スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

亡き父母を仏壇に向えてー母タケ初盆



沖縄中・今日はお盆です
 母タケ初盆、仏壇の引き出しに母の生前にかかわった神事、古謡などについてのメモ、QAB製作の「奥間ノロ記」など納める。
 
(続きに「国頭サバクイ考」など記載し、今日1日過ごす)

 夜はエイサー・獅子舞などミチジュネー。

31日、23:00有線放送津波情報

毎月始め、自分の指針確認
 辺野古を闘い
  辺野古を語り続けてきてー指針(続ける)

 辺野古テント村含め、十数万の人々に語ってきた。その柱は、辺野古現場闘争は、もちろん、日本の進むべき道であった。月の節目にはいつも確認している。
1、 21世紀の人類は平和の文化(紛争の平和的解決、非暴力)の道を歩む
2、 21世紀の地球は生物多様性保全の道を歩む
3、 沖縄の過去・現在・未来は「万国津梁」の道である。
4、 安保をなくして日米平和友好条約への道
5、 憲法9条と東南アジア平和友好条約の示すアジアの道と日本の運動の課題・
6、 普天間の原点と本質は全面返還であって、負担軽減、移設論、訓練移転ではない、訓練・分散移転は基地沖縄を前提とした陰謀である。他基地から飛来訓練強化され、訓練集中化は歴史と現状が証明する。
(教師時代の社会科の柱で、辺野古闘争の私の指針)
 沖縄を観る視点=沖縄6つの顔
  
1、 島々の広がりを持った顔
2、 熱帯。亜熱帯と照葉樹林の織りなす顔
3、 王国(万国津梁の邦)の顔
4、 沖縄戦の顔
5、 米軍基地の顔
6、 沖縄チャンプルー文化の顔
  05年11月19日、名古屋講演「憲法・米軍再編成と辺野古の闘い」(講演記録より) 
(沖縄文化が日本を包む時代が・・・)

辺野古海岸
 新聞でも取り上げられるようになりました。
 「宝の海」5月22日(梅雨)、8月28日第1信、第2信参照。
タイムス
辺野古の砂浜に異変 米軍設置の柵が影響?
[画像を拡大]
社会 2012年8月31日 09時37分
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-08-31_38390
 (私の記録と少し視点?堆積?崩壊?)
タイムス
岩国でオスプレイ反対集会 沖縄県民大会に合わせ
全国 2012年8月30日 18時09分
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-08-30_38383

森本ペンタゴン「代官」に抗議する
 岩国市民の闘いー日本全国で9・9沖縄県民大会と連帯する取り組みを

 こちらから岩国の熱気ー元気が出ます。
IMGP5205.jpg
 写真一杯
http://simoiti1329.digi2.jp/pead464/464-1.12.8.30.ospreyimorimoto01-10.htm
http://simoiti1329.digi2.jp/pead464/464-2.12.8.30.ospreyimorimoto11-20.htm

