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海兵隊は撤退すべき(させる)軍隊(2)-海兵隊あれこれ報道メモ



海兵隊は撤退すべき(させる)軍隊(2)

全国紙に高江問題が取り上げられました。
 朝日新聞社説

沖縄ヘリパッド―今からでも地元と話を
http://www.asahi.com/paper/editorial20120320.html#Edit2
  (「高江の現状」から転載)


メモ記録
 私は20年前から、「海兵隊は撤退すべき軍隊」と言い、16年前の訪米でもペンタゴンで主張した。
 マメリカは4軍と言う。現に、在沖軍司令部は4軍調整官が司令部長官となり、海兵隊司令官が兼務している。

 地域協定1条
「(a) 「合衆国軍隊の構成員」とは、日本国の領域にある間におけるアメリカ合衆国の陸軍、海軍又は空軍に属する人員で現に服役中のものをいう。」
 
 第3海兵遠征軍は規定されてない。と、いう、単細胞的理解ですが、書かれてないことは事実である。

 沖縄の抵抗は、サンフランシスコ条約の発効(52年4月28日)とともに始まる海兵隊基地建設(銃剣とブルドウザー)を「発火点・導火線」を源流とする。
 普天間航空基地は沖縄戦で陸軍が本土攻撃基地として建設、57年空軍へ移管、海兵隊基地群完成後1960年5月、アメリカ海兵隊へ編入される。海兵隊は強襲揚陸艦なくして海兵隊とは言えず、揚陸艦艦隊の母港は佐世保で、ホワイトビーチ・那覇軍港と直結し、岩国基地と密接に連動する。

 ベトナム戦争は第3遠征軍の最大の活躍舞台となったが、米国の政治的威信、経済的弱体に引き金となり、中東のあらゆる戦争で、海兵隊は「浪費の軍隊」として維持不能となり、日本の「思いやり予算」で、施設建設・維持、兵員家族・軍属は維持されているのが実態である。

 普天間は海兵隊の中枢基地
  海兵隊は「日本防衛基地ではない」「抑止力でもない」


 元沖縄県知事稲嶺恵一氏は「基地のない沖縄は理想と思った。基地のない沖縄は「現実」の課題」となったとアセス評価書有識者声明に関するインタービユーなどで語っている。

 沖縄返還の闘いは、「核も基地もない沖縄」であり、90年代初頭から、その第一歩の具体的県民要求が普天間返還、それは、いくども、紹介しているが、私の野外授業「普天間基地返還させて沖縄一の街」を作る宜野湾高校の授業でも見える。

  普天間基地は閉鎖・返還である
     危険性除去でも移設でもない
     
     危険性除去は、仲井真知事が辺野古移設賛成の頃の知事選挙論理
      そして、今、「固定化」などで、米軍安全の危険性除去として補修容認
      辺野古移設への恫喝「布石」の論理でもある。
    危険でいやなものは、日本中は反対する権利を有する
    特に、いやなもの拒否する岩国住民に「構造的差別」などと取れる言葉は?
    普天間移設であれ、海兵隊移転、訓練移転であれ。日本中、アジア・太平洋地域の人々は叫ぶことだ。ま     た、連帯すべきである


 普天間「国内移設」は
  海兵隊分散移設に利用されている。海兵隊訓練を全国に拡大、それはMV22の配備・訓練基地の拡大であろう。155ミリりゅう弾砲、全国各地に受け入れさせて、辺野古に強引に押し付けて二の舞ごめんだ。
   そのために岡田副総理は来沖してCH46の「置き換え」と述べた。岡田はそのためにだけ来た。アメリカでは厳しい環境アセスの対象になっている。辺野古でアセスのがれ、「固定化された普天間」で米兵安全の補修予算の根拠作りに来た。危険なMV22を米兵が安全に訓練するための危険性除去と言える。

  地位協定は、日米合同委員会の諸規定含み、何でもアメリカの論理となっている。マメリカ4軍、地位協定に海兵隊保護の対象ではない、日米安保6条の保護になるか?ですから、SACO合意・日米合意は破綻し、また、新日米合意の審議も破綻するであろう。

 サンフランシスコ条約・日米安保条約の発効で、本土にいた海兵隊、米軍統治下で海兵隊基地群完成、60年安保で普天間は海兵隊基地になる。
 60年は「アフリカの年」、非同盟の拡大、アメリカのベトナム介入を背景にしている。当時の安保めぐる日本人民の認識では「殴り込み部隊」を憲法下に置くことの危機がアメリカ首脳部にあったであろう。
 
 ベトナム戦争、アメリカは沖縄に海兵隊戦闘部隊を配備することで「日本国憲法」との危機を逃れることに成功した。日本の労働運動も1988年代から95年9月までに安保容認に変質し、現在、安保掲げること困難になっている。
 この過去の歴史が、今、問われていると思う。
 
 
  

 
 
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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