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沖縄県民のすごさー安保条約へ切り込むー世論調査に見る

毎日・琉球新報世論調査
 沖縄県民は安保条約いりません
   ダイナミックナ政治要求へ

 
 普天間閉鎖は本来の外交ではオバマ・鳩山首脳会の議題になじまない。外務大臣と国務長官の外交事項である。SACOは事務方の合意、「日米同盟の変革と未来」「ロード・マップ」(再編成)は、閣僚間合意である。
世論調査で、現安保条約の廃棄・対等平等の平和条約を求めている(68・0%)。これは沖縄県民の政治感覚の確かさを示す。オバマはゲーツ、鳩山は岡田・北沢の欠陥閣僚を抱き首脳会談を迎える。首脳会談で一つの基地について議題にするということはいかがな事態か。日米首脳会談の貧弱な到達度が見えてきた。
 沖縄県民の「あいまいな日本」に対する。明快な回答が始まった。

IMG_0003_20091103172259.jpg
 世論調査詳細は
 (URLはヘリ基地反対協リンク「おおかな通信」から入ってください)
イチジクの葉で隠された
     安保条約が国民の目に
 民主党、連立政権の対米追従、ゲーツの恫喝に媚びる外務、防衛大臣に安保改定こそ日本政治の根本だと沖縄は警告した。2月前に、11月に沖縄台風が東京に上陸と書いた。大きな目を持った台風だ。
 それは、2010年に向けての旗である。2010年10月は、名古屋にジュゴン・サンゴなどが自然の権利を求めて環境問題で「中部地震」を起こす。年明け、ニューヨークは核廃絶の世界的共同。
 日米同盟の根幹、安保条約の闘いの始まり名護市長選、「宜野湾に入らないものは名護にもいらない、名護に入らないものは日本どこにもいらない」、この明確な立場で、普天間即閉鎖、全面無条件返還」で闘う。
「2010年は沖縄も、日本も、世界も変わる」とブログでも書き続けてきた。
 安保を語り、憲法を語り、核廃絶を語り、生物多様性を語り、平和の文化を語り」
楽しい時代に入った。

 沖縄県民は政治家、政治屋の思惑を超えて日本を切る。
IMG_20091103172321.jpg
 
11月8日の呼びかけ、ハンドマイク、ビラ入れ30人が行動した。名護の辻にそよ風が吹いた。
 遅いスタート、追いつき、追い越す、楽しみ。


教師の役割
  子どもたちに真理を発見させること

 謀略の構図が
   動き出す。

普天間閉鎖と「日米合意見直し」を市民一人一人に説明することは、革新といわれる議員たちが基地誘致に吸いこまれいる中で時間はかかる。
 教育者の神髄は、真実を発見させる営みである。
「 教師3日でやめられない」は、生徒に教えられる自分を発見する時である。この真実の発見への担い手(比嘉やすし)が、偽りの大群の中で語り始めた。
 名護市幹部が「辺野古撤回」(1日、読売電子版)と言い始めた。謀略は、吸いこみ(稲嶺陣営)、吸いこまれた側(県議・野党市議)でも動き出すであろう。
 教師は「目」と「芽」を常に見る。
 11月8日、県民大会。宜野湾の街を歩くにも、策略では歩けないであろう。
 伊波市長・宜野湾市民の心、さらに、沖縄県民は辺野古を越えて安保廃棄を世論と形成、吸いこまれの議員の思惑を超えて県民はダイナミックだ。
 
 謀略、策略を事実と真実の道で拒絶する。「見直し」の謀略の歴史の中で。
  阿波根昌鴻の「天」の思想である。

 
(続きー星空に蛍が舞う川)11



 星空に蛍が舞う川(11)
 ターチムイと巨人伝説
 1952年四月二八日、サンフランシスコ条約が発効、沖縄は日本から分断されアメリカの軍事植民地支配下におかれます。アメリカは沖縄を太平洋の軍事戦略の要石にするために新規土地接収、いわゆる「銃剣とブルトザー」が沖縄中を襲います。沖縄三大美田と称された奥間平野も例外ではありませんでした。
アメリカは謀略通信施設VOAを建設するために奥間ターブックァに三〇から七〇M級の鉄塔を約二〇本建設しました。

