビでは山崎豊子『運命の人』放送中。
 小泉首相から「NOだ」首相まで何人の首相が変わったかいちいち名前も思い出せない。普天間・辺野古問題、日米外交を揺るがしてきた、沖縄の闘いが根底にある。

 「一人ひとりがジャーナリスト」の詩は、マスコミのみならずジャーナリスト含め問われている。と、思う。
 野田政権は海兵隊抑止力と負担軽減、沖縄振興策を前面に出して、マスコミも伝える。
 
 負担軽減の「目玉」の一つ、キャンプキンザーに軍用地持つのだが、17年前から日米合同委員会で返還協議、SACO合意で返還約束、16年前だ。また、キンザーが負担軽減の「目玉」、当時、タイムス論壇(95年5月31日)で、「がん細胞の増殖」「転移」と批判している。

 昨日の新聞は、米国は海兵隊戦闘部隊の移転を告げているが、どうも、日本政府が否定しているようだ。、
この状況に、アメリカ議会も「固定化。移設」へと変化してきだした。(下記QAB参照)

 日本の国民が問われる。ジャーナリストの役割大きくなってきた、

 アメリカは報復国家である。いくども追い詰めてきたのだが、日本のマスコミ動向が、米国有利な報道姿勢、沖縄を無視すると、アメリカは牙をむき出してくる。
 沖縄が求める道は「赤旗」主張が示しているように普天間撤去である。沖縄県民の「県外移転」と本土で言う「県外移転」には大きな違いがある。
 負担軽減は負担増である。本土メデイアの負担軽減報道は危険である。

 琉球新報(27日)
 住民の声に「 日本は安保から憲法を守らなければならない。憲法9条より、安保が大事なら本土にもっていけばいい」と言う意見があった。(28日ブログ)沖縄から見ると安保と憲法は一つである。原発と沖縄基地問題も一つである。


 「ジャーナリスト」の詩のように、民衆の求める真実の姿に「寄り添った」姿勢、民衆の闘いに依拠した報道、ジャーナリストの姿勢が、今、求められている。

 それは、沖縄民衆の意識、行動、闘いに依拠して、足場をしっかりすることだ。元沖縄県知事稲嶺恵一氏の「平和の沖縄作りは現実になった」は、贖罪含め示唆に富む。

 新聞に楢崎弥之助元衆議員議員の死亡か載っていた。40年前、「沖縄密約」を国会で暴露した人だ。国会もマスコミもジャーナリストも西山記者を守れなかった。40年後、「沖縄密約」は証明され、「運命の人」としてドラマになっている。
 
 安保に挑むメデイアとジャーナリズムの姿勢が求められる。民衆の歴史意識は豊かに勇気の共有が始まっている。

 QAB(29日)
http://www.qab.co.jp/
 赤旗(29日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-29/2012022901_05_1.html
沖縄弁護士会アセスやり直し声明
 QAB
http://www.qab.co.jp/news/2012030134118.html
 金曜恒例「高江宅急便」
 昨日、廃鶏汁、4時間煮込む、沖縄平和委員会与儀さんに託し、通院へ、

 この1年、1本の木も切らしてない。
 屈辱にも耐えた。すごい、ことだ。今年、MV22配備予定の年。宜野湾市長も所信演説でMV22配備に反対表明。
DSC01505.jpg
先週は、マグロの頭、マグロの目ん玉は奪い合い(?)
2012-02-24 13 19 13
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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