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「怪物」が日本列島闊歩するときーPAC3配備の沖縄


 沖縄の深部の力

日本列島が荒れています。沖縄も昨晩は風が360度回り、雨嵐。
普天間・辺野古問題は年末からあれ、閣僚たちの沖縄詣でと「密会」が頻繁に行われた。週末「三顧の礼」も尽きたので、少し静かになるか。静かなる時、何をすべきかが重要である。
 この間、沖縄差別論、構図的差別論が大きくなった。であったとしても、私はこの国の形の根源である安保・憲法論に踏み込まない限り、現在の「時代閉塞」を克服、展望を切り開けないと思う。それは、私の観念的な論ではなく
 沖縄の深部の力である、県民が示している道である。
また、沖縄県は安保・基地問題を日米政府の情報に頼ることなく、県独自の調査・研究部署を発足させた。
 下記は、010年5月31日の毎日・琉球新報世論調査である。
 世論調査の基本部分を取り出してみる

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162838-storytopic-1.html

 基地の認識
辺野古移設に反対との回答が84%に上り、賛成は6%にとどまった。県内移設反対の根強い県民世論が表れた形で、昨年10月31日~11月1日に行った調査から反対が17ポイント上昇した。反対した人の半数以上が県外や国外への移設を求め、「無条件撤去」の回答も38%に達した。

安保条約を日米平和友好条約へ
 海兵隊の沖縄駐留は「必要」との回答が15%にとどまり、「必要ない」が71・2%。米軍駐留根拠となっている日米安保条約については「維持すべきだ」との回答が7%と昨年調査の半分以下にまで減少した。
 一方で日米安保条約を「平和友好条約に改めるべきだ」との回答が55%と過半数を占めた。「破棄すべき」が14%、「米国を含む多国間安保条約に改めるべきだ」も10%あり、沖縄の基地負担に基づく現行の安保体制への不満が強い。
 辺野古移設に「反対」と答えた人に理由を尋ねたところ、国外移設が36%に上り「沖縄以外の国内」に移設すべきだとの回答(16%)を大きく上回った。辺野古以外の県内に移設すべきとの意見は4%だった。

 私の過去から
  現在の主張
世論調査後 管内閣が発足した。このころから差別論、構造的差別論が隆盛する。
 私は、96年9月訪米活動で、ペンタゴンにて「海兵隊撤退論」「海兵隊傭兵論」「日米安保を日米平和友好条約」へ、沖縄の抵抗権の正当性を唱えた。

 現在も同じである。世論調査は安保条約を変えるは79%になっている。これが沖縄民衆の「深部の力」である。佐藤優の構造的差別論は、官僚世界に留まり、この国の形に民衆の目が向くことを塞ぐ、百害あって一利なしの典型的論理である。
 市民投票で勝ち、軍民共用空港頓挫、日米合意破綻褪せた沖縄民衆の力、現在の到達点は、日本の安保体制で憲法が食いちぎられている根源にオール日本の世論を形成することである。

 戦略・戦術的にも今、重要な課題と言える。構造的差別論に留まるのではなく、この国の形に勇気をもって、愚直に挑み続けることだ。
 ウエッブ上院議員が沖縄県民の闘いを「怪物」と言ったが、「怪物」が日本列島を闊歩するとき、沖縄の「新しき明日」、日本が見えてくる。

啄木を沖縄から見る(4)ー没100年にあたって(4月13日)
 
啄木の友ー琉球の「明星」歌人山城正忠
 真教寺の「新しき明日」碑に出会い(92年)、沖縄を忘れる現代日本にあって、真教寺から啄木の作品を読み返してみるのも面白いであろう。
 沖縄戦・戦後史学習のみならず、文化学習でも、現代日本を問うて見るのも面白いであろう。与謝野晶子が謡う琉球青年の「烈しき」心、沖縄文化史をと思った。
 95年秋、沖縄の心、爆発する。沖縄文化も同じだ。

文学と歴史学門外漢は自由、無責任で、恥をかくのもいいものだと思った。琉球の明星歌人山城正忠を与謝野晶子と鉄幹は次のように詠い、正忠は立待岬の石川啄木の墓前で詠う。
  
大海の南の島に生ひでて抑えかねたり烈しきものを
正忠を恋の猛者ぞと友の云う戒むるごとそそのかすごと
       与謝野晶子
正忠は目出度く那覇に帰りけり今は酔うとも泣かずやあるらん
       与謝野鉄幹
   船を下りてまず函館に己が身を立ててし思う友の啄木
   この岬啄木も来て泣きけんと思うあたりにはまなすの咲く
      山城正忠『紙銭を焼く』
 そして、私は岩手、北海道、東京の啄木歌碑をすべて回る旅を行う。津軽海峡を啄木が渡った5月5日(八戸の友人たちにばれて5月6日)函館に着く。

 明治40年5月5日、逸民となった啄木は津軽海峡を渡り、「流浪」の1年を過ごす。翌年4月28日、鉄幹の新詩社へ転がりこみ、のち、金田一京助の庇護を受ける。思うに、明治の文学者にとって啄木は琉球を知りえるもっと近い位置にいた。沖縄学の父伊波普猶と金田一は東大言語学の同級生である。新詩社は自然主義文学などの台頭で勢いは失せていて、正忠が活躍していた。啄木は新詩社「番付け表」を残していますが、正忠は前頭6枚目で、明星終刊号に夏目漱石、啄木らとともに正忠の写真も掲載されている。当時、啄木が最も尊敬した文学者は島崎藤村である。藤村の「椰子の実」は、柳田國男の渥美半島の体験から生まれ出る。
 啄木は5月2日、森鴎外の主催する歌会に出ていて佐々木信綱と会い、佐々木の『心の花』に次の歌を詠む。
   はるかなる海のかなたの島に似て相見る日思いつかれぬ
     (『心の花』明治41年7月号)
 北の啄木、南の正忠、晶子を姉と慕った二人が会うのは7月16日である。
 啄木は正忠「達磨にように太っている」、正忠は「啄木は痛快な男」と言う。でも・・正忠は啄木の短命をも見ている。啄木を沖縄から見る、無謀かもしれないが・・・・・

北朝鮮利用した移動訓練
QABニュースレポート

PAC3配備 抗議の声の中 那覇に到着
http://www.qab.co.jp/news/2012040334750.html
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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