米軍と高江、過去・現在・未来?
2012年8月31日 18時40分
Qリポート 高江のヘリパッドと「ベトナム村」
http://www.qab.co.jp/news/2012083137715.html
 見逃さないで
Still0808_00011.jpg
日本全国の放送はこちら
 拡散で広めてください
 (29日「宝の海」)
http://www.qab.co.jp/village-of-target/index.html
 (続きー「国頭サバクイ考」など)
 祖父嵩太郎と娘タケ
 沖縄戦、山への避難につて(P-)で述べています。山への避難、祖父嵩太郎は癌に侵され、戦後間もなく死にます。4歳の記憶に少し記録されていると思うのですが、祖母の幾度も同じことの語りの記憶かもしれない。
 私は沖縄の石川啄木碑について、記録メモ『啄木と沖縄』上梓(2001年)しています。
 私の母タケの生まれは大正7年11月15日である。母タケが奥間ノロするのが昭和7年申旧8月(日時和紙痛み判読困難)、前ノロ座安マツ、昭和6年未旧11月18日死去享年85歳逝去、新奥間ノロ就任報告儀式を首里3殿内(聞大君はまだあったか)、で行われるのが旧暦昭和7年1月25日である。
 「花の15を泣かせる」ではなく、「檻の鳥」の宣告を嵩太郎は行う。嵩太郎は前のノロ「葬儀記録」と「ノロモイ交代日記」を残している。嵩太郎の娘への思いはこの二つの日記の事実記録などに込められている。ウガンごとの詳細な記録は「奥間郷友会誌」などに見ることができるが、和紙に書かれていたとは知らなかった。
 タケがノロ職に就任する昭和初期は大不況期である。沖縄は「ソテツ地獄」と称された。前掲『啄木と沖縄』では、この時期を「墓場への行進の中で」「普通選挙と芸術科たち」と記録メモ残しています。
 沖縄の紡績女工たちを「かごの鳥より、監獄よりも、宿舎生活は辛い、寄宿舎焼けて、門番コレラで死ねばいい」など松本三益『物語青年運動史戦前編』や名護市に立つ「黒い煙、白い煙」碑など引用している。(『啄木と沖縄』P198~204)
 貧しい沖縄の農村の子供たちは、イクマンウイ(糸満売り)、少女はジュリ(遊郭)へ売られる時代であった。父のイクマンウイなどは、いくつかの本の中に記録されているのでここでは省略する。
 母も尋常小学校卒業すると紡績に行っている。母から聞く紡績は「楽しかった」で、前著などに出てくる「墓場への行進」は微塵も聞くことはなかった。
 生まれた時から、ノロに就く宿命、結婚もできない伝統的な宿命、琉球王国は崩壊しても聞大君を頂点とする統治機構、精神文化の支配構造は温存されていた。
 母にとっての「花の13歳」は、「檻の鳥」への道であったのです。母にとって紡績の過酷な女工生活は自由な場、近代的な文化思想に触れる機会であったかもしれない。
 母の友人の青山美江は「寄宿舎では啄木の歌が回し読みされ、監督に没収されても幾度も幾度も配られ」、80歳頃も啄木歌集を置いていたといいます。(『啄木と沖縄』)
 大正デモクラシーは、沖縄でも「新しき女」(『啄木と沖縄』「新しき女たちの写真から」P164)が登場する。
母がノロ職に就くころ、隣の大宜見村では、沖縄最大の農民闘争「村政革新同盟」(昭和6年)、羽地中心に「嵐山騒動」(昭和7年)などが起こっている。
 1928年(昭和2年)、第一回普通選挙、日本共産党は無産政党から候補者を立てています。
 3月8日、国際婦人行動として、婦人解放大会が開かれて、首里の女性が遊郭(チージ=辻)攻撃を行い、大喝采を受けたようです。若い辻の女性が「自分は遊郭の遊女である。自分たちは好んでこんな商売をしているのではない、社会が悪いのであって、私たちが悪いのではない」と論旨整然と反ばくした。(拙著『啄木と沖縄』p216)

 母がノロ職に就く時代、女性が近代的自我と人間として生きる大きな歴史の転換期にあったろうと思います。

 嵩太郎は、娘タケをノロに就かせる。そして、二つの文書「前ノロモイ葬儀」「ノロモイ交代日記」である。
 娘が結婚も許されない世界(できた説、出来なかった説有り)に入ってゆく、死に当たっても一人である。自分なきとき、五つの字が葬儀に責任を負うことを書き残している。父親としての悲しみや娘への思いが込められていると思うのです。
 「交代日記」も葬儀記録と同じく感情を注入しない事実のみの記録である。母を支える若ノロ、根神など刻銘に記録することによって、娘タケを支える沖縄の神々信仰、その組織体制を刻むことによって、娘への思いを、和紙の記録に残し、タケに託している。
さらに、祖母カマの話によると、嵩太郎はタケのために、前のノロが手放した土地を取戻し、娘に与えている。それはアガリカンジャヤーの長男と匹敵する。

