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新基地反対の明確な公約掲げー、口約で市民はだませないだましてはならない。

爆音・嘉手納統合案で揺れる街
 ハンデイー克服して青春の平和の祭典甲子園へ
    ベスト以上の力を出した嘉手納高校
  大人は何を 学ぶか


琉球新報・沖縄タイムスを読む  
  (新報1面、タイムス2面、)
「苦渋の選択」の白々しさ(島袋陣営)
   現行案の見直し(稲嶺陣営)
  「  危険な普天間基地はを国内どこにもいらない」(比嘉陣営)

 県民の注目は、何故、「革新」は候補をたてきれなかったのかについてであろう。一般的に言われる「選考会議」は解散である。
 8年前、宮城康弘氏は市会議員として勇気を持って立候補、4年前、我喜屋宗弘氏も同様である。まず、1点、県議・市議に勇気がないことである。
 宮城氏には「なごなぐ雑記帳」のブログがあって、名護市長選挙に所見(6)を述べている。この見地が「外部」からの一般的な見方であろう。どんな苦しい時にも辺野古に基地はいらないを貫いてきた宮城氏の心情が出ている。振興策バラ色の中で谷間の時期であった。
 今、有利な条件の中で現行案見直しで翼賛的な状況が進む、歴史は皮肉だ。9月4日、市民団体が民主党県連に申し入れしを終了したとき、喜納代表が「名護」と言いかけて、知事選に話題を変えた。
 名護市の議員の動きと関連して民主党の影を見た思いであった。民主党今日の新聞で稲嶺支持を表明した。
 名護には民主党、社民党、社大党の地方組織はない。つまり、政党間の調整や整理が効かないことも、名護の不幸の一つである。
市民団体まで洪水に巻き込まれると沖縄は終わりだ。
 
「辺野古ありき」の火種を消し
  小さな木を大樹に育てる
 タイムス・新報社説を読むと、今の沖縄のマチブイマチブイ(国政選挙中から使用)が見える。
 新基地反対の大地に小さな木を育て大樹に育てる。新基地反対の潮流を逆流させない道は比嘉やすし氏の勝利しかない。
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普天間の移設先が争点ではない
  新基地は名護にも沖縄のどこにもいらない、きちんと、政策にするかである。日米政府の責任で普天間即時閉鎖・返還である。

  (タイムス記事にコメント)

自衛艦「くらま」と韓国貨物船衝突事故を
 辺野古から見る

 海上保安庁11管区は中城保安部を立ち上げ、平和丸1隻に巡視艇2隻、カヌー1艇にゴムボート2・3を配置、弾圧体制をとっている。今度の事故は右側追い越しの原則逸脱、しかも、狭い海峡で、左からの追い越しを指示したという。
 「宝の海」で、保安庁の巡視艇およびゴムボートの初歩的マナーの悪さを指摘してきた。とくに、旧「宝の海」(07年5月・6月)ごろの指摘である。
 米軍基地を守るために新たな巡視艇、ゴムボートの予算があるなら、真の意味での海上安全行動に予算を使うべきである。13人乗りの平和丸に大型巡視艇配置、滑稽であるが、海の安全と命を守るのが保安庁の基本的任務である。十数億のお金を本来の仕事に使えば、初歩的ミスは起こらない。軍艦が爆発したらどうなる。

(続きー星空9)
  
 星空に蛍が舞う川10   
蛍と泳ぐ川と旬の味覚(
 私は、小学校二年から草刈、食用及び馬や豚の餌となる芋作りなど、馬の世話の一切を任されます。戦地に行っていた男たちが復員し、今日の団塊世代といわれる人たちが生まれます。わが家も6人兄弟と膨らんでゆきます。子どもたちは成長に従い、子守りから家畜の世話、家族の労働力として役割を成長させる。貧しい農家の三男である父には財産がなく、母が奥間ノロでツハチ(約一八〇坪)の水田、荒田と呼んでいる畑が財産で、炭を焼いた山林を親子で鍬とツルハシで開墾し、また、小作の水田を耕していました。

その頃は、まだ、耕耘機はなく、人力と牛馬が労働に大きな役割をはたしていまして、私は小学校5年ごろから、イセー(ユイマール)は大人の労働と同じで、稲刈りは草刈で鍛えられていて大人以上、馬で鋤の耕し、田の肥やしの踏み込みは田車でやってあげ小遣いを稼ぐものですから、大人と同等の労働価値が認められていたと思うのです。
馬がいるために小作田をかなり耕しますが、収穫期に5対5の割合で地主にリヤカーで運ぶのは、子どもの仕事で、惨めさと、自分の土地が欲しいと心で叫んでいました。質田が自分のものになるときは子どもながらに誇り高い感動を持ち米の収穫も増えたと記憶しています。

