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「沖縄の抵抗権」(最終)ー積極的非暴力と「乞食行進」


沖縄座りこみ抵抗権
 日本国憲法法体系でも侵すことのできない権利(4)


『座り込み継続へ」 
(沖縄タイムス)
 「高江の現状」(16日)から(新聞記事拡大できます

http://takae.ti-da.net/
 昨日、判決は、座り込み非暴力を裁けなかったと評した。しかし、判決は国民運動の面から見ると、国や企業が「スラップ訴訟」を乱発することに道を開けた。原発・基地問題が国民的課題になっている今日、また、翼賛的政治状況の中、「監視国家」への危険性を持つ。
高江判決は、国が民事で国民を訴え、写真など有効とした。国民の請願権・意見表明の行動を監視する点で、重大な問題をはらんでいる。
 この問題含め、伊江島の闘いは、何を私たちに示しているか教訓を読み取りたい。

 伊江島の闘い(3)
  沖縄の闘いの源流

「宝の海」3月15日、陳情規定、模擬原爆の降る日記、軍事裁判、陳情口説など資料として添付、沖縄の闘いの源流とした。何が見えてくるか整理したい。
 1、陳情規定の中に、米軍・米兵と対峙するときの心構えと行動の中に日常の非暴力が明確にされている。武装兵   が上陸する前の決定であることに感銘する。
 2、米軍が接収した爆弾の降る中、集団耕作始める。これは積極的非暴力の行使と言えるものである。
 3、傀儡琉球政府に「座り込み」陳情始める。4月に渡る。琉球政府・マスコミの報道に怒る。(阿波根昌鴻『米   軍と農民』岩波新書参考)
 4、「乞食行進」(7月21日~翼年旧正)

 「乞食行進」と
   島ぐるみの闘い(「宝の海」12日参考)

 1964年8月6日、伊江村川平公民館で野里翁「陳情口説」を聞き、阿波根さんから深夜まで話しを聞く。1955年は小学校5年、傀儡琉球政府比嘉秀平任命主席学校訪問などしていた。米民政府副長官オグデンは基地強奪を行うと同時に、善政として用水路「オグデン水道」を各地に建設、学校前にコンクリートの用水路建設、その業績を讃えるための比嘉主席の学校訪問、「アメとムチ」であった。
 (オグデン水道は、名護市安部33号線に見ることができる、後「高等弁務官資金)

 「乞食行進」は今でいえば「平和行進」である。米軍の圧倒的支配体制の中、南は喜屋武岬、北は国頭奥までサンシンを持ち、宿泊は公民館、民家、妨害に屈せず、半年に渡る巡礼が続けられた。沖縄の心と言われる「チムグクル」の共有が萌芽し、全県的に「土地を守る会」と連合が結成され、6月、「4原則貫徹」島ぐるみの闘いとなる。
 沖縄の人口約80万、6月27日を全県そう立ち上がりの日とし、7月28日の那覇高校大会まで、50万が参加したといわれる。
 「乞食行進」の開始から1年、そして、瀬長那覇市政攻防、民連ブーム、祖国復帰協議会結成と進むのであった。

 「陳情規定」非暴力と
  積極的非暴力ー高江・辺野古

 辺野古テント村非暴力は陳情規定を柱とし、責任者への信頼を求めた。そこには、復帰闘争を闘った先人たちの戒めと心が指針であった。

 「しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。 闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。」
  (国頭村辺土岬、復帰闘争碑文『結び』、1981年岩崎書店『子ども歴史風土記」(47巻)に「辺戸のかが   り火」を執筆)
 海上闘争は、米軍への提供水域、いわば、基地の中での闘いで有り、伊江島の集団耕作と似た性格を持ち、積極的非暴力と言えるであろう。高江についても同様である。
 私は、沖縄民衆が継承してきた非暴力、「座り込み」などの行動を誇りあるものとする。

高江裁判は、米軍占領期でもできなかったことを
 日本国憲法の下でおこなわれた。
 日米政府の沖縄への基地押しつけ強まるであろうが・・・来週から日米政府の狙いに入る

 日本国憲法
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 やはり出てきた「基地負担増」ー判決と連動ではないであろうが、見事。
在沖米海兵隊は2万1000人=昨年連絡、地元に伝えず―外務省
 時事ニュース
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120316-00000071-jij-pol
愛知県多面的に
 頑張っています。
無題a