 タケが稲を植えイモを育て一人で生きて行く基本的土地を保障していると思えるのです。
 「交代日記」によると首里三殿内報告に銀かんざし3本備えている。現在金のかんざし1本が残っている。
母タケが祖先から引き継出来た神具は、村の諸文化財紛失(米軍の戦果?)しますが、タケは金の簪など、交代日記を守ってきた。
琉球王国の支配機構の聞得大君の交代記録など存在するか、門外漢の私には知る由もない。
祖父タケ太郎は琉球王国が廃止されても、信仰、村の諸文化と深いかかわりのあるノロの継承を昭和の初期まで行っている。
伝承的に受け継がれたノロ葬儀、ノロ交代記を文章として残してきたこと、古代的記録は無くても、この記録から推称してゆくことができるかもしれない。
記録の分析は、専門家に委ねたい。(末尾資料参考)
 
 タケは亀福と結婚し、私が生まれると亀福は中国戦線出征、ベトナム戦線を転戦し復員となる。
 父と母の結婚は、資本主義的な労働の自由、天皇の臣民としての国家体制で、旧慣的ノロ制度に改革があったのか、タケが旧慣的因習に「新しいノロ」として、社会に対して要求して来たのか、わたしには知らない。

 イクマンウイ、ジュリ(遊郭)などへの人身売買の消えぬ、また、軍国主義の色濃い時代を背景に、母はノロに就任する。これらは、琉球王国が民衆を支配した価値観とは相いれないが、ノロの制度は民衆的信仰、因習、慣習はとして、村々の中に深く残っていた。
 ある意味では沖縄戦は沖縄の民衆宗教をも崩壊させる要素でもあったように思う。
 母は、戦争の中で二つの記録と神具を守ったが・・・(前述、ラブレス中尉参考)

 母タケは、楽天的で快活であった。どんな農繁期でも村のマイクから「大西タケさん、お客さんです」と放送があると、身を清め、祈りをする日常でした。
 村の少なくない人々が、母から踊りの指導を受けています。母の実家、アガリカンジャー座安家は、村の8月踊りの稽古場であり、母は踊りの中で育った。村の民話、昔話などが体の中に詰まっていた。
 アガリカンジャーは琉球王国成立史、第二尚氏など物語的歴史に、少なくない歴史書に登場してきます。
 1968年母タケは、子宮癌に罹った。すでに、教職についていたので、中部病院に入院させ、手術後の治療は東京にいる弟嵩純もとで国立癌センターに通った。当時、沖縄は国民健康保険のない時代であった。


琉球王国時代の「労働演劇?」(1)ー母一回忌の節目に
  王国時代のヤンバルの風景

 琉球のサンシン文化が認知されるようになったのは1980年代頃からであろう。4月の「啄木を沖縄から見る」で、「朝鮮人と琉球人お断り」の時代を見た。現在の日本の食文化はじめ朝鮮および琉球的要素が日本化している。BSは韓国映画の隆盛である。
 NHKが「テンペスト」で琉球王国崩壊のドラマを放映した。19世紀中期、徳川政権・琉球王国も内部的崩壊にあり、黒船が速度を速めた。

 イモと棚畑
島津の琉球支配後(1609年)、イモとサトウキビの栽培が進み、砂糖は琉球王府の重要な財源となる。やんばるの風景は一変する。名護湾から辺戸岬までの海岸線は山の頂上まで天に登るように棚畑となる。イモの栽培を中心に、キャサバ、麦、大豆、チンヌク(サトイモ)、ヤムン(山イモ)など、イモの畑にソラマメ植える。ソラマメの球根は窒素分を豊かにし、味噌の原料になるとともに、田んぼの緑肥として大切にされたであろう。

 
 開墾不能地にはソテツ、芭蕉布が植えられた。
塩屋湾の棚畑と森の境界にはイノシシ垣が万里の長城のように尾根に伸びて、いわば、沖縄的里山が形成される。イモの栽培は大量の堆肥が必要になり、豚の飼育(フルヤー)、山羊の飼育は子供の労働となる。棚畑にスルガー(モッコの縄の原料となるヤシ科)、村人が休憩する松の大木が休憩所となる。
 (現在、この風景想像も出来ない)

