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「地図の上黒々と・・」からPAC3の動きに


 物騒な沖縄から
  東アジア友好条約への道を求める
   (参考昨日のブログ)

 北朝鮮の「人工衛星」(ミサイル)の発射めぐって、田中防衛大臣「破壊処置命令」を発動し、沖縄本島(2か所)、石垣、宮古にPAC3を緊急配備、移動作戦をさせて危機を煽っている。
 米軍がPAC3を配備したときに沖縄の空を守るが口実であった。米軍の動き見えず、自衛隊が絶好の機会と出動、横田基地の日米共同指揮の作戦で動いていることに注目、防衛大臣とメデイアの報道は、直接ミサイルが沖縄めがけているような錯覚を与えている。

PAC3でロケットの落下物、落とせない。無意味な配備であるが、イージス艦・MD防衛戦略の強化訓練と見るべきだ。そして、日米共同指揮の訓練と見る。

 アメリカ軍のPAC3動きが見えないのは、アメリカは中国との経済戦略が背景にあり、それは、また、在日米軍が日本防衛のためではないということを証明する。

日本のすべての空港、港、国道を米軍・自衛隊が自由移動・訓練をする前兆と言える。
(追記ーさっそく、フオートジャーナリスト森住卓氏、羽田空港で米軍機撮影、米軍の大型輸送機C17と思われる。600mで着陸可能、辺野古新基地配備可能と準備書意見書で指摘している。私の危惧が現実になった?情報では春の嵐で緊急着陸とも・・それでも!)

hosei1CA.jpg
(写真提供 森住 卓)
 
追記
 海兵隊の辺野古の動きは、こちら「辺野古浜通信」(4月4日)から
http://henoko.ti-da.net/
 市民インタビューで共通していることは『話し合いで解決」で、昨日の、日米平和友好条約と共通する認識を示している。東アジアにとって求められることは「東南アジア友好条約」(TAC)の道を目指すことだ。

 こんな時、悠長に啄木を書いているが・・・でも

  地図の上
  黒々と墨をぬりつつ
  秋風を聞く
と、日韓併合に心を痛めた啄木であった。今、と重なるのです。


   主権・領土保全等を相互に尊重
   外圧に拠らずに国家として存在する権利
   締約国相互での内政不干渉
   紛争の平和的手段による解決
   武力による威嚇または行使の放棄
   締約国間の効果的な協力
 
 日本の「敵地先制攻撃」論、中国脅威論、「破壊措置命令」は、アジアの人々にとって脅威となり、沖縄が「悪魔の島」に再びなりかねない。

QABニュースレポート
PAC3配備 着々と進む
http://www.qab.co.jp/news/2012040434776.html



啄木没100年
啄木を沖縄から見る(5)
 正忠絶交宣言と啄木ヘナぶり歌

 沖縄から日本が見えるという。
 真教寺の啄木歌碑から啄木が見えるとは言わない。
 啄木は沖縄に来たことがないが、「新しき明日」の歌碑が建つ。確実に何事かを示唆している。啄木は文学者であり、また、評論家として「時代閉塞の現状」などで明治国家の解剖を試みて、「明日のの考察」(「我々全青年の心が『明日』を占領した時、・・時代に没頭しては時代を批判する事が出来ない」)と国家の問題を結合した。

 啄木が上京して1年が経った。文学的野心は惨めで、金田一の庇護の下で、北原白秋の処女詩集『邪宗門』に衝撃を受け、日記がローマ字になる。
 ローマ字日記は「情誼の拘束」、与謝野夫婦、金田一などからの自立への葛藤、「鉄の心」で自己分析を試みる。啄木は与謝野夫婦などに家族のことなど話していない。
 
正忠の追悼文を見る。
  「その時から特に心安くしてくれたのは君であった。・・私は直ちに薄命の相があることを直感した。蒼ぶくれた色艶の悪い色合が常に悲しげに沈んでいる。その後会う度に私は君の顔色をいたましく思った。かくて段々相親しくなって君が本郷の下宿にいるときには、度々訪ねて君の気焔にあてられたものだ。また、ある時などはしんみりと悲しい物語に夜をさらしたこともある。・・自分の故里にいる若い妻の話なぞ持ち出して係累のない私の生活を羨んでいた」
 「しかし、口ならず何かの際で君の一言が気に障り『君のような惨酷な人にはもう2度と会うまい」という捨て台詞を残して憤然席を立ったことがある。』

 啄木日記によれば、42年1月7日、啄木と正忠は国木田独歩論をやっていて啄木は「哀れなる感情家」と記していて、正忠は後に「啄木に文学論では負けたが、酒は俺が強かった」と回想している。4月4日、啄木は妻節子からハガキを受け取っている。おそらく上京を促す内容であったと推測される。
 そこに、正忠がいつものように酒を充満させてきた。啄木は「情誼の拘束」から「鉄の心」へと自己洞察を深化させていて「山城君、歌は「悲しき玩具」だ、歌なんてやめてしまえ」とおそらく、与謝野鉄幹などの批判まで発展したのではないか。
 正忠の絶交宣言となる。啄木は「しんみりと悲しい物語」を話せる正忠を失う。
 だが、啄木の頭の中から歌が泉のように湧き出てくる。『スバル』5月号「莫復問」70首であり、ヘナぶり歌と言われ、『一握の砂』への収録は少なくない。

 啄木「鉄の心」
 「去年の暮から余の心に起こった一種の革命は、非常な勢いで進行した余はこの100日間を、常に武装して過ごした。誰彼の区別なく、人は皆敵に見えた、余は、一番親しい人から順々に、知ってる限りの人を残らず殺してしまいたく思ったこともあった。親しければ親しいだけ、その人が憎かった。・・・鉄の心をもって、泣かず、笑わず・・人のなしえないことを平気でなさなければならなかった」(4月10日)

  ヘナぶり歌と正忠
 真教寺啄木歌碑から「莫復問」70首を見ると、啄木「鉄の心の1号犠牲者」正忠を据えてみると面白いと思っていると。碓田のぼるの研究に会う。
『一握の砂』には収録されていませんが、碓田は次のヘナぶり歌を
   君の眼は万年筆の仕掛けにや絶えず涙を流して居候
     (『スバル』5月号)
 啄木が正忠をからかった歌だと書いている。
   なみだ涙その日のごとき涙もてあらいし心戯けたくなりぬ
     (『スバル』5月号)
 この歌を啄木日記「哀れなる感情家!」(42年1月7日)と重ねて観る。
 ピストルや銃に関する歌も正忠のピストル自殺願望症候と重ねると面白いと以前に述べている。
   琉球のたわれめよ
   悲しき玩具よ
   わけもなくいたましき吾の魂
   (山城正忠『5人』大正3年)

赤旗
米軍再編 外相、負担増否定せず
井上議員 大盤振る舞いを批判

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-04-04/2012040401_04_1.html
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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