 続きに
  1996年9月 アメリカ国防省。国務省、議会訪問


沖縄の抵抗はアメリカ独立の思想と同じ

-沖縄の「武器なき戦い」の優れた人間性・道徳性を訴えて-

  国際法律家連盟機関誌12月号掲載報告書
沖縄の抵抗はアメリカ独立の思想と同じ

-沖縄の「武器なき戦い」の優れた人間性・道徳性を訴えて-

http://www.geocities.jp/teruo024/prehenoko.html


一部
3.沖縄の抵抗-その正当性と道徳的優位性

 
 私のアメリカ行動は、芳澤弘明氏や島袋善祐氏と別パートで行動することが多かった。

 9月10日、国防省(ペンタゴン)では、アメリカ施政権下での「猫(アメリカ)が許す範囲でしか鼠(沖縄)は生きられない」との政策は、今日も引き継がれていること、財沖縄司令官が最近「爆音は自由の音」と発言して沖縄県民の怒りをかったことを述べた。この説明に対し、日本担当の2人のスタッフの事実確認のため話し合いが一時中断となった。このことにより、日本政府がいかに沖縄問題をアメリカに正確に伝えていないかが明確になった。また、国防省に「県民投票の結果を深刻に受け止めている」「海兵隊の撤退を検討している」と言わしめることができた。

 9月11日の下院国際関係委員会のスタッフ、ロバート・ハザウェー氏との会談において、スタッフからは、沖縄・日本と「善き隣人でありたい」との発言があった。私は、恩納岳・普天間基地の県内施設に反対する小学生の写真を示し、アメリカ側が「善き隣人」として約束を守り、人間節度を示すことが重要であって、アメリカが沖縄に対し「善き隣人」であることを強要する問題ではないと、具体的事実で説明した。

 また、なぜ沖縄はアメリカの軍事プレゼンスに反対するのかの質問に対しては、次のように大胆に発言したと記憶している。

 「あなた方は、独立戦争の頃、パトリック・ヘンリー『代表権なくして課税なし』をスローガンにし、さらに独立宣言で明確にしてイギリスと血を流し独立を勝ち取り、アメリカ民主主義を発展させてきた。沖縄戦期にアメリカは沖縄県民を収容所に押し込め、日本攻撃基地を築き、単独占領に入ったが、これは国際法に違反する行為であった。その後サンフランシスコ条約・日米安保条約・今日問題になっている地位協定などの条約締結に、沖縄県民は、あなた方と日本政府に代表権を奪われたばかりか、議会において発言する機会も与えられなかった。これらの条約は、日米両政府・両議会が勝手に締結・批准したものである。アメリカが建国期に享有した民主主義・抵抗権・基本的人権の諸々の権利、子どもや女性を大切にする人間愛を沖縄県民も享有することは、アメリカの歴史が指し示していることである。さらに申し上げると、戦後50年m沖縄県民はあなた方の軍と兵士に数百名が殺され、レイプ・強盗など、数えきれない被害を受けてきた。沖縄県民があなた方の国民を殺害し、レイプした事実があるなら示してほしいとともに、その逆であったらアメリカ政府と国民は、どのような態度をとるでしょうか。

 沖縄県民の心を示すものとして、皆さんに差し上げている私のレポートに、アメリカに兵士に銃剣を突き付けられ、土地を奪われるなかで、兵士に捧げた歌を紹介している。その歌をお読みになられたら、沖縄県民の抵抗が人間性・道徳性において広い心を持っていること、「命どぅ宝」の沖縄の生き方が理解できると思う。

 私は高校の教師です。アメリカのすばらしい民主主義の歴史、豊かな国民性を教え、『善き隣人』でありたいと願っていますが、沖縄で米軍の野蛮な行為に目をつぶることは、アメリカの独立宣言を教える私にとって犯罪を犯すことになると考える。私たちは、現在の安保条約を破棄して、新しい『日米平和友好条約』が必要だと考えています。私のレポートに日本の高校生が作った『日米平和友好条約案』をメッセージとして掲載しています。『善き隣人』であるためには、沖縄でさまざまな犯罪を重ね、アメリカの尊厳を傷つけている海兵隊を撤退させることです。私の理解が誤っていたら訂正させていただきたいのですが、海兵隊は、陸・海・空軍と同じく独立した軍だと思う。現に在沖米軍は4軍となっている。しかし、地位協定第1条に海兵隊は明記されていません。私の理解が正しければ、海兵隊は地位協定第1条違反の軍隊になる。

 9月11日の上院軍事委員会のスタッフとの会談が終わった後、スタッフの一人デライン氏に呼び止められた。同氏は、「地位協定見直し要請文」などの私が持参した沖縄の資料について、「これらの資料を初めて見た。具体的ですばらしい資料だ。」と述べた。「あなた方の考えていることも、ぜひ送ってほしい」と要請された。ここでも、日本政府がいかに反国民的・沖縄県民無視の屈辱的外交をしているかが鮮明になった。
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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