 砂糖と森の荒廃
 砂糖は王府の重要な財源、大量の薪を必要となる。中南部では燃料の不足が深刻になってくる。祭温が植林政策に力を入れたがイモやサトウキビと無縁ではなかろう。
 やんばるの森は、燃料供給地になり、不法伐採などが横行する。琉球王府は大宜見・国頭・東間切りで馬を飼う事を禁止した。

 やんばるの森は、琉球王府の木材、氏族の住宅の建築の重要な生産地であった。とくに、干拓による富農の出現は都市の富裕層を生み出し、森の荒廃一層深刻になる。士族社会の窮乏が深刻になってゆく。『奥間郷友会記念誌ーかにまん』によれば、租税は8公2民、7公3民、それにブー(賦役労働)が加わり、(『かにまん』「貴族や士族がわが世の春を謳歌した封建社会は、百姓にとって生き地獄であった」)、賦役労働の代表的なのが王府の御材木に切り出しであり、やんばるの地に「国頭サバクイ」として、土俗的演劇が残る。

ネット上の
国頭サバクイ
国頭サバクイはYouTubeで舞台舞踊、サンシン音楽で見ることができる。この国頭サバクイは名護発祥説、国頭村奥間発祥地説がある。「なぐーやま堅木」が名護山と採譜されたらしい。大国林道の与那覇岳と伊湯岳の中間に「長尾橋」(ナグー)ある。「深山堅木」が展望できる。
 名護説・各地では1番に「さー首里天加那志」と琉球王と王府を讃える。中には芭蕉布を献上する舞もあると聞いている。奥間のサバクイは下級役人サバクイを「酒を飲む役人」と揶揄している。自分たちの運ぶ堅木の美しさをウナギ(うなじ)の腹のすべすべした肌の美しさに例え、琉球王を讃える場面はないのが特色である。
 ブー(賦役労働)は重税下の賦役労働で、王や王府を讃える謡になっていない。一般的舞台で踊られサバクイには、サバクイで終わるけれども、奥間のサバクイでは「雨降ればー此の木」が終幕として、臼太鼓で謡われる。太鼓、棒と鐘の音以外に楽器は使われず、歌はサバクイ一人が謡う。サバクイのバリトンの歌が魅力である。それが、舞台(自然の舞台)で演じられるとき、歌と民衆の動きが労働演劇として浮き立たせ、民衆の様々な姿が一層、浮き彫りにされる。歌は「8・8・8・6」だけでもない。
 女たちのウシデークが佳境に入ると、男たちが登場する。

現在「国頭サバクイ」
  どのように舞台で上演されているか
 国頭サバクイ考(2)

 琉球王国時代の「労働演劇?」(2)
  「国頭サバクイ」はどのように発祥地で演じられるか
YouTubeなどで上演されているのは首里王讃える労働の謳歌が共通している。なぜ「サバクイ」と役人職がつけられているか。この役人は「サキクエー(酒のみ)」である。役人として失格を言うことによって、支配体制批判の序曲となる。
 私の実家に「かぎやで風」の原歌の碑が建った。おそらく、訪問者増えるであろう。村の国道に「国頭サバクイ」碑建っている。沖縄の家系図は王府および琉球王統系列と結びつけ琉球王府讃え、関連させる風習、伝承がある。
 私の家も察度王、尚円とともに歴史書に書かれる。民衆の視点が欠落する。奥間の「国頭サバクイ」には、琉球王府時代の民衆の怨嗟とも言える世界がリアルに見えると思う。

ウシデークの謡と舞は、9・10に入る。
  9 伊集の木
     あぬ伊集ぬ花や
     ましら花 さつい
     わみん いじゅやとて
     ましらばな さかな
      (伊集の花は白く咲く わみん(私も伊集の花だ。美しく咲いている。?まだ私若い?8・8・8・8)

