実践的沖縄非暴力
「大西さんは語るべきだ」ーS女史の提言に! 23日、夕方の散歩、スパーで辺野古、高江を共に闘ったS女史にあった。半年余の再会である。S女史は毎月、伊江島のわびあいの里を訪問している。戦後の沖縄非暴力の原点である。私は阿波根昌鴻なきあと、命日の3月21日は焼香で訪問しているが、今年は療養中で訪問できなかった。80年代末から90年代中期まで毎週伊江島であった。それを『沖縄の太陽物語』として95年7月末出版、1月後少女暴行事件が起こった。
その後、伊江島ツアー増え、ネットワークのガイド土日はほとんど伊江島。

(私と伊江島結んだ「沖縄の太陽」碑、1972年7月『歴史地理教育』臨時増刊「伊江島特集」と『米軍と農民』(岩波新書)が心の襞に残り、90年代初期『沖縄が動く予感」で高校生に焦点当て沖縄の非暴力の闘いを出版書いたのである)

、伊江島ツアー増え、ネットワークのガイド土日はほとんど伊江島。
S女史は「大西さん実践的非暴力語り、書き残してほしい」という。辺野古・高江のDVD、映画は少なくないが理論・実践論としての場面は多くはない。多くの方々が新聞に「沖縄非暴力」に触れている。辺野古の非暴力の実践者一人、当山栄氏逝き、今、私が定められた日々。
(団結道場トイレ、<アメリカヌ花、真謝原の花、「銃剣とブルドーザー」1955年3月11日>

(阿波根昌鴻命日ごろまで伊江島の野生のマーナ咲く、基地の中(黙認耕作地)と金網の基地、その光景に伊江島の非暴力と積極的非暴力が秘められている)
辺野古テント村には、私が作った故阿波根昌鴻の写真パネルが張られている。
安次富君はまだ現職であった。高江の闘い07年、08年については、比嘉君が私の動きを中心にDVDに1時間収録していただいた。08年夏、熱中症。脱水症からくる脳梗塞で前線での実践は控えざるを得なくなった。

(晩年阿波根昌鴻翁は病、わたしがツアーで来ると必ず講話に出てきました。それは娘のように愛した少女を私が書いたからだと思う。90年代私とともに伊江島行った読者のみなさん、写真撮っていましたら送ってください。オジーの思想と行動が読める写真があると思います。)
5本の指の非暴力と
積極的非暴力 S女史の提言、前向きにとらえたい。沖縄非暴力、先人たちの戒めの実践、現場の責任を担ったものとして、今、語り、書き、明日につなげたいと思う。この9年の到達点をまとめて書く、文章構成力は低下している。断片的には「宝の海」に書いていて、特に、高江スラップ訴訟判決前後に「沖縄の抵抗権は日本国憲法でも侵すことのできない権利」を連載した。S女史には辺野古のテント・高江のテントで「語る機会」作ってくれたらいい、と、提起している。
沖縄抵抗権(参考)
http://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20120312.htmlhttp://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20120314.htmlhttp://teruo024.blog47.fc2.com/blog-date-20120316.html
(この写真は、福島の教師ツアーが撮ったオジーです。「5本の指」の思想が明確にわかる瞬間を捕っています。ブログの呼びかけに答えてくれました。もし、辺野古の闘い、高江の闘い初期、私の写真撮っている方、送ってくだされば幸いです。私がカメラの記録本格的にやりだしたのは08年です。辺野古。高江の歴史解説、責任者の一人として読めば、単なる写真でない世界が見えるかもしれません)
S女史の伝えるところによれば、辺野古の阿波根昌鴻おじーの写真観て彫刻家の金城実氏が、彫刻にして、展示会の計画もあると聞く。
日米政府の権力と法の暴力に
沖縄非暴力は世界に輝く力 70年代の沖縄の闘いは琉球警察の機動隊弾圧組織、大衆闘争のヘルメット化など複雑であった。80年代中期から沖縄反戦地主のねばり強い闘い、その象徴としての阿波根昌鴻の「愚直」、瀬長亀次郎「不屈」、復帰闘争碑の戒めが注目を集め、国際的には地球サミットの諸条約、国連の「平和の文化宣言」起草(1999年9月13日、国連総会平和の文化宣言と10年行動計画決議)があった。
わたしを含めて、故当山栄、安次富浩などなども、この時代のオジーの影響受けている。04年4月19日(Xデー)を意識し、戦略・戦術を模索、あるいは、準備体制に入っていた。S女史もその一人であろう。

(2代目テント村村長当山栄」逝くまで壮絶な戦い、寡黙ながら信念と英断、細く優しい目に、唇の閉まりに司令官としての人格がみなぎっています。なお、5月12日「宝の海」に埼玉の杉浦氏が「あなたの残したもの」で当山氏から学んだこと「詩」の形式で送ってくれました。大事なことです。当山氏が何を記録し残しているか、資料の検証必要だ)
昨日のオスプレ問題 いよいよ首都圏の闘いと沖縄の連帯重要になってきた。
琉球新報社説
オスプレイ配備 沖縄への無理解際立つ
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191589-storytopic-11.html
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