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 巨人作った奥間平野
   米軍の占領

奥間平野の形成には巨人伝説があって、巨人がチンノーガミの山を割り、岩石をモッコで担いで、荒々しい海の波を防ぐため、赤丸崎はじめ平野の森を運び平野をつくりました。ある日、働きすぎた巨人はモッコを降ろして昼寝をし、深い眠りから目を醒ました巨人は真っ赤な夕日の海、二ライのふるさとに泳いでいった。巨人の残したモッコの土はターチー(二つ)ムイ(森)、山を切り取った断崖はチンノーガミノの山として語り継がれ、ウンジャミは巨人の住む二ライカナイの信仰なのです。
 比地川の南は断崖になっています。周りの山は古生層で石灰岩が古生層の山を跳ね飛ばし隆起、石灰岩特有の断崖、岡も石灰岩特有の台地になっていて、琉球処分の際、首里氏族が開発した場所です。半地上原と称し、沖縄の経済界四天王、国場幸太郎の生地です。
 
地質が多様ですから比地川と奥間川の水も岩石も個性を持っています。異なる個性が一つの川になるのです。
 私の小学校の頃、遠足コースの一つでした。獣道を上り、国場組を創設した有名な幸太郎の父、国場のタンメー(おじいさん、幸太郎の父、沖縄氏族のカンプーを最後まで貫いた。)はあまりにも有名であった。
 空中から
   電気が発電

米軍はターチームイの北側の森をブルトザーで剥ぎ取り、田んぼの中の鉄塔をつなぐ道路をメチャクチャ建設しました。電波は中国大陸に向き、周りの鏡地、桃原、兼久では空中から電気を取っていて、また、スイカ畑のカラスよけのテンテンバークー(空き缶)が歌を歌いだし、スイカドロボウが腰を抜かしたなど、信じられないことが次々に起こり、沖縄の放送は夜になると聞えませんでした。しかし、北京放送だけはよく聞こえ、国際情勢が豊かになります。高校に入ってNHKの受験講座、キューバ危機の始まった日、鉄塔の電線がうなり声をあげていました。北京放送は空中から電気が取れ、テレビが爆発するほどの電波をくぐって、私を国際的人間にしていきます。
森は永遠に消え村に伝わる巨人物語を語る人もいなくなって、森一つが日本航空のホテルに残っています。
奥間ビーチだけのころは、米軍はチンノーガミの崖下の湧水から水をとっていて、この水は冷たくウケーメーミジ(おかゆ水)と呼ばれ、野良仕事には昔から欠かせないカー(湧川)でもありました。
  農業と生活破壊
     消えた生き物たち

VOAができると米軍も増え、機械の冷却水のために比地川の潮目の堰に取水場を建設、堰の上に新たな堰を増築しました。それまでは、アユ、ミチユー、ボラ、ウナギのシラスなどが溯上、タナガーの稚魚が潮止めの堰に群れ登っていましたが堰を超えることが出来なく、遊泳禁止になり、ガードマンが巡回するようになった。
 奥間川と比地川は大雨や台風になると土手を越え、冠水、土手の決壊が頻繁に起こるようになり、米軍の建設した道路がダムの役割を果たし奥間平野は広大な湖になり、稲穂は幾日も水没するようになった。また、米軍は奥間ビーチに飛行場(滑走路)を建設し防風林や護岸も破壊したために台風で洪水のごとく潮が流れ込み、桃原から鏡地にいたる田園は不毛地になり、草刈り照雄の草刈場へと姿を変えるのでした。
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010年安保(ぜろじゅうねんあんぽ)

2005年春先35日間辺野古で過ごしました。
07年夏に「010年安保(ぜろじゅうねんあんぽ)への前奏曲」という長い文章を「ちきゅう座」というサイトに載せました。

http://chikyuza.net/search.php?PHPSESSID=be22166627d7d2808b7ea5bfd5820203&query=%B5%DC%BA%E4&action=results

今年の「短歌研究新人賞」に「目指せ!010年安保」30首で佳作でした。

来年3月に「010年安保(ぜろじゅうねんあんぽ)」という歌集を出版することになっています。

2010年に「010年安保」というべき大変動を起こしましょう

宮坂何がしへ

佳作、笑わせちゃあいけない。あの雑誌の佳作は五首入るだけのこと。最終の選考にもなにも残らないのだよ。だいたい、沖縄に観光旅行して、いっぱしの活動家ぶるのはやめたまえ。現場の人たちに失礼だよ。

ここは下手糞な歌よみが遊びに来るところではないのだよ。
プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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