  10 インチャーウーヤー
     いんちゃうーやー うみば
     わるぬ たみなゆい
     つぬ うとや とりば
     ねたみ なゆが
     私の勝手な解釈。
      (いちょううーや産んだら、わるぬ(私のためになる。つぬ(他人の夫とったら、ねたまれる?いちょううやーはどんな子であろうか?私には今、わからない。だが・・・8・8・8・6)

     かしたらじ たらじ
     ぬちまでん たらじ
     ぬちうむる えまや
     さとや いもち
   私の勝手な解釈 
   1、(かしたらじ かしは私の今、知らない。たらじは不足の意。ずっと不足、命あるまでは里(愛する人)     は、通ってくる。)
   2、シヌグになると性のの問題、不倫の問題が入ってくるために琉球王府禁止と書いた。琉球王府の政治道徳は呈順則(名護大親方)の「六諭」の儒教的支配体制、六諭は幕藩体制の道徳でもある。私の解釈が正しいとすれば、王国支配の政治道徳に反する。

 この謡と舞の中で、男たちが登場し、舞台は国頭サバクイとなる。

 国頭サバクイ
1、サー 国頭(くんじゃん)サバクイ
   (ユイシーユイシー 囃子以下同)
 サー 酒(さき)ぬり サバクイ
   (ハイルレー ハーラレー ユイサー ハリガユーサー)囃子以下同)
2、サー 国頭 山から
  サー 出だちゃる 御材木(うぜむく)
3、サー長尾山 堅木や
  サー重(うぶ)さぬ 引らん
4、サー 深(うち)山 堅木や
  サー うなじぬ 前(め)一腹・・・・うなじ(ウナギ)
5、サー 老いてい 若さん
  サー 肝(ちむ)てぃち 合わちょてぃ
6、サー 鏡地 浜から
  サー 引かちやる 御材木
7、サー 北ぬ 御殿(ぅどぅん)・・・首里城や王家の屋敷
  サー いんじゃちやる 御材木
 
(奥間婦人会印刷物による。元歌は『奥間郷友誌』に詳しい)
 
再び女たちの舞で「国頭サバクイ」は終章となる。  

雨降りばー此の木
1、 此の木や此の木や
 引からん 引らん
 大和車に乗せて引かさんか
  (ハリクヌ ヤイヤ ヤイスリヨー ハリクヌ 囃子)
2、雨降りば雨降りば
 堅木ぬ薪燃いらんど
じょうしち母(アンマー)が 哀りすらどうや・・・じょうしち(台所の母)
 (上記 囃子)

  なぜ、労働演劇か
   舞台は神事の場、自然の中
 本来、国頭サバクイは舞台舞踊・演劇ではではない。旧歴2月2日土帝君(トージーク、北の御殿、南の御殿、村発祥の地に道教の神社,村社)、アブシバレーなどで行われる。

 中央に大きな材木囲んで女たちが臼太鼓を踊り(13・14曲)、終わりかける頃サバクイが登場して斧で材木削り、ウフェー(下役人)が、イモを食べながら出番を待ち、観衆を笑わす演技が前半の面白さ、サバクイが人集めの命令、ウフェーほら貝吹き、13歳から60歳まで集める。女たちもブーの対象、臼太鼓終わると、ウフェーは、藁を取り「さにとー」「出席」取る。屋号を呼び藁を折る人数点検(藁算?)、男たちは腰に弁当籠、フジョー(タバコ入れ)を下げている。女たちは丸太の縄を引く、ここでサバクイは斧を高く上げ、国頭サバクイを高らかに謡い、男たちは棒と鉄丙を打ち合い、女は手を振り、「鉄柄やーいー ヤイサーヤー」(囃子)を繰り返し丸太が滑るように引かれて行く。

