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QAB「国場君轢殺事件」と軍事裁判


29日飛んでしまった記事

米占領期・軍事植民地支配下の米軍事件

 軍事裁判
QAB特別番組
 

「5・15 ー夢・現実そして未来へー 国場君れき殺事件をふり返る」
29日、QABが、軍事植民地時代に起こった国場君轢殺事件放映した。(下記)

1962年、琉球大学1年の事件であった。1965年読谷棚原隆子ちゃんパラシュート圧殺事件などなど、多くの事件が起こった。1950年代、琉球大学は、原爆展、基地闘争に参加する学生を退学処分にした。
 1963年、琉大には○研(核マル)とかブンドとかの組織が学生会を握っていた。「復帰運動ナンセンス」「民族排外主義」などと言っていた。

 わたし含め2年次になったばかりの「田舎者軍団」、学生会長にI君立てて挑戦、勝利して、私は琉大代表して祖国復帰協議会の執行委員をやることになる。
 国場君轢殺事件の抗議集会なども関係しているのだが、主席任命反対運動など沖縄の闘いの高揚期、大学は学生を処分できなくなっていた。

 さまざまな事件、闘い、ベトナム反戦運動などで詳細に国場君事件に言及できない。
全国高校生弁論大会で首里高校佐久間00さんが国場君事件を題材に最優秀賞、確か受賞した。友人の金城健一君がNHK弁論で最優秀賞に受賞したときも、確か、国場君事件に触れていたか?
 高校生も米軍支配下の弾圧を克服していたのである。

 「辺野古浜通信」に国場君轢殺事件、教えてほしいと書かれていたが、軍事植民地時代初期の軍事裁判を『続き』に掲載する。参考になれば・・
 QAB
http://www.qab.co.jp/news/2012022834084.html
 青年の友情と勇気
  地位協定
 昨年、帰宅中の米軍属が20歳の青年を轢殺した。不起訴になった。同級生のN青年が「許せない」と立ち上がり、
 運用的処置ながら、裁判権が日本側に移った。青年の勇気の力である。

 (続きー軍事即決裁判)
 高江スラップ訴訟の判決3月14日、判決の日までに「沖縄の『座り込み抵抗」は日本国憲法体系」でも犯すことのできない沖縄民衆が蓄積してきた権利と小論に挑んでいる。下記はその検証の一つである。、
 
   二つの軍事即決裁判

 その1-軍事即決裁判

小さなコンクリート建ての裁判所
基地の街の裁判所
それは…軍事裁判所である
そして僕は今日初めて知った
罪人によって検挙された良民を
実にてきぱきと裁いてしまうところだと
  目の前の
  5脚の長い腰掛に
  土にまみれたぼろをまとい
  ひげをぼうぼうとはやした
  32名の農夫が今裁かれている
  彼らのある者は
  泥だらけのゴム草履
  あるものは雨靴をはき
  そして
  大部分のものはハダシのままだった
  うら若い18歳位の青年や
  62歳の年寄りもまじっていた
証言台には
4人の鬼のような米兵が座っていた
彼らの腰にはピストルがさがっていた
彼らの青くくぼんだきつい目は
時々、農民たちをにらみおろしていた
そしてまた
時々
何か沖縄人の通訳とべらべら話しては
ゲラゲラ笑ったりした
間もなく米兵の証言が始まった
農耕をしていたのに
「すわりこみをしていた」といい
一戸にしかくれてない材料を
「13戸に与えた」といい
強制立ち退き後の住民の
「幕舎生活は30日だ」と言っていた
実はその日で90日目だったのに・・・
続いて
被告の中の1青年が発言を求めて
これらの証言を
かたっぱしら覆したが
続いて
判事シャドウ少佐による
尋問が始まった
  貧弱な農民ではあるが
  正直でねばり強い態度に行き詰まった判事は
   「お前はウソをついている偽証罪だ、偽証罪だ」と
  顔を真赤にしてわめき脅していた
そして、最後に
判事の論告があった
 「君たちは
  一部の人々に誘導されている
 彼らは
 君たちの犠牲をタテに
あくまでも軍と戦おうとしているのだ
君たちは罪を犯しているから
この法廷は
君たち32名のひとりびとりに
3か月の有罪を言い渡す
 だが、しかし
 1年の執行猶予にしてやる
 2度と一部の人々に誘導されるな
もし、1か年内に
いかなる罪にでも問われ場合は
この「3か月」に
新しい罰を合わせて罰する・・・
琉球政府に相談してあるから
本部までは
琉球政府の援助によって帰りなさい」と・・・
 あー
 何たる暗黒の島沖縄であろう
 承諾せぬままに・・・・軍は
 伊江島真謝部落の30戸の農民から
 各々半分以上の土地を取り上げ
 49戸の農民の土地を全部奪い 
 そのうち
 13戸の立派な家屋を
 ブルドーザーで押し倒してすきならし
 あるいはたったままの家に火を放ち
 逃げまわる山羊をまとに射撃のけいこをし
 食と住の一切を奪い
 死ぬに死ねず
 柵内で自分の土地を耕せば
 不法侵入で3か月の刑である
すでに 与那城ツルさんの如きは
子どもに与える一握りの米もなく
泣きながら・・・
泣きながら17歳のわが子を
糸満の漁夫に売り渡している
 6月13日に逮捕された人々の
 明14日の軍事即決裁判の
 傍聴者はわずか9人であるのに
 二十名余の
 私服警官の配置される沖縄
 そしてまた
 きょう六月五日の島内新聞は一斉に
 「民政官、立法院へ警告」と見出しで
 「もし伊江島問題にのみ没頭し
 予算案が年度内に成立しない場合は
 議会の解散を勧告する用意あり」と
 おどしている。
 以下略
(以下略1,955年月6月14~17日記す。高宮城清『雑記帳』『沖縄の太陽』収録)
 
 その2 最初の獄入り(略)
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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