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155ミリ榴弾砲闘争と「三つの記事」-町の「サミット」

 伊芸エリアーにて
   海勢頭豊「喜瀬武原」口ずさむ

 うるま市の病院で点滴や温熱治療受けて、毎回辺野古テント村に寄るのだが、意外と時間がかかり、昼食を伊芸エリアー取ることにした。1973年から1995年までの県道104号線越え155㎜榴弾砲射撃訓練抗議行動、復帰闘争、そして、授業で何を教えてきたか、回想した。
 家に着いたのが2;30分ごろ、仮眠をとって新聞開き「三つの記事」に注目(関心)を持った。
 これらの記事について、散歩で頭の整理をしようと思ったら、「ひーじゃーやー」(山羊小屋)サミットが開催されていて、廃鶏を焼いて「地域」論口角泡飛ばしている。長い間サミット(町内会の暇人会?)に参加してないので、参加することにした。辺野古論、沖縄文化論など質問は雑多。こんな無責任サミットが田舎町名護のいいところ。晩餐会の費用(廃鶏)400円なり。散歩の時間2時間半に及んだことになり、『三つの記事』につての解説は明日になるか。

いつも急ぎ足
 久ぶりの伊芸エリアーでラーメン食べる
DSC01967.jpg
クバの花が咲いていた DSC01968.jpg
クバの森神々の住む森、古代から人間と神の繋がるところ、神々も焼かれたのか。
 雨・曇り晴れに浮かぶ伊芸の山

 実弾演習でいくども焼かれ、地肌が頂上に見え、松、イジュなどが生えてきた。155ミリりゅう弾砲止み、16年の歳月で琉球松などがよみがえってきた。

 職員朝礼にすべり込み
   こんな闘い
 1970年12月国頭村実弾訓練は阻止したが、米軍と日本政府は宜野座村中川の森に砲座設置、県道104号線声の訓練を復帰翌年から開始、私は毎回抗議集会に参加している。
 1980年代後半、那覇市の学校に転勤、朝未明に浦添市を高速道路で抗議集会に参加、8:30分の職員朝会に滑り込みが1995年まで続く、沖縄県民の「愚直」な闘い回想するとともに、授業通信資料に目を通した。

 1973年ー年間3回の射撃訓練、弾数235発
 1991年から訓練は年35回,33,35、35、33、となり、93年の弾数は5606発打ち込んだ。90年代だけで2万発を超え「山が泣き、不発弾の倉庫」になる。
 1972年から1994年まで山火事は130件だ。
1995年少女暴行事件後、SACOで本土4地域に訓練移転。
 沖縄以上に訓練はひどい現状のようだ。

 MV22オスプレイの普天間配備後、日本全国が訓練移転となる。小さい記事だがSACOのあのキャンベルが日本・韓国訪問、
「シー・エア・バトル」戦略の詰めに来たか。メールで済州島軍港反対の連帯、日本語・英語で流れてくる。

 1980年代後半から1998年3月ごろまでガイド終わって、海勢頭豊のライブ・ハウスで104号線の闘い歌った「喜瀬武原」など聞きに行ったものだ。
DSC01971.jpg
 沖縄自動車道をわがものと走る米軍車両。
東京の友人から走行中に電話入る。
ドキュメント映画『誰も知らない基地』(イタリアの監督)の上映会見たようだ。私がかなり出てきて、感動したとの内容であった。
DSC01975.jpg

「三つの記事」

その1-「まだ戦争は終わらない」?首里高校不発弾「騒動記」
沖縄タイムス
不発弾 古都を封鎖
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-16_32548/

 その2-復帰闘争記念碑
 -明日の「宝の海」主題ー復帰闘争記念碑から何を学ぶか
沖縄タイムス
闘争碑修繕 40周年に語らい
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-16_32549/

その3-泡瀬の闘い
 もしあの日泡瀬にいなかったら
 「宝の海」4月19日ー「04年4月18日の友情」?
琉球新報
多様な生態系学ぶ 泡瀬干潟で観察ツアー

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-190040-storytopic-7.html

わが「散歩」大北区5班「サミット」会場
 散歩はいつもカメラ持つ。共同菜園を営みヒージャー(山羊)も飼っている。今日の会議は隣組大北区5班から民間・公務員3人が定年退職、3人が公民館借り切ってヒージャーグワッチー(山羊の御馳走)をふるまう会議のようだ。なんでも食べられるようになって、心ワクワク。
DSC01980.jpg
 今晩の歌は
 海勢頭豊

 「喜瀬武原」と「月桃の花」でお休みだ。
 若き日の豊さん
http://www.youtube.com/watch?v=3h2b_UpYxy4
 155ミリの闘いの初期、ヘリ基地反対協議会事務局長仲村善行氏は、この闘いの中の一人であり、記録残す必要あり。
 今の豊さん
 
http://www.youtube.com/watch?v=tdTBKvXtD_k&feature=related
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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