 リヤカーを引く少女たち
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 最初の家族労働は子守りから
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 二期作不適切な田はタードウシイモ(二毛作)を植え、ソラマメを蒔き、味噌を造り、田畑を肥やします。
 その頃は、米で鏡地の塩田で塩を買い(米と物々交換)、米と魚を物々交換し、特に、スク(アイゴの稚魚)、クルイチャ―(イカ)はカーミー(南蛮甕)に一年分塩漬けにして芋のオカズやイチヤ―ジュシーになります。ですから、ご飯は加州米、そば、ソーミンが主食となります。
 馬車ー照坊が載っていると思ってください
   馬と共に一人前と認められる
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マースヤーと
  スクやイカの季節
  
 旧歴の6月一日、学校に行かず、朝早くモッコをかつで海岸近くで草刈、前日夜の水平線は雲の中で雷の閃光が大海を揺るがし(スクビカリ)、朝日に焼けた雲はイノーの波を揺さぶりスク嵐が起こり、スクの大群をイノーでサバニが待ち構えています。漁師の手伝いをしてスクを頂き、モッコの草の中に入れ帰ります。
 正午ごろ、大宜味村の平良のおばさんが「スクコーイミソウレー」(スク買いませんかー)とバーキ(ザル)を担ぎ、頭にはビンダレー(タライ)を乗せ部落中を歩き売ります。もちろん、お米との交換で、ミスガーミー、ミミチブに塩漬けにし、イモがおいしく食べられるのです。
 スクはこの日ですから、スク売りに必ず漁師の奥さんが売りに来る日である。
 
 夏の終わるころ、平良のおばさんは同じく、「イチャーコウイミソレー」と村を歩きます。このころのイカは小さくて塩漬けの旬で、黒墨でミスガーミーいっぱい漬け、ソーミン汁、カンダバージュウシーの出汁になります。大きなイカは日干しにして塩をたっぷりまぶし、カマスにくるみ保存し、秋から冬の弁当のオカズは毎日、イカの油味噌付きが多かった。
 人参キャベツは畑で作り卵と炒める。シユルグチナ、シマナーを塩に漬けて、ラード(自家製、アンダガーミー<油壺>に貯蔵)でいためるとご飯が進みます。今でも、大人になっても夏の終わりになるとイカのお汁や刺身(イカソウメンをシークワサーでもむ)は旬の味覚で秋を迎えます。豚小屋、馬小屋は堆肥工場で、有機肥料生産場で、十分に発酵しないと十二虫、回腸に回虫が棲み、顔色が悪くなると虫下しのナチョウラ(海人草)はどの家にもあったように思います。
傷だらけの体
  労働の勲章

 私の生まれた頃、子どもたちはオデキができた。マラリアにも罹った。私の体にはその跡のカンパチがいくつか残っている。頭には禿の大きいのがあり、あだ名は「カンパチ照雄」である。中学まで丸刈りですからカンパチは、私の劣等感の象徴であった。体も小さいので、草刈りの仕事もあり、学校に残り活動することはなかった。
 カイセンや慢性的な皮膚病に罹っているのも少なくなかった。ドモリが多かった。イジャナー(ドモリ)00とあだ名をつけていた。琉球語が家でも学校でも日常会話で、表現の切り替えができなかったのであろう。歌にすると流暢な声になるから不思議であった。
 私のカンパチの治療に友情が注がれた。松葉でつつくと毛が生えると松葉を束ねて突く、毛は生えず血だけが流れた。幾度も友情の洗礼を受けた。
 馬も人も化膿時代
 私の左手、指をみると白い斑点が立て横に交差して浮かびます。草刈りや山でのこぎりを使うので手は傷だらけであった。小学校の低学年までは裸足であった。竹や釘が刺さって化膿したが、海が熟するまでオオバコを張って、針やナイフを焼いて切開し膿を出した。ペニシリンなどの抗生物質はまだ行き届いていなかった。小さい時からカニやネズミに噛まれ少々の出血に驚かない時代であった。消毒薬は中学の頃からで、これらの傷の痕跡は生活史でもある。
 
  これらの経験は、教師となって、「生態系と旬の味覚」、社会科の食文化(アジア共通の塩辛文化、豆加工文化)、アメニティーな自然・社会環境などの教科書にない世界、自然現象体験は夏休み前の「夏休み死なないために」の特別授業の基礎となっています。
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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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