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啄木「われを愛する歌」と名護「白い煙・黒い煙」



啄木を沖縄から見る(7)啄木没100年の日を前に
 『一握の砂』-「我を愛する歌」より
少年の頃の啄木
小学校高学年になると俳句や短歌を学ぶ。啄木についてはだいたい次のような歌であったように記憶している。
    ふるさとの山に向かい
   言うことなし
   ふるさとの山はありがたきかな

たわむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩歩まず
私が通った中学、国頭中学は海に面して白い砂浜が赤丸崎(現米軍保養地)まで広く伸び、暴風林のアダン、ヤラブ、モクモウ、海岸に伸びるグンバイヒルガオの草原、白い海岸、原色の青い海と空、北に辺戸岬が空を割り、伊平屋・伊是名の小島は水辺線に浮かんでいた。
   東海の小島の磯の白砂に
  われ泣きぬれて
   蟹とたわむる
国語の本で学ぶ啄木の歌は、学校を包む風景そのものであった。果てしなく白い海岸は夏にウミガメが産卵し、引き潮の濡れた砂の緑にツノメガニの巣穴群れる。夏の太陽で乾ききった白い砂を巣穴に入れると、
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあいだより落つ
 白い砂を掘っていくと、突然、ツノメガニが走りだし、それを追う。
『一握の砂』の「我を愛する歌」のイメージは、私たちに実感として伝わる。

沖縄の高校国語教育、弁論指導で多くの実績を残し、現在も新聞の短歌選者で活躍している平山良明氏の実践によれば、沖縄の高校生に最も親しまれている歌人は啄木である。
大正・昭和期、疲弊したふるさと棄て、若者たちが吐き出されるように、移民や本土の紡績などに流出する。
   田も畑も売りて酒のみ
   ほろびゆくふるさと人に
   心寄する日
DSC01773.jpg
(名護市 名護城に建つ 「白い煙・黒い煙」の碑)

東北も沖縄も似た状況にあった。女工たちに啄木の歌は愛されたと聞く、
ふるさとの訛りなつかし
   停車場の人ごみに中に
   そを聴きにゆく
DSC01780.jpg

 明治・大正・昭和期は「朝鮮人・琉球人お断り」の状況下にあった。
   はたらけど
   はたらけど猶わが生活楽にならざり
   ぢっと手をみる

   こころよく
   われにはたらく仕事あれ
   それを仕遂げて死なんと思ふ
DSC01777.jpg

 沖縄戦で沖縄は切り捨てられ、米軍の支配下でパスポートがなければ本土に行けず故郷沖縄の土が踏めなかった。戦後55年代から60年代に集団就職のブームは沖縄も例外でない。啄木の故里の歌は、自分の生活そのものであった。沖縄は「異邦人」であった。大学生は「留学生」であった。戦前から本土に残った著名人など、労働者、留学生たちは、沖縄返還運動を担って行きます。特に、帰省する留学生にとって、ふるさととの土を踏む心は複雑に揺れた。CICなどのスパイの目が網の目のようにあった。 
ふるさとの土をわが踏めば
何がしに足軽くなり
心重れり
 大学に帰れない恐怖があった。啄木の生活する歌は、沖縄の歴史体験に刻まれる。「新しき明日」の碑は、沖縄のそれぞれの時代の青年が生きてきた足跡があり、また、明日を描く人々の指針となるであろう。
(次回ーまぼろしの啄木歌碑2号)
ウリズンの森と里に
  栴檀の花かおる
DSC01786.jpg

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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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