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高江調査


日曜日ニュース番組少ない。大会の状況つかめない。赤旗HPに動画掲載された。

http://www.jcp.or.jp/web_tokusyu/2012/08/kuruna-osprey.html

宜野湾~1
(赤旗より)
高江の調査へーオスプレイパットの危険(2)

北部訓練所は広大な台地
  ダム群「沖縄の水甕」である

 玉辻山(289m),伊湯岳(446m),与那覇岳(503m)が分水峰となり、赤で囲んだ部分が北部訓練所、訓練施設の主要部分は伊湯岳の真下、高江の台地との間に盆地となっています。赤い点がオスプレイパット建設地になります。

無題

 高江小学校発祥に地から

  主要訓練地方面の写真撮ってみました。左の峰が伊湯岳、主要基地を取り囲むように山が連なっています。CH46はこの渓谷になった地形に沿って低空訓練をしています。
 (写真で見る)

DSC03578.jpg
 オスプレイ配備・訓練は
  太平洋の海と結合

 旧高江集落は太平洋の断崖に有りました。高江の展望台から美作(国頭村)です。写真に写っている建物は断崖を利用し、夜余った電力で海水をダムに上げ、海水揚力発電施設です。
 太平洋上に揚陸空母ボノブ・リシャール展開(予測?)、オスプレイからゴム・ボート投下し上陸訓練が行われる。高江パットの主要な目的だ。この断崖の地形がオスプレイ事故を予測させる。

DSC03585.jpg
 CH46の密林低空訓練から
   オスプレイ低空訓練を(全国ルート含めて)

N4ヘリパットからCH46が離陸します。
6図2
 高江の集落上空旋回し北へ(太平洋)、高江台地最も高い、N1テント上空から伊湯岳嶺連山に沿って渓谷へ
9図
 N1から福地ダムにはいくつかの台地の峰、その渓谷に吸い込まれていきます。どんな訓練施設があるかは、見えません。伊湯岳、玉辻山、福地ダムで旋回訓練続きます。ダムでの写真は、私のカメラで無理です。
5図
図3

tyle="font-size:large;">
 高江調査連載の目的
 伊集村長「2割犠牲論」は8割犠牲論
  生物多様性の森、沖縄の「水甕」の危機

 高江の調査をオスプレイの機能、訓練を高江の地形、植生などから予測されることを解き明かそうと思っている。赤旗(9月9日)1面に下記の資料が載った。
 私の論理を組み立てる重要な資料なので掲載する。これを北部訓練所地図と重ねてみると、わたしの理論的予測が単なる推測でないことが実証される。

無題
(普天間訓練では着陸転換モード5kmから、平常転換モード10kmから、詳細は後に)


 高江を知る
  集落の変遷

 高江の道路が出来たのが1962年、電話もそうです。(電話なく琉球新報にクラスとして投書)、現在の高江共同店の場所を牛道、高江校下ると新川、新川橋上ると断崖に旧高江集落が太平洋の断崖に棚畑、現在の植生はススキ、岬を回ると蘇鉄の群生(飢饉用)があったが、街路樹、公園木として捕りつくされた。
 1950年代までは沖縄の海岸線は天に届くような棚畑でした。
 沖縄戦では那覇泊の人々の疎開地、ミミズも食べ尽くした。(拙著『中村梁仁王虐殺の碑を訪ねて』に記録しています。)



DSC03595.jpg
 高江を知る
  集落の変遷
 高江の道路が出来たのが1962年、電話もそうです。(電話なく琉球新報にクラスとして投書)、現在の高江共同店の場所を牛道、高江校下ると新川、新川橋上ると断崖に旧高江集落が太平洋の断崖に棚畑、現在の植生はススキ、岬を回ると蘇鉄の群生(飢饉用)があったが、街路樹、公園木として捕りつくされた。
 沖縄戦では那覇泊に人々の疎開地、ミミズも食べ尽くした。(拙著『中村梁仁王虐殺の碑を訪ねて』に記録しています。
 1958年中学の修学旅行は3日かけて、奥から高江まで獣道歩いた。安波(美作)と高江の道が残っています。1962年も卒業記念としてクラスで歩きました。この間の川は人が入らないため、タナガー(川エビ)、カニがいくらでも獲れ、30人大鍋でジュウシーメーの夕食、思い出の地である。
現在は、釣り人の道のようだ。
DSC03589.jpg
断崖の台地に初代高江校の記念碑
DSC03586.jpg
新川ーこの近くに2代目高江校
新川
 県民大会ー仲井眞知事はどこにいた
  本質が出てきた。


 「宝の海」8月8日
 知事県民大会不参加どう見る
  「裏切り」と見るか
 仲井眞知事は選挙に勝つために「辺野古不可能」論、「普天間危険性除去」論へ転換した。知事は「辺野古ノー」「普天間閉鎖・全面返還」を曖昧にしてきた。「自分は言うべきこと言ってきたから」不参加は、その線上にあって何も不思議でない。つまり、県民の意思と乖離している。仲井眞知事は埋め立て申請が出されると容認して県政を投げ出すであろうと私は見ているのだ。辺野古基地容認への第一歩と見るべきであろう。県民意思共有してないから「裏切り」でもなく、仲井眞知事の本質だ。



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プロフィール

teruo024

Author:teruo024
大西照雄
 1943年 沖縄県国頭村に生まれる
  少年期「草刈照雄」馬を飼育、炭焼き少年
 1955年9月
  由美子ちゃん事件「唇はきりりとしまっていた」知花芳子先生
 辺土名高校入学
  1958年 宮森小学校ゼット墜落事件にショック
  1960年 2年アイゼンハワー抗議デモに参加
      「みんなで大学合格勉強始める」
  1962年 琉大法政学科入る
  1967年 宮古高校赴任
  204年3月末日定年退職
教師としての活動
  沖縄県歴史教育者協議会(採用以来)
   実践報告少なくない
  沖縄平和ネットワーク(ガイドの会)
破られない記録
  沖縄県高等学校教職員組合執行委員連続落選(8期)
  野外学習、嘉数台地、沖縄愛楽園
  沖縄県教育庁呼び出し「指導」、履歴は白

 沖縄県教育教育弘斉会教育論文
  最高賞受賞
 同日本教育弘斎会教育賞(参加賞?)

著書共著
 「平和のための沖縄ガイドブック」(初版)95年
 「憲法。沖縄・安保」立命大学土曜講座ブックレット1-96年
 「語り継ぐ戦中・戦後」05年
  その他
 主著
 「学園に愛とロマンもとめて」93年
 「沖縄の太陽物語」95年
 「沖縄を教えて、語り続けて」97年
 「啄木と沖縄」2002年
 「愚直ー辺野古は問うー沖縄非暴力の心」
 「腰掛一つで刻む38年」(未完)
活動
 名護平和委員会会長
 奥間川ダム反対有志の会、
 やんばるの戦争遺跡ガイド
 ヘリ基地反対協代表委員(1999年~)
   「海の司令官」(総責任者)
 平和丸基金、ジュゴン1号、平和丸船長
 ジュゴン保護基金(ジュゴン裁判原告)
  評価「海でも陸でも、夜も昼も寝ている」
21世紀の地球観
 「平和の文化」築き
  生物多様性の地球の保育
 沖縄生物多様性運営委員
 趣味
魚釣り・パチンコ、野菜つくり、闘いの日常記録撮影
 辺野古の闘い
 「生永らえることでは太く生きること」
 好きな碑文
  「復帰闘争碑」碑文
   真教寺「新しき明日・・・」啄木 

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