 舞台舞踊は、サバクイの曲で勇ましくカチャーシー的に群舞になるけれども、奥間のサバクイは、衣裳も芭蕉布で労働服、さらに、「雨降りば」の女たちの謡で終わる。
 昨日の記録メモには、森の疲弊のため、馬は大宜見、国頭では禁止されたと書いた。

 女たちは過酷なブーに怒る。村についても鏡地浜までまだ引く。
  「引らん」、引けない、引けないを、繰り返し

 山から引いてきた材木は、奥間アサギマーに運ばれてきた。なぜ、平野では引けないのか。現在の道路で見るのではない。奥間平野は奥間・比地川が蛇行してできた。アサギの下から港までヌビーダー(沼地の田)である。土に埋まった材木、馬が引く車に乗せればいいのに、何で過酷な労働を強いるのだ。
 古琉球時代(クエーナ、オモロ)と民衆
  「大和車」で運べという。馬は飼育禁止。クエーナに母が伝承してきた「ヤマト旅」のクエーナがある。ヤマトは富をもたらす。「ヤマト車」の大和をどのように解釈するか、このヤマトヒヌカンのかまどから火さえ奪うヤマト、琉球王府と薩摩をさすものであろうか。反逆罪に相当する。官僚たちは歌の言葉に、政治性をにじませていたと聞きますが、文学音痴には難解な問題である。
 
クエーナの「ヤマト旅)(日本共通語にする)
  急げ急げ
  役人たち
  とき遅く
  なりました
    (囃子)
  潮も
  満ち満ち
  急げ、急げ
  役人たち
    (簡略)
  泥海も
  走り抜け
  日本のみなと
  着きました
  曲玉は
  私がいただいて
  いただいてまた
  戻る路の
    (以下略)
 民衆が役人を急き立て、役人が労働者になって、役人観の労働の意欲も、労働の分配も、まったく、違う「ヤマト」である

 御材木運びで、カマドの薪燃えない。薪の生産地でカマドが燃えないという事は、ブーで薪を取ることもできなく、それは、単なる燃えないのでなく「ソテツを常食し、蘇鉄も食えない餓死」(前掲『かにまん』の状況があった。ウシデークにはヤンバルの民衆の王国への怨嗟、怨念さえ読み取れる。首里では御冠船、組踊りが繰り広げられ、ヒヌカンの神に琉球王府を呪ったか。「テンペスト」の中で、ヒヌカンで王国支配した聞大君はジュリに転落してゆくが、支配体制の一つ聞え大君の転落は、都市士族が資本主義的富豪に屈していく王国末期である、このウシデークの歌に込められた地方の経済的疲弊含め、儒教的道徳、人心の乱れも読み取れる歌もウシデークの歌の中に読み取れる。
 
 国頭サバクイには、王国の支配にたする抵抗の芽生えがあった、と、見るのは、うがった見方か。「テンペスト」でも、琉球王国が内部から崩壊する要因を見ることができる。私は歴史家でもない、琉球王国支配者階級内部の政争は、貴族階級の歌、組踊りに見えるといわれるが、門外漢には無理な世界である。

 原始社会の女性文化から王国崩壊前兆を、自分の家(母の伝承)を見てきた。
 私の少年時代のやんばるの風景は、王国時代の原型をとどめていた時代ともいえる。

 琉球王朝時代、御冠船、組踊が強調される。国頭サバクイには民衆の演劇がすでに誕生していたことになる。民衆は文字を持たない。口承や古謡として残る。単純、素朴である。民衆の演じる舞台は自然を舞台とする。

 各地のアサギアシビに、すでに、民衆の演劇は営まれていたか。
 たとえば、沖縄の祝いで踊られる「かじゃで風」は、わが先祖奥間の鍛冶屋の読んだ歌だという。民衆が謡った歌が、恩納節はじめ、古典琉歌である。日本の短歌は貴族階級の歌が主流である。
「国頭サバクイ」をからめて舞台演劇として再生するのもいいかもしれない。クエーナはじめ、民衆の土俗文化に人間の豊かさがある。
スポンサーサイト

非公開コメント

プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。